美の象徴
ついに、ショーが始まった。
録音なのか、それともどこかで生演奏しているのか――軽快な音楽が流れてきたかと思えば、舞台上に司会らしき妙齢の女性が現れた。
「大変長らくお待たせいたしました」と、お決まりの文言で始まったショー。
モデルが登場して領民の前を歩き、通路のように伸びたステージの端まで行くと、踵を返して舞台裏へ戻っていく。入れ替わりでまた別のモデルが現れて、ステージを歩いて――その繰り返しだ。
司会の女性は、まず舞台上のモデルが着用している服がどこの店のものなのか説明する。
そして、どういった素材で作られているとか、著名なデザイナーが手掛けたものだとか、観客の購買意欲を刺激するような宣伝文句を告げるのだ。
確か「表」で行われるファッションショーは、ここまで露骨に「これは良いものだぞ、とにかく買え」とは主張しない。
もちろんブランドありきの部分もあるが、華やかで人気のあるモデルを起用する事で話題を攫い付加価値をプラスして、見る者の購買意欲を間接的に刺激する手法が多いだろうか。
まあ、服やブランドの宣伝をしているという意味では、やっている事は変わらない。
そもそも「表」と違い、ネットやテレビがない世界なので、国内の誰もが知る人気モデルや有名人が生まれにくい。だからモデルの知名度ではなく、多少露骨な宣伝方法になるのはある程度仕方がないのかも知れない。
唯一の例外は、やはり国民が知る正妃だろうか。綾那は腕に抱くルシフェリアと共に舞台を眺めながら、はわわと唇を戦慄かせた。
「お、折れそうですね――!」
「折れそうだねえ。君が指先で小突いただけで、皆粉砕骨折しちゃうんだろうな~」
「え、ちょっとお姉さん……面倒は起こさないでよね。僕、護衛するだけで手いっぱいだよ?」
「いやいや、そんな事しませんよ!?」
ルシフェリアと右京のあまりにもな言葉に、綾那は「遺憾の意を表明します!」と嘆いた。
なにゆえ綾那がこの忙しい日に、騎士――ひいては、颯月の世話にならねばならぬのだ。そもそもなんの恨みがあって、罪のないモデル達を小突くのか。綾那とは違い過ぎる体形により生じる妬みとでも言うか。
いや、しかし、冗談抜きで折れそうなモデルばかりである。「表」のモデルだって華奢で、咳をしただけで肋骨が折れそうだなーなんて思う体つきをした者は多い。
アイドクレースはただでさえ『痩せこそ至高』の領であり、街行く人々も皆、細いのだが――今日この舞台に立っている者は、そこらの『痩せ』を軽く凌駕してしまっている。
(颯月さんが卒倒しちゃう)
下手をしたら、正妃よりも細い骨が居る。
もしかすると、「象徴」の正妃よりも美しい者は居ない――であればせめて、彼女より細くなければこの場に立つ資格はない、という民意でもあるのだろうか。
棒切れのような足に一切の厚みがない体のラインは、一見すると背の高い小学生と思わなくもない。あれならいっそキッズモデルを起用する方が早いし、よっぽど健康的だろう。
本来それなりの肉付きがあってしかるべきの妙齢の女性がアレでは、華奢を超えて貧相とも言えるスタイルだ。
(うーん……皆可愛いけれど、細過ぎて服の布が余っちゃっているような――勿体ない)
もしも彼女らのスタイリストがアリスだったら、絶対にあの状態ではステージに上がらせてくれなかっただろう。
少なくとも「創造主」で布の余っている部分を詰めて、もっと体のラインが美しく見えるように調整したはずだ。いや、最早「その体形でその服はナシ!」と言って、服そのものを交換していたかも知れない。
ただこの催しは決してモデルの魅力を引き出すためではなく、あくまでも新しい秋服を披露するためのものだ。だからリベリアスでは――というか、アイドクレース流はこれが正解なのかも知れない。
しかし、本当にアイドクレースの領民はコレが良いのだろうか。綾那の目からすれば正妃も細いが、このモデル達の痩せ方は正妃を超えて病的な気がする。
綾那が颯瑛に聞かされた、彼が輝夜と出会った頃の話――当時は正妃と張り合うために、彼女よりも細く病的なスタイルの女性が街に溢れていたらしい。もしかすると、このような女性ばかりだったのだろうか。
だとすれば、恐ろしい街である。綾那はまず出歩けない。
本気でこれらが美しいという価値観を持っているとすれば、観客席の領民はさぞかし大きな歓声を送るのだろう――と思ったが、しかし彼らはただ、モデルを拍手で迎えているだけだ。
(あくまでも正妃様が『至高』なのであって、とにかく痩せている女性が良いって訳じゃないのかな?)
別にモデルにブーイングを投げかけている訳ではないし、綾那が街を歩いている時のように小声で「はしたない」と眉を顰める訳でもない。
だからと言って、特別好意的な反応を示している訳でも、彼女らの美しさに陶酔している様子も見受けられない。
どうやら痩せていれば痩せているほど、体が薄ければ薄いほど美しいという訳ではないらしい。やはり痩せこそ至高ではなく、正妃こそが至高なのか――全くもってアイドクレース民の好みは難しい。
(でも正妃様が基準になるなら、陽香は領民から好まれるに違いないよね)
正直言って彼女は、もっと髪を伸ばして黒染めすればほぼ正妃である。年齢と胸元辺りの厚みこそ違うものの、きっと観客を湧かせてくれる事だろう。
そうして陽香の登場を今か今かと待ちわびていると、突如として大歓声が巻き起こる。老若男女問わず大喜びで、綾那は目を白黒させて舞台上へ視線をやった。
今にも折れそうなモデルと入れ替わりで舞台上へ現れたのは、アイドクレースの美の象徴――現国王の正妃、羽月その人だった。
◆
正妃の登場は、これで六度目だろうか。高い外気温だけでなく集まった観客の熱気に、さぞかし体力を奪われるだろう。
そんな環境で何度も衣装を変えて人前を歩き続けるのは なかなかに負担が大きそうである。それでも彼女の表情は、初登場の時から一つも変わらない。ずっと涼し気で凛としているのだから感心する。
本来ならば正妃という立場上、ショーのファイナルを飾るべきなのだろう。しかし彼女は、本日着て歩かなければならない衣装が多すぎる。着替えの時間だってあるし、早い内から出演ノルマをこなしていかねば、ショーが終わるまでに全ての衣装を宣伝できないのだろう。
「わあ……やっぱり凄い人気ですねえ、正妃様」
「そうだね。僕の好みじゃあないけれど、美人だとは思うよ」
「まあ、うーたんさん。お口が悪いですよ」
「うーたんさんはやめて」
もう六度目だが、それでも司会の女性は興奮を抑えきれないようだ。
他モデルの時は「服の宣伝をする」という職務を全うできていたのに、正妃が出てくる度、服ではなく彼女の美しさのみを称えて終わってしまう。
そうなる気持ちも分からなくはないが――しかし『美の象徴』に熱を上げる領民と比べて、随分とフラットな目線で見ている綾那からすれば、「なんだか他のモデルがおざなりにされているみたいで、悲しい」である。
曲がりなりにも司会者ならば、ショーを公平に盛り上げて欲しい。
(そこ行くと陽香は、ああいうの得意で良いなって思うんだけど。人と仲良くなるのも早いし、よく周りを見てくれるし……大食い大会でも、ほぼ初対面の若手騎士さんと難なく絡んでたし。司会回しの才能に溢れているよね)
もちろん身内の欲目はあるだろうが、彼女が繊維祭の司会を務めればまた一味違う面白さがあったに違いない。
ただ、観客の盛り上がり方を見るに――アレはアレで正解なのだろう。絶対に正妃が着ていた服が欲しいと思う者は多い。そう確信するほど、彼女の着こなしはどれもこれも素晴らしいのだから。
六度目のステージを歩き始めた正妃の恰好は、いつものフォーマルドレスとは全く違うパンツスタイルだ。
上品なフリルがふんだんに使われたブラウスは涼し気な水色、下はクリーム色のサブリナパンツ。靴だけは普段履いているのと同じ、紫色のハイヒールだ。やはり着用する者が華奢だからか、フリルが多くても膨張して見えない。
(あれだけフリルがあっても、シルエットが凄く綺麗! 羨ましいなあ)
颯瑛が正妃について「痩せているから好きなのではなく、あのスタイルが羽月さんには似合うから好きだ」と言っていた意味がよく分かる。
颯月は彼女に対して骨だなんだと言うものの、不思議と痩せ過ぎとは思わない絶妙なラインなのだ。
いや――つい先ほどまで病的に痩せたモデルを見ていたから、余計にそう思うのだろうか。今まで拍手のみでモデルを迎えていた領民も、終始大歓声を上げている。
「ねえ、赤毛の子っていつ出てくるの?」
「え? あれ、シアさん視てご存じなのでは……?」
ルシフェリアの問いかけに、綾那は思い切り首を傾げた。
今日アリスがどうこうなる事を予知したのならば、ショーがどうなったかも知っているのではないのか。何せ最終的に聞かされた予知は、「ショーの終わり頃に注意しろ」である。
そんな思いでもって問いかければ、ルシフェリアもまた小首を傾げた。
「うん? ……いや、僕が視たのは余所者目線の予知だから――視ていないって事は、彼らはこのショーに全く興味がないんじゃあないの」
「な、なるほど――あの、シアさんに出順を聞けば良いやと思って、陽香に確認していなくてですね……」
「えぇ~? もう、どうしてそう他人任せなのさ……本当に甘えん坊さんなんだから」
「シアさんだって、陽香に聞かずに私に聞いてるじゃないですか」
「全く、困ったものだね」なんて言って肩を竦めた男児に、綾那は眉尻を下げた。
四重奏のメンバーからは、面倒見の良さと底なしの包容力から「オカン」や「お袋さん」などと揶揄されていたのに。それがまさか、「甘えん坊」と評される日が来るとは。
――それにしても、本当に陽香の出番がこない。
急遽出演を決めたため、割と早い出順か――もしくは、印象に残りにくい中盤に回されるのではないかと思っていた。しかし、既にショーは後半戦だというのに陽香が出てこない。
(颯月さんがお願いしたから、正妃様が出順に気を回してくださった――とか? 少しでも印象が残るように、後の方に回してくれたのかも)
綾那は困り顔のまま、ちらりと隣の美少年を見やった。しかし右京は「僕が知っている訳ないでしょう」と、陽香の婚約者にあるまじきぞんざいな返しをしてくる。
「ええと……まあホラ、出順が分からないと言うのもワクワクして、楽しいじゃあないですか」
「適当だなあ」
「僕どうせ見えないから、なんでも良いよ」
中身はともかく、見た目キッズ達に好き放題言われながら、綾那は陽香の出番を待ち続けた。




