将来の夢
綾那が教会で過ごすようになって、早くも数日が過ぎた。
ほぼ毎日澪が訪れては、子供達と遊ぶ日々。時たま陽香やアリスも顔を出して、近況報告がてら子供の相手をしてくれる事もある。
何か変化があったとすれば、澪が若干――本当に若干だが、綾那に懐き始めた事だろうか。
ただ、綾那に向かって「雪 (だるま)のおねーさん」と含みのある呼称を使うところを見ると、まだ完全に心を許している訳ではないらしい。
それでも「不細工」「太ってて恥ずかしいオバサン」「雪だるま」など、直接的な表現を使われるよりかは遥かにマシである。
颯月も約束通り、日によって時間はマチマチだが毎日顔を出してくれた。
彼は、綾那に宛がわれた部屋に取り付けた魔具と、首に付けられたネックレス型の録音機の記録媒体を毎日取り換えに来る。
回収した記録済みの媒体は騎士団宿舎まで持ち帰り、中身を確認してからでなければ、綾那の身が心配で眠れないそうだ。
傍から見れば正直「病気である」としか言いようがないが、当事者の綾那は終始幸せなので、今のところ弊害はない。
どうも颯月は、録音機に録られた悪魔憑キッズ達の悪だくみや、澪の口から飛び出る綾那への罵声について大層気になっているらしい。
しかし他でもない綾那が「私は颯月さんを裏切らないし、澪ちゃんだって子供の言う事だから平気ですよ」と言うから、今のところは見逃しているようだ。
――そもそもの話、立場ある騎士団長が子供相手に本気で凄むのは、あまりにも大人げない事である。録音機の事だって、下手をすれば颯月に告げ口するために綾那が用意したものだと思われる可能性が高い。
そういった理由もあり、颯月は「現行犯じゃないと諫められない」として、日々ヤキモキしている。
現行犯で捕まえるため教会に長時間滞在したくとも、彼は今繊維祭に向けての警備計画を立てるのに忙しく、まとまった時間が取れないのだ。
綾那としては颯月の心身の健康が一番重要なので、忙しいなら無理に毎日顔を見せずとも――とは思う。しかし肝心の颯月が「せめて記録媒体だけでも回収しないと、不安で気が狂う」と言うので、彼の好きにさせている。
ただ、日中どうしても顔を出せなかった時には、深夜や明け方――綾那が眠っている時に「空中浮揚」を使って窓から侵入する事があるので、正直どうかと思う。さすがに驚くので、そこだけは考慮して欲しいものだ。
――いや、傍から見れば考慮べき事は、もっと他にあるのかも知れないが。
とにもかくにも、綾那は教会で平和な日常を送っている。
まず教会から一歩も出る事がなく、買い物だって静真と楓馬の二人に任せっきりで、街へ出かける事もない。
皆が懸念していた国王との遭遇イベントなど起こるはずもなく、ここでの綾那の仕事は子守のみだ。
保護者組みが出かけている時に教会へ残される、悪魔憑きの朔と幸輝。そして、何かと浮世離れした常識知らずのヴェゼルの相手さえしてくれれば、それだけで助かります――とは、静真の言である。
(でも、まだしばらく街へ出られないとなると……陽香の晴れ舞台が生で見られないから、ちょっと寂しい)
陽香が出演するファッションショー、もとい繊維祭の準備は、着々と進んでいるようだ。
もう当日着る衣装も決まって、サイズ直しについてはアリスのギフト「創造主」が大活躍だったと聞かされた。
陽香はアイドクレース向きの華奢な体つきをしているが、そのくせ胸だけはそれなりにある。
「表」の女性からすれば「なんだ? そのチートなスタイルは」と歯噛みしたくなるような体形であるが、しかし体の厚みを一切許さないアイドクレース民からすれば、胸の大きさが目立つのは恥ずかしい事だ。
どうしても胸の大きい者は、さらしを巻いて潰すのが基本。アイドクレースの服飾屋で販売されている既製品の服は、バストは潰すものとして、胸部が極端に薄く作られている。
そのため、陽香が胸を潰す事なく素でさらりと着こなせるサイズ感の既製服なんて存在しない。
胸に合わせればウエストが余るし、ウエストに合わせれば胸が収まらない。本当に、なんて贅沢な悩みだろうか。
だからこそ桃華は、早々に衣装を決めてサイズを直さなければ、繊維祭に間に合わないと焦っていた。そこで、アリスのぶっ壊れギフトと名高い「創造主」が火を噴いたのだ。
元となる服が手元にあり、同じ素材の布や糸さえ揃えれば、あとはもうアリスの想像力一つで瞬く間にサイズ直しが終わる。
かくして、デザイン自体はメゾン・ド・クレースで販売されているものに違いないが、陽香の体形にばっちり合わせた完全オーダーメイド服が完成したという訳だ。文字通り、秒で。
陽香の姿を見た領民が、体の厚みは悪という固定概念を軟化させてくれると良いのだが。そうなれば綾那とて、少しは王都で生きやすくなるかも知れない。
(あーあ……見たかったなあ)
アリスが魔具で撮影するから、安心するように――とは言われているが、やはり生で体験する事と、映像を通して知る事は全く違う。
陽香が噂を攫うまで教会から出るなと言い含められている以上は従うしかないが、やはり口惜しい。
当日、ショーの会場はどれほど盛り上がるのだろうか。衆人の歓声だって生で聞いたら、鳥肌が立つほど高揚するに決まっている。
元はと言えば人前でマスクを外した綾那が悪いので文句は言えないが、せっかく現地に居るのに会場へ足を運べないとは――何やら四重奏に仲間外れにされているような気分である。
物理的な距離の問題で合流できない、セレスティン領の渚とは根本的に違うのだ。
ふう、と何度目か分からないため息を吐いた綾那の腕を、幸輝がグイーっと引いた。
「アヤ! もう一回、最初から見る! これ情けねーけど、オモシレーな!!」
「あ、うん、分かった」
幸輝が「もう一回見る」と言ったのは、悪魔憑きの子供達が颯月の手ずから魔力制御を学んだ、あの地獄のドキュメンタリー映像である。
本日はあいにくの雨で外で遊べず、澪も悪天候だからと教会を訪れなかった。
それなら室内でできる遊びを――となったのだが、綾那はふと、「そういえばあの時のドキュメンタリー映像、編集終わってたな」と思い出したのである。
タイミングよくデータの入った記録媒体も所持していたため、試しに見せてみようと動画を流したところ――子供達は大喜びした。
実は二日ほど前、綾那は陽香より「思いのほか繊維祭の準備に手間取ってて、大食い大会の映像の編集が全く間に合ってない」という話を聞かされた。
大食い大会の映像は、繊維祭で陽香を「広報で働く女性である」と領民に周知させ次第、即配信する予定だ。
しかしその編集が間に合っていないとなれば、配信日も後ろにずれ込んでしまう。鉄は熱いうちに打てとはよく言ったもので、「表」のスタチューでも、動画配信のタイミングは何よりも重要だった。
せっかく繊維祭という一大イベントで、陽香や彼女が属する騎士団に注目が集まっているのだ。
やはりその日の内に動画を流して、より多くの視聴者――ファンを獲得したい。それがたった一日ずれ込むだけでも致命的だ。一日、いや、半日もあれば人間の興奮は冷めてしまう。
言い方は悪いが、陽香のショーを見て熱狂して、「なんか皆が「良い」って言ってるし」なんて周囲の盛り上がりに流されて、判断力が著しく低下しているところに思い切りトドメを刺したいのだ。
ショーの陽香だけでなく、広報の陽香――そして騎士団の半プライベートとも言える大食い大会の動画を見れば、ファンは大いに盛り上がってくれるはず。
――という訳で。
繊維祭の準備に一切携わる事なく、子守以外に手持ち無沙汰の綾那に白羽の矢が立った。手が空いた時間に編集を進めて、なんとか繊維祭までに動画を間に合わせてくれと。
そこからはとんとん拍子に事が進み、すぐさま綾那が借りている教会の部屋へ編集用の魔具――「表」でいうパソコンの役割をもつものだ――が運び込まれた。
もちろん子供達と過ごしている間は、手どころか目も離せないため編集する暇なんてない。ただ、綾那が過ごす部屋は、静真によって子供達の入室が固く禁じられている。
夜間に子供達が寝静まった後であれば、これでもかと編集作業に没頭できるのだ。
そうして夜な夜な大食い大会の編集作業を進めている時に、子供達のドキュメンタリー映像のデータが目についた。
まだ当事者にさえ見せていないものだから、機会があれば見せよう――と思っていた矢先の雨だ。
綾那は撮影用に持ち歩けるタイプの魔具でデータを再生して、子供達に映像を見せた。
「やー、何回見ても僕、すごい泣いてるー……カッコ悪いね」
「うーん、確か魔石をいっぱい割っちゃって、いっぱいいっぱいだったんだよね……仕方ないと思うよ、ほら、静真さんだって泣いているもの」
「はは、うん本当だ、しずま面白ーい!」
「皆本当に、よく頑張ったもんね……花火も本当に綺麗な形してる。この図案、いまだに街の人が聞きにくるんでしょう?」
「そうだな。だいたい皆、来年は花火を打ち上げまくるんだって言って、図案を聞きに来る」
綾那の言葉に、楓馬が頷いた。
既に悪魔憑きでなくなった彼は、朔や幸輝と、街の普通の人間との緩衝材の役割を担っているようだ。
互いの間に深く刻まれた亀裂は、早々埋まらない。どちらも警戒心を捨てきれないとなれば、元悪魔憑きで現在人間の楓馬が間に入る事によって、会話をスムーズに進めるしかないらしい。
「――あの時、こんな事してたんだな、こいつら」
動画を見ながらぽつりと呟いたヴェゼルは、なんとも言えない表情をしている。あの夏祭りの日、彼も色々あったのだ――何かと思う事があるのだろう。
「ねー、しずまにも見せよ? しずま喜ぶよ!」
「うん、でも静真さん今、お客さんが来ているみたいだから……また後でね」
「はーい!」
「……なあ綾那、コレってどうやって作んの? 五日間撮ってたヤツがこんなに短くまとまって、でも面白いってスゲーな」
感心したように言う楓馬に、綾那は笑みを深めた。
「それは、特に面白い所を切り抜いているものだからね」
「この文字入れは?」
「テロップ? 魔具を使って編集してるんだよ。
「じゃあ、後ろで流れてる音は?」
「これも魔具を使ってる。音楽は、陽香やアリスと実際に楽器を演奏して、それを録音したものだよ」
「……スゲー。なあこれ、大衆食堂で流れてる騎士団の広報動画ってヤツと同じように作った?」
何やら随分と興奮している楓馬に、綾那は首を傾げた。
どうして教会から滅多に出ない楓馬が、大衆食堂で配信されている動画について知っているのだろうか――と思って、すぐさま「彼はもう悪魔憑きでなくなったから、街の色々な所へ足を伸ばせるようになったんだった」と思い直す。
静真と一緒に、大衆食堂『はづき』を訪れたのだろうか。その時に店内で流される広報動画を見たのかも知れない。
「うん、そうだよ」
「次の動画は? もうアルミラージの動画から二ヵ月以上経ってるんだろ、皆待ってるって言ってたけど」
「……うーん、今まさに編集してるところだね」
やはり随分とファンを待たせている。いや、待たせ過ぎているらしい。
いくら最近忙しく動画どころではなかったとは言え、待ってくれている人々には本当に悪い事をしてしまった。
少々罰の悪い顔をした綾那だったが、楓馬が「え!!」と大きな声を上げたため瞠目する。
「――俺、見たい」
「動画? 繊維祭まで待ってね、その日までには必ず間に合わせるから――」
「違う、違う! 完成したヤツじゃなくて、作ってるとこが見たいんだって!」
「……へ?」
「大衆食堂で流れてるヤツ見た時に、どうやって作ってるんだろうって思ったんだ。撮り方もだけど、撮ったヤツをどうすればこうなるんだろうって……まるで瞬間移動みたいに場面が切り替わるし、音は鳴るし、文字が出ると動く絵本みたいだろ?」
饒舌に語る楓馬に、他の子供達はぽかんとしている。そもそも彼らは騎士団の広報動画を見ていないのだから、なんの話なのかも理解していないだろう。
綾那は綾那で面食らった顔をして、キラキラと目を輝かせる楓馬を凝視する。
(え、もしかして楓馬、スタチューバーに興味ある……? 神父――静真さんの補佐じゃなくて?)
なんという事だろうか。まだ動画配信の土壌すらできていないにも関わらず、演者よりも動画づくりの方に興味を抱く若者が現れるとは。
曲がりなりにも広報のリーダーとして、新人の獲得、後進の育成は積極的にすべきだろうか。
綾那は俯きしばらく「うーん」と唸った後に、やがて顔を上げると「じゃあまた今度、時間があったら編集してる所を見せてあげるね」と言って微笑んだ。
その言葉に、楓馬は珍しくぴょーんと飛び上がって「約束だからな!」と無邪気に笑ったのであった。




