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鬼門の顔

 氷を作ろうにも、明臣を家の中に入れるのは渚が許可しなかったため――元々この家は四重奏の共有財産なのだが、()の家主は渚個人のようなものだ――陽香は適当な大きさのタライを手に、外へ向かった。


 このタライは確か、以前「表」で巨大寒天づくりをする――という動画を撮影した時に使用したものだったか。いや、それともタライプリンだったか。

 なんにせよ、幼児用のちょっとしたプール代わりにできそうな大きさのそれを両手に抱えて外へ出れば、家の周りはいつの間にか野営地のように様変わりしていた。


 誰かが魔法を使ったのか ぬかるんでいたはずの地面はカラリと乾き――鬱蒼とした森側から水が染みてこないようにするためか、グラウンドシートのようなものが敷かれている。

 シートの上には、成人男性が複数人入っても問題なさそうなテントの設営まで完了していた。なんて仕事の早い騎士達だろうか。


 ――それに何よりもまず、今後も渚が彼らを家へ招き入れる事は絶対にないだろうと断定して、いち早く野宿の準備に取り掛かったその判断力が素晴らしい。

 事実、渚は絶対に彼らを招かない。いくら彼らが綾那達の恩人だとか、無害だとか説明したところで、絶対にだ。


 タライを手に出てきた陽香の姿を目にすると、テントの周りを落ち着きなくグルグルと回っていた颯月が駆け寄ってくる。


「綾は?」

「ナギと言い、颯様と言い、マジで……アーニャ以外の事は考えられんのかよ?」

「悪いが、今は他に何も考えられん。それで、綾は治るのか?」

「まだ分かんねえけど、まあ……ナギが落ち着き払ってるところを見るに、なんとかなるんじゃねえかな――あ、とりあえず王子、このタライいっぱいに氷作ってくれー! 大小様々で、ついでに溶けにくいと助かるわー!」

「分かりました、お安い御用です」


 タライを地面に置いて陽香が呼びかければ、ちょうどテントの端を地面に打ち付け終わったらしい明臣が、柔和な笑みを浮かべて歩いてくる。

 そうしてタライいっぱいにガラガラと氷を溜めてもらう間に、陽香はちらと颯月を見上げた。彼女と目が合った颯月は、僅かに小首を傾げる。


 普段、綾那と並んでいる時はとろりと垂れる紫色の瞳に甘さはなく、シャープで凛々しい、精悍な顔立ちである。

 その表情は焦燥している訳ではないが――かと言って、落ち着き払っている訳でもない。平静を装っていても、綾那の事が気になって落ち着かないというのは、見ただけでなんとなく分かる。


「颯様って、そんな顔だったっけ」

「藪から棒になんだ? この歳になると、そう簡単に顔は変わらんだろう」

「いや、なんか……アーニャと居る時とは顔が違ぇなと思って――そっか、颯様って結構デレデレしてたのか……やっぱ四重奏のお色気担当大臣は伊達じゃあねえって事だな」

「あんな愛らしい天使が傍に居たら、表情筋が制御不能になってもおかしくないだろう? 何をバカな事を言ってるんだ」

「――おっ、なんだコイツ? 急にうるせえな」


 揶揄されても反論するどころかノーモーションで惚気(のろけ)た颯月に、陽香はぞんざいな態度をとった。颯月は僅かに目を眇めて「そっちが水を向けて来たくせに、なんなんだ」とぼやいている。


 その顔はやはり、絢葵(あやき)似で――いや、絢葵似超えて、絢葵ネクストエボリューションだ。

 何故『この顔』なのだろうか。もう少し普通の顔であれば、渚も――とは思うものの、残念ながら普通の顔では、そもそも綾那がここまで颯月に夢中になっていなかっただろう。


 まあ、綾那と颯月の問題については、本人達が解決するしかない。特に渚を納得させるには、綾那が彼女と直接話して言い聞かせる他に手がないのだ。


「陽香さん、氷はこのくらいあれば十分ですか? あまり入れすぎると、家の中へ運び込むのが辛いかと思って……あえて少なめにしました。私達が運び入れる訳にもいきませんし、足りなければ仰ってください」

「お! サンキュー王子! 悪いなあ、皆の事も家の中に入れてやりたいんだけど……ちょっと今は、家主の気が立ってるもんだからさ――あれ、ところで禅さんは? 姿が見えねえけど」


 辺りを見回した陽香は、ふと竜禅の姿がない事に気付いた。所在を問えば、颯月から「森の中だ」と返される。


「森の中?」

「しばらくセレスティンに滞在する事になるから、同族――この辺りに住む聖獣と話してくると言っていた。ついでに、食べられそうな物も探して来るらしい。俺らは街に入れないから、現地調達するしかない」

「聖獣――聖獣か。その聖獣ってのも、なんだかよく分からねえんだよな……シアがつくった世界の管理者だっけ。禅さんも普通の人間にしか見えねえけど、その聖獣ってヤツなんだよな?」

「ああ、禅はリベリアスの『水』の管理者だ。正直俺も詳しく知っている訳じゃあないが……不死ではないが不老で、老衰する事はない。禅は俺の物心がついた頃から、ずっとあの姿のままだ」

「へえ、そんでもし禅さんが死んだら、この世から『水』が全部消えちまうと――確か同じ原理で、悪魔も死なせたらダメだってシアが言ってたよな」

「……らしいな」

「ふぅん、難しいもんだな。悪魔が暴れると困るけど、だからと言って倒せねえし――逆にゼルみたいに職務放棄してんのも、アレはアレで悪魔としてどうなんだって話だしよ。ゼルが教会から居なくなったのって、やっぱまた仕事する気になったって事なのかな」


 陽香の問いかけに、颯月は「さあ」と言って首を横に振った。


 悪魔の仕事とは、眷属を生み出して人間の脅威として存在する事だ。しかし、ここ最近のヴェゼルは人間の子供達と遊ぶのに夢中で、とんと眷属づくりから離れてしまっている。

 まあ話を聞く限り、彼が職務放棄したところで、兄のヴィレオールが暴れ回っているらしいので――現時点では、大した問題になっていないのではないかとも思うが。


 陽香は考えを振り払うように頭を振ると、氷の入ったタライを手に立ち上がった。


「――ま、今はアーニャをなんとかするのが先決だな。シアもしばらくは出てこられねえって話だし……どれくらいかかるか分かんないけど、待っててくれ」

「ああ、頼んだ」


 そう言って力なく笑う颯月は、やはりいくら気丈に振舞おうとしても、憔悴している事が透けて見える。愛する婚約者が、七日もしないうちに死ぬかも知れないと神に宣告されたのだ――それは落ち込んで当然だろう。


 陽香は何事か逡巡すると、家に向かって踵を返した。そしてちらと顔だけで颯月を振り向くと、励ましの言葉を投げかける。


「実は、家ん中の本棚に『紳士の御用達(ごようたし)』と名高いアーニャの写真集があったんだけどよ……」

「――言い値で買おう」


 途端に気力に満ち溢れる表情になった颯月に、陽香は呆れたように笑って「めちゃくちゃ吹っかけてやる」と返したのであった。

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