修羅場
颯月は相当緊張しているようだった。
殺したいほどに憎まれているという話が誤解だったとして、しかし勘当された身である以上、颯瑛に声を掛けるどころか――自ら近付く事すら難しい。
それは颯月自身の気持ちの問題だけではなく、正妃と竜禅から長年「王には近付くな」と教育されてきた弊害もあるのかも知れない。
颯月は、アレで意外と素直な性質を持っている。「ダメ」と教わったルールは基本的に破れないらしいのだ。頭はともかくとして、きっと体が颯瑛を受け付けないのだろう。
そもそも、せめて人目のない場所であればまだ良かったのだが――ここは街中だ。周りは颯月の部下である騎士が囲んでいて、しかもショーの観客の中にもこの騒ぎに気付いた者が居る。
この父子が、これだけ多くの野次馬に見守られながら堂々と会話して良いはずもない。
颯月は逡巡するように視線を巡らせて、戸惑いがちに口を開きかけたが――しかしぴくりと小さく体を揺らすと、すぐさま閉口した。
フェイスヴェールで隠されているため口元こそ見えないが、唯一露になっている颯瑛の目が、見る見る内に据わったからだ。普段あれほど無表情を貫いていて、悪感情を見せると言っても眉を顰める事ぐらいしかしない、あの颯瑛が。
颯瑛は舞台へ向かおうと踏み出していた足をくるりと方向転換して、綾那を通り越して真っ直ぐに天幕を見ている。
(どうしてそんなお顔になっちゃうんですか、お義父様――)
先ほどまでの異様な雰囲気などお遊びであったと思えるような、あまりにも緊迫した空気感。
肌がヒリつくような颯瑛の視線に、綾那は胸と胃と首を同時に締め上げられるような、苦しい気持ちになった。
せっかく愛する息子と会えたのに、何故そんな――殺気すら感じるような目つきになってしまうのだろうか。これがもし照れ隠しだとすれば、この男は最早綾那の手に負えるものではない。
何せ綾那は、ここまで殺伐とした目つきの彼を見るのは初めてなのだ。それほど苛烈な眼差しを向ける唯一の相手が颯月など、冗談ではない。
颯月はこんな目を向けられて、どんな気持ちになっただろうか。彼はずっと、実父に近付かぬよう遠ざけられてきたのだ。今まで、こうして直接対峙する事などなかったはず――それがついに目通りが叶ったかと思えば、この仕打ちである。
「やはり自身は、間違いなく恨まれている」「綾那は「誤解」という簡単な言葉で、国王に騙されているだけだ」なんて、また暗い気持ちになっていたらどうすれば良いのか。
恐る恐る反応を窺えば、彼は颯瑛から視線を逸らして僅かに俯いていた。その表情ははっきりと読めないが、さすがに精神的に堪えている事くらい分かる。
綾那は眉根を寄せて颯瑛を振り向いた。「何をしても怒らない」なんて言われていたのは「表」の話である。「表」の神々の洗脳がないここでは、いくら「怪力」もちでも怒るのだ。
颯瑛本人に傷付けるつもりがなくとも、実際に颯月は傷付いている。相手が国王だろうが関係ない。いや、綾那にとっては義父なのだから、少々非難したって許されるはずだ。
――さすがにその態度は擁護できません。明らかに「照れ隠し」の範疇外ですよ。そう諫めるつもりで綾那は口を開いたが、しかし颯瑛が言葉を紡ぐ方が早った。
「……あの女性も、君の知り合いなのか」
「――へ?」
「じょ、女性ですか?」と困惑する綾那に、颯瑛は僅かに頭を傾けて、顎をしゃくるように天幕の入口を示した。そこに――颯月の横に立っているのは、謎の少女の姿を模したルシフェリアである。
(な、なんで女性の方が気になるの? 颯月さんが居るのに……?)
綾那が首を傾げれば、颯月も何か「おかしい」と気付いたのか、俯かせていた顔を上げた。
「えっと……はい、知り合い――です」
「そうか。どういう関係だ、彼女も君の身内か」
颯瑛は天幕から――いや、ルシフェリアから一度も視線を外さないまま問いかけた。その声色は通常時よりも更に固く、冷たいものだ。
そこで綾那は、いや、恐らく颯月も気付いた。
理由は分からないが、颯瑛は颯月ではなく、ルシフェリアにこの目を向けているのだと。
しかし、どういう関係と言われても回答に困る。馬鹿正直に「創造神でーす!」とか「天使でーす!」とか、言っていいものなのだろうか。
それともここは無難に、「恩人です」程度で濁して済ませるべきか。
綾那が困り顔のままルシフェリアを見やれば、仮面の少女は口元を緩やかに笑ませて、小首を傾げた。
「颯瑛は僕の可愛い末裔、王族だからね。こっそり耳打ちするぐらいなら、許してあげるよ」
「――耳打ち? いや、それはダメだろう、近すぎる」
「……ねえ、君達ホント面倒くさい。誰も君とあの子の間に割って入ろうなんて思っていないんだから、もう少しどんと構えていなよ」
今まで口を噤み大人しくしていた颯月が、ルシフェリアの提案を耳にした途端、「とんでもない」と首を横に振った。ルシフェリアはそんな彼を見返して、大きなため息を吐いている。
綾那はどうすべきか迷ったが、しかし時間が経つごとに颯瑛の纏う雰囲気が険悪なものになっていく気がする。黙っていた所で事態は好転しないし、このまま針の筵に立たされているのも辛い。
なんだかよく分からないが、さっさと吐いてしまおう――そう思い颯瑛に一歩踏み出したところで、新たな問題が現れてしまう。
「――颯月様!」
「禅」
どこからともなく駆けつけて来たのは、仮面の男――竜禅であった。もしかすると、国王の襲来を耳にした颯月自身が「共感覚」で彼を呼び出したのかも知れない。
主従契約というものを結んでいるため、竜禅と颯月は、どれだけ離れていようとも互いの位置が分かるのだそうだ。彼らを繋ぐ「共感覚」は特殊な魔法らしく――厳密に言えば、魔法ではないとの事だが――主である颯月の心情を竜禅も共有してしまう。
そして颯月の心情は今間違いなく、不安や焦燥に駆られているだろう。きっと心配で、居ても立ってもいられなかったに違いない。
例年ならば、既に領民達の暴走が始まっていてもおかしくない時間帯だが――今日ばかりは、陽香と正妃が壇上から降りない限り、領民の移動が始まらないはず。
つまり手持無沙汰なのはこの場に集まっている騎士だけでなく、街中の各所へ配置された竜禅達だって同じなのである。
だからこそ自身の持ち場を離れて、颯月の元へ駆け付けられたのだろう。さすが父親代わり、そして輝夜から颯月を託されているだけはある。
(それはそれとして、もう少しだけ後に駆けつけて欲しかったです――)
これでは事態の収拾を図るどころか、余計ややこしくなるばかりだ。颯瑛はただでさえ竜禅と話すのが緊張して苦手だと言っていたのに、こんな訳の分からない状況下で駆け付けられては困る。
しかし、綾那の焦りなど竜禅には関係がない。彼はただ、颯月の身の安全を確保したいだけなのだから。
竜禅は、颯瑛の目から隠すように颯月の前に立つ。続いて、その隣に立つ仮面の少女を見た途端に、何故か肩を跳ねさせた。彼は唇を戦慄かせると、「何を――」と低く呟く。
しかしその後すぐに、彼の唇は弧を描いた。目元こそ仮面で見えないが、頬を緩ませた様子から微笑んでいるらしい事が分かる。
「……禅?」
そんな竜禅の反応に、颯月は不思議そうに首を傾げている。
綾那としても、もう何が何やら分からない。分からないが、ひとまず颯月と竜禅の気が逸らされている内に、国王へ説明を済ませてしまった方が良いだろう。
ただ人目があるため、さすがに耳打ちはできない。綾那は数歩颯瑛に近付くと、ほんの少し彼に身を寄せるようにして囁いた。
「あの……私が異大陸の出身だと言うお話をしましたが、あの方は私の恩人なのです」
「――恩人。あの少女がか?」
「はい。ただ、『恩人』と言っても人ではなくて――こんなお話をしても荒唐無稽と思われるかも知れませんが、あの方はこの世界を創造した神様です。あの姿も仮のもので、いつもは光る球の姿をしていて……」
綾那は説明しながら、内心「こんな話、信じられないだろうな」と考えた。
ルシフェリアの正体について、リベリアスの住人に話すのはこれで二度目だが――しかし、颯月達相手に話した時とは信頼度が違うだろう。
姿こそ見えずとも、ルシフェリアは彼らの前で光って見せるとか綾那そっくりの幼女姿に化けるとか、その異質な存在についてしっかりと示してくれていたのだから。
ちらと颯瑛の顔色を窺えば、彼は片目を細めてハッと小さく鼻を鳴らした。初めて見る表情に、綾那はますます不安になった。まあ、初めて見るも何も、まだ知り合って数日なのだが。
「つまりアレは、人ではないのだな? 女性ですらないと」
「え? あ、そう、ですね。そもそも性別という概念がないと仰っていたので――ただあの、神様であると言う事は間違いないです。神様と言うか、天使様と呼ばれるのがお好きみたいですけれど……」
「はは、それはまた――面白い事を言うものだ」
その言葉とは裏腹に、颯瑛の目は一つも笑っていない。彼は深く息を吐き出すと、そこでようやくルシフェリアではなく綾那を見た。
「――死者を冒涜するような真似をするモノが、天使のはずがないだろう? 悪魔の間違いではないのか」
「えっ……」
何を言われているのかが分からず、綾那はぽかんと呆けた顔をした。
しかしその直後、天幕の入口から「ちょっと」と――まるで地を這うような低い声が聞こえて来て、びくりと肩を揺らす。
恐る恐る天幕を見やれば、「悪魔」と呼ばれたルシフェリアがこちらへ向かってズンズンと歩いてくるところだった。




