演武
綾那は、ルシフェリアの助言通りに動き続けた。眷属が現れる位置は転移陣のお陰で丸分かりだ。あとは、どのタイミングでどの角度に向かって攻撃すれば良いかだけ。
脅威レベルと言ったところだろうか。どうも眷属の中には、討伐に手間取ると周りに被害をもたらす厄介な者と、そうでない者が居るらしい。
ルシフェリアが厄介と判断した場合は、開幕の牛のように文字通り秒で仕留めさせる。そして、そうでない場合は「好きに倒して良いよ」と綾那を自由に動かせる。
綾那の手、または足でかち上げられて宙を舞った眷属は、すぐさまルシフェリアの力でどこか別の場所へ飛ばされる。
ただ、真上にかち上げてばかりでは『演武』として芸がない。正拳突きや蹴りの他、時に見栄えを気にして回し蹴りや投げ技を交えながら眷属の処理を続ければ、観客の反応は上々であった。
本音を言えば、肉弾戦よりも「怪力」のレベルを2まで下げて、ジャマダハルを使った剣舞の方が映える。綾那自身もその方が楽だが――しかしそれだと、少なからず血液が飛び散ってしまう。
最終的にルシフェリアが血液ごと消してくれるとは言っても、観客が「映像ではなく、全て本物なのでは?」と気付いてしまっては目も当てられない。
(陽香が機転を利かせてくれたお陰で、本当に助かった――)
彼女の堂に入った演技にすっかり丸め込まれたらしい領民は、大変ありがたい事にコレが広報の開催するイベントだと本気で信じているようだった。
まさか綾那が、本物の眷属を相手に好き放題暴れているとは夢にも思わないだろう。そもそもリベリアスでは、特殊な武器や魔法を使わずに相手の重量を無視した動きをしている事がおかしいのだ。
「全て映像ですよ」と言われた方が、よほど信憑性があると言うものである。
ルシフェリアが陽香に期待していたのは銃の腕前ではなく、彼女の弁舌と人を惹きつけるカリスマ性だったのだ。
(それはそれとして……コレ、いつまで続くの?)
綾那がやっているのは、あくまでも『演武』のイベント。決して表情には焦りを出さないよう細心の注意を払っているのだが――投げ飛ばした眷属が五体を超えた辺りで、心身の疲労がとんでもない事になってきた。
約五分で限界を迎えてしまうレベルマックス程ではないとは言え、それでもレベル4の「怪力」を維持し続けるのは、なかなかに辛いものがある。
いっそ小出しではなく、もう少しまとめて眷属をけしかけてくれた方が楽なのに。インターバルと考えればアリかも知れないが、一体一体出てくるまでに時間がかかり過ぎなのだ。
眷属が一体ポンと出てくる度、綾那が相手をして――時にはワンパンで沈めて――いるのだが、あまりにも『おかわり』が届くのが遅すぎる。
ぶん投げられた眷属がルシフェリアに消されてから、次の転移陣が光り始めるまでにおよそ二十秒。そこから光が収束して次の眷属が「転移」してくるまで、約二分かかるのだ。
陽香が「はーい、騎士団広報に盛大な拍手を!」とか「では次の映像の用意が出来るまで、本部で行われる若手騎士の訓練の様子でも宣伝しておきましょうかね!」とか、ひとつも焦る事なく――まるで、この待ち時間さえも予定調和のごとく――上手く場を繋いでくれているお陰で、なんとか間がもっている状態である。
正直言って、綾那一人ではもたない。積み重なる疲労も相まって、このテンポの悪すぎる待機時間を埋める事など不可能だ。
(たぶん、こんな非常識な真似をしている「転移」もちは――アデュレリアの領主さんに雇われていた、あのチャラ男さんとむっつりさんの二人だろうな。前シアさんにギフトの力を吸収されているから、今は四割ぐらいの力しか使えなくなっているはず……だから、こんなに「転移」のテンポが悪いんだ)
「チャラ男さん」と「むっつりさん」とは、言わずもがな過去二度桃華の誘拐を企んだ「転移」の男達である。
軽薄な喋り方をするのがチャラ男さんで、一見まともに見えても頭の中はしっかり下衆なのがむっつりさんだ。まあ、例え犯人が別の「転移」もちだったとしても、ルシフェリアは既に結構な数の「転移」を吸収しているらしいので同じ事だろうか。
とは言え、仮に一人一人の力が半減していたとしても、大勢集まればそれなりの力を発揮できるはずだ。何せ「転移」が集まって力を合わせれば、「表」から「奈落の底」へ家を移動してしまえるのだから。
つまり、こんなしょっぱい真似をしているのは――律儀に一体一体、それもかなりの時間をかけて飛ばしてくる点から相手は少数であり、尚且つギフトの全力を出し切れない者だ。
(直接会ったからって言うのもあるけれど、特にあのチャラ男さんはアリスに対する執着が尋常じゃあなかったしね。ヴィレオールさんの闇魔法まで食らって、余計におかしくなっちゃってるって話だし)
そこまで常軌を逸した者でなければ、普通罪のない民衆が集まるこのような場へ、眷属を送り込んだりしないだろう。そもそもの話、アリスの周囲に眷属を「転移」させ続ける事が、どうアリス獲得へ繋がるのかも理解できない。
王都を混乱に陥れて、火事場泥棒のように彼女を「転移」で攫うつもりだったのだろうか? しかし、こんな「転移」スピードでは失敗に終わっただろう。
彼らがアリスを狙う暇がないのは、まず眷属が暴れる前に綾那とルシフェリアが処理してしまい、いつまで経ってもパニックが起きないから。そして、常にアリスの傍に寄り添う明臣の存在が邪魔なのだろう。
「転移」が獲得したいのはアリス一択であって、あのように屈強なキラキラ王子の付き添いは求めていないのである。
綾那が実際に手合わせをした感覚からして、チャラ男とむっつりは武術や格闘に関してなんの訓練も受けていない、ド素人である。喧嘩慣れした生粋の不良――という印象もない。
アリスと共に明臣まで「転移」してしまった場合、例え彼らが武装していたとしても、魔力切れした上に丸腰の明臣相手に負けるのではないだろうか?
明臣が戦っているところを直接目にした事はないが、あの体躯で――いや、トンデモ社畜の騎士があの程度の男達に負けるはずがない。文武両道、心身ともに屈強でなければ、騎士の職務は務まらないのだから。
(もうそろそろ、諦めて欲しい……五体ぐらいで終わるのが、イベント的にもちょうどいいと思うんだけど――)
仮にこの『演武』がメインイベントならば、長期戦も良いだろう。しかし、これはあくまでもトラブルを誤魔化すための――苦し紛れに始めた余興である。
もういい加減、領民は服の買い物を始めた方が良いのではないだろうか。何せ今日は繊維祭。秋服をこぞって販売、購入する日である。決して、騎士団の宣伝祭りをする日ではないのだ。
正直言って、いくらステージに陽香と正妃が立っているとは言え、アイドクレース向きでない綾那一人が演武し続けたところで、領民の目を楽しませられるとは思っていない。
皆早々に飽きて、街中へ繰り出すだろうと考えていたのだが――どうもアイドクレース人は、ミーハー気質らしかった。流行りものにすぐ飛びつくし、新しいものは目に焼き付けなければ気が済まないようだ。
思えば彼らは騎士団の宣伝動画にド嵌りしてくれたし、花を模した合成魔法『花火』も大喜びで受け入れた。『ホログラム』という異大陸の魔法もどきはもちろん、二十数年に渡り「女性の戦闘禁止」という法律が敷かれている今となっては、武術の心得がある女性の存在も物珍しいのだろう。
恐らくこれは、しっかりと終わりを見届けるまで移動しない。野次馬根性が逞し過ぎる。
綾那は胸中で、どこで見ているのかすら分からない「転移」もちに向かって「くどいから終わって」「もう諦めて」なんて念じ続けた。しかしそんな思いも虚しく、地面に六度目の転移陣が敷かれてしまう。
(もう――しつこい! どうして無駄だって分からないの? 体力もだけど、暑いんだってば……!!)
綾那は思わず、細いため息を吐き出した。そうしておもむろに「怪力」を解いて素手に戻ると、肩掛け鞄の中からヘアゴムを取り出して、長い髪の毛を束ねる。
先ほどから、汗で肌に張り付くのが気持ち悪くて仕方がなかったのだ。
頬は熱いし、絶対に上気している。さすがに息も弾んできた。額から頬へ流れた大粒の汗は、そのまま顎先を伝ってぽたりぽたりと胸元に落ちる。
胸の谷間に汗が溜まるのも気持ち悪いし、服の下では腹や背に滝汗が流れている。本音を言えば、今すぐに頭から水浴びしたいところだ。
綾那は元々、寒さには強いが暑さには滅法弱い。「表」でスタチューバーとして活動していた時も、屋外で何かをするという事はほとんどなかった。
完全にインドア派で、イベントや仕事の依頼で外に出たとしても、移動は冷房の効いた車。外出した先も、結局は冷房の効いた屋内ばかりだった。そんな生活を続けていたせいで、余計暑さに弱くなったのかも知れない。
綾那にとって、常夏とも呼べるアイドクレースの気候は厳しすぎる。その厳しすぎる環境下で、長時間の屋外活動――それも、「怪力」を発動し続けるなど、苦行でしかないのだ。
(でも、泣き言ばかり言っていられない……元はと言えば、考えなしの私が招いたゲリライベントなんだから――)
綾那は己を叱咤するように、再び「怪力」のレベル4を発動した。ここからおよそ二分の待ち時間を経て、また次の眷属が飛ばされてくるはずだ。
さて、厄介な者か、そうでない者か。次はどう動くべきか。綾那は、確認するようにルシフェリアを見やった。しかし仮面の少女は、何故か綾那とは全く違う方向を見ているようだ。
その顔の向きを辿れば、視線の先はやや上空――周辺の家の屋根辺りだろうか。
ルシフェリアの視線の先へ目をやると、そう離れていない家屋の屋根に、短い銀髪に黒い肌、そしてエルフ耳の悪魔ヴェゼルが座していた。
彼はじっと、綾那とその目の前に広がる転移陣を眺めている。それがおもむろに右手を翳したかと思えば、何事か口ずさんだ。すると突然、観客の一人が声を上げる。
「――雪だ!!」
最初の歓声に釣られるように、あちらこちらで次々と声が上がる。どうもヴェゼルが何かしらの氷魔法を発動したらしい。
リベリアスで雨が降る時と同じく、雲もないのにどこからともなく粉雪が降り注いでいる。
それは、上空から世界を照らす魔法の光源を反射して、キラキラと光り輝き――地面に到達する前に溶けてなくなってしまう。
何やら、光溢れる幻想的な世界に迷い込んだようで面白い。そして何より「涼しい」――とにかくこの一言に尽きる。
綾那は、ほうと息をついた。ようやく灼熱地獄から解放された気分になったのだ。
もしかすると、綾那の辟易しきった胸中を読んだルシフェリアが、ヴェゼルに「気温を下げろ」と命じたのだろうか。
各所から「あの女性は本当に雪の精なのか」なんて、勘違いも甚だしいどよめきが聞こえたような気がする。しかし今はもう、眷属の討伐だけを考えて気にしない事にした。
(本当にありがたい――――――ありがたいんだけど、でも……)
綾那の上気した頬は、瞬く間に青褪める。気付けば上下の歯はカチカチと音を鳴らしていて、たっぷり汗を吸い込んだ服はパリッと硬く凍り付いた。
――いくら寒さに強いと言っても、これは話が違う。全身汗でびしょ濡れの状態で、いきなり冷凍庫に放り込まれるのはさすがに違う。それはもう、寒さに強い弱いなんて次元の話ではない。
あまりの寒さに両腕を抱えて擦りたい気分だが、腕を覆う篭手も足を覆うグリーブもキンキンに冷えているようで、白い冷気を発している。もし自身の肌に触れようものなら、凍傷になるのではなかろうか。最悪ベリッと皮膚を持っていかれる恐れすらある。
綾那は青い顔のままルシフェリアを見やって、首を横に振った。――やり過ぎです、風邪をひいてしまいます、と。
またしても遠く離れたヴェゼルに思念伝達をしたのか、粉雪はぴたりと止んだ。観客はキラキラ輝く幻想的な雪を見て大層興奮したようだが、肝心の綾那は、お陰様で先ほどから震えが止まらない。
(これは、しばらく寝込むヤツかも知れない――)
「解毒」のせいで一切の薬が効かない綾那にとっては、ただの風邪でも拗らせれば死を招く可能性のある大病だ。
どうか風邪をひきませんように――と強く願いながら、綾那は少しでも体を温めようと、現れた六体目の眷属を思い切り殴りつけたのであった。




