東の森へ
幸輝本人に確認したところ、当然と言えばそれまでだが「角取りたい!」との回答が返って来たらしい。陽香はこちらが「ついでに呼んで来てくれ」と声を掛けるまでもなく、自発的に右京を連れて天幕から戻って来た。
そうして追跡班のメンバーが出揃ったところで、一行は東の森へ向けて出発した。
もちろん、既に「転移」を失った相手とは言え、徒歩では追いつけないので騎士団所有の馬車を借りる事にした。街を出たばかりの綾那達と既に森に潜む犯人では、距離が開き過ぎている。
王都の出入り口、門扉の近くには騎士団所有の馬車と厩舎がある。有事の際に足がなくては大変だから、常時待機させているのだろう。
(本部の敷地内にも厩舎はあるけど、馬は訓練の合間に若手騎士さんが交代でお世話しているんだよね)
騎士団宿舎が抱える使用人は、料理人のみだ。その他生活に係るアレコレから雑務まで、全て宿舎に住まう騎士が自分達の手でこなしている。
馬の世話もその延長線上にあるのだろうが――正直そこまでブラックにならずとも、生き物の世話は本職に頼むべきではないのかとも思う。
ただ、門扉の傍に控える馬とその厩舎を見る限り、ここでも本職ではなく門番の騎士が職務の片手間に世話しているようだ。もしかすると、将来門番として配属された時に困らぬよう、若手の内から馬の世話を覚えさせるという意図でもあるのか。
(どうして、頑なに仕事の持ち分を増やしていくスタイルなんだろう……)
この世界には、適材適所という概念はないのか。それとも、騎士の任に就く者が優秀過ぎて「自分でやるのが一番早く効率的かつ、経済的だ」という自滅型の考えしかもっていないのか。
しかし、他人に正しく仕事を割り振るのも、また一つの才能だと思う。何故組織の中にこのような考え方が浸透しているのかと言えば、まず間違いなくトップの責任だろう。
なんでもかんでも自分一人でやってしまう上に、彼は――颯月は、こなせてしまうのがいけない。
彼の中で「自分は部下に十分仕事を割り振っている」という認識なのが、また辛いところである。
そうして綾那が思案に耽っていると、いまだルシフェリアに対する怒りが収まらないらしい陽香が、苛立った様子で「うぅー!」と唸ったのが聞こえた。
本日の御者は、以前アデュレリア領まで旅した際にすっかり馬の御し方をマスターした綾那である。その隣――同じ御者台には、座り心地が悪いだろうに颯瑛が腰掛けている。
まだ荷台の方が揺れが少ないのではと提案したものの、颯瑛は「街の外に出るのは数年ぶりなんだ、景色が見たい」と言って憚らなかった。
「シアの野郎、マジで今までの苦労はなんだったんだ……! 自分が直接手ぇ下せるなら、夏祭りの時だってもっと上手い事できたはずだろうに! あたしに訳の分からん無茶振りするわ、アーニャに怪我させるわ――無茶苦茶だろ!? てか、初めっから自分で国中の眷属退治して、簡単に力取り戻せただろうがよぉ!!」
余程キレ散らかしているのか、陽香はやや巻き舌になりながらルシフェリアに対する文句を吐き出している。彼女に同調して、アリスが「そうよ、そうよ!」と相槌を打つ。
「今日の事だってそうじゃない! そもそも、私が怯える必要すらなかったって言うか――「転移」のギフトを全部吸収して悪さを辞めさせるなんて、そんな事ができるなら初めからそうすれば良かったじゃない! 綾那が戦う必要もなかったし、澪ちゃんが眷属に狙われるかもって話も怪しいわよ!」
アリスもまたかなり憤慨している様子で、「てか、急遽決まった事とは言え『綾那のイベント』だったのよ!? それをただの私服で人前に出すなんて……私のスタイリストとしての矜持がズタボロ!!」と叫んだ。
果たして、今彼女の脳内を占める怒りの比率は、ルシフェリアに踊らされた事が大きいのか――それとも、素の綾那を人前に出さざるを得なかった状況の方が大きいのか。
綾那は苦く笑いながら、自分なりの解釈でルシフェリアを擁護した。
「いや、ほら……シアさんは『我が子』を手に掛けたがらないから――眷属だって一応、リベリアスの住人でしょう? それに今日シアさんが一番に望んでいたのは、たぶん余所者の排除じゃなかったんだよ。人間の中で王族が特に可愛いってよく言ってるし、色んな人を仲直りさせるチャンスが視えて、つい縋っちゃったんじゃあないのかな……別に悪気があった訳じゃあないと思う」
「……アーニャ。お前それ庇ってるつもりかも知んねえけど、全くフォローになってねえぞ」
「えっ」
「むしろ、余計にヤバヤバのヤバよ。悪気なく自分の目的のために私達を利用したって事でしょう、それ」
「あっ…………でも、まあ――――えっと、いつも最後には、助けてくれるし……?」
「あー、もういい分かった。ゆるふわゴリラは喋るな」
「はい、ゆるふわゴリラ黙ります……」
呆れ返っているらしい陽香の言葉に、綾那は馬の手綱を引きながらしょんぼりと項垂れた。
その隣に座る颯瑛が、「君は悪魔まで庇うんだな、道理で私なんかの味方をしてくれる訳だ」と一人頷いている。綾那は途端にパッと顔を上げると、キョロキョロと周りを見回した。
「お、お義父様。シアさんは、悪魔と呼ばれるとご機嫌が悪くなります。どうか天使と呼んで差し上げてください」
「……とは言え、私の目には死者を弄ぶ悪魔に映ったよ」
「そこをなんとか……!」
「分かった、君が言うならそうしよう。しかし――他でもない君を味方に付けてけしかけて来るとは、随分と腹黒い天使様だな」
まだ棘のある言い草にヒヤヒヤするものの、ひとまず悪魔呼ばわりではなくなった事に安堵する。しかし、次は後ろの荷台から爆弾発言が飛び出した。
「つーかアイツ、行方不明だなんだって言われてるゼルとレオの親玉だろ? 腹黒くて当然だよ、マジで悪魔なんだから」
陽香の言葉に、綾那は「へ?」と間の抜けた声を上げた。それはつまり、「天使である」と言って憚らないルシフェリアの正体が、実は長らく行方不明とされている悪魔王だと言う事なのか。
「前々から思ってたけど、まずルシフェリアなんて名前からして怪しさ満載だろ? 「ルシファー」とか「ルシフェル」っぽくねえ?」
「――ああ、分かるかも。「表」でルシファーと言えば、傲慢な天使が堕天して悪魔になった魔王よね? やたら天使に拘るのも、悪魔呼ばわりにブチ切れるのもらしいって言うか……本人は、今も天使のつもりなんじゃない」
「……魔王」
綾那は眼裏に、光る球体を思い浮かべた。神々しさもとい眩しさはあれど、禍々しさはない。とは言え、あの光球が本来の姿ではないのだから、姿などなんのアテにもならないだろう。
(でも、天使よりも創造神よりもしっくり来るような……? だけど魔王なんて呼んだら、「悪魔」って呼んだ時よりも怒るんだろうな――)
ふと思えば、以前綾那がヴェゼルと悪魔王について論じた際、彼は何かに怯えてた気がする。
彼は「ルシフェリアはこの話が大嫌いだ」「こんな話をしているのを聞かれたら怒られる」なんて事を言っていた。そもそも『悪魔王』なんてものは存在しないし、人間が勝手に作り出した空想のようなものだとも。
「けど、曲がりなりにも創造神として存在するシアが、悪魔王も兼任してるってのはちょっと……無理があるか。リベリアスで神様と悪の親玉が同一視されてんのは変だもんな――いや、邪神信仰とか?」
これはあくまでも陽香とアリスの推察であって、本当の所は分からない。しかしルシフェリア本人に確認しようものなら、「僕は悪魔じゃない!」と憤慨する事間違いなしだ。綾那としては進んで触れたい話題ではないし、無用な争いも面倒事も御免である。
陽香は結局、「まあ、名前の語感だけで決めつけるのはさすがに悪いか――それはそれとして、シアは一切信用ならんけどな」と舌打ちをした。
思う存分毒を吐き出してだいぶ落ち着いたのか、彼女はおもむろに「王子」と明臣を呼んだ。
「そろそろマナ吸わねえの? ここに居る面子、全員悪魔憑きに耐性あるから――そんじょそこらの『異形』を見せられたところで、平気だと思うけど」
「え? ああ……そうですね。眷属の相手をするなら、いい加減魔具を外さなければいけませんね――」
「アリスは見た事あるんだよな? うーたんもか」
「僕はよく知ってるよ。ルベライトに救援に行った時、「悪魔憑きのサポートは悪魔憑きにしかできない」って、よく押し付けられていたからね」
「……押し付け?」
何やら引っかかる言い方をする右京に、陽香が訝しむような声を上げた。しかしすぐさま気を取り直したのか、「まあ良いや、魔具取っちまえよ!」と、明るく笑っている。
明臣はしばらく無言だったが、やがて気まずげに口を開いた。
「あの……先に断っておきますが、私の『異形』はなかなかに酷いものです。だから――色々と驚かせてしまうと思います、すみません」
「酷い? 別に良いって、体が透けるとか足が無くなるとかじゃなければ」
陽香が怯えるのは、物理の効かないホラーな存在だけである。自信満々な陽香の横で、アリスが「そういう酷さじゃあないのよね」と乾いた笑いを漏らしている。
明臣はまだ何か悩んでいたようだが、ややあってから決心したのか、両耳に付けられた金色のカフスを外した。そしてそれをアリスに「姫、持っていてくれる?」と言って手渡す。
綾那は馬の手綱を持ったまま、そわそわと荷台の様子を気にした。御者を任された身でよそ見していて申し訳ないが、スタチューバーとして好奇心が抑えられないのである。
すると、それを見かねた颯瑛が「少しの間、私が持とうか」と言って手を差し出した。本来ならば「とんでもない! 陛下にそんな事をさせられるものですか!」が正解なのだろうが、綾那は満面の笑みで「ありがとうございます、お義父様!」と頷いて、手綱を渡した。
そうして体を反転させて荷台を覗けば、明臣の姿が見る見る内に変化していく。
日に焼けた茶髪は輝かんばかりの見事な金髪へ。薄い青色だった瞳は真っ赤に。まごう事なき悪魔憑きの特徴である。
(疑っていた訳ではないけど、本当に悪魔憑きだったんだ――)
そんな感想を抱きながら、明臣の『異形』を見つめ続ける。しかし、綾那はすぐさま首を傾げた。明臣の体は、それ以上変化しなかったのである。
颯月のように刺青がある訳でも、右京のように獣の耳や尻尾がある訳でも――歯が尖っている訳でも石が張り付いている訳でも、角がある訳でもない。明臣は、金髪赤目のただの人であった。
「――えっ、なんだよ。ただの2Pカラーじゃん……」
どこか落胆気味の陽香の言葉に、綾那も思わず頷きかけた。ちなみに『2Pカラー』とは、ゲームキャラクターの第二の配色の事だ。端的に言えば、姿形は全く同じの色違いキャラである。
明臣はそう言いたくなるほど、色しか変わっていないのだ。強いて言うならば、普段よりほんの少しだけ目つきが鋭いだろうか。
自身で「酷い異形だ」と言っていた割に、物凄い肩透かしを食らった気分だ。綾那と陽香は互いに顔を見合わせたのであった。




