不法侵入
(狭い――)
綾那は、大倉庫と呼ばれる屋敷のエアダクトの中を這って進んでいる。
香りを追った結果、桃華がそう離れた位置に居ない事は確かだ。ただ倉庫兼住居だけあって、敷地内には警備が多い。塀から侵入する際、誰の目にも留まらなかった事が不思議なレベルだ。
元は適当な扉か窓から侵入しようと考えていたのだが、当然の事ながら、どこもかしこも鍵がかかっている。そして、もちろん綾那にピッキングスキルなんてものはない。
やろうと思えば「怪力」で鍵を壊すくらい容易いのだが、しかし警備が侵入の痕跡に気付くと困る。下手に騒がれると桃華の身が危ない。
どうしたものかと考えた末、ふと目に入ったのは屋敷の通気口だった。ちょうど踏み台にできそうな木箱が積み重なっていたため、通気口のカバーを「怪力」で強引に外して、侵入したのだ。
ただ、比較的長身の綾那がエアダクトを進むのはなかなか厳しい。匍匐前進で少しずつ桃華の香りを目指した。
(なんか、いよいよ本気でスパイっぽいな……本当はこういうの、陽香が得意なんだけど――)
しばらく進むと、換気用の通気口から部屋の灯りが漏れている場所が見えた。ひとまずこの辺りで屋敷の内部へ侵入するため、通気口カバーを外して下へ降りたいところだ。
金木犀の香りもかなり近付いているし、綾那は灯りを目指して這い進む。
「どうして、こんな……颯月様が手を尽くして下さったのに、これじゃあ――」
真下から人の話し声が聞こえて、綾那は慌ててスマートフォンの録画ボタンを押した。ダクトの中は暗くて画面に何も映らないが、音声だけなら拾えるはずだ。
綾那は音を立てないよう慎重に進みながら、会話を聞き漏らさぬよう耳を澄ませた。どうも話しているのは少女――桃華と、賊という割に喋り方が丁寧な男のようだった。
「お嬢さんには、本当に悪いと思っている。だが、俺達も生きていくためにはこうするしかないんだ――許せとは言わない」
「私にこんな事をしたって、意味がないじゃないですか。それなのに……」
桃華の声は酷く震えている。今にも泣き出してしまいそうな声に、綾那の胸が締め付けられた。ようやく通気口カバーまで辿り着いた綾那は、その隙間から部屋の中を覗き込む。
ここは住居ではなく倉庫の一室らしく、丸まった絨毯が窮屈そうに並んでいる。その隅に座り込んだ桃華は、後ろ手に縛られているようだ。肩には黒い布のようなものが掛けられているが、服装が乱れている様子はない。
そして、彼女から離れた場所に立っているのは、体格のいい成人男性が全部で七人。賊というだけであって、汚れの目立つ服装やボサボサの髪、伸びた無精ひげなど、身なりは粗野だ。
しかし、その鍛えられた体躯と立ち姿は妙に洗練されており、本当にただの賊なのだろうかと思わせられる。
彼らは乱暴するどころか桃華に近付こうともせず、その誰もが申し訳なさそうな顔をしている。まるで、彼女をいたずらに怯えさせぬよう気遣っているようにすら見えた。
「アイドクレースに移住する前、お嬢さんはアデュレリア領に居たんだろう? そこへ連れ戻すよう言われている」
「連れ戻す……? 私は、両親と共に王都へ移住したのですよ? 他に親族も居ないのに、一体誰がそんな事を」
「すまないが、詳細は聞かされていない。ここの家主とアデュレリアの依頼主の、利害が一致したとしか言えない」
「申し訳なく思うなら、どうして――」
「もう他に手がないんだ。家族を養うためには、こうするしか……ただ、お嬢さんを傷付けるつもりは毛頭ない。依頼主も、丁重に連れて来るようにと」
桃華を見つけ次第、颯月達に合図をするという話だったが、どうも様子がおかしい。綾那はスマートフォンで撮影を続けながら、じっと部屋の様子を観察する。
(確かにぱっと見は『賊』だけど、なんか、あんまり悪い人達には見えないな――誰かに脅されている、とか?)
今この場に騎士が踏み込んでも、黒幕が分からない状態ではなんの解決にもならない。しかも賊だって訳アリで、まだ決定的な犯罪の証拠も手に入れていない。
今すぐ桃華が危険に晒される訳でもなさそうだし、もう少し様子を見るべきだろう――と思った瞬間、桃華と賊の間の床が光り輝いて、大きな陣が現れた。
(また転移陣!?)
転移陣の光が収まると、今まで誰も居なかったはずの場所に、黒いフードを被った人物が二人立っていた。その光景を見て、綾那は瞠目する。
綾那の知る「転移」は、モノを移動させる力だ。それなのに、人が「転移」してきたではないか。「表」でそんな話は聞いた事がない。
しかしこれで、ひとつハッキリと分かった事がある。
一体どうやったのか仕組みは分からないが、四重奏は本当に「転移」で奈落の底へ飛ばされたのだ。
人攫いの証拠集めのみならず、四重奏にこんな仕打ちをした犯人に近付くチャンスまで訪れた。綾那は息を呑んで、フードを被った二人組を注視する。
「ウィーッス、誘拐お疲れ~あれが例のお姫様? この屋敷の娘と男の取り合いしてるっていう?」
低い声からして男だろう。やけに軽薄な喋り方をするフードの男は、桃華の目の前まで近付くと、彼女の顔を無遠慮に覗き込んだ。びくりと肩を震わせた桃華を見て、男が声を上げて笑う。
「へー、まだガキだけど可愛いじゃん! なあなあ、あの坊ちゃんに渡す前に、俺らで遊んじまおうか?」
「はあ? お前バカ言うな、バレたら何されるか分かったもんじゃねえぞ。あいつらマジで魔法使うバケモンなんだから、やめとけよ」
どうやら、もう一人も男のようだ。下衆な提案をする軽薄な男を諫めて、フードの下で大きなため息をついている。
「バレるも何も――だってこの子、男居んだろ? 初めてじゃあるまいし、つまみ食いぐらいよくねえ? てか、初めてなら逆に棚ボタじゃん? 坊ちゃんになんか言われても「いや~、だって婚約者、居ましたからねえ~?」で終わりだっつの」
「お前、サイテーだなマジで……この子まだJKぐらいじゃねえの? そんな悪戯していいのかよ」
「はぁ~? こっち来てからずっとガキのお守りで、どれだけストレス溜まってると思ってんだよ、分かるじゃん。ちょっとくらい発散してもよくね? ほら、坊ちゃんには無傷でって命令されたけどよ、ここのオッサンには「二度と娘の邪魔にならんように、痛めつけて欲しい」って言われてんじゃん。それが、この倉庫を引き渡し場所として提供する条件だ~っつってよ?」
「そりゃ、分かるけど……あ~、まあ、もう、良いか。じゃあ、報酬はあとで渡しに行くんで、もう帰って良いッスよ?」
フードの男達は桃華の前に立つと、後ろの賊に向かって片手を上げた。恐らく、下衆な提案を実行するつもりなのだろう。
(あの二人だけになったら下に降りて、思いっきり殴っちゃおう)
本来「怪力」もちの綾那は、国の英才教育のせいで滅多に怒らない。しかし、だからと言って全く怒らない訳ではない。
特に女性を手籠めにしようとする輩などには、手加減する必要がない。手に持つスマートフォンがみしりと音を立て、綾那は慌てて力を緩めた。
JKなんていう単語が出てくる会話から察するに、やはり彼らは「表」の人間だろう。であれば、魔法も使えないはず。フードで髪色を確認できないため、神子の可能性は残るが――相手が同じ「怪力」もちでない限り、素手の喧嘩で綾那が負ける事はない。
素手で速やかに伸してしまえば、わざわざ大きな音を立てて騎士を呼ばずとも、綾那の力だけで桃華を助け出せる。当初の予定よりもよほどスマートだ。
しかし、あの賊は違う。七人も相手するのは骨が折れるし、間違いなく魔法を使うはずだ。彼らが部屋に居る間は降りられない。
(だから、一刻も早く出て行ってください……!)
まるで念を送るように彼らを見つめたものの、残念ながら動く気配がない。もしや旗色が悪いか――と綾那が冷や汗を流せば、賊の一人が右の手の平を突き出すように翳して、何か呟いた。
すると彼の手の平から、突然サッカーボール大の火の玉が飛び出した。それはフードの男らの足元にぶつかって消えると、床を真っ黒に焼き焦がして煙を上げた。
「……は?」
部屋の中に、フードの男達と綾那の声が重なって響いた。




