颯月と和巳
時は遡って、今から十三年前――颯月が勘当されて、表向き放逐された頃の話だ。
いつか颯月本人の口からも聞かされた通り、悪魔憑きというのは膨大な魔力を擁するため、人の輪に入りづらいものらしい。何せ、悪魔憑きに対するイメージの三原則と言えば、「気味が悪い」「機嫌を損ねれば殺される」「恐ろしい」だ。
だから――法的な強制力こそないものの――戦いの場に身を置くか、はたまたリベリアス各地に雷の魔力を送り続ける「歯車」になるしか、安穏に暮らす道はないのだと言う。
竜禅が言うには、颯月は義弟の維月が生まれた時点で自身が用済みになる事を察していたらしい。
それから程なくして、颯瑛から勘当されて――まあ、実際は竜禅が「颯月様に子が成せない以上、後継者は維月様でしょう。これ以上陛下の傍に置いていてもいつ殺されるのかと怯えるばかりだから、勘当してください」と嘆願した結果である。
前もって己の身の振り方を考えていた颯月は、その後すぐさま騎士団の門戸を叩いた。リベリアスの送電所に篭りきりの歯車よりは、実力至上主義の騎士の方がいくらか人生楽しかろうと。
彼が入団した当時の騎士団長は、五十代半ばの壮健な人物だったそうだ。
団長の役割というのは、領内各地に散らばる騎士を取りまとめるだけではない。王都ならば王族の警護に当たる近衛騎士、他領ならば領主を守る親衛隊など、少々特殊な分隊の配置、管理までしなければならないのだ。
結果として土地の有力者と関わりを持ちやすく、当時の団長もまた、元王族の颯月とは顔見知りだった。
お陰で、アイドクレース騎士団に入団すること自体は容易かった。しかしだからと言って、悪魔憑きの颯月を当時の団員が恐れずに受け入れるかと言ったら――それは、全くの別問題だったのである。
やはり、元居た団員は彼を恐れた。ただでさえ魔力の強い悪魔憑きで、まだ十歳の未熟な子供で。しかも、ついこの間まで王族だったのが勘当されたばかりという、扱いづらさのオンパレードだ。
それに何より、『一生』悪魔憑きなんて存在は、早々お目にかかれるものではない。
新人として入団したところで、そんな危険で扱いづらい者に誰が進んで話しかけたいと思うだろうか。
下手に関わって機嫌を損ねればどうなる? いとも簡単に殺されるのではないか? ――であれば、初めから関わらずに避けるのが一番賢い付き合い方だろう。
幸いと言って良いものか微妙だが、颯月の傍には常に竜禅がついていた。だから完全に孤立する事はなかったが、しかし周囲の者からすれば、余計に話しかけづらい雰囲気が漂っていたに違いない。
そんな雰囲気の中、颯月は騎士見習いとして訓練に明け暮れた。彼は高い魔力だけでなく、正妃の英才教育の一環で武術の鍛錬を強制されていた事もあって、頭角を現すのも早かったらしい。
たった十歳なのに先輩の騎士見習いを追い越して、当時訓練を受けていた者の中で「誰よりも早く見習いを脱するのではないか」と言わしめる程だったそうだ。
団員は彼の実力を正しく認め――しかしそれと同時に、畏れを深めた。入団してから数か月が過ぎても、颯月の傍には竜禅一人しか居なかったのだ。
仮に、その頃幸成が共に居ればもう少し違ったのかも知れないが――。
当時の幸成は六歳と幼く、まだ王位継承権を有していた上に、騎士になるかどうかなんて考えても居ない時期だった。何せその頃はまだ、彼が騎士を志すキッカケになった桃華と出会う前なのだから。
そんな寂しい見習い時代を送る颯月の元へやって来たのが、同じ見習い騎士の和巳だったらしい。彼より数か月先に入団していたという和巳は、当時十四歳。一応は先輩に当たるが、騎士は年功序列ではなく実力で上下が決まる。
ある日、竜禅と黙々と訓練に取り組む颯月の元を訪れた和巳は、開口一番「もし、君が将来なんらかの役職を持つ事になったら、私を側近にしてくれませんか?」と問いかけたのだと言う。
◆
「わあ……もしかして和巳さんは、先見の明の持ち主ですか? メキメキ成長していく颯月さんを見て、「これは将来大物になるに違いないぞ。今のうちに自分を売り込んでおこう!」っていう……そういう強かさのお話なんですね」
綾那は一人何度も頷いて「さすが作戦参謀、見る目が確か!」と、颯月が青田買い(?)された事をまるで自分の事のように喜んだ。
――そうして誇らしげな表情で胸を張る姿は、少々アホっぽい。
そんな綾那を見て、颯月は目元を、竜禅は口元を緩め――そして、「全然違う」と声を揃えた。
「そんな高尚な理由ではない。和巳はただ同期の見習い騎士に焚きつけられて、度胸試しに来ただけだからな」
「……度胸試し?」
竜禅の言わんとしている事が全く理解できず、綾那は思いきり首を傾げる。
「当時の騎士団は――いや、王都は割と治安が悪かった。犯罪率も今より高く、騎士を志す者も、ただ清廉なだけではやっていけないような状況だったんだ。多少は血の気が多くないと、犯罪者の相手なんて務まらないような」
「まあ、それは怖い……少なくとも今の王都は暮らしやすくて良かったです」
綾那も以前、正妃から聞かされた事がある。一昔前のアイドクレースはやや荒れていて、しかも他領の人間を差別するような風潮が蔓延していたと。他領の人間が引っ越してこようものなら、詐欺まがいの手法を使ってでも金を搾り取ってやろう――なんて輩も多かったと聞く。
それは騎士だって、多少は強硬な姿勢をとれる者でなければ、粗暴な犯罪者と対峙できないはずだ。
「颯月様は同期の見習いから腫れ物のような扱いを受けて遠巻きにされていたが、時に陰口を叩かれる事もあった。「悪魔憑きだから魔力が高いだけ」「魔力が高ければ優秀で当たり前」「そもそも本人の実力じゃない」ぐらいは可愛いもので――中には妬み嫉みから、ご丁寧に聞こえる位置で侮蔑的な発言をする者も居てな」
竜禅の言葉を聞くなり、綾那は眉根を寄せて唇を尖らせる。分かりやすくムッとした表情を浮かべた綾那を見て、颯月はますます笑みを深めた。
綾那は当時颯月の傍に居なかったのだから、どうしようもない事だ。しかしそんなふざけた真似をする不届き者には、一人残らず制裁を下したい。
妬み嫉みで心無い発言をする者は、本当に厄介だ。「表」でスタチューバーをしていた時、『四重奏』にもそれなりにアンチが存在したが――果たして、その中でどれだけの人数が理論立てて発言していただろうか。
そういう者は得てして論破する事に心血を注ぐものの、しかし実際はひとつも道理の通っていない、本人が抱える負の感情をぶつけているだけの事が多い。
ストレス発散のつもりなのかなんなのか知らないが、「調子に乗った有名人を叩く事で、アンガーマネジメントしている」などとふざけた事を言い出す輩も居る。
他人を攻撃している時点で、ひとつもマネジメントできていない事をしっかりと自覚して欲しいものである。
「――だが、そういうふざけた輩に限って意気地なしだろう? やたらと自己保身に走って、立場の弱い者だけ狙うとか、反抗しない者を狙うとか。当時は和巳も、やたらと揶揄われていたらしい。彼はそれほど実戦向きではないし……ただでさえあの見た目では、格好の標的と言っても良い」
「……もしかして和巳さん、その頃の経験があって女性扱いされると怒るように?」
「いや、和は入団する前からそういう扱いを受けていたらしいから、なんとも言えんな。ご近所さんでは評判の、「お嬢ちゃんみたいなお坊ちゃん」だったらしいぞ」
「ううーん…正に「時間逆行」を使っている時の右京さんですね……」
愉快そうに語る颯月に、綾那はなんとも言えない気持ちになった。物心ついた時から「お嬢ちゃん」では、女性扱いされる事に嫌悪感を抱いても仕方がないだろう。しかもそれが、いまだに続いているというのだから。
(今度会ったら、和巳さんの事「男らしい」って褒めちぎろう……)
綾那がそう決意している間にも、竜禅の説明は続く。
「和巳はある日、同期にしつこく「女のようだ」と揶揄われて――「本当に女じゃないなら、あの悪魔憑きと喋って男気を見せてみろ」と焚きつけられたそうだ。それで衆人環視の中、すぐさま行動に移った」
「えっ……じゃあ和巳さん、青田買いじゃなくて――」
「だから言っただろう。俺は和の度胸試しに使われただけだ」
「…………なんだかちょっと、ショックです」
「そうか? 俺は初めて禅以外の団員と話せて、嬉しかったけどな」
「嬉しいと言われると、尚ショックです……?」
初めて竜禅以外から話しかけられた事で颯月が舞い上がっていたとしても、正直言って、当時の和巳の行動には真心がないように思う。
いじめっ子に焚きつけられて、ムキになって颯月にぶつかっただけだ。綾那からすれば、度胸試しなんかに颯月を使われた事が不服で仕方ない。
「団員から「女のようだ」と侮られていた和が――和だけが平気な顔をして、俺に真っ向から話しかけた。すると周りの団員はどうなると思う?」
「……分かりません。私はいつだって、颯月さんと真っ向勝負したいタチなので……」
「ありがたいが、綾のその感覚は異常だ。周りの団員はな、「ここで話しかけないと、俺らが「女のようだ」と揶揄されるぞ」となった訳だ」
「そんな事で?」
男の意地とでも言うのだろうか。ただでさえ血気盛んな者が多かったと言うし、些細な事でも「負けていられるか」と、闘志を燃やす時代だったのかも知れない。
しかも、散々「女のようだ」と揶揄っていた和巳が一番槍だったのだ。それは焦るだろう。
「和は「悪魔憑きだからなんだ」ぐらいのつもりで俺に近付いて来た訳だが、話してみると意外と気が合ってな。一時は友人に近い存在だったと思う。結局、すぐ部下になっちまったが」
「そうして和巳が難なく颯月様を受け入れたお陰で、他の団員も「あの和巳が行ったんだから、負けられない」と、次から次へと話しかけてくるようになったんだ。だから彼は腹黒いと言うよりも、負けん気の強い武闘派だと言える」
「なるほど……」
「冷静に周りを見ているから、颯月様の優秀さも正しく理解できていた。だからこそ「将来役職持ちになったら側近にして欲しい」と言ったんだろう」
「でも――」
「それに彼は、なんだかんだで最初から颯月様と真摯に向き合っていたぞ? わざわざ申告しなければ良いものを、馬鹿正直に「実は周りに焚きつけられて、今君を度胸試しに使っています」と言って、笑顔を見せるぐらいの胆力の持ち主だった」
綾那はずっと複雑な気分だったが、しかし竜禅のフォローでようやく気が晴れた。決して当時の和巳に真心がなかった訳ではないのだ。強いて言うなら、環境が――時代が悪かっただけである。
(じゃあ、やっぱり和巳さんも颯月さんの『身内』なんだ)
血の繋がりはないし、過去に接点もなかったが、それでも颯月の居場所を作ってくれたかけがえのない人。綾那は「やっぱり「男気溢れる良い人だ」って褒めちぎろう」と心に決めて、大きく頷いた。
「――ところで禅、何か報告でもあったのか」
「ああ、つい昔話に花を咲かせてしまいましたね」
ソファの背もたれから離れて、浅く座り直した颯月。そうして思い出したように竜禅に来訪の目的を問いかければ、彼はこほんと咳ばらいをして言った。
「今晩、陛下が王宮へ来るようにとの事です」
「……今晩? 随分と急だな、何か火急の知らせでも――」
「しばらく予定の調整を試みたものの、夜でなければ三人まとめて時間を取れそうにないと仰っていました」
「三人――オイ、まさか会談の事を言っているのか? 維月と……正妃サマも同席すると? 俺の心の準備がひとつも整っていないのに、それが今晩いきなり始まると?」
「そうですね」
さらりと告げる竜禅に、颯月は無言で頭を抱えた。
彼はそのまま「どうして、もっと早く言わないんだ……」と呻くように呟いたが、しかし竜禅は「和巳の話を振られましたので」と悪気なく肩を竦めるだけだった。




