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抱擁

 立て付けの悪い錆びた扉を開けば、綾那にとっては五日ぶりの外だ。


 晴れてはいるが、鬱蒼と茂った樹の葉に陽光を遮られて、森の中は全体的に薄暗い。空気を肺いっぱいに吸い込めば、やはり多湿な地方であるせいか、随分と湿っぽい。

 それでも、ほんの数日前まで生死を彷徨っていた事を考えると、「生きているって最高だ」「空気が美味しい」と思うのは当然である。


 綾那は四重奏ハウスを訪れた際に意識を失っていたため、家の周囲が元々どのような状態だったのか分からない。ただ、少なくともこんなキャンプ場のような様相ではなかったであろう事は分かる。


 元はぬかるんでいただろうに、硬くカラリと乾いた地面。周りの木がいくらか伐採されているのは、より多くの採光を確保したいと考えての事だろうか。近くに積まれた袋は随分と緑くさく、中には山菜か薬草でも詰まっているらしい。


(そう言えば、家の中にも魔物か何かの毛皮がなめされていたな……もしかしてこの森、魔物の生息数が多いとか?)


 そんな危険な森に放り込まれたのに、これまで渚が無事で本当に良かった――綾那はそう思ったが、そもそも家の中に並べられた毛皮は、全て渚の『颯月いびり』の成果物(せいかぶつ)である。

「綾那のために」なんて言葉を大義名分にして――渚が既に「鑑定(ジャッジメント)」した事のある――ジャングルに生息する魔物を狩って来てくれ、と依頼して遊んだ結果だ。


「――綾那殿?」


 ひとまず家から出たものの、周囲のアレコレに目を奪われて立ち止まる綾那。そんな綾那の存在に気付いたのは、テントの近くでなんらかの作業をしていた竜禅だった。

 彼は相変わらず目元をマスクで隠しているが、なんだかんだ三か月以上共に過ごしていたからだろうか――目元が隠れていても、喜んでくれているという事が綾那にも理解できた。


「竜禅さん! すみません、たくさんご迷惑をおかけしました!」

「――いや、もう体は良いのか? 顔色は良いように見えるが、ただ……やはり、痩せてしまったな」

「で、ですよね……急いで元に戻します」


 竜禅の元へ駆け寄れば、彼は口元を緩めて綾那を迎えた。そして、病み上がりの身体を労わるように、ぽんぽんと軽く肩を叩いて「颯月様のためにも、そうしてくれ」と頷いた。

 ――先ほど陽香に殴り抜かれたばかりの肩が痛んだのは、秘密だ。


 綾那もまた頷いたが、ふと周囲を見回しても颯月と明臣の姿がない事に首を傾げる。

 テントの中に居るのだろうかとも思ったが――しかし、魂まで社畜に染められている騎士達が、僻地だからと何もせずにテントの中で休む姿は想像できなかった。


「颯月さんと明臣さんは……?」

「ああ、お二人なら――いや、ちょうど戻って来たらしい」


 竜禅はそう言って、ジャングルの茂みに顔を向けた。綾那も釣られて目を向ければ、確かに人の話し声のようなものが聞こえてくる気がする。

 じっと茂みを見つめていると、やがて愛しの颯月――と、何やら申し訳なさそうに眉尻を下げた明臣が姿を現した。


「明臣――いや『ダブルフェイス』。頼むから、マナの吸収は寝てる時にしてくれ。意識がある時に魔力切れを起こすな」

「面目ない……」

「あまりにも口が悪すぎる。俺はこう見えて繊細なんだ、本音だろうが本音じゃなかろうが全部真に受けて凹むだろうが、どうしてくれる」

「いや、全く仰る通りで――し、しかし、寝ている時に魔具を外していると、右京くんに「寝言までうるさい」と指摘された事がありまして……」

「――――――難儀な『異形』だな」


 一体どんな罵詈雑言を浴びせられたのか知らないが、颯月はやや憔悴しているように見える。

 二人で魔物を討伐している最中に、明臣の体内魔力が切れたのだろうか。どうも彼は、耳につけたカフス――マナの吸収を阻害するための魔具だ――を外し、颯月の前で『異形』を披露したらしい。


 彼の異形は『天邪鬼(あまのじゃく)』。普段の彼とは性格も言動も丸っきり反対になって、しかも思っている事と真逆の事しか口にできなくなる。

 金髪、赤目以外に目で分かる『異形』はないものの――颯月の言う通り、なかなか難儀な特性である。何せ、現状右京という通訳が居なければ、誰も彼と意志の疎通が図れないのだから。


 颯月は深いため息を吐き出しながらテントへ顔を向けて、待機しているであろう竜禅を呼びかけようとした。しかし、竜禅の横に水色の髪をした女が立っている事に気付くと、ぴたりと足を止めて瞠目する。


「禅――俺はついに、幻覚まで見え始めたかも知れん」

「いえ、私も見て話して触れましたので、恐らく幻覚ではありませんよ」

「そうか、触――――――なんで俺の許可なく触るんだ?」

「颯月様、今すぐに『共感覚』を解除してください。心情が滅茶苦茶になってます」


 胸元を押さえて僅かに前傾姿勢になった竜禅に、颯月はすかさずパチンと指を鳴らした。

 それから改めてこちらに目を向けたため、綾那は嬉しくなって両腕を広げた。その姿を目にした途端、颯月は堪えきれなくなったように駆け出して、綾那を抱き上げる。


 まるで幼子を高い高いとあやすように軽々と持ち上げて、そのままぐるりと一回転――したかと思えば、綾那の足が地面につかないままギューッと強く抱きしめた。

 綾那もまた、颯月の頭を胸に抱えるようにして抱きしめ返す。


「――このまま目が覚めないかと思った……もう二度と、俺にこんな思いをさせないでくれ」

「はい、ごめんなさい颯月さん。これからは、もっと体調管理に気を配ります」


 そうしてたっぷり抱き合ったあと、颯月はようやく綾那を地面に下ろした。しかし、背中に回された腕が外れる事はない。綾那は颯月にすっぽりと抱え込まれている。


「肌も髪も艶めいて、以前にも増して天使度が上がった事は認めるが――痩せすぎだ。太ももなんか二センチも細くなって……信じられん。なんで五十キロを切るんだ……辛過ぎる」

「ど、どのタイミングで「分析(アナライズ)」なさったんですか。本当にやめてください」

「やめない。今後は一日一回じゃなく、朝昼晩の三回しよう。そうすれば、アンタが風邪を拗らせる前に異変に気付ける」

「ええと……そんなに頻繁に調べられると、さすがにご飯が食べづらくなるんですけれど――」


 前にも増して、健康管理こと「分析」に執着している様子の颯月に、綾那は眉尻を下げて笑った。そして僅かに顔をずらすと、まるで微笑ましいものを見るように穏やかな眼差しをしている、明臣に目を向けた。


「明臣さん、毎日たくさん氷を作ってくださったとお聞きしました。本当にありがとうございます」

「いいえ、とんでもない。少しでもお役に立てて良かったですよ――ああ、そうだ竜禅殿。森を調査した結果について、お話があるのですが……」

「……そうだな、テントの中で聞こうか」


 どうも明臣と竜禅は、綾那と颯月を二人きりにしようと気を回してくれたようだった。まあ、ただ単に目の前でイチャつかれ続けても苦痛なだけ――という事もあり得るが。


 二人は綾那達の横を通り過ぎて、いそいそとテントの中へ入って行った。


「颯月さん、陽香達から聞いたんですけど……私のために、色々と手を尽くしてくださったって」

「うん? ……当然だろう、綾のためならなんだってやる」

「嬉しい、大好きですよ――キスしても良いですか?」


 とろりと目元を緩ませて小首を傾げる綾那に、颯月は思わずと言った様子で頷きかけた。

 しかし、綾那の背後――家の玄関口に立った渚が己に向けて弓矢をつがえているのに気付くと、そっと首を横に振った。


「――まずは、家族の公認を得てからにしよう」


 そう提案して綾那に振り向くよう促せば、渚は瞬時に構えていた弓を下ろして、自身の背後に隠した。綾那が振り向いた時には、渚はにっこりと満面の笑みを浮かべているだけだった。

 その変わり身の早さと巧妙な笑顔の仮面に、颯月は人知れず息をついて「最後の砦は、やたらと難関で困る――」と呟いた。

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