試練を越えて
床に蹲ったまま静かに悶絶する綾那を見て、四重奏のメンバーはもちろんの事、ルシフェリアまで満足そうに笑った。
陽香は「問答無用で結婚を許可する」と機嫌よさげにスマホをしまいこみ、アリスもまた満面の笑みで「久々に胸がスーッとしたわね」と嘯いている。
あれだけ颯月と綾那の交際に反対していた渚でさえ、「ここまで酷い罰ゲームをクリアされちゃったら、もう仕方がないよね」と頷いた。
そうして盛り上がるメンバーと綾那が受けた洗礼を見て、竜禅と明臣は、なんとも言えない複雑そうな表情をした。
「――綾、平気か……? 蜘蛛がどうこう言う以前に、毒の方は問題ないのか」
いまだ紫紺色の全身鎧に包まれたままの颯月は、時折びくんと震える綾那の背中を優しく撫で続けた。最早、彼の篭手の冷たい感触のお陰でなんとか集中を切らさずに――何も吐き出す事なく――済んでいるような気がする。
そうして心配してくれるのは本当に嬉しい事だ。しかし今、綾那は一言喋るどころか口を開く事すら難しいのだ。
気分の悪さは一向に改善の兆しを見せず、口内には蜘蛛や毒液の感触がアリアリと残り、ほんの少しでも気を抜けば、胃液がせり上がってくる。
(繰り返し「解毒」が発動し過ぎて……なんだかクラクラしてきた)
涙が滲んで視界がぼやけているだけなのか。それとも――綾那にとって最悪の罰ゲームを受けた事で――尋常ではないストレスを感じ、呼吸すらままならないせいで視界が白んでいるのか。
まさか、「解毒」の効果よりもヴィレオールの毒の方が優位になっているという事はないだろうが、そもそもが未知のものであるため、何一つとして断言はできない。
綾那がそのまま身動きとれずに居ると、てちてちと幼女姿のルシフェリアが歩み寄ってくる。
「よく頑張ったね、偉いよ。試練を乗り越えた君にはきっと、これから数々の幸運が舞い込んでくるだろうと思う」
言いながら紅葉のような手が綾那の頬に触れたかと思えば、途端に体が眩い光に包まれる。その光はすぐさま収まり、それと同時に、綾那を悩ませていた不快感と吐き気、そして「解毒」の発動がぴたりと止まった。
綾那は床に両膝をついたまま体を起こすと、目を丸めてルシフェリアを凝視した。
「……綾?」
「え、あれ――シアさん、今何をなさったのですか……? 毒の効果を完全に打ち消すまで一か月以上かかると仰っていたのに、いきなり「解毒」が発動しなくなったのですけれど……」
「何って、「解毒」だよ」
「――え?」
ルシフェリアは一体、何を言い出したのだろうか。この場に「解毒」のギフトもちは、綾那だけだ。他に「解毒」できる者は居ないはず。
だからこそ、綾那は頑張ったのだ。もちろん一番の理由は颯月との結婚をメンバーに認めさせるためであったが、しかし毒物の処理を確実にしておかねば、セレスティンの――ひいてはリベリアスの住人に被害が出てしまうのではないかと危惧しての事だった。
他に対処できる者が居ないから――綾那がやるしかないから、蜘蛛の踊り食いを了承したのだ。だと言うのにルシフェリアは、「解毒」を使ったなんて意味の分からない事を言ってくる。
意地悪く目を細める幼女に、綾那は何やら嫌な予感を覚えて、ちくりと痛むみぞおち――胃の辺りを両手で押さえた。
「僕は、「表」でいうところのカミサマだ」
「……はい」
「カミサマができる事は一通りできるって言ったじゃあないか……だから「転移」も使えるし、「解毒」もまた然りさ」
「――えっ? いや……え? だってそんな、じゃあ私がした事って、なんだったんですか……? 私がなかなか「解毒」できずに苦しめられた猛毒を、シアさんは難なく一瞬で打ち消して……? しかも毒を体内に入れる事なく、いとも簡単に……?」
「うーん、だってほら、僕すごい天使だからさ」
ルシフェリアは全く悪びれる事なく、「そんなの、「表」のカミサマの力よりも万能で当然だよね」と言って肩を竦めた。
つまりルシフェリアは、最初から簡単に――毒に直接触れる事すらなく、自身の力のみで毒物の処理ができたという事だ。わざわざ綾那が蜘蛛を飲み込む必要性などひとつもなく、ただ試練を与えるためだけに踊り食いを強要しただけ。
「――ふえぇ……っ」
「綾! ……おい創造神、さすがに試し行動の度が過ぎてるんじゃあねえのか?」
綾那は、驚きから止まっていた涙をブワッと溢れさせた。いくら颯月と添い遂げるための試練だったとは言え、あまりにも酷い罰ゲームである。
迷わず真横に居た全身鎧の颯月に縋りつけば、鎧の中からルシフェリアを非難するくぐもった声が聞こえてきた。
「でも、君だって「見たい」って煽ったじゃないか」
「あれは、他に手がないなら見るしかないと思っただけだ。別に蜘蛛相手に苦しむ綾が見たかった訳じゃあない。俺のために泣いて頑張る綾が見たかっただけだ」
「一体、僕と何が違うんだろうね……」
「そもそも、あの試練を乗り越えなきゃ結婚は許さんという話だっただろう? アンタと一緒にするな。――可哀相に、だがこれでようやく、俺と綾の邪魔は消えた……愛してるぞ、帰ったら正式に求婚する」
綾那は心身に相当なダメージを負ったが、しかし鎧の中から聞こえてくる蕩けるような甘い囁き声に、顔を上げた。
そうして涙に濡れたままの顔で無理やりに笑顔を浮かべて頷くと――颯月の腕から抜け出して、部屋の隅まで全速力で走った。そして、盛大に蜘蛛と胃液を吐き出したのであった。
ヒャッヒャッヒャッと大笑いする陽香達に、「お願いだから颯月さんを遠ざけて、こんな姿を見せないで……!」と懇願する綾那。
最後まで不遇な綾那だったが、元を正せば自業自得の因果応報である。
無事試練を潜り抜けたお陰で颯月との交際も公認された訳だし、悪い事ばかりではない――はずだ。
相当な痴態を晒したのは間違いないし、しばらく凹むであろう事は想像に難くないが。
それでも綾那の未来は明るい――明るいと言ったら、明るいのだ。
これにて、第八章は終幕です。
また明日から第九章を更新しますので、よければ遊びに来てくださいね^^




