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家族団らん

 堂々と「義兄弟」を名乗れる事が、よほど嬉しいのだろうか。終始ニッコニコの維月に案内されたのは、王宮内にある応接室だった。

 扉を開いて中を覗けば、一番奥のソファ――上座には、既に正妃が腰掛けている。彼女は怜悧な眼差しを向けると、綾那と颯月に着席を促した。


「待ちわびたわよ、座りなさい」


 颯月は、これ見よがしに大きなため息を吐き出しながら――そして綾那は深々と頭を下げてから入室した。そうして正妃に促されるまま、彼女の斜め前にある二人掛けの長ソファに腰掛ける。


 わざわざ正妃に近い方へ座らされた綾那は、恐らく颯月の精神を守るための肉壁にされているのだろう。正妃も義息子の魂胆など見え見えなのか、席次について言及する事はなかった。


 二人が着席するのを見届けた維月は、応接室から退室しかけて――ふと、何事か思いついたように正妃を振り返る。


「母上。俺、お茶でも淹れてきましょうか」

「維月……お前は王太子なのよ? そんな事をする必要――」

「ですが、この時間です。使用人は軒並み別館へ帰っているではありませんか。今日この場には身内しか居ませんし、これくらい良いでしょう? 義兄上も義姉上も、こんな毒にも薬にもならない事をわざわざ他所で口外しませんよ」


 維月の言葉に、正妃は諦めたように深いため息を吐き出した。そうして眉を顰めると、半目で睨むようにして彼を見返す。

 彼女は確かに美しいが――その美しさのせいで、凄まれると妙な迫力がある。


(ああ、やっぱり正妃様と陽香って、顔立ちが似てるんだな……なんかちょっと、縮み上がっちゃいそう)


 綾那は、ふと、陽香の怒り顔もこれくらい迫力がある事を思い出して、ふるりと小さく身震いした。


「――自分でやると言ったからには、人様の口に入れても差し支えのないものを淹れなさいよ。中途半端なモノを出してみなさい、何度でも淹れ直しさせるわ」

「はは、他でもない義兄上の口に入るものですよ? 俺が半端なモノなんてお出しするはずがないではありませんか」


 維月は正妃の脅しに怯む事なく、むしろどこか挑発的な笑みさえ浮かべて応接室から出て行った。

 颯瑛から、正妃は自身にも他人にも厳しい完璧主義者であるという話は聞かされているが、やはり血の繋がった息子も例外ではないらしい。普通に考えて、身の回りの世話をしてもらう側の人間である王太子が、正妃が納得するレベルの茶をそう易々と淹れられるはずがない。


 それにも関わらず、正妃はほとんど無茶振りとも言える厳しい言葉を掛けていた。


 ――ちなみに、一連のやりとりに颯月は全く関わっていなかったのだが、何故か二人の会話を聞いているだけで青褪めて綾那の手を強く握っていた。もしかすると、自身が過去正妃に強いられたアレやコレやを思い出してしまったのかも知れない。

 彼は本当に正妃に関するトラウマが多すぎる上に、いちいち根が深いと思う。


 綾那はそっと颯月の手を握り返しながら、少しでも場の空気を和らげようと正妃へ質問を投げかけた。


「正妃様、維月殿下はお茶も淹れられるのですか? 王太子ですと、やはり身の回りの事は全て使用人に任せるよう教育されたのかと――」


 確かその教育方針が原因で、颯月は人の手を借りねば着替えひとつまともにできない体になったのだ。綾那の問いかけに、正妃は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「王太子教育については、私も颯月で懲りたの。一人目で改善点が浮き彫りになったから、維月には――颯月の時と比べれば、かなり甘く接しているのよ。ただ、甘やかし過ぎたのか……生意気というか、やたら反抗的に育ったのよね」


 正妃は嘆くように呟いた。綾那の横では、颯月が「あれのどこが甘いんだ? 維月が日頃どれだけ苦労してると思って――」と低く呻いている。


 綾那は苦く笑ってから、ソファの上で背筋を伸ばした。今日この場所には、何も世間話をしに来た訳ではないのだ。

 昼間の――綾那が「演武だ」と無理やり誤魔化したゲリライベントで、領民を混乱に陥れてしまった件について話すためである。


 綾那が姿勢を正したのを合図に、正妃もまた小さく咳ばらいをした。そうして、綾那と颯月を改めて見据える。


「昼間の『演武』――映像ではなく、全て本物だったのでしょう。陛下からそれとなく聞かされたわ、怪我はないの?」


 じとりと眇めた目で見られた綾那は、気まずげに視線を彷徨わせた。しかし、誤魔化しも言い訳も思いつかずに観念すると、小さく頷いた。


「その、すみませんでした……」

「謝って済むなら、この国に騎士も法律も必要ないのよ。まさか、輝夜の面影のあるお前が――よりによって陛下の目の前で法律を破るなんてね。陛下がどんな思いであれを施行されたか、分かっているの? お願いだから、あの方の傷を抉るような真似は……」


 額に手を当てて頭痛を堪えるような表情を浮かべた正妃に、綾那はこてんと首を傾げた。


「正妃様まで儚くなってしまわれたら生きていけないから、あの法律をつくったと伺いましたよ」

「…………は? どうしてそこで、私が出てくるのよ」

「え……颯瑛様が仰っておられたので……?」

「――綾那。お前、輝夜と私の名前を聞き間違えたのではなくて?」

「いえ、確かに「羽月さんを守るためだ」と――」


 恐らく本来なら、この後に綾那の無謀な行動について説教が続くはずだったのだろう。しかし、正妃にとって予期せぬ回答をしてしまったせいか、彼女の意識はすっかり別の方向へずれてしまったらしい。

 正妃はどこか呆れた様子で、「そんな訳が――」と言いかけたが、その時ちょうど応接室の扉がノックされたため、口を噤んだ。


 もう維月が茶を淹れ終わったのだろうか。だとすれば、随分と仕事が早いものである。

 正妃の「どうぞ」という声の後に開かれた扉から顔を出したのは、茶器を載せたトレーを手にもつ維月――と、その隣には何故か、颯瑛が立っていた。


「……陛下!?」


 予期せぬ話からの予期せぬ来訪者に、正妃は慌ててソファから立ち上がった。颯月と綾那もまた、正妃に続いて腰を上げる。


「ああ、楽にしてくれ。騎士団長とその婚約者が来ていると聞いたから――その、昼間に……団長に対する態度が酷かった事を謝ろうかと思って。同席しても良いだろうか」

「えっ。へ、陛下――颯月とお話されたのですか……? まさか、あの『演武』の時に?」

「うん? ああ、驚かせてしまってすまない。そういえば、その事は話していなかった。私では上手く説明できないから、話してもややこしくなるだけかと思って」

「は、話していなかったって――……颯月、お前……その」


 正妃は、酷く困惑した様子で颯瑛と颯月を交互に見た。やがて彼女は颯月に視線を留めると、ほんの僅かに眉尻を下げた。言葉はなくとも、その顔を見れば「陛下にどんな酷い事を言われたのだ」「なんともなかったのか」と、彼の心配をしているらしい事が分かる。


 颯月は小さく肩を竦めて、「正妃サマが心配なさるような事は、何もありませんでしたよ」と軽く答えた。

 正妃はまだ混乱しているようだったが、しかし、いつまでも国王を立たせている訳にはいかないと思ったのだろう。自身が腰掛けていたソファから数歩離れると、「どうぞお掛けください」と言って、上座を譲った。


 彼女自身は、綾那と颯月の正面にある二人掛けのソファに移動する。そして、トレーをもつ維月に視線を投げると、「お前も座りなさい」と声を掛けて自身の隣を促した。


 思いがけず家族団らんの場が出来上がってしまった。上座に腰掛けた颯瑛はちらりと綾那を見ると、やや逡巡してから口を開く。


「その…………団長に、「昼間は悪かった」と伝えてくれないか」


 開口一番告げられた言葉に、正妃はギョッとした。綾那の隣に座る颯月は、ブハッと噴き出して肩を震わせている。


「いやいや……ですので、どうして本人が目の前にいらっしゃるのに、私を仲介しようとなさるのですか……!?」

「君が仲介しやすい場所に座っているから……」

「……颯月さん、座る場所変わりますか?」

「待て、止めてくれ、団長を私に近付けないでくれ。まだ早い、展開が早すぎるんだ、心の準備が一つもできていない。正直言って、同じ部屋に居るだけでも辛いんだ……」


 ともすれば、ますます「颯瑛は颯月と同じ部屋に居る事すら苦痛である」と誤解されかねない発言だ。

 正妃はどこかハラハラした様子で父子を見守っている。彼女の横では、我関せずと言わんばかりの維月が涼しげな表情で人数分の茶を淹れ始めた。


(颯月さんはゲラのスイッチが入っちゃったし――昼間のやりとりで、すっかりお義父様に対する遠慮がなくなったみたい)


 それはとても良い事なのだが、しかしこの混沌とした空気をどうしたものか。

 綾那がうーんと悩んでいると、不意に繋がれた手がぐいと引かれた。横を見れば、颯月が目尻に浮かんだ涙を拭いながら、フーと息を吐いている。

 やがて彼は悪戯っぽく笑うと、綾那を真っ直ぐに見つめて口を開いた。


「陛下に、「気にしていません」と伝えてくれ」

「……颯月さんまで!」

「俺が直接話しかけたら、また「帰りたい」しか仰らなくなるぞ」

「そ、それは、そうかも知れませんが――」


 ちらと颯瑛を見やれば、「気にしていない」と言われた事に安心したのか、それとも間接的とは言え息子と会話出できる事が、よほど嬉しいのか。

 大きな手の平で目元を覆って、まるで幸福を噛み締めるように深く長いため息を吐き出している。しかし、それ以降一言も喋らなくなってしまった颯瑛に、綾那は困り顔になった。


「あの――何か、話してくださると……」

「うん? いや、昼間の事を謝りたかっただけだから……そうだな。邪魔になるだろうから、私は席を外そうか」

「せ、席を外すんですか? これ以上ない機会を前に!?」

「無理せず一歩一歩、着実に歩んで行こうと思う。いつも君が気にかけてくれて嬉しい、私は幸せ者だ」


 颯瑛はどこか満ち足りた表情をして、席を立とうとソファから腰を上げかける。

 正妃が居て、颯月が居て――緩衝材の役割を果たす綾那と、我関せずの清涼剤のような維月が居て。これほど正妃や颯月の誤解をとくのに最適な集まりは、早々ない。だと言うのにこの男、何をいとも簡単に満ち足りているのだ。


 綾那は最早、何が正解かなんて分からなかった。しかし「これはなんとか話を繋いで、とにかく彼をこの場に留まらせるべきだ」と考えた。

 そうして考えた結果、つい先ほどいい話題が持ち上がったばかりだと思い至る。


「――お、お義父様! あの、「女性の戦闘行為を禁止する」法律の事ですが……!」


 腰を上げかけた颯瑛は、綾那の呼びかけに再びソファに座った。そして、どこか責めるような冷たい表情で綾那を見やる。


「今回の事は非常事態であったという事で、正当防衛として扱う。君の家族が上手く誤魔化してくれたお陰で、領民の目を騙せた事が大きい……アレがなければ、君は今頃拘置所の中だぞ。彼女にはよく感謝した方が良い」

「はい。反省しますし、感謝の気持ちも忘れません――ところでお義父様、この法律を制定なさったのって、正妃様のためですよね?」

「――――え」


 厳しい表情をしていた颯瑛は、途端に目を丸めた。正妃は「お前、何をバカな事を聞いているのよ……!」と、非難するように綾那を見やる。


 ちなみに、維月は無事に茶を淹れ終わったらしく――普通なら、まず国王の颯瑛に茶を渡すべきなのだが――正面に座る颯月の前にカップを滑らせて、「どうぞ、義兄上!」なんて言って、無邪気に笑っている。

 颯月もまたカップを受け取ると「茶まで淹れられるのか、維月は凄いな」と、義兄弟で微笑み合っている。


 同じ部屋に居て、この空気感の違いはなんなのか。相変わらずカオスだ。


「私が正妃様にお話ししても、全く信じて頂けないんです。この法律、正妃様の身を守るためにつくったものだって仰いましたよね?」

「……」

「正妃様が側妃様のようになってはいけないからとだ、教えてくださいましたよね?」

「…………」

「――あ、綾那、もうおやめなさい! 陛下が困っていらっしゃるでしょう……!?」

「でも正妃様、お義父様が黙り込む時は肯定の証ではありませんか?」

「え!? そ、それは……でも――」


 どうやら正妃も、颯瑛の癖については思い当たる節があるらしい。綾那は颯瑛が口を割らないならばと、更に勢いをつけて語り続けた。


「正妃様と側妃様は、人から比較されるたびに真逆だなんだと言われていたけれど、根本は似ていると仰いましたよね」

「輝夜と私が? そんな事は……」

「――死ぬほど気が強いって仰いましたよね! そのくせ魔力が強いかと言えば、そうでもないって!! だから、カッとなって魔物や眷属に突っ込んで、コロッと返り討ちになられると困るんですよね!?」

「ちょっと待ってくれ、確かに言った――言ったが、しかし私は、そこまで酷い事を言った覚えがないんだが」


 綾那のあまりにもな言い草とハッキリ否定しない颯瑛に、横でまったりと茶をしばいていた義兄弟がほぼ同時に噴き出した。

 冷たい声色で「――お前達?」とこめかみに青筋を立てた正妃に、颯月は震えながら綾那をぎゅうと抱き締めて、首筋に顔を埋めて隠した。


「――くっ……くしゃみです。俺のは、くしゃみですから……!」

「俺は笑ってます! はははっ、まさか、死ぬほど気が強いくせに死ぬほど弱い母上に手綱を付けるための法律だったとは!」

「しっ、死ぬほど弱いなんて、誰も一言も言ってないでしょう!?」

「いやいや、死ぬほど弱いですよ、生活魔法しか使えないんですから! はっはっはっ!」

「わ――っ、笑い過ぎよ……!」


 体だけでなく声まで震わせている颯月は、どうも先ほど収まったばかりのゲラがまた発動してしまったらしい。綾那は彼の背中を優しく撫でながら、「わあ大変、お風邪を召されたのかも知れませんね――」なんて囁いた。

 ここでもし「いや、笑ってますよね?」なんて指摘すれば、彼はきっと後で正妃に心身ともにボコボコにされてしまうだろう。ここは味方になって誤魔化してやらねばならない。


 ひとつも誤魔化す事なく大笑いしている義弟の方は、猛者であるとしか言いようがなかった。

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