リタイア続出
大盛り上がりの中スタートした大食い大会。
提供されるホットドッグは、街の食事処から七名ほど引き抜いてきた料理人達が舞台裏で作ってくれている。
折角動画に携るのだからと、司会の陽香は抜かりなく「どこどこの店から手伝いに来てくれた」と、食事処の店名をしっかり紹介していた。
もちろん料理人には別途賃金が払われるのだが、プラスアルファで宣伝したって罰は当たらないだろう。
この動画を見た視聴者が、後からそれぞれの食事処へ足を向ければ良い。そうして、食事ついでに「撮影はどうだったのか」とか「裏話はあるのか」とか聞きに行ってくれれば、経済も回って良いのだが。
綾那はカメラを構えつつ、満足げに笑った。既に残り時間は十分まで迫り、続々とリタイアする者が現れている。
見た目十歳児の右京は外見通りに胃が小さいのか、それとも周囲の『大人』に華を持たせる意味もあったのか――いの一番に「僕もう、食べられなぁい」と言って戦いの舞台を降りた。
元々陽香からはマスコット枠として呼ばれていたため、真剣に戦うつもりもなかったのだろう。
彼は早々に舞台から降りて、見学者のテーブルへ移動する――かと思われたが、「どうせだから、腹ごなしに配膳係を手伝うよ」と言って、他の参加者へホットドッグを運ぶ余裕すら見せている。
普通、満腹であればホットドッグを見るのも苦痛だろう。右京が胃袋に余裕を残したままでリタイアしているのは、間違いない。
開始から三十分もすれば、若手騎士のリタイアが相次いだ。
そして、綾那としては適当な所で舞台を降りてしまうのだろうと思っていたが――意外な事に、幸成は大健闘した。カメラのレンズから逃れたい思いと、桃華の前でわざと負ければ「これは他でもないお姉さまのお仕事なのに、手を抜くなんて信じられない!」と詰られる不安の板挟みになったのだろうか。
わざわざ桃華が応援に降りてこずとも、しっかりと四十皿ほどホットドッグを食した所で「ごめん、俺そろそろ吐くわ……」と正々堂々リタイアした。
カメラを気にしながらも真面目に大会に参加した彼の雄姿に、きっと桃華も喜んでいる事だろう。
残るは和巳と明臣、そして旭の三人だ。見学者はそれぞれに檄を飛ばしながら、大会の行く末を見守っている。
旭については「妹のために頑張れ」。明臣については「勝って告白を」。そして参謀の和巳については――アイドクレースの騎士からすれば、この中で一番立場が上の存在だ。
いくら無礼講とは言え応援しない訳には行かないだろうし、そもそも彼は周りから慕われている。
そう、それはもう、色々な意味で慕われている。
さすがに本人を前にして男装の麗人とか「風縛」されたいとか言う猛者は居ないようだが、会場から時たま「ほう……」と熱っぽい息が漏れるので、わざわざ口にせずとも見惚れている事は理解できる。
「さあ残り十分、ラストスパート!! このままミンさんが逃げ切るか、新人のアーサーが下克上か! いや、それともまさか、ルベライト騎士団の王子が優勝してしまうのかー! 解説の禅さん、どうッスか?」
「ふむ……そうだな。私が聞いた話では、どうも旭はこの大会の応援に行きたいとねだる妹を、「男しか居ない場所へ連れて行けるか」と言って拒絶したらしいな」
「おおっと、やはり過保護なシスのコンだったーー!?」
陽香と竜禅のやりとりに、ホットドッグを水で流し込んでいた旭がゴフッと激しく噎せた。
そんな私的な話が竜禅に伝わっている事も驚きだが、そもそも何故今このタイミングで、シスコン情報を紹介するのか。
陽香が訊ねたのは、決してそんな事ではなかったような気がする。しかし陽香自身が盛り上がってしまっているので、最早手に負えない。
旭は口元を手で覆って咳込みながら、震える声で「リタイアします――」と告げた。ただでさえ胃の容量が限界を超えている上、度重なるシスコン疑惑をかけられて完全に心が折れてしまったようだ。
一刻も早くカメラの前から――というか、舞台から消えたいと思っているに違いない。
見学者からは、彼の健闘を称えるように大きな拍手が送られた。
「ここに来て、ミンさんと王子の一騎討ちだ! 食べたホットドッグの数は五皿差、追いかける王子にとっては厳しい戦況か……!? って言うかコイツら、二人揃ってホットドッグ百本以上食ってます! それにも関わらずまだ手が止まらん、もはや化け物です!! エンゲル係数お化け!!!」
「エンゲル係数に触れるのはやめてください。そもそも、食費に困るような額の給料は貰っていませんから」
「ここでミンさんから、冷静な自慢がぶちかまされた! ……おい、王子! 王子もなんか自慢言っとけ!」
「は、はあ……自慢ですか? 自慢――ええと、「守りたい女性が居ます」、ぐらいしか……」
「――ック! わざわざ相手の居ない私の前でそのような話をするとは、『天淵氷炭』、やりますね――!」
「ミンさんが精神的ダメージを負って、完全に手が止まったぞ! これで勝負の行方は分からなくなったかー!?」
明臣の自慢 (?)に、和巳は両手で顔を覆って項垂れた。明臣は瞠目して「えっ、そんな! 別に、精神的に追い詰めようと思って発言した訳ではありませんけど!?」と、慌てた様子で眉尻を下げる。
アイドクレース騎士団には「立場が上の者から順に結婚する事」という暗黙の了解があるらしく、当然参謀の和巳も立場が上の者に含まれる。
ゆえにどこか焦っている節があるのだが、しかし焦った所で良い相手が見つかる訳でもない。
ただでさえ彼は美貌の騎士なのだ。騎士が結婚相手として不人気だからというだけでなく、あの麗しすぎる容貌に女性の方が及び腰になっている可能性も否めない。
人間見た目が大事とは言うが、端麗すぎるとかえって仇になる事もあるようだ。
陽香の「残り五分ー!」という掛け声に、見学者からはより熱を帯びた声援が送られる。
(ああ、楽しい。やっぱり好きだなあ、撮影するの――)
イベントを企画するのも、皆で騒ぐのも楽しくて仕方がない。綾那自身は演者に回れないとは言え、こうして撮影者として動画に関わる事ができるならば、なんだって構わない。
あと五分、たった五分で楽しい時間は終わってしまう。
――いや、それはそれとして。今綾那には、自分自身驚きの問題が発生していた。
(お酒の匂いだけで、酔っ払った疑惑……)
何やら頭の芯がぼうっとするような感覚に、顔や体の火照りを感じる。
自分でも何がそんなに楽しいのか分からないが、口元もマスクに隠れた目元も、先ほどからニヤけっ放しだ。地に足がついていないような、ふわふわとした謎の高揚感に包まれている。
あまり動くと足元がふらつきそうで、和巳と明臣の一騎討ちになったのを良い事に一歩も動かず、綾那はもはや定点カメラと化している。
大会開始直後から見学者の若手が酒盛りを始めていたので、会場には初っ端から酒の匂いが充満していた。それはよく分かっていたが、しかしまさか「解毒」を失った自身が、これほどまで酒精に弱いとは思わなかった。
何が「大会が終わったらお酒を飲んでみようかな」だ。匂いだけでフラフラなのに、こんなものを飲んだら最後即座にぶっ倒れてしまいそうではないか。
(でもなんか、訳も分からず楽しいから、笑い上戸なのかなあ。泣くとか怒るとかじゃなくて、良かったかも……でも体がふにゃふにゃする)
楽しい時間が終わるのは寂しいが、しかし、一刻も早く撮影を終えて外の新鮮な空気を吸いたい気持ちもある。
綾那はカメラが揺れて映像が乱れていたらどうしようと不安に思ったが、しかし「まあ、楽しいからなんでもいっかー」と機嫌よく笑って、和巳と明臣が雌雄を決する瞬間を待ちわびた。




