馬車探し
颯月や竜禅の職務の邪魔になるからと、騎士団本部を出た綾那達。
その目的はもちろん、いい加減北部ルベライト領へ戻らなければまずいと言う――『最長迷子期間、絶賛更新中!』の――明臣が乗る馬車を予約するためだ。
元は、繊維祭が終わり次第すぐにでもルベライト行きの辻馬車を捕まえたかったらしい。しかし祭り終わりだったため、馬車屋は各領へ帰る商人や観光客の利用者で溢れかえっていた。
馬車に頼らず自力で帰ろうものなら神がかり的な方向音痴を発揮してしまい、いつルベライトに辿り着けるのか分かったものではない。結局、空席はしばらくないとの事で待機するしかなかったのだ。
アイドクレースに手すきの騎士が居れば彼の送迎もできたのだが、あいにくと今はそれどろこではない。
一行がセレスティン行きを決めた際に和巳が軽く触れていたものの、面接と採用業務だけで現行の騎士は身動きが取れないようだ。騎士団にとっては嬉しい悲鳴だろうが、それらの処理が落ち着くまでは、とてもじゃないがルベライトまで騎士を派遣できるような状態ではないだろう。
そもそも採用業務が増えたからと言って、通常業務を疎かにして良い理由にはならない。その結果が、颯月の執務室で見た惨状であったに違いない。
(あ――またシアさんにマスクを返してもらい損ねちゃった)
ぼんやりとそんな事を考えながら、綾那は苦い笑みを零した。
約一週間ぶりの王都アイドクレースは、相変わらず多くの人で賑わっている。しばらく人気のないジャングルで過ごしていたから、余計そう思うのだろうか。
今まで綾那は街中を歩く際、颯月または竜禅に「水鏡」をかけてもらい姿を変えるか、仮面で顔を隠していた。全ては、頭が病気と名高い国王の颯瑛に見つからぬようにとの配慮だったが――しかし、見つかってしまった今となっては関係ない。
繊維祭の日も素顔を晒して街を歩いたし、颯瑛に見つかったからと言って、綾那に何かしらの不利益があった訳でもない。だからひとつも問題ないのだ。
――強いて問題を挙げるとするならば、繊維祭の演武で颯月の婚約者として顔と名が売れた綾那。そして、繊維祭のファッションショーで爆発的な人気を得てしまった陽香。
この二人が顔を隠さずに街中を歩くのは、無謀すぎた――という事だろうか。
「――アンタら二人、マジで邪魔なんだけど!!」
「邪魔って言うな、邪魔って! 傷つくだろ!!」
息を切らせて憤慨するアリスの言葉に、陽香は声を大にして反論した。
ただでさえ派手な髪色をしていて、遠目からでもよく目立つ四重奏。アリスは黒髪ウィッグを被っているためまだマシだが、それにしたって『神子』は人目を惹き過ぎる。
その上、共に歩くのがキラキラ王子オーラを隠そうともしない明臣と、人離れした作り物のような美貌の持ち主の白虎では――「見るな」と言う方がどうかしているのだ。
特に、繊維祭ですっかり『正妃の再来』として有名になってしまった陽香にできる人だかりときたら、夏祭りでナンパされていた時の比ではない。
一行は街へ下りた直後すぐさま人に囲まれて身動きが取れなくなり、慌てて路地裏へ逃げ込むハメになった。
「なんか、『広報』として色々やったとは聞いたけど……何したらこんな状況になるの? スタチューもないのに、下手したら「表」よりも酷い状況なんじゃない?」
「ええと……陽香がこの国の『美の象徴』とそっくりだから――」
「いいや、アーニャが騎士団長の婚約者で、『雪の精』だからだろ! あたし一人のせいじゃねえぞ!」
すぐさま言い返してくる陽香に、綾那は「だけどソレって、陽香が繊維祭で無理やり広めたようなものじゃない」とぼやいた。
彼女が機転を利かせてくれたお陰で、法律違反者にならずに済んだのは事実だが――しかしあの煽り実況は、確実に陽香自身楽しんでやっていた。
果たして、あそこまで民衆に綾那の存在を知らしめる必要はあったのか? と、首を傾げずにはいられない。
「――もう無理。分かった、アンタ達はここで待機ね。私と明臣だけで馬車屋まで行ってくるから」
「えー! 久々の王都だぞ!? あたしらの宣伝動画があれからどうなったのか、視聴者の反応を見て回りたいだろ!」
「反応なら、さっきの人だかりでだいたいお察しでしょうが! 大成功よ、大成功! マジで面倒くさいし余計な時間がかかるから、ここに居なさい!!」
アリスは一方的にそう告げると、明臣の腕を引いて路地裏から出て行ってしまった。陽香は大層不満げだったが、しかしアリスの指摘通り、素の状態で街中を歩くのは危険と言わざるを得ない。
ここリベリアスは娯楽がなければインターネットもない、情報弱者の住む世界だ。芸能人やスタチューバーなど、数々の著名人、そして情報で溢れている「表」とは違う。
唯一無二の『美の象徴』として数十年君臨し続けている正妃を見れば分かる通り、そもそも有名人と呼べる人物が少ない。だから流行り廃りもあまり感じないし、美意識を筆頭に、領ごとの文化や価値観が確立されている気がする。
そんな世界に動画配信なんて概念を植え付けてしまったものだから、その走りであるアイドクレース騎士団と『広報』の注目度は、他の追随を許さない。正に独擅場だ。
今後、同様のやり方で動画配信を始める者が現れれば独占市場ではなくなってしまうが――しかし業界全体を盛り上げようと思えば、かえってその方が好ましい。
むしろ『広報』しか注目されていない現状が問題なのであって、これから多くの配信者が現れれば、領民の意識や人気も上手く分散されるだろう。
――しかし、その日が来るまでまともに街中を歩けないかも知れないと言うのは、なかなかに厳しい。人数分の黒髪ウィッグと「水鏡」の仮面が必要だろうか。それとも、髪色と顔を隠せる大きめのフードか。
(ところでシアさん、ちゃんと私のマスク持ってるよね……?)
つい先ほどまで傍に居たルシフェリアの姿を思い返すと、幼女綾那にそっくりの顔に、仮面は付けていなかった。
まさか、人から借りたものを勝手に処分するはずがないとは思うが――如何せん、気まぐれな存在なので断言はできない。
「――まあ、なんて言うか……私も割と目立つ髪色してるし、通行証ってのも持ってないから、騒ぎになるのは避けたいかな。今日の所は、ここで大人しく待っていようよ」
「うぐぐ……こちとら軽く腹も減ってるって言うのに……大衆食堂で飯食いながら、動画見たかったのになー!」
渚が宥めれば、陽香は嘆くように空を仰いだ。その腹が「くうぅう」と、まるでしょげ返った犬の鳴き声のような音を出した。
ふと思い返せば、陽香はほんの数時間前に散々「軽業師」を駆使して、ジャングルの中を駆けずり回っているのだ。あれは、使えば使うほどカロリーを消費して痩せ細る恐ろしいギフトだ。しかも彼女の場合、意図せず常時ギフトを発動してしまう特性まである。
それは空腹にもなるだろう。
陽香は真っ平の腹を撫でながら、その空腹から意識を逸らすためか「じゃあ、ここに居るメンバーで今後の会議でもすっか……」とため息を吐き出した。




