お世話係その4
「確かに、綾ちゃんが眷属とやり合って頭から流血した時は胆が冷えたけどさ。でも逆を言えば、魔法なしであれだけ戦えるって事でもあるし……可能性を感じたって言うのかな。そもそも、危ないから女は街で大人しくしてろってのも傲慢じゃん? 事実俺、もし綾ちゃんに本気 出されたら「身体強化」使っても腕相撲で勝てないんだから」
「――綾那殿が本気を出した場合、勝てないどころか粉砕されるだろうしな」
「ふ、粉砕しませんよ、そんな物騒な……!」
幸成の言葉にウンウンと頷く竜禅に、綾那はますます複雑な表情になった。褒められているのか、からかわれているのか分からない。
まあ、事実全力の「怪力」で腕相撲なんてすれば、大抵の相手を粉砕してしまうだろう――何せ本気を出せば、大地すら割る膂力を発揮してしまうのだから。
「では、維月殿下が即位するタイミングでお願いして……今後、女性の戦闘行為禁止の法律は撤廃するという事ですか?」
颯月はその問いに頷かず、口元に手を当てて低く唸った。綾那は彼の様子を見て、あまり乗り気ではないのだろうかと首を傾げる。
「騎士団としては、撤廃してもらうしか手はないと思っていた訳だが……色々話を聞くと、少し慎重になった方が良いんじゃねえかと思ってな。まあ近々、維月と――あと、陛下にも意見を聞いてみるさ」
僅かに目を伏せた颯月に、綾那はなるほどと頷いた。
確かに、以前までの――颯瑛の真意をひとつも知らない状態であれば、きっと迷う余地などなかったのだろう。輝夜が亡くなってしまったショックで悪法を敷いたと誤解されていたものが、実は「正妃まで同じ状況になっては困るから、法的に彼女を守るために敷いただけ」と聞かされれば、見方も変わってくる。
結局は輝夜が亡くなったショックが原因である事に変わりはないが、しかし別に乱心した訳ではない。残された妻を守ろうとして――そして、己と同じような想いをする男を減らそう、悲劇を未然に防ごうとした結果だったのだ。
残念ながら、未然に防がれた目に見えぬメリットよりも、騎士や傭兵が激減して、魔物や眷属の被害や人間の犯罪者も増え、国民が苦しむというデメリットばかりが目立ってしまっただけ。
颯月の言葉に、幸成はソファの背もたれに全体重を預けて、唇を尖らせた。
「迷う気持ちも、不安に思う気持ちも分かるけどよ……何にしたって、タイミングだけは外さねえ方が良いと思うぞ? 人が多く集まりやすい時期に合わせて、チャンスを逃がさないようにしねえと。撤廃しないならしないで、他に救済策をつくるよう考えるとかさ」
「ああ、分かってる。俺個人の意見としては、撤廃したい。そうすればアイドクレースだけでなく、リベリアス中の騎士が楽になるんだからな。それに――恐らくだが、こんな法律はない方が綾も自由に動けて良いと思う。せっかく戦う力があるんだし、堂々と綾を連れて遠征したいしな」
綾那は苦く笑って「魔法が使えない時点で、ちょっと心許ないですけどね」と呟いた。
それにしても、やはり法律を改定するというのは責任重大で、慎重にならざるを得ないのだと考えさせられる。
民主主義なのだから「多数決すれば良いじゃない」「多くの人が困っているなら、撤廃すれば良いじゃない」と言いたい所ではあるのだが、少なからず、この法律の恩恵を受けている者だって存在するのだろう。
――例えば和巳は、両親ともに騎士の家系に生まれたと言っていた。
彼は幸いにも、騎士になる事に対して「嫌だ」という気持ちが薄かったらしい。しかしもし彼が女性で、その上騎士なんて危険な職業は嫌だと思っていたとしたら――それでも、騎士の家系に生まれたのだから拒否権はないと、無理やり騎士にさせられていたのだろうか?
仮にそんな強制力のある家に生まれた女性が居たとすれば、この法律も一概に悪いものだとは言えなくなる。その女性らはきっと、今好きなところで好きな仕事をしているに違いないのだから。
(とは言え、桃ちゃんみたく騎士になりたいのになれない子も居る訳で……一人残らず全員を幸せにするなんて事はできないから、やっぱり難しいな)
普段、深く考える事なく誰かが決めたルールを享受して遵守するだけの綾那だが、何やら様々な要因が絡み合っていて白黒つけにくい、複雑な話なのだと理解する。
こうして考えられるようになったのも、ルシフェリアの試練のお陰か――なんて感慨深く思っていると、幸成が「あ」と声を上げて、沈み込んでいた背もたれから離れた。
「たぶんだけど、颯の知り合いの子が採用試験に来てたかも。教会の――悪魔憑きだった子だ、颯の髪型マネしてる」
「……幸輝か? そうか、アイツを呪った眷属は繊維祭の日に祓われたんだったか……様子を見に行きたいところだが、今俺が遊ぶのはさすがに和に悪いな」
「和巳もだいぶ要領よく捌くようになったから、多少は平気だと思うけどな。冷やかしの相手まで懇切丁寧にやっていられるかって、和巳のヤツ街の駐在騎士を臨時で何人か引っ張って来て、一次面接官にしちまったんだよ。そこで冷やかしは全部振るい落として、駐在騎士をパスした入団希望者だけ和巳が相手するように」
本来ならば、それが企業の在り方として正解だ。いきなり課長、部長クラスと対峙するなど圧迫面接にも程がある――事実綾那は最初、幸成と和巳から相当な圧をかけられた。
恐らく、今までは入団希望者が雀の涙ほどしか居なかったため、役職もちの和巳や幸成がフルで面接していたのだろう。しかしそれも、希望者の数がネズミ算的に増えれば手が足りなくなって当然だ。
綾那が体調不良で目を離していた隙に、アイドクレース騎士団が少しずつ企業として回復しているような気がする。これも陽香と正妃という起爆剤のお陰だろうか。
「まあ……もう少し落ち着いてからにしよう、まずは法律の問題を済ませたいしな。禅、悪いが維月と――陛下、あの二人と談合できるような時間があるか、確認してきてくれるか」
「それはもちろん、構いませんが――」
竜禅は小さく頷いたのち、ちらと綾那の方へ顔を向けた。綾那が首を傾げれば、彼はまたすぐに颯月に向き直る。
「綾那殿の体調不良でかなり心配をかけたのですから、いい加減正妃様にも報告すべきでは? 呼び出しを受けても「仕事が溜まっているから今は難しい」と嘘をつき、誤魔化して――」
「嘘じゃねえだろ、本当に忙しかった」
「……今も忙しいのですか」
「今は…………こう、朝から晩まで綾を愛でるのに忙しい。見れば分かるだろう」
「馬鹿なんですか?」
颯月は竜禅に罵倒されながらも、綾那をちょいちょいと手招いた。綾那がぱあと花開くように笑って歩み寄れば、ソファに座ったままの颯月に腰を抱かれる。
その横に座る幸成が呆れたように目を眇めたが、颯月も綾那も全く意に介していないものだから、タチが悪い。
しかし綾那は颯月の頭をぽんぽんと撫でて、まるで幼子に言い聞かせるように、ゆっくりはっきりとした口調で語りかけた。
「颯月さん、正妃様にご心配をかけてしまったのは事実です。私も一緒に行きますから、無事に戻った報告をさせてくれませんか?」
「……いや、それはそうなんだが」
「それにホラ、結婚の報告も必要なのでは?」
「そうなんだが……」
颯月はモゴモゴと歯にモノが挟まったような喋り方をしながら、綾那のみぞおちあたりに顔を埋めた。
綾那は眉尻を下げて笑うと、竜禅に目を向けた。そして「颯月さんもこう仰っていますし、正妃様も含めて三名と約束を取り付けられる日があるか、確認をお願いいたします」と告げる。
どれだけ嫌がっても、結局いつかは済ませなければいけない事だ。しかも颯月は、「嫌な事は早いところ済ませるに限る」が信条だったはず。
であればこんなところで足踏みしていないで、ササッと背中を押す。そうして彼がダメージを受けた時には、綾那がアフターケアするしかない。
「綾ちゃん、だいぶ颯の扱いに慣れたよね……」
「ああ、『お世話係その四』は何かとパワーがあって助かる」
横から色々と言われて、綾那は苦笑した。
まあ、国王も正妃も王太子も、全員公務だなんだと忙しいはずだから、そう簡単には日取りを合わせられないだろう。前みたく、夜の遅い時間帯に私的な家族団らんをするなら、話は別かも知れないが――。
綾那は、どんどん胸の下にめり込んでいく愛しい男の頭を撫でながら、胸中で「トラウマが根深いところも、可愛くて好き」と微笑んだ。




