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宣伝

 舞台を先行して歩くのは正妃だ。本日既に、二桁を超える回数の着替えとステージングをこなして疲労困憊のはずだが、それでも彼女は悠然とした笑みを湛えている。

 その数歩後ろを進む陽香は、いつも通りの堂々とした態度だ。こんなアウェー極まりない舞台の上に立たされていても、自信に満ち溢れた表情を浮かべている。


「お揃いの服――それも、最後の最後に正妃様と並んで出てくるなんて、さすがだなあ……」

「へえ、そうなんだ。それはまた、随分と大胆な事を考えたものだね」


 綾那は驚嘆しながらも、陽香らしいサプライズに思わず笑みを零した。右京も見えないなりに綾那の言葉を聞いて、感心しているようだ。


 まるでドレスのように華やかなシルエットの、若草色をしたワンピース。スカートの後ろを飾る長く繊細なフリルが、歩く度にひらひらと揺れている。


 陽香はただでさえ細いウエストに革のコルセットを巻いているため、腰がくびれまくっている。対する正妃は、何もつけずにワンピースのみだ。それでも彼女が細い事には変わりないが、この状態で並ぶと、さすがに陽香の腰の方が薄く見える。


 先行していた正妃はおもむろに足を止めて振り返ると、陽香に向かって細い手を差し伸べた。観衆が固唾を飲んで見守る中、彼女らは互いに微笑み合いながら――手を取り合って、細長いステージを進み始める。


 観客どころか、司会の女性さえ何も言わずに呆けた顔で二人を見ている。

 司会の耳に事前情報が入っていないとは――もしや繊維祭の運営には話を通さずに、正妃と陽香の二人だけで企てた事なのだろうか。そうだとすれば陽香だけでなく、正妃にも意外とお茶目な一面があるのかも知れない。


 恐らく観衆の頭の中は今、疑問で埋め尽くされているだろう。歓声は上がらないまま、やはりどよめき声だけが辺りに響く。

「あの正妃様そっくりの女性は誰だ」「二人はどういう関係だ」「親類なのか」「しかし、髪色からして異大陸出身だぞ」と、酷く戸惑いながら陽香の正体について探っているようだ。


 そんな異様な空気感の中綾那は、並ぶ陽香と正妃の二人に魅入られたようにステージを注視していた。身内の目から見ても、今日の陽香は本当に素晴らしい。百点満点である。


 普通、長年アイドクレースの『美の象徴』として君臨しているような女性の隣を、あんなにも自信満々に歩けるだろうか。それも、身に着ける小物こそ違えど、全く同じ服装で――これはもう、全力で称えなければならない。


 どよめいてばかりで、拍手する事すら忘れてしまった領民達。綾那は、さざ波に揺れる水面へ大岩を投げ入れるつもりになって、満面の笑みで大きな拍手をした。

 ルシフェリアを抱いているためなかなかに拍手しづらかったが、パンパンと乾いた大きな破裂音は、呆然自失といった様子の領民の意識を取り戻すには十分だろう。


 そんな綾那を見上げた右京が、やや逡巡したのち同じように拍手してくれる。そうして辺りに二人分の拍手が鳴り響けば、綾那達を起点にして観客達のまばらな拍手が伝播(でんぱ)していく。

 遠いところから舞台近くまで順に伝わる拍手は、まるで舞台へ押し寄せる大津波のようだ。


 まばらだった拍手は徐々に揃い、指定席に腰掛けていた観客が一人また一人と立ち上がって歓声を上げ始める。スタンディングオベーションというヤツだ。

 きっと領民はまだ混乱しているだろうが、正妃と並ぶ陽香を――訳も分からず――受け入れてくれたようで、ひと安心である。


「――ねえ君、「水鏡(ミラージュ)」のマスクは持ってる? しばらく貸してくれないかな」

「えっ? あ、はい、持っていますよ」


 割れんばかりの大歓声の中、突然ルシフェリアに声を掛けられた綾那は、一旦舞台から視線を外して己の鞄を漁る。するとルシフェリアが突然「もう降ろして良いよ」と言ってきたので、目を瞬かせた。

 あれだけ頑なに自分の足で歩きたがらなかったのに、一体どういう風の吹き回しなのか。


(でもたぶん、これも『予知』に関係する事なんだろうな)


 綾那はそう考えながら、腕の中の男児を地面に降ろした。そうして自由になった両手でマスクを探し出すと、ルシフェリアに手渡してやる。

 しかし、綾那が使用する分には問題のなかったそれも、三歳児が使うには大きすぎる。


「シアさん、貸すのは構わないのですけれど……サイズが合わないのではありませんか?」

「うん? 平気だよ、ちょっと待っていて」


 ルシフェリアはそう言って笑うと、音も無く忽然と姿を消した。「えっ」と瞠目する綾那と、男児の姿を探すように周囲を見回す右京。いつもならば殺人的な光を放って姿を消すのに、こんな事は初めてである。


 そもそも「ちょっと待っていて」と言われても、いつまで待てば良いのか。ルシフェリアの予知は確か、「ショーの終わり頃に注意しろ」だ。正にその終わり頃である今、姿を消されるのは困る。


(顕現を解いたらいつもの光球姿になるはずなのに、それも見当たらない……私のギフトが取り上げられた訳でもないのに、どうして見聞きできないんだろう)


 綾那は途端に落ち着かない気持ちになって、辺りをキョロキョロと見回した。ルシフェリアの予知ありきで行動するつもり満々だったのに、いきなり放り出されては右も左も分からない。


 ――なるほど、こういう所が「他人任せの甘えん坊」と評される原因なのか。しかし今そんな気付きを得られたところで、事態は一つも好転しないのである。

 何やら、周囲を満たす大歓声と拍手の音にさえ不安を煽られてしまう。この盛り上がりの裏で「転移」もちが動いているのだと思うと、言いようのない気持ち悪さを覚えるのだ。


「ちょっと、水色のお姉さん平気? 迷子みたいな顔してるけど」


 右京はそのまま「どっちかと言うと、状況的に迷子になったのは創造神の方でしょう。あんな小さな子が姿を消しちゃったんだから」と、冗談なのかどうなのか分かりづらい言葉を続けた。


 彼の言葉に、綾那は一旦気持ちを落ち着かせようと小さく息を吐いて、苦く笑いながら「そうですね」と相槌を打った。

 すると突然、何者かに背後からグイと腕を引かれて瞠目する。慌てて振り向けば、綾那の腕を掴んでいるのは桃華と同じ年頃か――もう少し幼く見える少女だった。


 腰まで伸びた黒髪はふわふわとした猫っ毛で、アイドクレース民には珍しい輝くような白肌。

 体つきも健康的と言うか――決して太っている訳ではないが、綾那と同じく領民の女性からは「はしたない」と陰口を叩かれそうな体つきをしている。


 一瞬、迷子か人違いだろうかとも思ったが、しかし少女の顔を見た綾那は「あれ」と首を傾げた。


「……シアさん、今度は誰の姿を借りられたんですか?」

「ふふ、内緒」


 つい先ほど綾那が貸与したばかりの、「水鏡」のマスクで目元を隠した少女。その声色は間違いなくルシフェリアのものだったが、しかし綾那はこんな姿をした少女を見た覚えがない。


 まあ、見覚えも何も、そもそも顔を隠されているのだが――それにしたって肌色と言い体つきと言い、アイドクレースでこんなに目立つ少女が居れば、記憶に残るはずだ。

 何せまだ年若そうとは言え、明らかに()()()()()()である。こんな少女に彼の間近をうろつかれたら、正直言って一時も気が抜けない。


 困惑する綾那と右京を置き去りにして、見知らぬ少女の姿を借りたルシフェリアは、綾那の腕に自身の腕を絡ませた。


「男の子の姿で君に絡むと颯月(あの子)が怒るし、十四歳の君の姿を借りると「破かれる」って言うし……仕方ないから、他の女の子の姿を借りただけ。あまり深く考えなくて良いよ、今後動きやすいように体を大きくしたかったんだ」

「それは――なるほど……? でもあの、あまり颯月さんの好みに近い女性に化けられると、こちらが不安になってくると言いますか……も、もう少し痩せた女性にはなれませんか? できれば颯月さんから、「スケルトン」と言われるくらい――」

「はは。君達って本当に面倒くさいよね」

「――痴話喧嘩の仲裁は護衛の業務外だから、絶対に僕を巻き込まないでね」

「い、いや、ええと……なんだかごめんなさい」


 僅かに肩を落とした綾那。しかしルシフェリアは一切気にした様子がなく、「とにかく、ショーを見届けようか」と言って綾那の腕を引いた。

 綾那は頷いたものの、「颯月さんがシアさんに反応しちゃったら、どうしよう……」と内心穏やかではなかった。



 ◆



 ステージの端まで歩いた陽香と正妃は、他のモデルと同じように踵を返して舞台の中心まで戻る。そこで正妃は、いまだ呆然としている司会者の女性に手を差し出して、マイクの魔具を渡すよう要求した。

 司会の女性が慌ててマイクを手渡すと、正妃は立ち上がったままの観衆をぐるりと一瞥する。


「――今年の繊維祭は、『メゾン・ド・クレース』の宣伝で閉幕します」


 彼女の凛とした声がマイクで拡張されて、辺り一帯に響いた。観衆から拍手が巻き起こり、それが落ち着くのを見計らうと改めて口を開く。


「皆さん、彼女がどこの誰なのか気になっている事でしょう。端的に申し上げると、彼女はアイドクレース騎士団の広報を務める女性の一人です。それが何故こうして私と並んでいるかと問われれば、少々説明が難しいのですが――まあ、現騎士団長を通して知り合ったとだけ言っておきましょう。彼が愛する婚約者の、身内なのです」


 その言葉に、またしても広場にどよめきが走った。

 聞こえてくるのは、「アレが噂の『広報』なのか」「正妃様そっくりで美しい」「いや、彼女こそが騎士団長の婚約者ではないのか?」――そして「あんな女性と働けるなら、騎士も悪くないのでは?」である。

 そんなざわついた空気に一切構わず、正妃は続けた。


「彼女は、騎士の素晴らしさと過酷さを世に伝えるため広報という職についています。本日こうして催しに参加した事も、騎士団の知名度を上げるための職務の一環です。騎士が居なければ、領民の――国民の安全は守られません。どうか皆さん、その重要さと大切さを正しく理解してくださいね」


 正妃の問いかけに、爆発的な歓声が上がる。「正妃と仲良しアピールができれば、陽香がファンに刺される事はない」という目的の元、彼女に助力を頼んだ訳だが――まさかここまで『広報』のお膳立てをしてくれるとは思わなかった。

 本当にありがたい事である。


 大歓声の中、正妃はおもむろに陽香へマイクを手渡した。

 彼女は不敵とも言えるような自信満々の笑みを浮かべて、開口一番「チーーッス!!」と、あまりにも――あまりにも「あ、なんか喋ったら、台無しだぞコイツ……」と思われるような挨拶を告げた。


 大歓声を上げて拍手をしていた領民達は、ぽかんと呆気にとられたように静まり返ったが、しかしそれは一瞬の事だった。正妃そっくりの麗しい姿と天真爛漫な中身のギャップがウケたのか、会場はドッと笑いで溢れたのである。


「えー、ただいまご紹介に賜りました、広報の陽香! 陽香! 陽香でございます! 名前と顔だけでも、覚えて帰ってくださーい」


 選挙活動中の政治家か、はたまた漫才師の口上か。相変わらずのノリに、綾那は「これでこそ陽香だ」と頷いた。

 つい先ほどまで厳かな正妃の独り舞台だったのに、あっという間に陽香のおふざけで染まってしまった。


 陽香は笑いを交えながら、「正妃の力添えがあったお陰で、こうしてショーに出られた」「正妃と団長の仲が良いから、そのお零れを頂いた」と、嫌味にならない程度に正妃を持ち上げた。

 正妃は彼女の横で、まるで玩具で遊ぶ子猫を見るような表情で目元を緩めている。


「――あ、ちなみにこの後、大衆食堂『はづき』さんで騎士の宣伝動画第二弾が配信される予定なんで! 小腹も空いてきた頃でしょーし、目当ての服買った後にでも『はづき』さんとこ行ってみてくださいねー! ……ああ! コレ! 今あたしらが着てるコレ、『メゾン・ド・クレース』のヤツだから! できれば買って!」


 陽香の言葉に、観衆はワッと盛り上がった。服の宣伝をするはずのショーが、すっかり騎士団広報の宣伝の場になっている。

 ワイワイと盛り上がって収拾がつかなくなった会場。その壇上ではまだ、陽香と正妃の和やかなやりとりが続いている。


(意外と、「胸があるからはしたない」なんて言葉は聞こえてこないんだよね……やっぱり陽香のキャラが良かったのかな?)


 全身真っ平の正妃と、胸だけはそれなりにある陽香。二人が並んでいるとその違いは一目瞭然で、確かアイドクレースでは「全身真っ平」が至高なのである。

 それでも陽香を揶揄する声が聞こえてこないのは、素晴らしい。これは颯月の目論見通り、『美の象徴』に一石を投じられたと言う事か。


 ――とりあえずこの調子なら、大食い大会の動画を配信しても陽香が刺される事はないだろう。油断は禁物だが、視聴者が丸々敵に回るような事はないはずだ。


「――ねえ、もうちょっと天幕に寄ろう」

「え? あの、できれば最後まで見たいんですけれど……」


 途端にルシフェリアに腕を引かれた綾那は、盛り上がる壇上と少女を交互に見て眉尻を下げた。その様子に、ルシフェリアが呆れたように息を吐く。


「今日の目的を忘れたの? そろそろ()()()()だよ」

「――あ。ご、ごめんなさい……」

「分かったら、天幕の近くに居よう。舞台から離れたって、魔具があるから声は届くでしょう」

「はーい……右京さん、天幕まで戻りましょう」

「よく分からないけれど、もう良いの?」

「はい、あとでアリスに映像を見せてもらう事にします」


 綾那は後ろ髪を引かれるような思いになりながらも、舞台に背を向けて踵を返したのであった。

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