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秘密兵器

 正妃から受け取ったハンカチで涙を拭い終わた綾那は、猛烈に颯月に会いたくなった。

 まあ、会いたいも何も三分ほど歩いて応接室に戻れば彼は居るのだが――距離とか時間とかそんな概念はどうでもよくて、ただ今すぐに会って、抱き締めたくなったのだ。


(ギュッてして好きって言って、改めて「幸せにします」って言い聞かせたい)


 綾那が「表」の人間である以上は仕方がないのかも知れないが、リベリアスの住人は悪魔憑きを目の(かたき)にしすぎなのだ。血の繋がりをもつ親族相手に、何故そんな心無い言葉をかけられるのだろうか。

 ――いや、親族だからこそ苦言を呈すると言う事も、勿論あるだろう。そういう厳しいムチこそが愛情だと言う者だって居るだろう。


(でも私は、颯月さんにアメしか渡さない! 颯月さんを傷付けるような人は、「怪力(ストレングス)」で強めのグーですからね!)


 今まで散々傷付けられてきたのだから、もうそろそろ綾那がダメにしてしまったって良いだろう。陽香あたりが「オイ、いい加減にしろダメ男製造機」と言ってきそうな気はするが、綾那は颯月さえ幸せでいてくれたら、それで良いのである。


 綾那はハンカチを丁寧に折りたたむと、正妃に向かって頭を下げた。


「汚してすみません、洗濯するか――もしくは、義娘として新しいものを贈らせてください」

「え!? あっ、そ、そう? ……それは、悪くない提案ね。期待しているわ」

「はい」


 照れているのか、コホンと咳ばらいをして目を逸らした正妃は、ぽそりと「本当は、息子だけじゃなく娘も欲しかったのよ」と呟いた。なんとも嬉しい言葉をかけられた綾那は、くすりと笑う。


(お義母様の知らない一面を知って、小さい頃の颯月さんも見られて……複雑な気持ちもあるけど、すごく幸せな時間だった。早く応接室へ戻ろう)


 正妃が落ち着くまで席を外すという話だったが、少々時間を掛け過ぎてしまった。きっと颯瑛は、なかなか戻って来ない正妃の事を心配しているだろう。


 綾那はアルバムを閉じようとして、ふと一枚の写真が気になって手を止める。それは、十歳ぐらいの颯月がグランドピアノの前に腰掛けて、演奏するシーンを収めたものだった。


(ああ、本当にピアノが好きなんだ)


 無表情か作り笑顔の写真ばかりが並ぶ中、その一枚は一際(ひときわ)輝いていた。

 ほんの僅かだが緩んだ紫色の瞳は、どこか安らいでいるようにも見える。もしかすると、趣味のピアノを弾いている時が唯一彼の心休まる時だったのかも知れない。


 綾那は、その一枚をしっかりと目に焼き付けてからアルバムを閉じた。



 ◆



「思えば私、あんまり颯月さんの無表情って見る機会がないので……すごく貴重なものを見せて頂いたような気がします」

「……え?」


 応接室へ戻るまでの道すがら、綾那は正妃と横並びになって歩きながら、ふと思い出したように口を開いた。

 綾那が目にする颯月と言えば、基本的に穏やかというか――少なくとも、リラックスしているように見える。それは、綾那が彼の苦手な『骨』と違うからなのか、それとも単に綾那を好んでいるから表情が緩むのかは分からない。


 目が合えば蕩けるような甘い笑みを見せてくれるし、執務中に書類と向き合っている時だって、別に(いか)めしい表情はしていない。

 時に「誰かに綾那が奪われる」と過分な危機感を抱いた時には、さすがに顔つきが変わるが――言ってみれば、冷たい表情を浮かべるのはその時ぐらいだ。

 悪魔憑きだからと揶揄されたとしても、ここ最近は笑みさえ返しているような気がする。


 いつか右京が「余裕があって羨ましい」なんて嫌味を言っていたが、確かに今の彼には余裕があると思う。


(私が初めて颯月さんのお顔を見た日……あまりの格好良さに叫んだ時には、凄く嫌そうな顔をしていた気がするけど……もう慣れちゃったのかな。あれからも私、何度か叫んでいたしね)


 綾那は一人納得したように頷いた。


 ――恐らく颯月は、綾那に叫ばれ過ぎて自身が人から忌避される事に慣れた訳ではない。自身を無条件で愛する綾那の存在によって安心感を得られたため、その他の周りの反応がほとんど気にならなくなったというだけだろう。


「颯月は、綾那の前だから表情豊かなだけだと思うわよ。私の前では……無表情どころか、しかめっ面しか見せないし」

「え? あっ、ええと……き、緊張なさるのでは?」

「緊張……まあ、そうね。緊張と言えば、まだ聞こえが良いわね」


 もしかすると正妃は、まるで綾那が自慢したように感じただろうか。決してマウントをとろうとした訳ではないのだが、しかし今更ながら相手が悪かった。


 颯月が唯一恐れる――頭の上がらない存在である正妃相手に「私の前ではずっと笑ってますよ」なんて、喧嘩を売っているようなものだったかも知れない。

 慌てて口を噤んだ綾那に、しかし正妃はふっと目元を緩ませた。


「颯月は……誰とも結婚しないと思っていたわ。一生悪魔憑きだし……私が厳しく育てすぎたせいで、あまり自信がないでしょう? 顔つきと態度だけは輝夜に似て不遜なのに……根っこが弱いのよ」


 そのまま「私が構いすぎたせいで、根腐れを起こしたのかしらね」と言って笑う正妃に、綾那は「根腐れはさすがに酷いのでは」と苦笑する。


「だから、あの子が誰かと結婚するなんて言い出すとは夢にも思わなかった。颯月を愛してくれる女性を見つけて、さっさと結婚しろとは言って聞かせていたけれど……私自身、そんな都合の良い相手が居る訳ないって初めから諦めていたのよ」

「……でも本当は、颯月さんって引く手あまただと思います。今でこそ「悪魔憑きは恐ろしい」なんて風潮が蔓延していますけれど、それさえ払拭されたら、次から次へと求婚されちゃうはずですから」


 そうでなければ、元婚約者筆頭の桃華は彼のファンにいびられなかっただろう。


「だから私、浮気されないように気を付けないといけないんです。ほら、一夫多妻を許されているじゃあないですか……本人はしないって言ってるんですけど、颯月さんがよそ見しないように骨抜きにしなければ。まず私が精一杯頑張らないと」

「……もし颯月がよそ見したら、私に言いなさい。自分がどれほど愚かな行いをしたのか、嫌と言うほど分からせてあげるから」

「あら、それは――ふふ、心強いですね!」


 きっとそれは、颯月にとって何よりも強力な『薬』になるだろう。綾那はとんでもない秘密兵器を手に入れてしまったぞと笑いながら、応接室まで戻ったのであった。

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