なすり合い
応接室には、いつもの面々に加えてアリスと明臣まで集められた。綾那は相変わらず颯月に抱かれたまま、フカフカの毛布でくるまれた芋虫状態である。
ちなみに、ルシフェリアは執務室に残った。セレスティン行きのメンバーが出揃うまで待つとの事らしい。
「いきなり呼び出して悪い。時間がなくてな――手短に話すぞ」
颯月が口を開けば、誰もが黙って頷いた。本日の議題については既に、一行を集めた陽香が説明済みなのだろう。
「綾の病状が思わしくない。創造神曰く、このまま放置していると七日ももたんらしい。それで、急遽セレスティン――綾の家族の元へ向かう事にした。行きは創造神の力で移動するつもりだが、帰りはどうなるか……いつになるのかすら読めん。その間、俺の仕事はアンタらに丸投げする事になる」
「――分かった。颯、こっちの事は気にしなくて良いからさ。今は綾ちゃんを治す事だけ考えろよ」
「ええ、そうですね。正直、繊維祭が終わったタイミングで助かりました……事後処理はあれど、急ぎの仕事は少ない時期ですから。こちらの事は私達に任せてください」
淀みなく即答した幸成と和巳。颯月は、どこか力なく――そして、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「ああ、助かる。今回は創造神に、禅も連れて行くよう言われているんだ……二人には少なくない負担を掛ける事になるが、頼んだぞ」
「――は?」
「ふ、副長もですか?」
颯月を安心させよう、励まそうと穏やかな笑みを湛えていた幸成と和巳の顔色が、彼の言葉を聞いた途端に変わった。
二人はどちらからともなく目配せをすると、ひくりと笑顔を引きつらせる。そして幸成が改めて「え……なあ、マジで? 禅も連れてくのか?」と問えば、颯月は鷹揚に頷いた。
「本当に悪いと思ってる。だが、綾の命には代えられん――分かってくれるよな?」
「…………いや、分かる――それは分かるけど、これからしばらく颯も禅も居ない状態で、俺らだけで書類全部捌くって事だよな」
「しかも、帰還時期は未定……ええと。右京さんと旭はこちらに残してもらえますよね? ご存じの通り、繊維祭以来『広報』のお陰で新規入団希望者が後を絶たない状態でして……日々採用試験に追われていては、事務仕事が滞ってしまいそうで」
和巳が提案すれば、名指しされた右京と旭がほぼ同時に席から立ち上がった。
彼らは元々、アデュレリア騎士団で社畜の精鋭と呼ばれる第四分隊に所属していた。アイドクレースに移籍した後は、竜禅や和巳から「書類仕事の精度と速度が違う」「移籍してくれて助かる」と度々絶賛されていたものだ。
「えっ、ちょっと待って? 僕『新人』だし、残ってもあんまり役に立たないと思う……とりあえず旭だけ残れば良いんじゃないかな」
「ぶ、分隊長! 『新人』は自分も同じなのですが……!?」
「ここでは僕よりふた月ほど先輩のはずだけど――」
「そういう問題ではありませんよね!?」
普段颯月と竜禅が担当している書類仕事まで丸々受け持つと聞いた騎士は、先ほどまでと打って変わって取り乱し始めた。果たして、普段アイドクレースの団長と副団長が担っている仕事量とは、どれほど鬼のような量なのだろうか。
仕事のなすり付け合いで応接室内がにわかに騒がしくなった所で、陽香のよく通る声が響いた。
「――なあ、頼むよ。あんまり時間がないんだ、どうにか受け入れてくんねえかな……!」
「わ、私達、戻ったらもっと『広報』の仕事頑張りますから――人手不足で困っていた事なんて嘘だと思うくらいに! 正直四重奏が揃った時の爆発力って、半端じゃあないので!」
陽香に続いたアリスは、そのまま「――まあ、「表」の話ですけど! でもすぐにこっちでも有名になりますから!」と付け加えた。
女性二人がかりで真摯にお願いをされた面々は、途端にしぼんだ風船のように勢いをなくした。そもそも、人命がかかっているのだ。どれだけごねたところで、受け入れる以外の選択肢など初めからない。
一番初めに抵抗を諦めたのは、右京だった。
「――分かったよ。僕ここに残って、書類整理手伝うから……その代わり特別手当よろしくね、ダンチョー」
「当然だ。今期の俺の役職手当てを全て分配してやろう。事が終われば、アンタらに何週間かまとまった休みもやる」
「いや……そんな事したら、今度は颯が一時も休めずにぶっ倒れるだろ」
呆れ顔で指摘する幸成に、颯月はゆるゆると首を振った。
「綾が助かるなら、俺はもう一生働きづめで良い。そもそも綾の力 (解毒)があれば、俺は永久に働き続けられる気がするしな」
「……ほー。綾ちゃんがデートしたいって言っても、休まねえんだな? ずっと働き続けるんだな?」
「――――――ああ。だが、一時もサボらないとは言っていない。時にサボって、綾と、こう……色々する事は、もちろんある」
「色々ってなんなんだろうな……深く聞かねえけど」
颯月が呆気なく意見を覆せば、幸成は「いや、まあ別に、颯が休みなしにする必要はねえからさ」とため息交じりに頷いた。そうして幸成が諦めれば、和巳も諦めて受け入れるしかない。それは一番下っ端の旭も同様である。
彼らは揃って憂鬱そうなため息を吐き出したが、しかし綾那の命には代えられないと、苦く笑って了承した。
「颯月様、王宮へ使いを出しますか? 正妃様や殿下に、王都を離れると一言伝えておかれた方がよろしいのでは――」
「そうだな。ただ、もう時間が惜しい。誰か言伝を頼めるか? 俺が直接行くと長くなる」
「では、私がお伝えいたします」
和巳が挙手すれば、颯月は「頼む」と言って微かに笑った。そして腕の中でぐったりと眠る綾那を抱え直すと、椅子から立ち上がる。
「じゃあ、行くぞ。まずはセレスティンまで行って、『緑の聖女』の情報収集だ。本当は領主と直接話ができれば楽だったんだが――正規の船を使わずに領内へ侵入した事がバレると、まずいからな」
「えっ、そうなのか? なんでだよ?」
颯月に釣られるように立ち上がった陽香が、こてんと首を傾げた。
「セレスティンは、他領のどことも陸路が繋がってない島国だ。全ての船着き場に関所が設けられていて――だが、今回俺達は関所を通らずに領へ直接侵入するだろう? 早い話が、完全に密入国者だって事だ」
「――マ? え、それって……帰りの船はどうすんだ? 帰りもシアが「転移」してくれるとは限らなくねえか……?」
「さあな。ひとまず綾を助けてから考えるさ」
さらりと告げた颯月に、陽香が「お、おう……」と、若干引いた様子で返事をした。そんな行き当たりばったりで犯罪行為に加担して、平気なのだろうか。
陽香の不安を汲んだのか、竜禅が肩を竦める。
「もしもの時には、私が手助けできるかも知れない。一応、セレスティンに知り合いが居ない訳ではないから」
「おぉ……頼むわ、禅さん。『もしも』なんて起きないのが、一番なんだけどな」
「まあ、密入国する時点で何も起きない訳がない気がするけどね――」
陽香とアリスは顔を見合わせると苦く笑ったが、しかし颯月に抱かれ苦しげな息を漏らす綾那を見ると、表情を引き締めたのであった。




