一触即発
勢いよく扉を開いた竜禅は――マスクで目元こそ見えないが――どこから走って来たのか、珍しく肩で息をしている。
彼はテラスのテーブルを囲む綾那と王族の男を見やると、グッと口をへの字に曲げた。そうして、すぐさま綾那の元へ駆け寄ろうと足を踏み出す。
しかし、王族の男は竜禅を一瞥する事もなく、ただ硬質な声を発した。
「無礼だぞ」
綾那と会話している時と全く違うその声色は、酷く冷たく、刺々しかった。竜禅はぴたりと動きを止めると、これ見よがしに大きなため息を吐き出す。
「…………なんの伺いもなく場に押し入り、大変失礼いたしました。しかし、事は一刻を争うと判断したための行動です。どうかお許しください」
「お前――何故動けた? 羽月さんから大量に仕事を頼まれたはずだが」
男は竜禅を一瞥すらしないまま言葉を投げかけた。目線はテーブルに落とされて、今まで以上に何を考えているのか分かりづらい。
ただ声と態度からして、どうもご機嫌がよろしくないらしい――という事だけは、辛うじて分かる。
「正妃様の件、やはりあなたが裏で手を回していらしたのですね。いきなり近衛がやるような仕事を回されて、おかしいと思ったんです――足止めのつもりですか?」
「副長、私は何故動けたのかを聞いている」
「――颯月様は、大変優秀でいらっしゃいます。常人には不可能な事もやってのけてしまわれるのですよ」
「…………もう捌いたのか? お前が自由に動けるほど? それは――やはり彼は、別格だな。もし次があるとすれば、もう少し強度を上げる事にしよう」
「次? ――次はないでしょう。二度とこのような真似はしないで頂きたいですね」
二人のギスギスしたやりとりに、綾那は目を白黒させた。見れば、竜禅の背後にはオロオロと戸惑っている静真の姿もある。
何が何やら分からないが、とにかく、今この場は緊迫した空気に包まれている。
綾那は「私もそっちで、静真さんと一緒にオロオロしたい」と思い、椅子から立ち上がりかけた。しかし、すぐさま王族の男が綾那の手首を掴んで制止する。
テーブルから上げられた彼の目に、昨日のような執着はない。どちらかと言えば「行かないでくれ」という懇願に近い色を灯している――ような気がしなくもないが、やはりよく分からない。
どう例えれば良いのか――颯月が正妃を前にしてトラウマを呼び起こされ、綾那に「抱かせてくれ」と懇願する時に近い、切羽詰まった『何か』を感じる。
綾那はひとまず椅子に座り直して、男と竜禅へ交互に視線を送った。そうして次に竜禅が口にした言葉に、座ったばかりの椅子から飛び上がりそうになった。
「――戯れが過ぎますよ、陛下」
「…………へーか?」
「その方は、颯月様の大切な婚約者です。笑い顔に我が主の面影がある事は認めますが、息子の想い人を取り上げようなど思わないで頂きたい」
「やっ、やっぱり、国王様だったんですか!? と言う事は、お兄様ではなくて颯月さんのお父様――えっ、でも若過ぎませんか? 二十歳の法律は!? そもそも、どうして突然教会に視察へ来られたのですか!?」
「……そんなにまとめて聞かれても、答えられない。もっとゆっくり話して欲しい」
一気に捲し立てる綾那に、男はほんの少しだけ困ったような顔をした。
綾那は、確かに質問をぶつけ過ぎたと反省すると、一つ一つ明らかにして行こうと口を開きかけた。しかし、すぐさま竜禅が「綾那殿」と割って入る。
「悪いが、ゆっくり話しているような時間はない。颯月様が心配している、荷物をまとめてすぐに宿舎へ帰ろう」
「え? あ……」
「副長。彼女は今、私と話しているんだが」
「不敬だと思うなら罰してくださって構いません、甘んじて受けましょう」
「――お前は「ただの人間」じゃない。私が罰する事はできない……お前だけは、できない」
王は淡々と告げて、いまだ掴んだままの綾那の手首を握る力を強めた。彼の言葉に、竜禅はふっと小さく鼻を鳴らした。
「私が聖獣だから、人の法律では罰せられないと? まあ、私が死ねばこの世からありとあらゆる『水』が消えますからね。滅多な事は出来ないでしょうが――死なない程度の拷問であれば、受けてたちましょう。その代わり、彼女にだけは手を出さないでください。これ以上、颯月様から何も奪わないでください」
王は竜禅に、何も答えなかった。頑なに彼を見ようともせず、僅かに目を伏せて――真横に居る綾那にしか聞こえないような微かな声量で、「私は何も奪っていない」と呟いた。
その様子に、綾那は何か引っかかるものを感じた。一体、何が気になるのだろうか。理由を探るために王を注視するが、そうしている間にも竜禅が語気を強める。
「いい加減、目を覚ましてくれませんか? 我が主が存命だった頃は、賢王と名高かったあなたが――いつまでも死者に取り憑かれていてはなりません」
「取り憑かれているのは私じゃあない、お前達の方だろう」
「――今更、何を言い出すんです?」
「…………別に。ただ私は、彼女と話がしたいだけだ。お前が心配しているような事は起きない」
「その言葉を信用しろと? どうやってですか」
竜禅は厳しく追及するように問いかけた。王は何も答えず、表情にも変化はない。ただ無表情で目を伏せて、口を噤んでいる。
(ううん、無表情と言うよりも……なんだろう。諦め……諦観? いや、どちらかと言えば――)
「過去、颯月様を殺めようとした事すら、都合よくお忘れですか?」
更に続けられた竜禅の問いかけに、王は「あぁ……」とため息交じりの声を漏らした。
その表情は、諦観や悟りなんていう無の境地ではない。人よりも乏しい表情筋の動きに注視すれば、どうにも面倒くさそうで。
(そうだ、面倒くさそう! まるで、渚が周囲から「蔵書」の力を「ズルだ」って誤解されて……説明したところで誰も理解してくれないから、「もうズルでいいし、好きに受け取れば?」って、匙を投げた時に似てる!)
先ほどから、王の何がこんなにも引っかかるのだろうかと不思議に思っていたが――彼の態度は、どこか渚のとる態度と似ているのだ。
いくら説明しても理解されないし、時間を割いたところで誤解はとけない。それが実体験として積み上がっているため、渚は他人から理解を得る事を諦めている。ゆえに、他人に対する期待値が極端に低いのだ。
王は自身について誤解されやすいタチで、しかも周囲から信頼がないとも言っていた。
綾那は彼と出会ったばかりだし、もちろん長く共に過ごした竜禅の方が、信頼度は高い。竜禅が「王はヤバイ」と言うならば、実際ヤバイのだろう。
しかし――渚と似ていると気付いてしまったからには、王をこのまま悪者扱いして捨て置くのは、間違っているような気がしてならない。それこそ何か、彼らの間にとんでもない勘違いや、誤解が生じているのではないかと勘繰ってしまう。
綾那は竜禅に目を向けると、口を開きかけた。お節介かも知れないが、気になってしまう。「ほんの少しで良いから、陛下とお話をさせてもらえませんか」と言おうとしたのだ。
しかし、それよりも先に、王が言葉を発する方が早かった。
「――荷物をまとめて来ると良い」
「え……?」
そう言って王は、ずっと掴んでいた綾那の手首を解放した。それはつまり、綾那と会話するのを諦めたという事だろうか。
話をしたいと思っていた綾那は目を瞬かせたが、竜禅はこれで何事もなく終わると思ったのか、小さく安堵の息を漏らした。
王は椅子に腰かけたまま、困惑する綾那を見つめて続ける。
「――静真神父から聞いたのだが、君はどうも、恐ろしい不審者に狙われているらしいな」
その言葉に綾那は固まって、竜禅は「ウグッ」と小さく呻くような咳ばらいをした。よくよく耳を済ませれば、「もっと他に、言いようはなかったのか――!」と呟いたようだ。
「宿舎だと不審者が容易に近付けるため危険で、やむを得ず教会へ身を寄せた――そうだったな?」
王が問いかければ、突然水を向けられた静真は瞠目しつつも、「はい、騎士団長からそのように聞きました」と答えて、何度も頷いた。静真の答えを聞き鷹揚に頷いた王は、首を傾げる。
「不審者に狙われるなど、穏やかな話ではない――そこで、宿舎よりも……教会よりも安全な場所がある。君はそちらへ移動するべきだと思う」
「……陛下!? 必要ありません! 不審者の件は、既に解決済みで――!」
「解決? 何一つ解決していないだろう、むしろ今まさに問題の渦中に居ると言っても、過言ではない」
「そ、不審者は――陛下の事を指している訳では」
「ああ、そうだろうな。もしそうだとしたら、私は騎士団長を不敬罪で罰しなければならなくなる。彼の愛する婚約者に何かあっては大変だ、君はこの問題が落ち着くまで、王宮で過ごすと良い」
穏やかな声色で目を細める王に、竜禅は声を荒らげた。
「陛下!! 話がしたいだけだと仰られたではないですか、何故そのような事をなさるのです!」
「初めから信じていないくせに、まるで裏切られたように言わないでくれ。誠に遺憾だ」
「綾那殿はこちらで守ります、陛下の庇護は必要ありません!」
「何を慌てる事がある――不審者も王宮には近付けないだろう? あれほど安全な場所は他にない」
「お前がその「不審者」だからだ」「王宮が一番の魔窟なのだ」――と言えば、恐らく不敬罪で颯月の首が飛ぶ。竜禅はグッと息を呑んだ後、「とにかく、人攫いのような真似はやめてください」と反抗した。
そうして竜禅が制止するのも聞かずに、王はただ綾那に向かって「荷物をまとめておいで」と告げる。困惑しきりでその場から身動きが取れない綾那を見て、王は微かに笑った。
「閉じ込めない、平気だ。羽月さんや維月も居るから、安心して良い。きっと楽しいと思う。私は――ただ颯月の話が聞きたい、君に頼みたい事もある」
「頼み――あの、でも、急な事で、颯月さんを不安にさせてしまうかと……」
「そうか。では王宮へ入る前に、本部へ立ち寄ると良い。……別に、彼を不安にさせたい訳ではない」
「ええと……竜禅さん、私――」
「――ダメだ、二度と戻って来られなくなっても構わないのか?」
即座に否定する竜禅に、王は小さく「ハッ」と自嘲するような笑みを零した。そしてやや間を空けてから、そこで初めて竜禅に顔を向けた。
「これ以上邪魔するなら、お前ではなく騎士団長を不敬罪で裁くぞ。大人しく黙るか邪魔するか、どちらでも好きな方を選べ」
「…………結局、それがあなたの本性なんですね」
「そうであれ、と思っているのはそちら側だろう――さあ、早く荷物を」
綾那は頷くと、慌てて駆けだした。王に脅されたせいか、もう竜禅が引き留める事はなかった。




