襲撃者
「ええと――お呼びですか、お義父様」
すぐ傍まで歩み寄れば、颯瑛は綾那の腕をパッと掴んで強く引き寄せた。
竜禅は、輝夜――もといルシフェリアが解放されたと思ったのも束の間、次は綾那の番なのかと身構えている。彼に庇われている颯月もまた、僅かに眉を顰めるのが見えた。
――さすがに近過ぎるだろ、とでも思っているのかも知れない。
しかし、二人から厳しい視線を向けられている事など全く気付いていないのか、颯瑛はただ余裕のない眼差しで綾那を見下ろした。
「いや――その、だから…………い、一時撤退、すべきだろうか」
「せっかく颯月さんが話しかけて下さったのに、ここで逃げてどうするんですか」
「……君の言う通りだ」
グッと息を呑んだ後に浅く頷いた颯瑛は、颯月に視線を向けて――またすぐに綾那へ戻した。
そうして綾那の両肩を掴むと、随分と取り乱した様子で言葉を紡ぐ。
「いきなりは無理だ。そもそも今、私は生まれて初めて颯――騎士団長に話しかけられた……君から、彼に「幸せか」と聞いて欲しい」
「な、何故本人が目の前にいらっしゃるのに、私を経由なさるのですか……!?」
やはり、颯瑛は突然の事に酷く混乱しているようだ。ツッコミを入れる綾那の視界の端で、颯月が動くのが見えた。
彼は自身を庇う竜禅の腕をやんわり下げさせると、更に数歩進んで颯瑛と距離を詰めた。十分に近づいたのち、綾那の両肩を掴む颯瑛の腕に手を掛ければ――混乱しきりの颯瑛はビクッと体を揺らして、彼の手を振り払う。
過剰とも言える反応をした颯瑛の手は綾那の両肩から外れ、颯月から距離を取ろうと数歩離れた。
父親に手を振り払われたにも関わらず、颯月は一つも堪えた様子を見せずやれやれと肩を竦めた。
「先ほどまで散々「颯月」と呼んでおられたのに、いきなり他人行儀になられましたね」
「………………――や、やめろ、騎士団長。これ以上私に話しかけないでくれ」
「もう、お義父様! 照れ隠しなら、もう少し可愛らしくしてください!」
「そうは言っても、色々と限界なんだ――もう帰る。無理だ、帰りたい。帰る」
話しかけられても無視するわ、手を振り払うわ――挙句の果てには「話しかけないでくれ」など、本当に笑えない。
事情を知らぬ者が見れば、本気で息子を嫌っているようにしか見えないだろう。
だが実情は、全て照れ隠しなのだ。嘘のような話だが、本当に死ぬほど照れているだけなのである。
幸せのキャパオーバーなのか、まるで壊れたラジオのように「帰る」と繰り返して、首を横に振る颯瑛。ほとほと困り果てた綾那が颯月を見やると、その視線に気付いた彼は、目元を緩めて呆れるように笑った。
(あ……笑ってる)
今朝颯月の私室で見た彼の表情は、どこまでも苦しげだった。実父について「恨んでいる」とはっきり告げて、「和解はありえない」と首を横に振っていた。
それでも、この表情は――もしや、綾那も少しは期待しても良いのだろうか。それがいつになるのかは分からないが、実父の今までの行いを、度を越した『放任』を許すつもりがあるのだと。
綾那もまた、颯月に釣られるように笑った。
竜禅はいまだ何一つとして納得していない。この場に混乱を招いたルシフェリアは、周囲の空気などお構いなしで機嫌よさげに竜禅の周りをうろついているし――正直言って、「めでたし、めでたし」には程遠い。
これから父子関係を修復するにしても、肝心の颯瑛はこの通り社交性――いや、限られた人物に対するコミュニケーション能力が著しく欠如しているのが痛い。
しかし、少なくとも二人の関係は改善の道へ一歩前進したはずだ。綾那の前でいまだ壊れたラジオ状態の颯瑛を見れば不安しかないが、前進と言ったら前進なのだ。
様々な事が折り重なった末の結果なので、最早誰のお陰なのか分からないが――悪くはないだろう。あとは、周りの野次馬をどうするかだけだ。
「国王と副長が一人の少女を巡って、痴情のもつれ!?」とか、「やはり勘当された息子は、国王に嫌われまくっていた!?」とか、まるで「表」のゴシップ誌のような噂を流されると困る。綾那としては、特に後者が困るのだ。
(だって、事実無根だし! 颯月さんはちゃんと愛されているのに、デタラメな風評被害は防ぎたい!)
いや、まあ、颯瑛と竜禅の「痴情のもつれ」についても事実無根なのだが。
綾那は、さてこれからどうしたものかと頭を悩ませた。
ちらとアリスを見やれば、ひとまず修羅場は過ぎ去ったと判断したのか、恐る恐る明臣の背後から姿を見せてくれる。ひとまず、彼女と何か良い案がないか話し合うべきだろう。
本来、こういった不測の事態やトラブルを口八丁で上手く誤魔化すのは、陽香や渚の得意分野だ。しかし今あの二人の助力は得られない。
この場に居る綾那とアリスだけでどうにかするしかないだろう。
そうして綾那がアリスを呼び掛けた時、突然それは起きた。
今この場は、言い争いを繰り広げていた颯瑛と竜禅を中心にして、領民と騎士にぐるりと囲まれている。ただ囲まれていると言っても、国王の「痴情のもつれ」を間近で見るのはさすがに不敬だ。
野次馬は万が一にも自身に火の粉が飛び移らないよう、安全な距離を保っている。
ゆえに、颯瑛とその騒ぎを中心にぽっかりと円形の空間ができ上がっているのだが――その空間の一部に、なんの前触れもなく異変が起きたのだ。
リベリアスの住人にとっては、初めて目にする謎の魔法陣。しかし、「表」の住人にとっては見慣れた『陣』。地面に光り輝く転移陣が現れて、周囲の人間はどよめいた。
騎士は僅かに身構えている。しかし、野次馬の領民は初めて目にする魔法に、恐れるどころか余興でも始まったのかと浮足立っているようだった。
(やっぱり、人が居ようとお構いなしに来た……!)
まさか、あの陣から魔物が送り込まれてくる可能性があるなんて、領民は少しも考えないだろう。ここは多くの騎士が守る王都で、その中心地だ。王族だって集まっているし、他のどの場所よりも安全でなくてはならない。
そもそも見知らぬモノを見て正しく危機感を抱き回避しろなど、ムリゲーにも程があるのだ。彼らの反応はある意味では正常と言えるだろう。
そんな中で、颯瑛と竜禅の反応は少々異質だったのかも知れない。
颯瑛は謎の光る陣を目にした途端、脇目も振らずに颯月をガバリと抱きすくめたのだ。それはまるで、我が子を危険から守ろうと身を挺しているようで――いや、事実そうなのだろう。
突然の事に、転移陣に身構えていた颯月は目を丸めて動きを止めた。恐らく、驚き過ぎて思考も停止しているに違いない。その表情は、自身が置かれている状況がひとつも理解できていないようであった。
父子からそう離れていない位置では、ルシフェリアを謎の光から庇うようにして、竜禅が立っている。思えば、彼が実際に転移陣を目にするのはこれが初めてだ。それは警戒して当然だろう。
その行動は正直、いつもの颯月命の彼らしくないものだったが――やはり、ルシフェリアの姿が悪いのだろう。
竜禅はあくまでも輝夜の従者なのだ。その輝夜の姿を模したルシフェリアが危険に晒されるなど、見過ごせないに決まっている。
「明臣、アンタ私を死ぬ気で守りなさいよ!?」
「大丈夫。何が起きているのかよく分からないけれど、姫の事は私が守るよ」
明臣の傍から離れようとしていたアリスは、転移陣の光を目にした途端、一転して彼の背後に舞い戻った。
体のいい盾にされているにも関わらず、明臣は笑みさえ浮かべてアリスを「守る」と頷いている。
確か彼は、陽香の控え室に大量の氷を創り出したせいで、体内の魔力が枯渇している状態のはずだ。
悪魔憑きの明臣は、マナの吸収を阻害する魔具を外さない限り新たな魔力を溜められないのだが――アリスは本当に、明臣の傍に居れば安全なのだろうか。
若干の不安は残るが、しかし今綾那がするべき事はきっと、アリスを守る事ではない。ちらと竜禅に庇われているルシフェリアを見やれば、その口元が不敵に歪んだ。
「――さあ、仕事だよ。まずは「怪力」のレベル4で思い切り蹴り上げてみようか?」
「け、蹴り上げる、ですか?」
「あの陣から『よくないモノ』が飛ばされてくるから、君はすぐさま無力化して。そうだなあ……陣の前に立って、七十五度から九十度ぐらいの角度を蹴ってみると良いんじゃないかな? できれば真上に蹴り上げて欲しいんだけど」
「カウントは僕に任せてよ」と言って笑うルシフェリアに、綾那は渋面になった。別に蹴るのは構わないが、せめて何が飛ばされてくるのかくらいは教えて欲しいものだ。
(でも、レベル4で行けって事は――「転移」の人が飛んでくる訳じゃあない……よね? さすがに人なんか蹴ったら、大変な事になるし……)
いくら子供の少ない大人の祭りでも、公共の場で公開スプラッターはまずい。いや、それを言えば相手が魔物だろうが眷属だろうが、血が出る相手はすべからく無理無理のムリなのだが。
綾那はうーんと唸ったのち、意を決して転移陣へ足を踏み出した。
後ろで颯瑛が「待て。むやみに近付くな、危ない」と忠告してくれているが、結局のところ創造神の助言通りに動くのが最善なのだ。こればかりは仕方がない。
いつもならば一番に綾那の心配をしてくれる颯月が無言なのは、いまだに思考停止している証だろうか。
綾那はくすりと小さく笑って、言われた通りに「怪力」のレベル4を発動した。両手両足が白い光に包まれたのち、それがかき消えた時にはもう、真っ白な篭手とグリーブが装着されている。
突如として「魔法鎧」もどきを発動させた綾那に、野次馬は「何をしているんだ」とどよめいた。
おそらく、見た事のない魔法もどきに驚いているのだろう。「怪力」の並外れた膂力を目の当たりにすれば、もっと驚かせてしまうかも知れない。
綾那は軽くそう考えていたが、しかしすぐにソレは間違いであったと思い知る事になる。
おもむろにルシフェリアがカウントを始めて、「――今だよ」とタイミングを告げた。綾那はグッと両足で地面を踏みしめた後、右足だけ高く上げて空を蹴り上げる。
光が収まった転移陣から姿を現したのは、頭に大きな巻き角が二本生えた牛の魔物。体長三、四メートルはありそうな巨体だった。
魔物の姿を見るなり、領民は顔色を変えて大きな悲鳴を上げる。その騒ぎは、今も尚ショーが続く舞台まで――いや、この辺り一帯に響いたに違いない。
魔物を放置していては街中が大パニックに陥って、ケガ人も一人や二人では済まないだろう。
まるで、夏祭りの時と同じだ。あの時は局地的な停電を「合成魔法を打ち上げるためだ」と誤魔化して事なきを得たが、今回そんな備えは一つもしていない。
しかし、「キャーーー!!」「ウワーーー!!」という悲鳴は、一瞬で「えっ……」と詰まった声に変わった。
衆人環視の中ド派手に登場した牛は、その姿を現すと同時にドゥッ!! と鈍い音を立てて、上空高くへ舞い上がったからだ。巨大牛を空へ送った犯人は勿論、綾那の右足である。
野次馬は揃って舞い上がる牛を見上げて、ぽかんと口を開いた。魔物は地上へ降りてくる事なく、上空で光に包まれたかと思えば忽然と姿を消した。
それには蹴り上げた綾那自身も瞠目して、小首を傾げながら高く上げた右足を地面に下ろした。
粉砕する力はあっても、「怪力」に魔物を綺麗さっぱりかき消す力はない。仮に「転移」もちが慌てて魔物を回収したにしては、展開が早すぎる――そもそも、転移陣は空中にも展開できるのだろうか?
考えても分からないと知りつつも、綾那は思案に耽った。そうして「怪力」の発動を解けば、また両手両足が白く光って篭手とグリーブが消え失せる。
「女性の戦闘は、禁止されているのに――」
ぽそりと呟かれた領民の言葉に、綾那はすぐさま思考を打ち切ってハッと顔を上げた。周囲をぐるりと囲む野次馬は、既にかき消えた牛ではなく、綾那を凝視してヒソヒソと囁き合っている。
「い、いくらなんでも、騎士の居る前でわざわざ女性が戦う必要はなかったと思うけれど――」
「ああ、正当防衛と言うには無理のある動きだったぞ? 先手必勝と言うか、なんと言うか……」
「しかも、陛下の御前であんな事をするなんて……安全のために魔物を討伐したからと言っても、あの女性は処罰を免れないだろうな」
「そもそも、さっきのは一体なんだったんだ? なんでいきなり出て、いきなり消えたんだ? 本当に魔物だったのか……?」
(――や、やばい! 忘れてた……!)
今綾那の頭を埋め尽くしている言葉は、この二言のみだ。
ただルシフェリアの助言通りに動こうとするばかりで、女性の戦闘を禁止する法律の事など、すっかり頭の中から消えていた。さきほど「怪力」を発動した時に領民がざわついたのは、何も初めて目にする魔法もどきを見て驚いた訳ではない。
女性であるはずの綾那が、見るからに戦闘特化の魔法を発動させた事に度肝を抜かれたのだ。
(そうだよ! 今回は魔法封じもないんだから、わざわざ私が戦う必要なかったじゃない……! 騎士もこれだけ居るんだから、私が出しゃばらなくたって対処できたはず!)
――本当に考えなしだ。考えなしにも程がある。
やはり今まで綾那が無事に生きてこられたのは、四重奏のメンバーの支えがあってこそだ。綾那一人ではまともに生きられなかったに違いない。ありがとう。違う、今はそれどころではない。
綾那はすっかり涙目になって、ルシフェリアを振り向いた。しかし少女はにんまりと笑っているだけで、何も答えてくれない。
その前に立つ竜禅も綾那の突然の暴挙に困り果てているようだし、颯瑛に至っては颯月を腕に抱いたまま硬直している。
まさか義娘がこんな野蛮人だとは、夢にも思わなかっただろう。いや、野蛮人云々の前に、とんでもなく法律を破っているのだ。
法の管理者である彼の前でこんな事をしでかして、見逃してもらえるはずがない。
――仮に颯瑛が見逃してくれたところで、これだけ大勢の目撃者が居る中でそんな不正が許されるはずないではないか。
完全に詰んだ。「女性の戦闘禁止」に対する刑罰がどれほどのものなのかは分からないが、これは恐らく牢屋行き案件である。
綾那は桃色の瞳をうるうると潤ませながら、颯瑛に抱かれたままの颯月を見た。呆然自失と言った表情をしていた彼は、綾那と目が合うとようやくハッと意識を取り戻す。
そして「陛下、放してください」と、いまだ硬直したままの颯瑛に断りを入れて腕から抜け出ると、すぐさま綾那の元へ駆けて来てくれた。
「綾、怪我はないか? 悪い、あまりの事に放心してた」
「け、怪我はありません、ありませんけれど――もしかして私、逮捕でしょうか……?」
すっかり顔面蒼白になった綾那。颯月は綾那の頬に手を添えて、宥めるように撫でた。
そうして二人が話している間にも、野次馬はざわついている。「転移」が一度でぴたりと止まって、アリスが無事だったのが不幸中の幸いだろうか――そんな二人の背に、ルシフェリアが明るく言い放った。
「さっきの、魔物じゃなくて眷属だよ。たぶんまだしばらく送り込まれてくると思う」
「……なんだと?」
「えっ」
絶句した颯月と綾那に、ルシフェリアはにんまりと笑いながら続ける。
「眷属の性質は覚えている? 彼らはアレで賢い。殺されたくないから、強い魔法が使える者は勿論……余程の事がない限り、悪魔憑きには近寄らない。狙うのは弱い子供――この大人だらけのお祭りで、身近にいる弱い子供はあのうさぎみたいな子だけだ。あの子が呪われないように、送られてくる眷属を無力化し続けてくれる? 後始末は僕がするからさ」
ルシフェリアが小首を傾げて訊ねると同時に、またしても地面に転移陣が敷かれて光り出した。
再びざわめく民衆の中、綾那は静かな声色で「――この状況で、何言っちゃってるんですか?」と、すっかり光を失った瞳で少女を見返したのであった。




