女好き
渚は、白虎と主従契約を結ぶ結ばない以前に、そもそも彼を王都へ連れて行くこと自体気が進まないようだ。いくら虎の姿だったとは言え、綾那の体に無遠慮に触れたのだから――それは不安にもなるだろう。
どうも白虎は生来女癖が悪く、その中でも特に女性らしい体つきの者が好みらしい。今まではこの地の守り神として領民から崇め奉られて――別に、生贄や貢ぎものという訳ではないだろうが――女に困る事もなかったに違いない。
しかも白虎自身これだけ見目麗しければ、全員とは言わないが、女性側も喜んで奉仕するに決まっている。
綾那達は密入国者として首都セレスティンに立ち入れなかったが、長年この地で暮らしていて女の好みがそうなるという事は、もしかすると南部に住む女性は王都と違って豊満な者が多いのかも知れない。
(つまり、セレスティンは颯月さんにとって楽園という事……!? 目移りされたら泣いちゃう、結果として街に入れなくて良かったのかも……!!)
綾那はそんな事を考えて戦慄したが、恐らく杞憂も良いところだろう。始まりがなんだったにせよ、今となっては颯月とて「綾那の価値は見た目だけ」なんて言わない――どころか、思ってもいないはずだから。
「いや……綾に近付く害虫野郎は、颯月サンだけで十分なんです。これ以上は綾を守り切れませんよ」
憂鬱そうなため息を吐き出した渚に、颯月が困惑した声を上げる。
「守るも何も、綾はもう俺と結婚する事が決まっているのにか……?」
「だから、それとこれとは別口なんです。理性と感情――頭と心は違うでしょう」
「理不尽すぎる」
そうして渋るを渚を説得するため、ルシフェリアがまたしても軽い口調で「平気だよお」と笑った。
「だから「手綱をつけて」って言ったんだ。君が禁則事項を決めてしまえばいい」
「……禁則事項?」
「言葉そのままの意味だよ。聖獣は主が「やっちゃダメ」って定めた禁則事項を、絶対に破れない。だから――そうだなあ、「自分からは女の子に近付いちゃいけない」なんて良いんじゃない?」
ルシフェリアの提案を耳にした白虎は、瞠目して頭を横に振る。その表情は「冗談じゃない」とでも言いたげだ。
「ちょっ……なんでそこまで!? 確かにご主人の事は好きだし、ご主人が王都へ行くなら俺もついて行きたいけど……だからと言って、女と遊んじゃいけないってのはどうかと思います! こんな精神状態で主従契約なんて結べるはずがありません!」
「じゃあ、お前はセレスティンに残れば良いと思いまーす。そもそもついて来て欲しいなんて一言も言ってないんだよね、こっちは」
「くっ、ご主人の薄情者……! 好き……!!」
渚が冷たく即答すれば、白虎は胸を押さえて僅かに身悶えた。表情こそ苦々しいが頬は薄っすらと紅潮していて、多少なりとも「喜んでいる」という事がよく分かる。どうも彼は本当に、渚から冷たくあしらわれる事に喜びを見出してしまっているらしい。
そんな二人のやりとりをどこか生温かい眼差しで見つめてから、ルシフェリアは続けた。
「別に、女の子と遊んじゃあいけないなんて言ってないでしょう? 白虎の方から近付かなければ良い、というだけの話だよ」
「…………ああ、なるほど? つまり、向こうから俺に近寄ってきた場合は抱いても構わないと?」
白虎は言いながら、紫紺色の全身鎧と抱き合う綾那に目を向ける。
颯月は綾那を抱いたままくるりと方向転換して、白虎に己の背を向けた。綾那を白虎の視界から隠した颯月の周りには、いつの間にかバチリバチリと小さな静電気が弾けている。
無言のまま不機嫌アピールをし始めた颯月を見かねたのか、横から竜禅が口を挟んだ。
「創造神、やはりヤツを連れて行くのは反対です――御覧の通り、要らぬ混乱を招きかねません」
「そう心配せずとも、僕のオキニは絶対によそ見しないと思うけど?」
「私とて、綾那殿が颯月様以外にうつつを抜かすなど思っていません。ただ――」
「ホント頭の硬い奴だな青龍、だからお前とは合わないんだよ」
「――それはこちらの台詞だ。空気より頭の軽いバカが、軽々しく私に話しかけるな」
竜禅はそのまま、「それに、今の私の名前は『竜禅』だ」と言って目を眇めた。白虎はツーンと顔を背けており、馬が合わないのだろうという事は、部外者でも一目見ただけで分かる。
その不穏な雰囲気に、思わずと言った様子でアリスが間に入った。
「ちょ、ちょっとちょっと……ようやく王都へ戻れるって時に、どうしてこんな物騒な空気になるのよ? 渚、アンタこの……白虎さん? の飼い主なら、魔王の言う通りしっかり手綱をつけなさい。で、さっさと王都へ帰りましょうよ」
「……待って、色々と腑に落ちない。まず飼い主になった覚えがない」
「そうだよ、僕は魔王じゃなくて天使だよ」
「うるさいわよ、魔王。渚に覚えがあろうがなかろうが、アンタがこの人の癖を目覚めさせた張本人なんだから、責任を取らなきゃ」
「言いがかりじゃん……」
渚はげんなりとした表情で嘆いたが、アリスは引かなかった。
「それに、グダグダ言ったところで結局魔王の言う通りに動くしかないのよ。早く契約を済ませて「転移」しましょ?」
「あぁ、もう……ここに来て、なんでこんな面倒事を押し付けられなきゃならないんだか」
ルシフェリアだけでなくアリスからも主従契約を勧められた渚は、諦観したように頷いた。そして改めて白虎を見やると、彼の意思を確認するために問いかける。
「トラ、アンタは主従契約とやらを結んでも良いんだね?」
「それでご主人と一緒に居られるなら、俺は良いですよ。俺から女に近付かなきゃ良いって条件なら問題ないです、どうせ向こうから寄って来ますから」
「うるさい、いちいちモテマウントをとるな。……ええと、シアさん――でしたっけ。禁則事項なんですけど、綾だけに限定しても問題ないですか? 私的には、綾以外の女とならコイツがどうなっても構わないんですけど」
「うん? ああ、君がそれで安心できるなら、それで良いと思うよ」
「分かりました。じゃあトラ、今後一生お前から綾に近付くのを禁じるけど……それでも良いなら、私に仕えなさい」
ため息交じりの渚の言葉に、白虎はやけに気だるげで妖艶な笑みを浮かべると、片膝をついて頷いた。
「――我が生涯をかけてあなたを守り、仕えると誓います」
渚と白虎の周りには、何やら神聖で厳かな空気が漂っている。ルシフェリアは重要なのは互いの意思で、契約するにあたり特別な事は必要ないと言っていたが、目に見えぬ力が働いているようにも感じる。
きっとコレが、主従契約を結ぶという事なのだろう。
白虎を見下ろす渚と、渚を見上げる白虎。二人はしばし見つめ合う――なんて事はなく、渚は神聖な空気をぶち壊すように、すぐさまパンと拍手を打った。
「――はいっ。じゃあ終わったんで、王都へ行きましょうか」
「えっ……いや、ご主人。もうちょっとこう、余韻というかなんというか……」
「さっさと行きましょう、ホント暑いんですよ南! 綾が体調崩してないか、ずっと気が気じゃあないんです、こっちは! ――あと、いつまで抱き合ってるんですか? まだ婚前でしょうが!!」
渚はくるりと白虎に背を向けると、綾那を抱く颯月の元へズンズン歩いて行った。残された白虎は、ぽかんと呆けた顔をしている。
「うーん……うん、そうだね。これは白虎も気に入る訳だよね……よしよし、それじゃあ王都へ「転移」する前に、白虎はセレスティンの領主と話をつけて来てね。『緑の聖女』だけでなく、君まで消えたとなると大混乱に陥っちゃう。ちゃんと説明しなくちゃね、僕が送ってあげるから」
「いや創造神、待――」
白虎が何か言い終わる前にさっさと「転移」してしまったのか、彼の姿は忽然と消えた。白虎に対する渚の扱いも大概だが、ルシフェリアも負けていない。
「なんかまだ、どんな人なのかイマイチ分からんけど……まあ、とりあえず弄っても平気っぽいな、トラちゃんは」
渚が猫相手に適当に付けたような名が定着したらしく、なんとも気の抜けるあだ名を付けた陽香。
何やらドッと疲労感に襲われたような心地になって、一行は誰からともなくため息を吐き出したのであった。




