帰還
綾那が王と何を話したのか――何故「義父」と呼んでも罰せられなかったのか。様々な事を聞きたそうにしつつも、維月は黙って騎士団本部まで送ってくれた。
そうして真っ直ぐ颯月の執務室へ向かおうとする彼に、綾那はどうしても外せない用があるからと言って、まず自身の私室へ立ち寄る事にした。
維月には――そもそも彼は、綾那を無事送り届けるためにここを訪れているのだが――ひと足先に颯月の元へ向かって、綾那の無事を知らせて欲しいと伝えた。
維月はもちろん、王命なのだから綾那を放り出して行けないと反論したが、しかし正直ここまで来てしまえば護衛もクソもない。
騎士団本部――宿舎内で何者かに襲われる確率は低いし、仮に襲われたとしても騎士だらけのこの建物内ならば、いくらでも助けを乞えるだろう。
それでも納得できない様子の彼に向かって、綾那は気恥ずかしそうにしながら「あの、時間も時間ですし、どうしてもお風呂に入りたいんですけど――」と、外せない用事について正直に告げた。
維月は途端に胡乱な眼差しを向けると、「婚前交渉は禁止だ。良いか、義兄上を誘惑して困らせるんじゃあないぞ」と言って綾那を残し、執務室へ向かった。
別にいかがわしい意味でもなんでもなく、あとは眠るだけという時間帯にも関わらず暑い中一日活動して汗もかいているし、気持ちが悪いから入浴したいだけの話だったのだが。
何やら颯月に襲い掛かる痴女のように扱われた事に遺憾の意を唱えながら、綾那は私室へ戻った。そうして手早く入浴を終えた綾那が執務室を訪れると、颯月の顔色は一層悪くなっていた。
「――綾!!」
颯月はガタンと椅子から立ち上がると、綾那の元へ駆けて来た。帰りの挨拶もそこそこにきつく抱きしめられた綾那は、やはり入浴して正解だったと考える。
随分と不安にさせてしまった事を申し訳なく思いつつ彼の頬に触れれば、突然「解毒」が発動して瞠目する。
(ああ、よっぽど疲れとストレスが溜まっているみたい……内臓器が弱っちゃってるんだ)
「解毒」が打ち消すのは、毒やアルコールだけではない。体内に蓄積された疲労物質――例えば疲労に過労、ストレスで弱った肝臓の回復も可能なのだ。
とは言え、決して病を完治させるようなチート能力ではないので、過信は禁物である。
疲労物質が打ち消されていく感覚が心地いいのか、颯月は目を伏せて綾那の手の平に頬を擦り寄せた。
「もう、二度と会えないかと思った」
「お話をしていたら遅くなってしまいました、心配かけてごめんなさい」
「……陛下に何もされなかったか? 妙な事も言われてないよな?」
「はい、平気ですよ――あの、颯月さん。お仕事はもう終わっているんですよね?」
綾那の問いかけに、颯月は深く頷いた。彼の背後では、維月を茶でもてなしていたらしい竜禅が「王宮までお送りしますよ」と声を掛けている。
「では、明日に備えて早く寝ましょう。疲れが酷いです、私の「解毒」が発動するくらい――」
「……ああ、これがそうなのか? いつも静真が、アンタから離れがたそうにする理由がよく分かる。こんなに気持ち良いんだな」
「そんな事を言っている場合ではないですよ、本当に休まないと……」
竜禅に促されて席を立った維月は、抱き合う二人の横を通り過ぎ様に「それを義姉上が言うのか」と呟いた。
確かに、そもそも何故颯月がこんな状態になっているのかと言えば、全て綾那のせいだ。人前でマスクを外して要らぬ噂を流布させたのも、王に見付かったのも、王宮への招待を受け入れたのも、全て。
颯月は綾那を守るため、仕方なしに手元から離したが――しかし、行動履歴が気になるからと無理に仕事を進め、自身の休息は二の次として魔具やレコーダーの記録の確認に時間を割いた。
そうこうしている内に、綾那は王に見付かると言う失態を犯したのだ。
綾那がそれとなく確認したところ、正妃を通して颯月へ「近衛がやるような仕事」とやらを任せたのは、王だったらしい。
その仕事というのは、近衛の王宮警護に穴はないか、隅々まで確認して報告すべし――というもの。
勘当されて以来、余程の事がない限り王宮へ近付かない颯月に、王宮の警護がどうこうなど簡単に分かろうはずもない。
まず正妃から「陛下の神経を逆撫でするから、近付くな」と厳しく言いつけられているため、彼自身の目で警護の穴とやらを探すのは不可能なのだ。
ゆえに颯月は、繊維祭前のくそ忙しいこの時期に大量の人員を割き、王宮へ派遣した。警護状況について問題点がないか隅々まで調べさせて、書類にまとめさせるとその全てに目を通した。
そして、王宮へ人を派遣したせいで滞った通常業務については、颯月が請け負ったのだ。
――その結果があの、執務机の惨状という訳らしい。
王は正妃に「騎士団長ほど優秀なら、一日もあれば終わるだろう。彼に任せるといい」という発注をしたようだ。もしかすると正妃は、その注文を「一日で終わらせられない愚図なら、殺すぞ」という脅しに受け取ったのかも知れない。
王の思惑としては、無茶な仕事を押し付けて一日颯月達の足止めをし、その間に綾那と二度目の接触を図るのが目的だったらしい。
そうでもしなければ、颯月は王の訪問に気付き綾那を回収しただろうし、綾那だって危機感を抱き、王と対話するどころではなかっただろう。今ほど素直に話を聞けなかった可能性も多大にある。
まあ結局、無茶に無茶を重ねた颯月により仕事は瞬く間に片付けられ、竜禅が迎えに現れて――「ゆっくり会話」「父子問題について相談」する暇もなく、少々強引な手法によって王宮へ招待されてしまった訳だが。
「本当にごめんなさい、私が迂闊だったせいで」
「こうして無事に戻ったんだ、済んだ事は良い。問題は今後どうするかだろう――いや、そもそも陛下となんの話をしたんだ? 寝ている場合じゃない、まずは対策を立てないと……」
「――あの、義兄上……顔色が酷いですから、義姉上の言う通りまずは休んだ方が良いのでは……」
維月はそのまま、「明日は繊維祭ですし、義兄上のそのような姿を見ているのは辛いです」と言って、心配そうに眉根を下げた。
颯月は「しかし」と反論しかけたが、すかさず竜禅が口を挟んだ。
「横になっていても、話くらい聞けるでしょう。約束通り、添い寝でもなんでもしてもらえば良いではありませんか」
「……………………ふざけるなよ、禅。そんな状態で悠長に話なんて聞いていられるか――良いのか、『共感覚』を入れても? アンタがどうなっても、俺は知らんぞ」
やけに鋭い視線で言う颯月に、竜禅はこれ見よがしに大きなため息を吐き出した。
「どうせ何もできないのだから、絶妙に情けない脅迫はおやめください。話は明朝にしましょう、そのように疲れ切った頭で良い案は出ません……まずは休むのが先決ですよ。ひとまず綾那殿はこうして解放されたのですから、まだ時間の猶予はあるはずです」
「一刻も早く私室へ」と、否やを許さない強い口調で言われた颯月は、グッと口を噤むとなんとも言えない表情で綾那を見下ろした。
――猶予も何も、そもそも彼らの抱く不安は杞憂でしかないのだが。
綾那は彼を見上げると とろりと垂れ目を緩ませた。
「私はただの枕ですよ、遠慮なく抱いてください」
綾那は、どこまでも甘く囁いた。
眉根を寄せた颯月が無言のままパチンと指を鳴らせば、勢いよくその場にしゃがみ込んだ竜禅が「――やめろと言っているでしょう!!」と吠えた。




