4人目との再会
緑に覆われた家から出て来たのは、褐色に焼けた肌の女性だった。
高温多湿な地域では袖のある服など着ていられないのか、タンクトップにハーフパンツという涼し気な出で立ちの女性は、引き締まった見事な肢体をしている。
だらりと下げた状態にも関わらず、二の腕には小さな力こぶ。ふくらはぎにはヒラメ筋がくっきりと浮き出ている。全体的に細いがかなり筋肉質で、無駄な脂肪が一切ない体はまるで「表」のスポーツジムインストラクターのようだ。
服で見えないが、あれは腹筋も六つに割れているに違いない。
女性の表情を見やれば、それはもう面倒くさそうな――まるで昼寝していたところを無理やり叩き起こされたような、それぐらい迷惑そうな目をしている。
その迷惑そうなジト目に、さらりと緑色の髪がかかって影を落とした。
「――ナギ!! マジでナギだった!」
「………………陽香?」
緑髪の女性――渚の姿を見るなり、茂みに身を隠していた陽香が勢いよく立ち上がった。渚は眠そうな半目を更に細めると、こてんと小首を傾げる。
「――トラ。辺りの魔法陣、全部消して。私の家族が来たみたいだから」
彼女の言葉を合図にして、ジャングルの中から「グルル……」と獣が喉を鳴らすような低い音が響いた。
すると、地面に敷かれていたらしい目に見えぬ魔法陣がパッと光り輝いて霧散する。光の粒が舞い上がる様は、幻想的でとても美しい。
――何やらよく分からないが、どうも渚は現地の魔法使いを仲間にしているらしい。
いや、竜禅の言葉が正しいならば、相手は『魔法使い』どころか『聖獣』らしいのだが。
陽香はおっかなびっくりと言った様子で茂みから地面へ足を踏み出すと、魔法が発動しない事を確認してからほうと息を吐き出した。
それから渚の元へ近付こうと歩き出せば、彼女もまた足早に陽香に向かって歩いてくる。
「よぉナギ、元気だったか!? 三か月以上ぶり――」
「綾は?」
にこやかに再会の挨拶を口にした陽香は、食い気味に投げられた渚の問いかけに笑顔のまま固まった。
そして、ややあってから目を眇めると「アーニャ以外どうでも良いのか、お前はよ――」と、嘆くようにぼやいた。しかし渚は全く意に介していない様子で、「綾はどこ?」と畳みかける。
「なんか、変な――『天使』を自称する怪しげな球体曰く、陽香はもう綾と合流してるんだよね?」
「ああ、そっか。お前シアと会って、直接話してるんだっけ」
「早く綾に会いたい、完全に綾不足だよ……今どこに居る? ここまで一緒に来た? それとも陽香だけが?」
「ま、待て待て、ナギ。お前ちょっと――圧が、圧がヤベエ。もっと色々話すべき事がある気がするんだけどな? 互いに無事だったかーとか、どうやって過ごしてたかーとか……さっきの魔法の事とかよ」
「……陽香。話を濁す辺り、何か私に後ろめたい事があるみたいだね――まさかとは思うけど、綾に何かあった?」
「――――――い、いやいやいや、待てって……落ち着けナギ! 話す、ちゃんと話すから!」
渚は口元だけの笑みを浮かべると、握り拳を掌で包み、指の骨をバキバキッと鳴らして陽香を威嚇している。いきなり雲行きが怪しいと判断したのか、陽香に続けと言わんばかりにアリスが茂みから身を乗り出した。
「な、渚!」
「――ああ、アリス。無事だったんだ……天使からアリスの話は聞いてなかったから、どうしてるのかなって思ってたよ」
「そこは嘘でも「心配してた」って言って欲しかったわ!? ……いや、そんな事は今良いのよ。渚、とにかく緊急事態なの! 怒らないで聞いてくれる!?」
「いや……それは内容にもよるし話を聞く前から確約はできないよ。場合によってはメチャクチャ殴るかも」
「ふ、ふーん、そんな事言うんだ? 綾那も居るのに、猫を被らなくて良いのかしらね?」
「――綾、居るの? ホント?」
アリスの言葉を耳にした途端、渚の眠そうな半目がぱちりと開かれて本来の大きさを取り戻した。
そのまま、パアと心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる渚を見て、陽香とアリスは内心「これがホントの『二重人格』だ、明臣の天邪鬼なんて可愛いものである」という感想を抱く。
ニコニコと笑顔で綾那を出迎える準備万端の渚を尻目に、アリスはおずおずと目線を下げた。その視線の先に居るのはもちろん、気絶した綾那を抱く颯月である。
「――もう、俺が出ても良いのか?」
「お願いします。たぶん――いや、確実に綾那は取り上げられると思いますけど……とりあえず風邪を治すために必要だと思って、例え引き離されても耐えてくださいね」
「ああ……分かった。綾を助けるためなら、仕方がない。」
颯月は鷹揚に頷くと、立ち上がる前に一度ぎゅうと強く綾那を抱き締めた。そうして意識の戻らない綾那の頬に自身の頬を擦り寄せると、後ろ髪引かれるような切なげな表情をしてから立ち上がる。
がさりと揺れた茂みに、渚は綾那が姿を現すのだと信じて疑わなかったのだろう。
満面の笑みで「綾」と呼び掛けた彼女は、しかし茂みから出て来たのが毛布に巻かれた何かを抱える見知らぬ男性である事に気付くと、怪訝な表情を浮かべ――更に男性の顔を見ると、完全に冷めた眼差しになった。
「あーあ……そう、ふーん……なんか、凄い嫌な予感するんだけど――」
綾那にとって鬼門である、絢葵に似た顔立ちの男。渚はただその顔を見ただけで、綾那が今この男とどのような関係に陥っているのか、手に取るように分かった。
さて、この責任の追及を誰にしてやろうか――そんな思いでもって陽香とアリスに目配せしようとした渚は、しかし颯月の腕に抱かれた『何か』が水色の髪をしている事に気付くと、瞠目して唇を戦慄かせた。
「綾……?」
何せその水色――綾那は、渚の存在に気付くどころかぐったりとしていて、ぴくりとも動かないのだから。
「ちょっと、待ってよ――ねえ皆、マジで何してくれてんの? 二人がついてて、綾に何が……いや、やっぱり説明なんて後で良い。すみません、綾を渡してくれますか?」
先ほどまでの笑みなど嘘だったように無表情になった渚は、硬く冷たい声色で――問いかけと言うよりも、命令に近い口調で――颯月の目の前まで歩を進めた。
そして両手を差し出すと、綾那を受け取る構えを取る。
「――抱えられるのか? 綾にもしもの事があると困る。なんなら、家の中まで俺が運ぶが……」
「結構です、御覧の通り鍛えていますから。それに、私達の家にどこの馬の骨だか分からない輩が入り込んでくるのは、許容できませんし」
「それもそうか――酷い風邪をひいたんだ。だが、アンタなら綾を助けられると聞いた。どうか一刻も早く治してやって欲しい」
颯月は言いながら、どこまでも慎重に――壊れ物を扱うような手つきで、綾那を渚に受け渡した。
軽々と綾那を横抱きにした渚は、くるりと踵を返すと「チッ」と大きな舌打ちをする。そして足早に緑に覆われた家に向かって歩き始めると、一度も振り返る事なく「陽香、アリス、手伝って」と声を掛けた。
――他は全員、外で待機して入って来るな、と付け加える事も忘れずに。
陽香とアリスは、どこまでも複雑そうな表情を浮かべて、外に取り残される面々に「ちょっと待っててくれ」と言い残し、渚の後を追いかけたのであった。
ようやく四重奏が揃いました。
しかし、全員揃うまでに三百話かかるとは私も予想外でした。




