アイドクレースの騎士
「お久しぶりです、夏祭りの日以来ですね」
確かにあの日以来、彼と――いや、街の駐在騎士と会う機会はなかった。
綾那はルシフェリアの魔法で眷属の囮になってから、颯月と二十四時間共に行動していたと言っても過言ではない。その上、深夜の散歩に耐えられるよう昼夜逆転生活を送っていたため、昼間に街歩きする事もなかった。
しかも魔法が切れた後は、国王に見い出される事を危惧し、教会に身を隠していたのだ。
愛想のいい笑みを浮かべる騎士に、綾那もまた笑みと会釈を返した。
しかし、十四歳の少年――それも、自身と同じ顔をしたルシフェリアが近付いただけでも大変不機嫌になった颯月の前で綾那に話しかけるなど、平気なのだろうか。胆力があると言うか、なんと言うか。
綾那は騎士越しにちらりと颯月を見やったが、つい先ほどまで座っていたはずのテーブルに彼の姿はなかった。
「あれ……颯月さんはどちらへ?」
昼が近付いて来たため、街を出歩く領民の姿もかなり増えて来た。何か、颯月自ら出て行かなければならない問題でもあったのだろうか。
しかし、まだショーは始まっていないし、天幕近くで喧嘩や揉め事が起きた様子もない。キョロキョロと辺りを見回す綾那に、騎士が説明してくれた。
「団長は、ただいま来客対応中です。確か、教会の神父様が訪ねていらしたとかで……一旦天幕の外へ出られましたよ」
「ああ、なるほど、静真さんが! じゃあ、澪ちゃんのお母さんも一緒かな――ミサンガづくりに夢中になっていて、全く気付いていませんでした」
綾那は子供達に、「静真さんと、澪ちゃんのお母さんが来たよ」と声を掛ける。
すっかりミサンガづくりに夢中の澪も、見学に夢中の朔も、騎士に浮かれている幸輝も、「はーい」と全く気持ちの籠っていない生返事をした。
彼らの反応に苦笑した綾那は、せっかく現役の駐在騎士が話しかけてくれたのだからと幸輝を手招く。騎士に憧れを抱き、将来の夢は騎士だと言う彼は、パッと喜色ばんで綾那の横まで飛んできた。
彼の作りかけのミサンガが解けぬよう糸を押さえている右京が、仕方ないなといった様子で小さく肩を竦めたのが見える。
「幸輝、街の駐在騎士さんだよ」
「何も分かんねえアヤと違って、んなもん胸章見れば分かるっつーの!」
「……胸章? そっか、普通そういうものなんだ」
騎士の左胸を見ると、幸輝の言う通り銀色や銅色の勲章が、二つ三つ飾られている。颯月の左胸にもジャラジャラと勲章が付けられているが、どれも綾那には意味が分からないものだ。
(あの中の一つが、実は録音機の魔具らしいって事なら知っているけれど――)
改めて騎士の胸章を注視するが、やはり意味が分からない。描かれているのはそれぞれ、剣と盾の紋章、獅子のような紋章、花弁の多い煌びやかな花の紋章だろうか。
綾那は、ふーむと悩む素振りを見せたのち幸輝に視線を落として、「これはなあに?」と胸章を指差しながら首を傾げた。幸輝は得意げに胸を反らすと、勲章の意味を一つ一つ解説し始めた。
「剣と盾は、訓練を終えた一人前の騎士の証! 花は王都の駐在騎士として働くための許可証代わりで、獅子は他領へ巡回できるぐらいの実力者の証だぞ! ――つまりこの兄ちゃんは、ただの駐在騎士よりもっと上の、スゲー騎士だって事!」
――などと、興奮気味に語る幸輝。日に焼けた頬は上気して赤くなっている。
綾那は彼の知識に感心するよりも先に、やはりこの騎士は頻繁に他領へ巡回する、アイドクレース社畜ランキング上位者だったのか――と納得した。
だからこそ彼は、アイドクレース向きでない綾那を見て「ルベライトまで遠征した時以来に見る白肌だ」と評したのだろう。
胸章それぞれに意味があるとは面白い。ふと思い返せば、アイドクレースで右京は新人扱いなので、一つも付けていなかった気がする。まあ、どちらにしても今日の彼は私服姿のため、仮に胸章があったところで確認できないのだが。
勲章と言っても何かの褒美、褒章という訳ではなく、より多くの仕事をこなせる実力ある騎士の――職務許可証としての役割が大きいらしい。これが多ければ多いほど、実力が高い事に違いはないようだ。しかしそれと同時に、多種多様な仕事を死ぬほど任せられてしまう証でもある。
綾那は颯月の左胸を飾る尋常ではない数の勲章を思い出して、ただ一言「道理で、群を抜いてブラックだと思った――」と呟いた。
「なんだ坊主、騎士が好きなのか? まさか、将来の夢は騎士とか?」
騎士の彼はその場に片膝をついて幸輝と目線を合わせると、人の良い笑みを浮かべた。
幸輝はフードが脱げないよう両手でグッと引っ張りながら、ブンブンと何度も頷く。あまりに強く引っ張っているため、フード越しにハッキリと巻き角のシルエットが浮かび上がっている。
あれでは隠している意味がないのではと思いつつ、綾那は、どうかこの騎士が幸輝を忌避せずに優しくしてくれますように――と、祈るような気持ちで見守った。
しかし、綾那の杞憂など吹き飛ばすように、彼は「今時珍しいな!」と言って快活に笑うと、フードの上から幸輝の頭をぐりぐり撫でた。幸輝はぽかんと呆けた表情になって騎士を見つめている。
「――お、俺、悪魔憑きだぞ」
「うん? それは見れば分かるよ。ああ、怖がらないのかって? 悪いが、悪魔憑きであるなしに関わらず、アイドクレースの騎士からすれば団長以上に恐ろしい存在は居ないからな」
「えっ、あ! そっか、そうだよな……颯月が居るもんな」
「そもそも、悪魔憑きに怯えていて騎士が務まるか」
そう言って悪戯っぽく笑う騎士に、幸輝は目を瞠った。
彼の言葉は、別に悪魔憑きの颯月を揶揄するものではないだろう。ただ純粋に、上司の颯月が恐ろしいという――いち部下の個人的な感想を述べただけである。
確かに、悪魔憑きだからこそ単純な強さで敵わずに恐ろしいという思いはあるはずだ。しかしそれならそれで、アイドクレースの騎士にとって『一番恐ろしい悪魔憑き』は間違いなく颯月である。その他の悪魔憑きなど可愛いものだという事かも知れない。
「そう言えば、騎士の皆さんは絶対に颯月さんを避けませんよね。街の方は、なんて言うか……気にしながらも、遠巻きにしているイメージがありますけれど」
「他でもない団長を避けていては、まともに仕事なんてできませんよ」
馬鹿にする訳ではなく、ただおかしそうに笑う騎士。綾那は「それは確かに当たり前の事だ」と納得した。
綾那が以前、颯月に『社会人の休日』を教えようと息巻いていた日――街の駐在騎士は、次から次へと颯月へ仕事の手助け、助言を乞いに来た。彼が悪魔憑きだろうがお構いなしで、姿を見るなり「助けてくれ」と。
今更ながらアレは、とても凄い事ではないだろうか。何せ街を歩く領民は、彼を見るなり畏怖して目を逸らし、道を空けるのだから。
(そう考えると、騎士団って本当に颯月さんにとって最高の居場所なんだ。魔物や眷属と戦えば強力な魔法を撃てる訳だし、溜まり過ぎた魔力も頻繁に発散できる……実力主義だから悪魔憑きだろうと人の上に立てるし、部下の人達もこうして怯えずについて来てくれる)
――だからと言って、十数年休みなしで稼働し続けるのはどうかと思うが。
綾那はそんな感想を抱きながら、「優しくお話してくれて嬉しいね」と幸輝に笑いかけた。彼は「ガキ扱いすんな」と言って目を眇めたが、しかしすぐに、はにかむような笑みを浮かべて頷く。
騎士は幸輝と「いつ頃入団するつもりなんだ?」なんて話をしながら、必死にミサンガ編み続ける澪を眺めている。その目は優しく緩んでいて、「微笑ましい」とはっきり書いてある。
恐らく、まだショーが始まる前――領民の暴走が始まる前だからこそできる事なのだろう。
そうして彼が子供達と触れ合っているのが気になったのか、今までは遠目から「あのスペースはなんだ?」と眺めるだけだったのに、天幕を訪れる駐在騎士が次から次へと集まってくる。
大量の騎士に囲まれた幸輝はそれはもう嬉しそうで、今日ばかりはお行儀がよい。
「――できたぁ!」
ただ一人黙々と糸を編み続けていた澪が、ついにミサンガを完成させた。
本人の手際の良さもあるだろうが、まだ幼い澪の細腕に巻くもののため、それほど長さを必要としなかった事も完成する早さの理由の一つだろう。
解けぬよう糸の始末をしっかりとしたミサンガを掲げる澪に、見学に集まっていた騎士達から「おー」という歓声と共に、拍手が送られる。
彼女は、いつの間にか増えていたギャラリーに一瞬たじろいだが、しかしすぐさま綾那の姿を探して視線を合わせると「ねえ、どうやって付けるの!?」と目を輝かせた。
綾那は澪の横にしゃがみ込んで、彼女の手からミサンガを受け取った。そうして細い手首にミサンガをぐるりと回す。
わざわざリベリアスの人間が忌避する赤と金の糸を選ぶとは――想い人の色を意識したのだろうか。
「澪ちゃん、私が結ぶ間にお願い事をしてね」
「あ、うん! でも……えっと――それって、声に出さないとダメ?」
「頭の中だけで大丈夫」
「分かった!」
じっと熱心にミサンガ見つめながら何事かを念じている様子の澪に、綾那は「きっとお願いは、朔との事だろうな」と想像して、目元を緩ませた。
ミサンガは、自然に切れると願いが叶うと言われている。万が一にも結び目が解けて取れてしまった――なんて事が起こらないように、綾那はひっそりと「怪力」のレベル1を発動して、ミサンガを固く結んだ。
それを結び終わると、澪は嬉しそうに笑って「良いでしょ~!」と朔に見せびらかし始めた。朔は大きく頷いて、流れるように「ミオ、僕のもつくって!」と依頼する。
(うっわー……「表」にも居たなぁ。自分じゃ作れないからって、女子にミサンガ編ませる男子――)
綾那は遠い目をしたが、しかし依頼された澪は満更でもない様子で「もう、仕方ないわね~」なんて頬を赤らめている。結局「楽しそうだから、まあ、良いか」と、見咎める事なく放置した。
それは楓馬も同じだったようだ。むしろ恋する女児に対するアシストのつもりなのか、朔を手招き命じる。
「人に作らせるんだから、せめてお前が糸の端を押さえろよな」
「はーい! ねえふーま、ふーまも作ろうよ!」
「はいはい、俺は後でな。オイ幸輝、お前も早く仕上げろって! ずっと右京が押さえてんだぞ!」
「へーい」
「てか、もうすぐ繊維祭のショー始まるだろ? これ編み終わらなかったら、お前だけ陽香見られねーぞ」
楓馬は言いながら、幸輝が作りかけのミサンガを右京に代わって押さえた。ようやくミサンガから解放された右京は、楓馬に向かって子供らしい笑みを浮かべ「ありがとう」と礼を述べている。
やはり最近の楓馬は、お兄さん度が今までと段違いだ。夏祭り以来年上と接する機会が急激に増えたからと言っても、本当に成長が目覚ましいと思う。
大勢集まって来た騎士と共に、子供達の微笑ましいやりとりを眺める。すると、今までずっと大人しくしていたルシフェリアが――とは言え、行儀悪くも木箱テーブルの上に座り込んでいたが――おもむろに立ち上がって両手を伸ばして来た。
帽子のせいで天使過ぎる容貌が半分隠されていても、やはり颯月そっくりの姿が愛らしい事に違いはない。
綾那はこれでもかと目尻を下げると、両腕を広げてルシフェリアを迎え入れた。
「ねえねえ、ショーが始まる前に、一度お友達の所へ行った方が良いんじゃあないの?」
「え? あ、分かりました。今行っておいた方が良いんですね」
「うん。だけど、大勢で行くと迷惑だろうから――ひとまず僕と、護衛のお兄ちゃんだけ連れてって」
そう言ってルシフェリアが指差したのは、綾那の本日の護衛右京だ。指差された彼は不思議そうに首を傾げたが、しかしすぐに「水色のお姉さんが行く場所には、僕もついて行くよ」と頷いてくれた。
しかし、まさかルシフェリアが本気で「大勢で行くと迷惑だ」なんて配慮をするはずがない。恐らくこの人選にも、何かしら意味があるのだろう。
綾那もまた一つ頷くと、ルシフェリアを抱き上げた。そして、天幕の外に来ているであろう静真と澪の母親に、一旦子守を交代してもらおうと考える。
「――あ。パパが心配するから、ちゃんと一声掛けてから行くんだよ、ママ」
「…………パッ、パパ、ママッ!?!?」
「え、ちょっ、シアさん!? ち、違います、違いますよ! 私はママではありませんし、颯月さんだってパパではありません! この子は、颯月さんの親戚のお子さんですから……ッ!」
ルシフェリアの言葉に激しく取り乱す騎士達に、綾那は慌てて弁解する。しかし彼らは、一切の聞く耳を持たなかった。
「な、なんか妙に団長に似た子供が居るなとは、思っていたんだが……!」
「まさか、悪魔憑きが子を成せないと言うのは間違いだったのか!?」
「待て、そもそも婚前だぞ!? あの団長がそんな事――いや! 既成事実でもつくらなければ、婚約すら許されなかったという事か!? やはりこの方は、異大陸の姫君だったんだ……!」
嫌な方向に大盛り上がりの騎士達。綾那は、ブンブンと手と首を横に振った。
「いやいやっ、あのっ、違――」
「ねえママ。ここはもう良いから、早く行くよ」
「……シアさん、ちょっとだけ静かにしていてくれますか?」
「良いから、パパのところへ行こうよ」
「シアさん? シアさーん? あれれー急にどうしちゃったんですかー? さっきまでお利口さんでしたのにー?」
綾那はもうすっかりパニックに陥って、まるで本物の幼児のご機嫌を取るような喋り方になってしまった。
全く悪びれていない様子の――むしろこの状況を楽しんでいるらしいルシフェリアは、ただ悪戯っぽく笑いながら綾那に抱き着くだけだ。
せっかく右京が忠告してくれていたのに、これではまたおかしな噂が広まるに違いない。にわかに騒がしくなった天幕の中、綾那は「これが、無自覚に他人を振り回すらしい自分へ対する罰なのだろうか――」と、遠い目をしたのであった。




