お約束
(予想以上に若い事には驚いたけれど、でも……うん、凄く可愛らしい女の子だな。今はまだ幼さが残っているけれど、ほんの数年で綺麗なお姉さんになりそう)
こんなに素晴らしい女性を囲っているなど、さすが颯月である。あのガゼボに集まっている少女の内、一体何人が彼の婚約者なのだろうか?
神と崇める男の甲斐性に1人ウンウンと頷く綾那だったが、ガゼボから甲高い怒声が聞こえてきて首を傾げる。
「颯様に気に入られているからって、調子に乗らないでよ!!」
(うん……?)
紫色のスカートを履いた少女が、桃華のか細い肩を押した。
よほど強い力で押されたのか、細い体を大きく傾かせた桃華は、ガゼボの柱にドンと背中を打ち付ける。
今、何が起きているのだろうか。綾那に分かる事と言えば、とりあえず『颯様』というのは颯月の愛称らしい――という事ぐらいだ。
「そうよ! 婚約者筆頭がなんだって言うの? 大勢居る中の一人のくせに!」
上から下まで黒い、まるで喪服のような恰好をした少女が同調した。
その隣では、これまた黒いロングワンピースの少女が、高い声で何事かを喚き散らしている。
桃華はと言うと、無言のまま形の良い眉を不快そうに寄せては、少女に押された肩を手で押さえて擦っている。
(え、ちょ、ちょっと待って、これって――う、嘘でしょう? こんな事って、現実に起こり得るの? まるで少女漫画でお約束のワンシーンじゃん!)
少女達が、たった一人の男を巡り争っている。
颯月の婚約者の中で最も有力らしい桃華を呼び出して、『その他』の少女達が苛めている。それも、寄ってたかって狩りでもするように。
まるで物語の中で起きるような出来事を目の当たりにして、綾那は己の鼓動が速くなるのを感じた。
このような状況下で不謹慎極まりないが、正直他人事の修羅場ほど見ていて高まるものはない。それが恋愛絡みであれば尚更だ。
(颯月様にとって、何よりも大事な桃華さんを苛める少女達……! 物語なら、ここで颯月様本人が華麗に助けに現れるとか、彼女の危機に気付いた颯月様から命令を受けた他の誰かが、コッソリ助けに来てくれるとかだと思うけど……!?)
思わずキョロキョロと辺りを見回したが、しかし周囲に他の人の気配はない。
綾那はやや肩を落とした後に「いやいや、誰も居ないなら私達が助けなきゃダメだよね?」と思い直すと、隣で片膝をついて身を低くした竜禅を見やる。
しかし綾那の視線に気付いた竜禅は、首を横に振った。
「颯月様と近しい立場の私が介入すれば、アレは悪化するだろう。その場しのぎの手助けにしかならないのなら、初めから何もしない方が良い」
「え? で、でも、あのままでは――」
確かに竜禅の言う事も理解できるが、それではあの少女はどうなるのか。
颯月と結婚したければ、己一人で恋敵を蹴散らす力を付けろと言う事か。
(そりゃあ、あんな神と結婚するとなれば、これからも周りに僻まれ続けるだろうし……自分が強くなるしかないんだろうけど、でも――)
綾那が眉根を寄せていると、またしてもガゼボから桃華を貶める声が聞こえてきた。
「いつもそんな色の服を着て、自分は特別だとでも言いたい訳!? どうして黄色なのよ!」
「そもそも颯様からプレゼントされたなんて、本当は嘘なんじゃないの?」
「颯様の色を纏わないなんて、婚約者の中でアンタだけじゃない! 非常識にも程があるわよ、どうして颯様は、こんな女を好きにさせているのかしら!?」
ワーワーと騒ぐ少女達に、綾那は「色?」と呟いた。すると、竜禅がすかさず説明してくれる。
「リベリアスでは、慕っている異性の瞳――または髪と同じ色の服やアクセサリーを身に纏い、相手に好意を伝える風習がある。彼女らは颯月様を慕うからこそ、あの色を纏っている訳だ。逆に、懇意にしたい異性へ好意を伝えるために、己の色を贈る事もある」
「なるほど、それであの子達は黒や紫の……あれ?」
「綾那殿?」
その時綾那の頭に思い浮かんだのは、初日に颯月から贈られた下着だ。
服には法則がなかったのに、なぜか黒、または薄紫の二色に統一されていた下着の数々。
「表」でも下着として別段珍しい色味ではないからと、深く気にしていなかったが――もし颯月が何かを意図して、あれらの色を指定していたとしたら?
(いやいや、違う、考えすぎだよね。違う違う、うん。もう、私としたことが、神を相手に何を自意識過剰になっているんだか……と言うか、100歩譲ってそうだとして、他人から見えない下着に「自分の色」って、なんか、それって、ちょっと――い、いや、やめた、やっぱりナシ! もうこの事は考えない!)
何やら、今後も黒や紫の下着を付け続ける事に、妙な抵抗感が生まれた気がする。
綾那は竜禅に「何でもありません!」と勢いよく頭を振って、即座に思考を切り上げた。
(今はそんな事よりも、桃華さんの事!)
ふうと息を吐いた綾那は、再び竜禅に顔を向けた。
「では、颯月様とはなんの関係もない私が止めに入るのはいかがですか?」
「…………関係ない事は、ないだろう」
「彼女らにとっては、ないでしょう? 私がどこの誰かも分からないはずです。お節介かも知れませんが、彼女はまだ幼いじゃないですか。こんな環境に置かれ続けては、精神衛生上よろしくありませんよ。大事な婚約者筆頭なんでしょう?」
綾那の言葉を受けて、竜禅は困ったように口をヘの字に曲げた。
そして、「うむ」と低く唸って顎髭をなぞったかと思えば、熟考するように黙り込んでしまう。
綾那が竜禅の許しを待っている間にも、ガゼボの少女達は桃華を責め立てている。何一つ反論しない桃華に、好き放題暴言を浴びせているらしい。
「一番良いのは、この場に幸成を呼ぶ事なんだが――」
「幸成様を?」
「ああ。彼が颯月様の従弟だという話はしたな? 桃華嬢は彼らの幼馴染でいらっしゃる。幸成とは相当親しいから、彼が桃華嬢を庇う分には周りの顰蹙を買う事もない。だが、まあ――そうだな。先に桃華嬢を攻略するというのは、存外悪くないかも知れん」
「こ、攻略?」
一体何の話だ。
綾那が頭上に「?」を浮かべていると、不意に竜禅は口元を緩ませた。
「綾那殿、私と動きを合わせられるだろうか? 「水鏡」を使おうと思う」
「みらーじゅ。えっと、それは……魔法でしょうか?」
「ああ、このマスクと同じ原理だ。貴女と彼女らの間に、魔法の水壁を置く。すると彼女らが貴女を見た時、間に置かれた水壁に映るのは貴女ではなく、全く別人の姿になる。私と揃いのマスクをしたまま出ていくのはまずいし、だからと言って素顔を晒されるのも困る。それに、その水色の髪は記憶に残りやすい。波風は最小限に――どうだろうか?」
「なるほど」
どうやら「水鏡」というのは、人と人の間に水壁をつくり、その壁に偽物の景色を映し込む魔法らしい。
竜禅にもらったマスクのような、外から見るのと内から見るのとでは全く見え方が違う、マジックミラーに似た作用をもつのだろう。
「あの位置に壁を出すから、声掛けだけで彼女らを止めて欲しい。この範囲から出てしまうと「水鏡」が解けてしまうから、あまり動かないように――映す姿は侍女長、できるだけ落ち着いた声色で話して欲しい」
竜禅の説明に、綾那は「やります」と大きく頷いて見せた。
(上手く行くか分からないけれど、試しにやってみよう)
いくら少女漫画のような燃える展開だと言っても、燃えて良いのはあくまでも物語を読んでいる間だけだ。
今目の前で現実に苛められている少女を、見て見ぬ振りなどできない。綾那は大きく深呼吸すると、竜禅の合図を待った。
リベリアス人はほぼ黒髪なので、意中の相手の髪色に合わせるとだいたい喪服状態です。
思春期の女の子なんかは「好きバレするの恥ずかしい……///」と、あえてありふれた黒を纏う事も。
髪の黒と瞳の色、どちらも組み合わせるのが一般的。




