予想外
昼にスタートしたファッションショーだが、あっという間に時間が過ぎてもう十五時前だ。
夜に花火――もとい合成魔法を打ち上げる夏祭りと違い、繊維祭はこのショーが終わり次第早々にお開きになるそうだ。
むしろお開きになった後こそ、服飾関係者にとっての本番。領民は、ショーで見て気に入った服を購入するために街中を奔走するらしい。
当然、すぐさま購入できるようにと舞台近くの好立地へ露店を出している者もいるが――やはり盗難の恐れがある屋外では、あまり在庫を保管していられないのだろう。
立ち見客の中にはショーの途中にも関わらず露店へ足を向けている者も多く、既にソールドアウトの看板が目立つ状態だった。
どうも指定席の観客については、一度でも退席すると再入場できない仕組みのようだ。
後ろで立ち見客が服を手に入れている様子をソワソワと気にしているが、それでも席を立つ者は居ない。ステージ間近でモデルを見られる権利と引き換えに、フライングゲットは決して許されないのだろう。
立ち見客はその逆だ。ステージが遠い代わりに、割と自由に身動きが取れる。
ショーの途中でも買い物できるが、決まった席がないため、場所を離れる度に元居たスペースを他人に奪われる。商品の確保を優先すると、どんどんステージから遠のいて行く訳だ。
――さて、服を買いたいのに露店がダメならどうするか。狙いの服を手にするため、まだ在庫を抱えているであろう各店舗へいち早く向かうしかない。
ゆえにこのショーが終わると同時に、観客の大移動が始まるそうだ。
騎士が一番忙しいのは正にその瞬間らしく、これだけの人波が一斉に大移動を始めるのだから――それはもう、大混乱が起きるに違いない。
人と人との衝突、ドミノのように引き倒されて大怪我。どさくさに紛れての窃盗や痴漢、盗撮。街中に点在する服屋にて巻き起こる、限られた在庫を巡る争奪戦は時に暴力沙汰をも引き起こす。
ショーが始まる前から結構忙しそうにしていた気がするが、きっと騎士にとってあんなものはウォーミングアップに過ぎない。まだまだ序の口なのだろう。
領民が本領を発揮するのは、閉幕後なのだから。
(いやいや、今考えるべきは、そういう事じゃあなくて――)
綾那は桃色の瞳を不安げに揺らしながら、舞台上を見つめ続ける。
本日、遠目とは言え舞台上を颯爽と歩く正妃の姿を目の当たりにして、彼女が長年『美の象徴』として君臨している事に深く納得した。折れそうなモデル達の合間を縫って繰り返し舞台上へ現れた正妃は、終始一貫して素晴らしかったのだ。
どんな服を着たって服に着られる事がなく、まるで全てが彼女のために誂えられたかのような――いや、実際そうなのだろう。
きっと服屋で販売される既製服のほとんどが、彼女の体のサイズに合わせて作られているに違いない。『正妃サイズ』の服こそが、アイドクレース領に住む女性にとって美の指針となるのだ。
舞台上には空に浮かぶ魔法の光源から絶えず陽光が降り注いでいて、日影は一切作られていない。このうだるような暑さの中、短時間での着替えと繰り返されるウォーキングは気力と体力を消耗する。
そんな状態にも関わらず、正妃は暑さも疲労も感じさせない表情で――時には観客の声援に笑みさえ浮かべて、ステージ上を往復し続けた。その精神力、胆力たるや、並大抵のものではない。
彼女は、生まれながらにして国母となるよう育てられた女性だ。恐らくは、公の場で悪感情を露にしてはならないというポリシーがあるのだろう。
似たような育てられ方をした颯瑛と決定的に違うのは、見せないのがあくまでも悪感情だけで、笑みをしっかりと見せてくれるところか。
――それはさておき。
綾那が見て記憶した限り、服を代えて複数回ステージ上を歩いたモデルは、正妃の他に一人も居ない。
正妃よりも細い、華奢どころか貧相な体つきのモデル達は『正妃サイズ』の服を着こなせずに、どこかあか抜けない出で立ちでランウェイを歩かされた。
正妃が登場するたび、服の宣伝どころか彼女の美貌のみ喧伝する司会者。そして、大歓声を送る観客。
確かこの催しは、「秋服を販売するから、皆さん買ってね」という、服屋にとって一大イベントだったはずだ。
しかし、まるでこのファッションショーは――いや、繊維祭そのものが、彼女の美貌を称えるためだけに存在しているかのような独擅場であった。
当て馬のような扱いの他のモデル達の事を考えると、やはり引っかかるものはある。
せめて司会者だけでも公平に「美しい」とか「この体形を維持するには、並大抵の努力では無理」とか、彼女らの頑張りを褒めてあげて欲しかった。
そうして褒め言葉と共に登場させれば、観客だってただ拍手して流すなんて、そんな冷めた出迎えをせずに済んだのではないだろうか。
しかしまあ、綾那の目から見ても正妃は美しいし、尊敬できるし――特別崇め奉られる理由もよく分かる。領民だって十二分に盛り上がっていたし、きっと毎年こういうものなのだろう。
「残すところ、あと一店舗の紹介で今年の繊維祭は閉幕します。ショーのフィナーレを飾るのは、もちろん正妃様です!」
司会女性の熱のこもるアナウンスを聞いて、右京がこてんと首を傾げた。
「……あれ、オネーサンっていつの間に出たの? 次が最後で、しかも出るのは正妃様だって言っているけれど」
「ええと、出るはずだったんですけれど……まだ出てないですね」
「どうしたんだろうねえ。赤毛の子、緊張してお腹でも壊したんじゃあないの?」
「い、いや、それはさすがに――陽香もアレで、プロですから……」
正妃がフィナーレを飾るのは当然だ。彼女が最後のダメ押しで姿を見せるからこそ、指定席に座る観客は店舗にフライングする事なく、閉幕までおとなしく座っていられるのだ。
これがもし他のモデルだったら、登壇を待つ事なく無情にも席を立ち、誰もがこぞって店舗へ走っていたに違いない。
(それは分かるけど……ショーに出演するはずの陽香が一度も姿を見せなかった理由は、全く分からない)
綾那が舞台裏で彼女を見た時、既に着替えは済んでいた。あの時間あの場所に居たと言う事は、土壇場で出演を取り消されるなんてトラブルにも見舞われなかったはずだ。
だと言うのにステージに上がってこないなんて、いくらなんでもおかしい。
(まさか、シアさんの予知よりも早く「転移」もちが現れた? アリスに何かあって、その対処に追われているんじゃあ――)
綾那の背中を、暑さとは全く関係ない嫌な汗が流れた。ちらりと腕の中のルシフェリアを見やったが、しかし小さな頭を横に振られるだけだ。
それが意味するところはつまり、「そんな事は起きていない」または――「何が起きているのか分からない」の、どちらかだろう。今すぐに色々と問いただしたい思いはあるものの、隣に右京が居てはそれも叶わない。
綾那はますます不安になって、辺りを見回した。ショーの様子を撮影しているであろうアリスの姿を探したのだ。
素の金髪で居てくれれば目立って良かったのだが、あいにくアリスは、悪魔憑きと勘違いされぬよう黒髪のウィッグを被っている。そもそもこれだけ人が集まっている場所では、仮に見つけたところでそう簡単には近付けなかっただろう。
ルシフェリアの予知を聞いても、「詳細を聞いたって教えてもらえないし、結局なるようにしかならない」「どうせ自分はルシフェリアの助言通りに動くしかない」と、悪い方面へ達観していた事が裏目に出た。
綾那は陽香の出順どころか、アリスがどの位置から撮影しているのかすら全く気にしていなかったのだ。
(いや、ステージ全体を綺麗に映そうと思ったら――たぶん、高い所からだ。結構離れた位置で撮影しているか……もしかしたら、舞台裏や袖から撮影している可能性も?)
まあなんにせよ、アリスについては「明臣の傍に居れば、なんだかんだ平気」というルシフェリアのお墨付きを頂いている。だから彼女については、そこまで不安視しなくてもよいのだろうが――ならば、陽香は?
次で最後。それも出るのは正妃だと、今しがたハッキリとネタバレされてしまった。つまり陽香は、出てこないのだ。理由は全く分からないが、何かしら不測の事態が起きたのだろう。
どうしてリベリアスには電話がないのか。連絡を取り合いたくとも、相手が今どこで何をしているのかさえ分からないのでは、対処の仕様もない。思わず唇を噛んだ綾那の耳に、周囲の立ち見客が話す声が届いた。
「次で最後か、今年もあっという間だったな」
「最後は間違いなく『メゾン・ド・クレース』よね! 王族御用達のあの店が、一度も紹介されずに終わる訳がないもの」
そのメゾン・ド・クレースの服を着て歩くのは、他でもない陽香のはずだ。桃華の母も、今年は正妃にモデルを頼まないと言っていたのに――。
陽香は綾那と別れ際、「正妃と親交を深める」と言っていた。まさか失敗したのだろうか? いや、あの人たらしの陽香がありえない。
そうして思案に耽る綾那の耳に、浮足立った領民の言葉が次から次へと入ってくる。どうも中年夫婦とその娘が、会話に華を咲かせているようだ。
「それにしても、今回のモデルは例年以上に細かった気がするな。全身正妃様より細くないと出演を認めないって、確かアレ、陛下が作られたルールなんだろう?」
「そういう噂もあるわね。やっぱり、正妃様みたいなお方がお好きなのよ。あれほど美しい女性は他に居ないもの」
「いや、去年王族の方に最前列へ招待してもらったっていう、腕利きの傭兵から聞いたんだがな? 陛下は、正妃様が登場したってぴくりとも笑わないって話だぞ。政略結婚で、夫婦関係が冷めきってるって噂もあるぐらいだ」
男の話に、女は軽く肩を竦めた。
「ええ? 笑わないも何も、陛下は公式行事の時いつもフェイスベールで口元を隠されているじゃない。元々そんなに感情を露にするような方じゃあないし……どうして笑ってないなんて分かるのよ」
「そんなもん、目元で分かるだろ。あれだけ綺麗な嫁さんが居ても、やっぱり陛下も男なのかねえ……繊維祭で新しい嫁さん探しをしているに違いないな。好みの女だけかき集めてさ」
「ちょっとお父さん、滅多な事言わないでよ! っていうか、もしそうだとしても陛下は一夫多妻制なんだから悪い事じゃないし!」
「まあ、そうよねえ――子供が維月王太子殿下一人しか居ないなんて、過去の王様と比べたら少なすぎて不安だわ。人生何があるか分かったものじゃないし、跡継ぎは多い方が良いわよ」
嘆くような口調でため息を吐き出した母親に、娘はどこかムスッとした顔つきになった。
「一人じゃないでしょ、殿下には素敵なお義兄様がいらっしゃるじゃない……か、勘当されちゃってるけどさ」
「ええ!? ちょっと、もう――本当にバカな子ねえ。いい加減目を覚ましてちょうだい。広報動画だかなんだか知らないけれど、ほんの一部分を切り取っただけのものを見て憧れるなんて、馬鹿げてるわ。それも、一生悪魔憑きに懸想するなんて――」
「はあ? 良いでしょ、別に! 私が誰を好きで居たって、お母さんに関係ないし! お母さんも『はづき』で一度見てみれば良いのよ、どれだけ素敵な人か分かるから!」
「いやいや……お母さん、そういうのはいいわよ」
「もう! 見ないなら黙っててよね!」
王族だけでなく颯月にとっても不敬、下世話とも言えるような内容に、綾那はなんとも言えない表情になった。
ちなみに彼と同じ悪魔憑きの右京はすっかり慣れているのか、全く気にしている様子がない。「悪魔憑きに対する周囲の反応は、こういうものだ」と言わんばかりの悟り顔である。
(大衆食堂で流している動画を見て、颯月さんファンを公言する人は増えたけれど――やっぱり、皆が皆、好意的な訳じゃあないんだよね)
それは至極当然の事だったが、綾那の胸中は複雑だった。無実の彼が悪し様に言われるのは、もちろん不快だ。それならあの娘さんのように懸想してもらった方が良い。
しかし颯月と相思相愛となった今、彼の事を慕う女性が増えすぎるのもあまり喜ばしい事ではない。自分で颯月の『よさ』を宣伝をしていおいて、全くもって難儀な事である。
(と言うかお義父様、今度はどんな誤解なんだろう)
もしあの立ち見客が話す言葉が事実だとすれば、一体どんな意図があって「正妃よりも全身細くなければ、ショーに出演する資格はない」なんてルールを作ったのだろうか。
彼は別に、痩せている女性が好きな訳ではないはずだ。そうでなければ輝夜に一目惚れしなかっただろう。
正妃を見てもぴくりとも笑わないと言うのは、まず間違いなく「人前でだらしなく笑ってはならない」という、彼独自のルールがあるからだ。
これはまた、彼と話す機会があれば是非とも真意を確認したいところである。最早綾那は、彼の受ける『誤解』の答え合わせをする事に楽しみを見出していると言っても過言ではない。
――勝手に流れて来た噂話に耳を傾けたせいで、すっかり意識が逸れてしまった。
改めて気を引き締め直さねば。とにかくまずは、陽香の身に何が起きているのか確認するためにも舞台裏へ足を運ぶべきか。
移動を促そうと護衛の右京へ視線を落としたその時、領民から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。どうやら、正妃が最後のウォーキングをするために舞台上へ現れたらしい。
女性司会者が飽きずに正妃がいかに素晴らしいか口上を述べ始めて――しかしそれは詰まり、いきなり途切れた。彼女のもつマイクの魔具が、「エッ」という驚嘆の声にエコーを掛ける。
それと同時に大歓声を上げていた者は黙りこくって、拍手をしていた者も両手を宙でぴたりと止めた。一瞬の沈黙ののち、舞台周辺は驚嘆とどよめきの声で埋め尽くされる。
綾那は瞠目して、その腕の中ではルシフェリアが「なるほど、そうきたか~」と笑みを零した。
「……陽香だ」
「あ、オネーサン出てきたの? ……まさか、正妃様と並んで?」
背が低いせいで舞台を見る事のできない右京の問いかけに、綾那は放心気味で頷いたのであった。




