颯瑛と竜禅
「――ねえ君、今なんて言った? 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするなあ……」
「気分を害したなら申し訳ない。ただ君は、そう評されても仕方のない愚行を犯している」
「愚行だって?」
無理矢理に笑みを浮かべているのか、ルシフェリアは口元を引きつらせながら颯瑛に問いかけた。
『悪魔』は、ルシフェリアにとって最大の地雷だ。ただでさえ颯瑛VS颯月&竜禅でこの場は無茶苦茶なのに、そこへ創造神まで参戦してくるなど全く手に負えない。
綾那は助けを求めるつもりでアリスを見たが、しかし彼女は相変わらず明臣の背後に隠れたまま、ふるふると首を横に振った。その目は明確に「私には無理よ」と語っている。
「私は何も間違った事を言っていないと思うが? わざわざ、そのように悪趣味な姿で人前に現れるなど――天使のする行いではないな」
「悪趣味? 僕は結構、可愛い姿だと思っているけれど……」
颯瑛は創造神相手に全く怯む事なく、どこまでも不快げに吐き捨てた。ルシフェリアは小首を傾げると、おもむろに目元のマスクに手を掛けた。恐らく、素顔を晒そうと思ったのだろう。
しかし、マスクが外れるよりも先に颯瑛が動いた。彼はルシフェリアに手を伸ばすと、少女の顔をマスクごとガッと鷲掴んだのである。
一体、彼女の何がそんなにも気に障るのか。まだ年端もいかぬ少女に問答無用でアイアンクローをかます国王の姿に、周りの野次馬がどよめいた。
「お、お義父様!? あの、どうされました……?」
「人でも女性でもないなら、これくらい平気だろう? ――むしろ、この程度で済ませている事を褒めて欲しいくらいだ」
「いやいや、褒めるって……一応その方、とっても尊いお方なのですが!? あと、場所を考えてください! さすがにヤバヤバのヤバです……!」
状況は全く読めないが、しかし公共の場でコレはまずい。それだけは分かる。
綾那は颯瑛を宥めようと慌てて腕を掴んだが、しかし彼は微動だにしない。それほど強い力でルシフェリアの頭を掴んでいるのだ。
仮初の姿である『顕現』した状態に痛覚はないのか、少女が痛がる素振りを見せないのが不幸中の幸いだろうか――いや、果たしてコレを不幸中の幸いと言っても良いのか。
(ど、どうしよう? 正直、「怪力」を使えばシアさんを助けられるけど……でも、王様の腕を捻り上げるのはさすがにヤバイよね!? それも、人前で――!)
颯瑛の腕を掴んだまま焦る綾那に、ルシフェリアは「落ち着いて。君は何もしなくて良いよ、僕は平気だから」と口元を緩める。本人が言うならば、確かに平気なのかも知れないが――しかしこのままでは、颯瑛の評判が平気ではない。
やはり精神的に未成熟なのか、どうも颯瑛にはキレやすい性質があるようだ。普段あれだけ無表情で何を考えているか分からないのに、気に入らない事があると、こうしてすぐ顔と態度に出てしまう。
人前で悪感情を晒すなという教育を受けているはずなのに。悪感情どころか、笑みすら上手く浮かべられないくせに――いや、恐らく輝夜を亡くして人間不信に陥る以前は、全ての感情を完璧に隠し通せていたのだろう。
ここまで向こう見ずな性格になったのは、少なくとも彼女が亡くなって、周囲の者に見限られた後の事である。
しかし、こんな姿を人に見られれば自身がどう思われるか、そこまで頭が回らないのだろうか? それとも、既に死ぬほど誤解されているから今更悪評が増える事など気にならないのか。
――何事もすぐに「もういい」と匙を投げる彼の事だ、その線が濃厚かも知れない。
綾那は彼の腕を掴んだまま、眉尻を下げた。焦るばかりで解決策がひとつも浮かばない。すると、今まで颯月の事を庇うように立っていた竜禅が、焦った様子で駆けてくる。
「陛下! その方を傷付けるのはおやめください!」
ルシフェリアは悪魔ヴェゼルにとって、親のような存在だと言う。水の管理者として生み出された、聖獣の彼にとってもそれは同じなのだろうか。
以前彼らが話しているのを見たとき、親として慕っているような素振りは見えなかったが――事実は違うのかも知れない。
「お分かりになられないのですか!? この姿は……!」
「――――ハッ……副長、冗談だろう? まさかとは思うが、コレを見て喜んでいるのか」
信じられないものをみるような――昨日の「緊張して顔が強張る」ではなく、心の底から侮蔑するような目で問いかける颯瑛に、竜禅はグッと言葉を飲み込んだ。
彼の後ろから、近付いて良いものか悩みながらも、一歩一歩颯月が歩いてくるのが見える。
相変わらず頭を鷲掴まれたままのルシフェリア。その少女を囲むようにして睨み合う颯瑛と竜禅。まるで痴情のもつれによる修羅場だ。
あの竜禅まで熱くなるとは、ルシフェリアが模したこの少女は一体どこの誰なのだろうか。
(お義父様、シアさんが死者を冒涜してるって――)
アイドクレースでは珍しい白肌に、痩せ過ぎていない健康的な肢体。そして、他でもない颯瑛と竜禅が反応する故人の女性――そこまで考えた綾那は、ハッとした。
むしろ、何故今まで少女の正体に気づかなかったのだろうか。それだけ混乱していたと言う事なのかも知れないが、さすがに察しが悪すぎる。
「あ、あの、もしかして――」
震える声で問いかければ、颯瑛はちらりと横目で綾那を見下ろした。
「私と出会った時よりもいくらか幼いが、彼女を見間違えるはずがない。神だろうが天使だろうが、悪魔だろうが関係ない。頼むから、死者を弄ぶような真似はしないでくれ――本当に最悪の気分だ、今すぐに私の前から消えて欲しい」
「この僕を悪魔呼ばわりした次は、消えろだって? 君はなかなか……可愛げのない可愛さがある子だねえ」
「可愛げのない可愛さとは、一体なんなんだ」
「……君の前から消えれば満足? 僕が消えるんじゃあなくて、君が僕の居ない所へ行けば良いだけなんじゃあないの」
「私の前でなくても同じだ。どうかその姿でうろつかないで欲しい。彼女は――輝夜さんは、もうこの世に居ないんだ。居てはいけないんだよ」
颯瑛のその苦しげな言葉に、綾那と颯月は息を呑んだ。やはりルシフェリアは、輝夜の姿を模しているのか。
力を失って以来、長らく人間の観察ができなかったと言うルシフェリア。それが何故、既に亡くなった彼女の姿を知っているのかは分からないが――恐らく、竜禅の記憶から読み取ったのだろう。
彼以外、アイドクレースに十四歳当時の輝夜を知る者は居ないはずだ。
(いや、シアさんが側妃様の姿を知っている理由なんて、今はどうでも良い。どうしてこんな酷な真似を――)
周囲の人間は颯瑛について「輝夜に病的に執着している」「彼女に似た女性を見ただけで閉じ込める」なんて誤解しているが、決してそんな事はない。
彼は綾那の笑い顔を見たって閉じ込めようとはしなかったし、この世に生まれ変わりなどあり得ないと認識して――もう二度と、輝夜に会う事は出来ないのだと正しく理解している。
今も尚深く愛しているのは確かだが、彼女の事をすっぱりと諦められているのに。そんな颯瑛の前に、よりによって輝夜の姿で顕現するなんて、こんな仕打ちはあんまりである。
彼は今、どれほどの苦痛を感じている事だろうか。
綾那は颯瑛の腕から手を離すと、まるで幼子を諭すようにしてルシフェリアに語りかけた。
「シアさん、その姿はいけません。他の姿に変えましょう、私の姿になってください」
「君の姿は、破かれるんじゃあなかったっけ?」
「破かれても構いません、さすがにこれは――悪戯が過ぎますよ。あなたは慈悲深い大天使様でしょう? お願いします」
「うーん、確かに僕は大天使だ。でも、少なくとも青龍はこの姿を見て喜んでいるみたいだけど、彼から懐旧の情を取り上げちゃうの? せっかく思い出に浸っているところなのに、可哀相だとは思わない?」
ルシフェリアの指摘に、綾那はパッと顔を上げて竜禅を見た。相変わらず仮面を付けているせいで表情が分かりづらいが、しかしびくりと体を揺らした事から、酷く動揺している様子が見てとれた。
――可哀相も何も、そもそもそんな姿で顕現したルシフェリアが悪いのではないだろうか。
颯月は竜禅を心配するように、そっと彼の肩に手を置いた。竜禅は彼を振り向いて何事か逡巡したのち、改めて颯瑛に向き直った。
「陛下、少しの間で構いません。私に――いえ、正妃様にも猶予をくださいませんか? もう二度と会う事が叶わぬお方です、彼女を懐かしむ時間が欲しい……」
「――コレは、輝夜さんじゃないだろう? 君らはこの紛い物で満足なのか?」
「それは……」
「…………いや、それで副長の気が済むなら好きにすると良い。ただし、早急に颯月の前からその紛い物を消しなさい。君らの私欲に彼を巻き込むな。颯月は関係ないはずだろう、顔すら知らない生母だ」
どこまでも冷たい声色の颯瑛に、竜禅は「しかし」と食い下がる。
「陛下の仰る通り、颯月様は生母の顔を知りません。せっかく創造神が我が主の姿を模しているのですから、これを機にお見せするぐらいしても罰は――」
竜禅は、言葉を最後まで紡ぐ事ができなかった。今までルシフェリアの顔を掴んで押さえつけていた颯瑛が、突然彼の胸倉に掴みかかったからだ。
颯月が瞠目して「陛下!」と声を上げたが、しかし彼は竜禅から目を離さなかった。




