帰る場所
颯月は、押し付けられたエコバッグなるものを見て「よく分からんが、便利だな」と感心しながら、竜禅と共に森へ消えて行った。
どうもこの家の周りだけではなく、森の至る所にも白虎の魔法陣が罠のように敷かれているらしく――普通の人間に探知できないソレを避けるには、同じ聖獣の竜禅に頼るしかないようだ。
ちなみに明臣はこのままテントに残って、もし魔物や不審人物が現れた場合には、彼が対処に当たってくれるらしい。
夕食については、渚が普段森で採取する山菜と共に、騎士達が明るい内に獲って来てくれた魔物の肉を焼く事にした。ちなみに彼らは「食べられる時にたらふく食べろ」がモットーらしく、既に夕食を終えているそうだ。
明日まで残しておいたところで、魔物の肉は時間経過で劣化して食べられなくなってしまう。本日中に女性陣で食べきるようにと、明臣は結構な量の肉を渡してくれた。
「やっぱり魔物肉って、美味しいわよね……」
綾那がまだ目覚めないので、陽香、アリス、渚の三人は、すっかり荒廃した家の一階部分――元々リビングだった場所で食事をとる事にした。
もし目を離している隙に、意識のない綾那の病状が悪化したらという心配はもちろんあったが、しかし彼女の顔色と健やかな寝息からして、峠は無事に越えたようだ。体温を測れば三十八度とまだまだ高いが、一時は四十度を超えていた事を思えば、随分と健全な数字に思える。
眠る綾那の横で騒ぎながら食事するのもどうなのかという事で、ほぼ屋外と言っても過言ではないリビング部分で食事することにしたのだ。幸い今夜は雨が降っていないので、屋根に穴が開いていてもあまり気にならない。
「この家から持ち出す物は、もう決まったの? さすがに全部は持って行けないだろうからね」
渚に問いかけられて、陽香とアリスは肉を頬張りながら顔を見合わせた。
「てか、ナギも「拠点を「表」からリベリアスに移す」で賛成なのか?」
「賛成も何も――綾がこっちに残るって言うんなら、仕方がないよね。そもそも仮に「表」に戻るとして、まさか向こうの時間が止まっている訳でもあるまいし……周りにどう釈明するつもり? 私達、「表」では三か月以上行方不明になってるって事だよ。「今までどこで何をしてたのか」って聞かれたって、何も答えられないじゃん。下手したらスタチューも続けられないよ」
「おお、確かに……言われてみりゃあそうだな」
「まさか、「転移のギフトを配ってる神様のせいで~」なんて、頭のおかしい事も言えないしさ。まず、ギフトを配る神が人間に干渉してどうのこうのとか、そんな世界の裏側みたいなこと聞いちゃった以上、「表」に戻るなんてとんでもない愚策だと思う。ギフトの力を最大限発揮する――越えちゃあいけないボーダーラインを越えた生き物を神が魔獣に変えてるんでしょう? つまり、人間だって魔獣に変えられちゃうんだから、余計な事を知っちゃった私達が無事で済むはずがない。それは、「転移」もちのヤツらも同じだよ」
渚が淡々と告げれば、アリスはぽかんと呆けた顔になった。
今までルシフェリアから、「表」の神がどうとか折り合いがこうとか、「表」のギフトは神の洗脳によって発揮できる力を四割程度に抑え付けられているだとか、色々な説明を聞いてきたものの――そんなに深く考えた事がなかったのだ。
確かにここまで深く知ってしまった以上、そもそも「綾那が帰りたがらないから」なんて理由だけでは済まないかも知れない。全員、リベリアスで過ごした記憶を丸っと喪失でもしない限り、「表」に帰ったところで神に物言わぬ魔獣に変えられるだけである。
神の洗脳なんて言葉、聞くからにタブーだ。そんな事を知ってしまった以上、タダでは済まないに決まっているのだから。
「そっか。ここまで来たらもう、そもそも私達に「帰る」って選択肢ないんだ……」
「まあ、もしかしたらあの天使は、魔法か何かで私達の記憶を消すつもりだったのかも知れないけどね」
「ははあ、シアなら有り得るな――んじゃあまあ、とにかく……ナギも王都に移動するって事で良いのか? でも、セレスティンの領主に気に入られて、身動きがとれねえってのはどうするんだ?」
「いざとなったら、トラがなんとかするって言ってたし……問題ないんじゃあないかな。できる事なら大型船の一隻でも出してくれれば、ここにある荷物もかなり移動できるんだろうけどね」
「船か――いや、楽しそうだけど、でも三週間は船旅しねえと王都まで辿り着かねえって話だからなあ。帰りもシアに一瞬で送ってもらいたいところだよな、楽だし」
陽香の言葉に、あとの二人が頷いた。
ただ、ルシフェリアに「転移」を頼むとなると、運べる荷物の量はどうなるのだろうか。行きは竜禅と明臣が鞄を背負っていて――それらは問題なく「転移」されたが、やはり人が担げる程度の量しか運べないのだろうか。
そうして話し込んでいると、瞬く間に魔物肉と山菜の炒めが皿から消えてしまった。渚は自分が片付けるからと言って、それぞれの持つ皿を集めて――こてんと首を傾げる。
「……ああ、そっか。皆でご飯食べるの本当に久しぶりだから――それで、あっという間に終わっちゃったんだ」
途端にデレた渚に、陽香とアリスが小さく噴き出した。陽香などは、いつも通り「急にデレんな」と言って笑っている。
渚は長い間一人で、味気ない料理を食べ続けていたのだ。
それが急に気心の知れた家族と再会して、食事をすれば――楽しいに決まっている。楽しい事をしていると、時の流れを早く感じるものだから。
食事を終えた一行は、それぞれ好きな所で休む事にした。
さすがに未婚の女性が騎士達と同じテントで眠るのは互いに気を遣うだろうから、四重奏ハウスの中で比較的損傷の少ない部屋で眠る事にしたのだ。
もちろん渚は、今晩綾那に付きっきりである。
癪だが、颯月におつかいを頼んだ以上ヨモギの受け取りだってしなければならないし――少なくとも彼が戻ってくるまでは、眠る訳にはいかないだろう。
もしも綾那が意識を取り戻せば水分補給をさせねばならないし、体力をつけるためにもお粥くらいは食べさせたい。あとはまあ、「やっぱり颯月がどこにも居ない」と泣いてくれれば、渚的には万々歳である。
渚はそんな思いを胸に抱きつつ、綾那の様子を見に行く事にした。
◆
音もなく、スムーズに開く扉。分厚いカーテンを閉じていたため、空に浮かぶ僅かな光すら届かずに、部屋の中は真っ暗――のはずだった。
「――綾?」
電気もつけていないのに、やけに明るい。そうして窓を見やれば、閉めていたはずのカーテンが開かれていて――その窓辺には綾那が立って、外を眺めていたのである。
――まさか、こんなに早く意識が戻るとは。いや、起き上がれるようになるとは思わなかった。
渚が震える声で綾那を呼びかければ、彼女は緩慢な動きで振り向いた。白い頬は、やはりまだ上気している。
桃色の瞳も熱っぽいというかぼんやりとしているが、少なくとも泣いてはいない。
いや、まあ――窓の外に広がるジャングルを目にすれば、嫌でも「表」でも夢でもないと理解できるだろう。
渚は正直「失敗した、完全に泣かせ損なった」と、唇を噛み締めたい気分に陥った。――綾那が、満面の笑みで駆けてくるまでは。
「渚……渚!? 渚だー!」
綾那は両手を広げると、突然の事に訳が分からず硬直している渚の元まで駆けて来て、彼女をぎゅうと抱き締めた。
その体温は熱のせいで高いが、どこもかしこも柔らかくふわふわとしていて、包まれると心地が良い。渚は目を瞬かせながらも、ぎゅっと綾那の背に手を回して抱き締め返した。
「やっと会えたね、渚! たくさん待たせてごめん……あと、熱でも迷惑かけちゃったみたいでごめんね」
「……ん?」
「渚?」
「――ん、あれ、綾……もしかして、さっきの記憶……」
「さっき? ごめん、十分ぐらい前に目が覚めたばかりで、私まだいまいち状況が把握しきれてないかも……とりあえずココ、家だよね? 渚は家ごと「転移」されたんだもん……誰にも何も説明されずに、大変だったよね」
「――――――ねえ、ゴリラまじでさあ……」
「うん? よく聞こえなかった」
「なんでもない……目が覚めて良かった」
渚は内心、「どうしてこのゆるふわ女、いつも私の思うように動いてくれないんだろうな」と嘆いて、思いきり脱力した。
綾那は、先ほど渚としたやりとりを一切覚えていないようだ。夢がどうとか、颯月と結婚がどうとか――目覚めた時に渚と颯月どちらが居たら嬉しいか、なんて言った事さえも、綺麗さっぱり忘れている。
いや、忘れているというよりは――単に先ほどは、意識が覚醒しきっていなかっただけなのかも知れない。ある意味では深層心理に近いのだろうが、つまるところ全てが寝言のようなものである。
もぞりと顔を動かして綾那を見上げれば、彼女は垂れ目をこれでもかと甘く緩ませた。
「本当に会いたかったよ、無事でよかった~」
屈託なく笑いながら告げられた言葉と熱い抱擁は、確かに渚が求めていた再会シーンそのものだった。
しかしあの寝言を聞かされた後では、「私を放置して王都での生活を満喫していた」「男と結婚する事しか考えていなかったくせに」「この白々しいゴリラめ」と思ってしまうのも仕方がない。
――ただ、それでも。これもまた、綾那の嘘偽りない本音なのである。
何故なら彼女は「颯月と渚のどちらが立っていたら嬉しいか」という問いに、「どっちも」と答えたのだ。つまり現時点では颯月と四重奏、どちらも選べない。それくらい、どちらに対しても深い愛情をもっているということなのだから。
泣かせてやろうと思っていたのに、甘く優しい言葉に渚の方が泣かされている。本当に上手く行かないものである。
これでは渚の一人相撲だ。この調子では、綾那にお仕置きできるのはいつの日になるのか――。
渚はどこか不満げに眉を寄せながらも、しかしそれからしばらくの間、綾那と固く抱き合って離れなかった。




