難読
あぁ……昨日ダブって誤爆した一話を上げ直しする時、編集じゃなくて削除してしまったせいで、毎日更新の記録を途切れさせてしまった……!
何という事でしょう……。
長い脚でズンズンと近付いてくる颯瑛の足取りに迷いはない。彼はまず間違いなく、綾那達が居る方へ向かって進んでいる。
ステージを注視していた観客の中にも、王の存在に気付いた者が居るのか――颯瑛を二度見してざわつく様子が見て取れる。
「ねえ……アレ、アンタに会いに来たんじゃないの?」
「わ、私に? どうして……颯月さんが気にするから、しばらく会わない方が良いって仰っていたのに」
「だからと言って、まさか騎士の天幕――颯月さんに会いに来た訳ないわよね? 確か、仲直りできなくて困ってるって話じゃなかったっけ?」
「それは、そうなんだけど……でもまだ、正妃様が舞台に居るのに」
あれだけ正妃の事を「好きだ」という颯瑛が――最前列に座って観覧していた彼が、そんな無作法をするだろうか。
(いや、そうしなければいけないような何か――緊急事態が起きたとか?)
そうでなければ、よりにもよって颯月の控える天幕に自ら近付くはずがない。
国の象徴たる王がやって来たからなのか、それとも勘当した息子が近くに居るからか。気を付けの姿勢で颯瑛の動きを見守る騎士の表情は、今まで以上に緊張している。
――それにしても、何故あの王はいつも近衛の一人も付けずにうろつくのだろうか。
「まあ、直接聞いてみるしかないんじゃないの。確実に綾那しか見てないから――てか、あの王様迫力ありすぎじゃない……?」
アリスはそれだけ言うと、まるで隠れるように――いや、明臣を盾にするようにして彼の背後に立った。彼女の指摘に改めて颯瑛を見やれば、確かに目つきが普段の四割増しで厳しい気がする。
口元が隠れているため、彼がどのような感情を抱えているのかは分からない。まあ、仮に表情が見えたところで同じ事だ。
まだ綾那は、颯瑛の誤解評論家にはなれていないのだから。
そうしてあっという間に綾那の正面に立った颯瑛は、ぴたりと足を止めた。
騎士達の囁き声が、いくつか綾那の耳に届く。どうも「団長の婚約者殿に、一体何の用が?」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは言うが、まさか婚約者殿も陛下から悪感情を向けられているのでは?」なんて、要らぬ心配をしてくれているようだ。
颯瑛を見上げれば、お世辞にも好意的とは言えない眼差しを向けられて――綾那は苦く笑って首を傾げた。
「――陛下?」
そう言って困ったように笑う綾那に、颯瑛はなんらかの言葉をグッと飲み込んで顎を引いた。
「どうしてまた「陛下」に戻るんだ」
「え? いや……人前では難しいのではありませんか? 表向きは、颯月さんを勘当していらっしゃるのですから」
「私が許しているのだから、君は「お義父様」で良い」
「……はい、お義父様」
綾那の言葉に、騎士達がますますざわついた。「なんだか分からんが、今すぐ団長に報告した方が良い」という声も聞こえてくる。もしかするとこれは、仲直りするどころか父子による修羅場が繰り広げられてしまうかも知れない。
この場に竜禅が居ない事が、唯一の救いか――それとも、かえって居ない事が裏目に出るだろうか。
「それでお義父様、どうされました? まだショーは続いているのに席を立たれるだなんて……また正妃様に、要らぬ誤解を招きますよ」
「それはそうなんだが……そのショーの事で確認がある。あの女性――羽月さんの横に立つ女性が、君の身内だと言うのは事実か?」
「陽香ですか? はい、家族ですけれど……」
「確か君も、騎士団の『広報』だったな。もしや、彼女をショーに出したのは君か?」
「ええと、厳密に言うと少し違うのですけれど……でも今のところ私が広報の責任者です。彼女がショーに出る事も知っていましたが――?」
綾那が不思議に思って首を傾げれば、颯瑛はこれでもかと眉根を寄せた。
一体、どういう感情なのだろう。見たまま不快な気持ちのか――それとも、全く違う事を考えているのか。
(うーん……全然、分からない)
いつか綾那にも、彼の心情を正しく読み取れる日が来るのだろうか。あるとしたらそれは、何年先の事だろうか。
そんな事を思いながらじっと颯瑛を見上げていると、布で隠された口元が僅かに戦慄いた。
「どうして、あんな――あんな、羽月さんのコンプレックスを刺激するような女性を横に並ばせるんだ。酷いじゃあないか、いくら義娘でもやって良い事と悪い事があるぞ」
「――こ、コン……?」
「繊維祭のショーに出演する女性は、羽月さんよりも薄く細くなければならない。彼女のために、今まで私がどれほど苦心してきたか――」
「ちょ、ちょっと待ってください、お義父様。お話が読めません」
額に手を当てて空を仰いだ颯瑛に、綾那は目を白黒させながら問いかける。
「羽月さんは、どうしても太れないんだ。本当は輝夜さんみたいになりたかったのに、小さい頃からずっと痩せていたから――太るための土壌づくりが全くできていない。今更もう間に合わないんだ」
「太るための土壌づくりとは……?」
「だから、彼女が悩まずに済むよう……少なくとも繊維祭の舞台――領民の前では惨めな思いをせずに済むよう、守りたかったのに。まさか君があんな刺客を送り込んでくるなんて」
「刺客」
「もし颯月の事で私が憎いなら、私だけ攻撃してくれ。羽月さんは何も悪くない」
彼は一体、何を言っているのだろうか。綾那が頭上に大量の『?』を飛ばしていると、明臣の陰に隠れたアリスがぽそりと「たぶん、胸の事言ってるわよ」と呟いた。
その言葉に、綾那は衝撃を受ける。
(せ、正妃様……! いつもあんなに堂々としていらっしゃるのに、実は貧にゅ――お胸が薄い事を、気にしていらっしゃった……!?)
それは本当に、大変申し訳ない事をしてしまった。
全身に厚みのある綾那ならばまだしも、よりによって――正妃と同じような体形のくせに、胸だけあるチート体形の陽香を隣に立たせてしまうだなんて。
つまり、何か? この繊維祭――ファッションショーは、本気で正妃の美を称えるためのショーだったのか。道理で、華奢を超えて貧相なモデルばかり出てくる訳である。
思えば司会者だって服の宣伝そっちのけで、ただ正妃の美しさを称えていた。しかし、あの公明正大な正妃が進んでそのような――自身の美しさを示すためだけに、他の女性を下げるような扱いをするのをよしとするはずがない。
きっとモデルの選定基準については、毎年颯瑛が裏で手を回していたのだろう。
とはいえ、少なくともあの司会の女性は、誰かに頼まれて正妃を称えていた訳ではないだろう。本心から彼女に対する憧憬を抱いているに違いない。
それはこの場に集まった、領民も同じだ。彼らだって別に、国王に命令されて正妃を称えている訳ではないだろう。
――しかし、さすがアリス。正妃と同じ悩みをもつ者である。言葉足らずの颯瑛の説明を聞いただけで、よく解読できたものだ。
綾那も師に言われたものである。「乳腺の成長が盛んな頃に激太りしたお陰で、今の綾那がある」と。あれこそが胸を太らせるための『土壌づくり』であったのだ。
綾那はあまりの衝撃にたじろぎつつも、颯瑛を見返した。
「お義父様、でも……その、ショーのモデルの選定基準――もちろん、正妃様にはお話されていないですよね?」
「…………」
「きっと正妃様がそういうコンプレックスがあると言うお話をしていたのも、まだ側妃様がご存命だった頃の事で――今も同じ思いを抱いているかどうか、確認されていないのではありませんか?」
「………………」
「それに正妃様、陽香と一緒におふざけしているの、とても楽しそうに見えましたけれど――お義父様には、そう見えませんでしたか?」
「………………………………」
何も答えない颯瑛に、綾那はまた苦く笑った。沈黙は他でもない、何よりの肯定の証である。
「――お義父様」
「確かに君の言う通りかも知れない。しかし、酷い。領民の中には――私の近くの席についていた親族でさえ、「ついに『美の象徴』が交代するかも知れない」なんて、不敬極まりない事を口走る愚か者が居た」
綾那は目を瞬かせた。颯瑛が、どこまでも本気で不快げに眉を顰めたからだ。
正妃本人も立場上、領民に侮られる事はよしとしないだろうが――それでも意外と「私ももう四十よ? いつまでも『美の象徴』なんて呼ばれ続けている事が、そもそもの間違いでしょう」と、軽く流しそうな気もする。
しかし、颯瑛の気持ちは全く違うのだろう。何せ彼は亡くなった輝夜の絵や写真に悪さをされて、静かにブチギレるほど愛情深い男なのだから。
「お義父様、今日は……誤解でも勘違いでもなく、本気で怒っておられるのですね」
「――見ての通りだ、言うまでもない。ただ、別に君が憎いんじゃない。原因を作ったのは君達かも知れないが、実際に要らぬ口を叩く者が見ていて不愉快なだけだ」
「いくらか眉を顰めているとは言え、普段とほとんど変わらない表情だから、聞いているのだ」――と、指摘するのはさすがに不敬だろうか。
いや、それはそれとして、果たしてこの場をどう収めるべきか。綾那が口で謝った所で、起きてしまった事は今更どうにもできない。
正妃は陽香と並んで領民の前に出てしまったし、陽香に対する領民からのリアクションは、予想以上に好感触だった。明日にでも陽香が新たな『美の象徴』になるとは言わないが、しかしいずれは、そう認められるようになるかも知れない。
そもそもが諸行無常、栄枯盛衰とでも言うのか――流行り廃りや老いがある以上は、いつかは誰かに『美の象徴』の座を奪われる日が来るのだ。正妃が不老不死でもない限り、遅かれ早かれこうなっていたのは間違いない。
むしろ、かれこれ二十年以上美の頂点に立ち続けた正妃の偉業が、凄すぎるのだ。
わざわざ陽香を引き合いに出して、正妃に不敬を働くなと呼びかける事は簡単だが――人の口に戸は立てられない。どうしたって、不快な内容の話が颯瑛の耳に届いてしまう事もあるだろう。
「ええと――お義父様。ひとまずこのお話は、正妃様と一緒にしませんか?」
「…………それは、羽月さんが傷ついてしまうのではないか。きっと彼女は、こんな話を聞かされたくないだろう。私が変にお膳立てしていた事なんて」
「ですが、自分の意思にそぐわない気遣いをされ続ける方が、よほど傷つくかも知れませんよ」
颯瑛は口を噤んだが、しかしまだイマイチ納得できていないようだ。
「――あとですね? お義父様の分かりづらい態度によって、他にもっと不名誉な噂が流れています。まず先に、そちらをどうにかした方が良いと思います」
「他の不名誉な噂?」
「その、なんて言うか……やっぱりお義父様はまず、もっと正妃様と仲良くしましょう。誰の目から見ても分かりやすいように」
「……参考までに、一体どんな噂が流れてる?」
「え? いや――お義父様が例年、あまりにも似たようなモデルさんばかり起用されるものですから……「ああいう女性がタイプに違いない」とか、「新たな側妃探しだろう」とか、「政略結婚で夫婦関係が冷め切っている」――とか?」
「………………………………つらい」
綾那の言葉を聞いた颯瑛は、またしても空を仰いだ。
仰いだままたっぷりと間を空けて、やがて僅かに震える声で「こんなにも羽月さんの事を愛しているのに……皆がどうしてそんな勘違いをするのか、私の悪い所を教えて欲しい」と綾那に問いかけた。
その頃になると、明臣の背中に隠れて様子を見守っていたアリスも、どうやら「この王様、結構残念な人だぞ」と気付いたらしい。
不敬だからと声を上げないよう耐えているようだが、先ほどから口元を手で押さえて、小刻みに震えているのが見える。
「やっぱり、笑わないのが一番よくないと思います。普通好きな人を見たら、自然と笑みが零れるものですよ」
「私は零れそうになるものを必死に耐えているだけなのに」
「いや、そもそも耐える必要がないような――? ほら、今だって珍しく、感情大爆発じゃあないですか。その調子で、人前でも笑えるようになりましょう? 朗らかな王様の方が皆さん喜びますよ」
「それは難しい、私にはハードルが高すぎる……どうか助けて欲しい。やはり私一人じゃあ、周りの誤解をとくなんて不可能だ――」
ふと顔の角度を戻した颯瑛の紫色の瞳は、それはもう見事な懇願の色を灯していた。震える捨てチワワのような目をした大男に耐えきれなかったのか、明臣の背後から「ン゛ンッフ!」と濁った咳払いが聞こえて来た。
「と、とにかくこの件の詳細については、他の場所で話すべきだと思います。まだ繊維祭は終わっていませんし、ここは、その……颯月さんが」
「――――――――しまった。色々とショックで、完全に失念していた……維月も席に置いて来てしまったし、すぐに戻る。騒がせて済まない……あと、壇上の女性が君の身内だと知らされる瞬間まで、私はなかなかによくない目つきをしていたと思う。君の家族を怯えさせていたら、本当に申し訳ない……」
僅かに肩を落とした颯瑛に、綾那は目を瞬かせた。もしかすると彼は、突然正妃と並んで出て来た『刺客』を睨みつけてしまったのかも知れない。
そしてその後、正妃の口から陽香について『広報』で綾那の身内だと知らされたかと思えば――ショーの途中だというのに突然席を立って、ここまでやって来たといったところか。まず間違いなく無言で、誰に何を説明する事もなく。
綾那は肩を竦めると、不敬も何も忘れて颯瑛の二の腕辺りをぽんぽんと叩いた。
「平気ですよ、陽香は元ヤンですので。ちょっとガン飛ばされたからって、ビビるような子じゃありません。むしろ「そういうの燃える」っていうタイプですから」
「……「元ヤン」が何かは分からないが、君が私を励ましてくれている事だけは分かるよ」
ようやく目元を緩めた颯瑛に、綾那はホッと息をついた。彼はそのまま踵を返すと、元居た舞台側へ歩き出そうと一歩踏み出した。
――しかし、ちょうどその時。天幕周辺に集まって、綾那と颯瑛の様子を窺っていた騎士達がどよめいた。
「ヒッ」と短く引きつった悲鳴のような声を上げた者や、「もうダメだ」と、まるでこの世の終わりのような声を出す者。彼らの尋常ではない様子に、颯瑛はぴたりと足を止めた。
綾那もまたこの異様な雰囲気の原因を探ろうと天幕を振り向いて――これでもかと困り顔になった。
天幕から出て来たのは、かなり硬い表情をした颯月と、仮面の少女ことルシフェリア。その横では、颯月に要らぬ報告をしてしまったらしい巡回騎士の一人が、「団長、あちらです!」と言って颯瑛と綾那を指し示していた。




