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颯瑛と輝夜

 何が起きたのか理解できずに固まった颯瑛の目に映るのは、「突然何をなさるのです、側妃様!?」と、ソファの上で頭を抱えて縮こまる監理の男。

 そして、彼の体を無言でボコボコと殴り続ける――いつの間にやら平手ではなく、グーに握られている――見た目だけは誰よりも麗しい、輝夜の姿だ。


 颯瑛はしばらく思考を停止させてその光景を眺めていたが、やがて監理の男に震える声で「陛下!」と助けを求められたため、ゆっくりと目を瞬かせる。


「……どうしたんだ輝夜さん、落ち着いて」

「へ、陛下! いくら側妃様と言えども、これは立派な傷害罪で――!」

「監理のくせにバカなのね? お前が侮辱罪で颯瑛に首を撥ねられるのが先よ」

「はあ……!?」


 国王の側妃とは言え、輝夜は当時十六歳の小娘であった。そんな小娘にボコスカ殴られるわ「バカ」と罵られるわで、監理の男はこめかみに青筋を立てた。

 男は何事か反論しようと口を開きかけたが、輝夜は更に畳みかける。


「私の颯瑛を侮ったでしょう。とても国王を相手どる言動ではなかったわ――まるで、幼い子供のごっこ遊びに付き合ってやっているとでも言わんばかりの、酷い態度。そもそもお前達が職務を怠るから、この通り颯瑛に要らぬ仕事が増えるのよ。颯瑛の仕事が増えると、私との時間が減る。お前、どれだけ不敬な行いをしているのかまだ分からないの? 図に乗るにも程があるわ」

「侮辱って――そんな側妃様、誤解ですよ。いいですか側妃様、侮辱罪というのは」

「私の事まで子供と侮っているのかしら。刑法231条よ。リベリアス法律書第16巻、478ページに書かれているから、首を刎ねられる前によく読んで反省なさい」

「よ、478ページって、何を適当な――」

「適当じゃないわ、私に対する名誉棄損罪も追加する。第16巻、475ページの刑法230条、第一項」


 キッパリと言い切る輝夜に、監理の男は勢いを失った。そしてサッと青褪めると、震え声で訊ねる。


「…………まさか側妃様、法律書を全て記憶しておられる――訳は、ありませんよね……?」

「生まれつき記憶力が良いのよ。一度見聞きしたものは、忘れたくとも二度と忘れられないの――私と、私の可愛い颯瑛を侮辱するような下賤(げせん)のアホ面と名前もね。不快だから、お前の一族も皆調べ上げて芋づる式に首を刎ねてやろうかしら? 颯瑛が面倒くさがりだからこそ不敬を見逃されているだけの愚図が、調子に乗るのも大概にして頂戴」


 まさか、国の象徴たる国王の傍に侍る側妃ともあろう者が、このようにアクの強い人物であるなど――一体、誰が予想できるだろうか。


 ただの脅しと言うにはあまりにも凶悪な悪女面の輝夜が監理の男を見下ろせば、彼はカタカタと体を震わせながら、ソファの上から床へ飛び降りた。

 そうして床に額を擦り付けると「お許しください」と、必死に許しを請い始める。その様を冷たく一瞥した輝夜は、ふんと鼻を鳴らすと途端に興味を失ったように颯瑛の隣に腰掛けた。


「颯瑛、確認はもう終わり? 早く帰りましょうよ、今日は羽月師匠がマドレーヌを焼くと言っていたわ」


「好きでしょう? マドレーヌ」と言ってうっそりと笑う女性は、果たして先ほどまで大の男を言い上げていた女性と同一人物なのだろうか。


 颯瑛の表情に変化はなかったが、しかし見る者が見れば「困っているな」と分かっただろう。

 今ここで起きた一連の出来事は、国王颯瑛の名誉を守るためとは言え、明らかに過剰防衛である。輝夜は土下座する男を無視したまま、クスクスと声を上げて笑った。


「そんな顔をしてどうしたの? 本当に可愛い。早く大きくなった颯瑛が見たいわ、子供だって欲しいし」

「人前でそんな事を口にするのはよくない」

「虚偽でも侮辱でもないのだから、別に良いでしょう。それとも、私みたいなはしたない女は嫌いって言う?」

「…………」

「あら? そこで黙ると「大好き♡」って事になるわね」

「――輝夜さん、もう帰ろう」

「やっと帰りたくなった? じゃあ、一緒に師匠のマドレーヌを食べましょう」

「…………君。今回は輝夜さんが先に手を上げてしまったから、侮辱も名誉棄損も責には問わない。今後気を付けてくれるなら、それで良いから」


 帰り際に颯瑛が監理の男に声を掛ければ、男はパッと顔を上げて「ありがたき幸せぇ!」とむせび泣く。

 ――そんな事が()()()続けば、いずれ颯瑛の事を子供だと侮る者は自然と居なくなった。


 颯瑛は輝夜に守られる度、感情を露にできない自身の代わりに憤慨して各所で暴力沙汰と脅迫を繰り返す度、彼女に依存するようになる。

 今まで王だからと言って全責任を押し付けられて当然だったし、実際まだ幼い子供だったから侮られても仕方がないと、諦めていた。


 そうして子ども扱いする割には誰に守られるでもなく、ただ一人で耐えるしかなかったのに――恐らく周りは、彼が傷つき悩んでいる事にすら気付いていなかった――輝夜はいつも、当然のように颯瑛の名誉と心を守ってくれたのだ。


 やがて市井では、「国王は慈悲深い」という評価が出回るようになって――それと同時に、「側妃は野蛮な姫である」という噂も増えてしまう。いや、まあ実際野蛮な事に違いはないのだが、しかしそれらの行動は全て颯瑛を思っての行動であった。


 そんな噂が出回るようになってから、羽月と輝夜は何かにつけて比較されるようになる。かたや品行方正で完璧な『美の象徴』、かたや『野蛮な姫』。それも、虎視眈々と『正妃』の座を狙う泥棒猫のように言われていた。

 当人達は、真逆の性質をもつくせに馬が合うのか不思議と仲が良く、正妃と側妃という立場であるにも関わらずいつも和気藹々としていたのに――。

 ついにはそうした内面だけでなく、外見まで真逆であると揶揄されるようになる。


 颯瑛は痩せ型の羽月も好ましいと思っていたが、それは別に痩せている女性が美しいどうこうという話ではなく、ただ単に羽月には、あの体形が似合っていたからだ。

 だから別に、輝夜が太いとか女らしい体つきが恥ずかしいとかは、一切考えた事がなかった――そんな事を考えて他人を貶めるような人間が居る事すら、知らなかったのだ。


 輝夜は颯瑛の寵愛を受ける側妃。

 それゆえ、周囲の人間も彼女に無礼な行いをする事はなかったが――しかし、同じ立場に置かれた人間だけは違った。彼女と同等の地位をもつ王族の親類や、他の側妃達だ。


 常識に囚われず奔放で明るい輝夜を見て、「面白い人だ」と慕う者が多かったのは事実だ。感情表現の乏しい颯瑛も、彼女と居る時だけは楽しそうにしているのが分かったし――彼を明るく良い方向へ導いた実績もある。

 だが中には、当然彼女を非常識だと嫌う者も居た。


 寵愛が飛び抜けているせいで、同じ側妃の自尊心や嫉妬心をこれでもかと煽ってしまったのも悪かった。何せ当時の輝夜は、領民の憧れ『美の象徴』正妃の羽月よりも圧倒的に颯瑛に愛されていたのだから。


 とは言え輝夜は、自身の容貌に絶対の自信を持っていた。ゆえに、ちょっとやそっとの妬みや嫉みで外見を揶揄されたぐらいでは、「アイドクレースに住むなら、痩せなくては!」なんて洗脳は受けなかった。


 ただ彼女は他でもない『美の象徴』羽月と仲が良く、「彼女のようになりたい」という憧れも、少なからず抱いていた。その上、大変めでたい事に颯月を身籠ってからは――「表」のマタニティブルーとでも言うのだろうか。

 絶対の自信を持っていたはずの輝夜は、妊娠を機にすっかり情緒不安定になってしまったのだ。


 妊婦なのだから当然の事だが、日に日に大きくなっていく腹。重くなる体、不快感。腹の中の胎児を守る厚い肉壁のごとく、腹だけでなく全身の肉付きが増えて、醜くなったような気さえする。


 しかも、仲の良い羽月と共に居れば居るほど――彼女と愛する颯瑛が並ぶ姿を見れば見るほど、不思議と惨めな気持ちになっていく。

 誰よりも早く颯瑛の子を身籠ったため、他の側妃の罵詈雑言が激化した事も、精神不安に拍車を掛けたのかも知れない。

 子供のために食事を摂らねばならないのに摂食障害を引き起こし、輝夜は見る見るうちに痩せていったのである。



 ◆



 そこまで颯瑛の話を聞いた綾那は、なんとも言えない表情になった。

 今まで複数人から輝夜の話は聞いてきたが、そのどれとも少しずつ違っていて――色々と衝撃的だったのだ。

 いや、気が強い女性だったとは聞いたが、大人の男相手でも遠慮なしに殴りかかるなど、並大抵の気の強さではない。


(とにかく颯月さんのあの異常な記憶力が、お母様譲りだっていう事は理解した)


 颯月の場合、さすがに一度でも見聞きしたものは二度と忘れない――と言う事はないとは思うが、それにしたって彼の記憶力は常軌を逸している。

 受け継いだのは、麗しい顔と肌色だけではなかったのだ。


 ――「なんて恐ろしい母子なの」と慄く綾那に、颯瑛は続けた。


「輝夜さんは……ずっと主治医から、出産には耐えられないだろうと言われていた」

「それほどまでに、痩せてしまわれたと?」

「ああ――皆口を揃えて、彼女は命を捨ててまで颯月を守ったと……まるで美談のように話すだろう。実際は、そんなに良いものではないよ。輝夜さんは出産後、あのまま死ぬしかなかった。衰弱しきっていて――素人目にも、助からないと言うのが分かった。そうして、死を待つだけの状況であの『薔薇』が来たというだけだ」

「それ、って――」

「……輝夜さんが死んだのは、颯月のせいじゃない。薔薇が来ても、来なくても……どうせ彼女は、助からなかったんだから」


 颯瑛の告白に、綾那は絶句した。

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