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大会当日

 出会ってからというもの、颯月の顔を見ては歓喜して、触れられれば過剰反応して。

 何事か甘い言葉を囁かれる度に身悶えて、語彙を失い奇声を発する。もしくは――颯月曰く――オークに襲われる婦人のリアクションとやらを繰り返していた綾那。


 時たま、綾那の方が迫り過ぎて彼を困惑させる事はあったものの、基本的には颯月が圧倒的優位に立っていた。良くも悪くも綾那は、彼の一挙手一投足に振り回される側だったのだ。


 しかしあの晩、颯月から告白されて舞い上がった結果。いつの間にか、攻守交替しているような気がしなくもない。

 どうも颯月は、紳士として女性を気遣いエスコートする手腕には長けているが、女性に詰め寄られる――というか、積極的に誘惑される事に対する免疫が、あまりないようなのだ。

 恐らく今まで、彼の顔と『元王族』『現騎士団長』という肩書に集まる女性を、正妃が問答無用で蹴散らしていたせいだろう。


 セクシーを律しろと言うならばいくらでも律するが、しかし綾那が彼を好きな気持ちは、どうしたって抑えられない。律するも何も、そもそも綾那は見た目と雰囲気だけで、陽香から『お色気担当大臣』なるものに任命されたのだ。

 変に意識せずとも、ただ颯月に「好き」と伝えて寄り添うだけでも、ある程度蠱惑的になってしまうのは仕方がない事だ。


 それとなく陽香に具体的な律し方を示して欲しいと伝えてみた所、「は? アーニャがアーニャである以上は、無理無理のムリだろ」と、一考する事もなく匙を投げられてしまった。

 まず初めに「律しろ」と命じてきたのは彼女だった気がするのだが、なんとも理不尽である。


 そうして、颯月を戸惑わせる日々が二、三日続き――ちなみに、あの日から巡回に巻き込まれるようになった竜禅も、毎晩何かと苦しそうだった――本日はいよいよ、『ドキッ! 漢だらけの大食い大会』の開催日だ。



 ◆



 大会会場である、騎士団の屋内訓練場。それは騎士団の宿舎と、王の私有地内で働く使用人が住む別館との、ちょうど中間あたりに設けられている。


 企画の段階では、「撮影の観覧客が居た方がより盛り上がるのではないか」とか、「早い段階で動画撮影に興味をもつ人間が出てきてくれれば、リベリアスの配信文化がより発展するのではないか」などと話していた。

 つまり天候にさえ恵まれれば、屋内ではなく――敷地外から柵越しにはなるが――領民が自由に見学できる、屋外の訓練場を大会に使用するのもアリだと。


 ただそうなると、どうしたって司会兼進行の陽香、そしてカメラを担ぐ綾那とアリスの姿も人目に晒されてしまう。たった一本の宣伝動画で、大量の『騎士ガチ恋勢』を生み出したのだ。

 領民がというか、彼らのファンの女性達がどう思うか。『広報』所属とは言え、どこの馬の骨とも知れない女が騎士に近付く所を見せられて、大人しく観覧などできるはずもない。


 そんなもの、すっかり颯月に対するガチ恋具合が進行している――最早『麺被りNG』を発症しそうな勢いの――綾那が逆の立場であっても、「は!? なんでスタッフに女使ってんの? 普通に男使えばいーじゃん! 誰のコネ? もしかして誰かの『繋がり』? ずるくない!?」と歯噛みしてしまうだろう。


絢葵(あやき)さんの時は、「まあそんな事もあるよね、神だから」で済んでいたんだけどな……やっぱり颯月さんって、罪深い魔性の男なのかも知れない。と言うか私、もう『ファン』じゃあ満足できなくなっているものね――)


 あの日以来「私は愛されているのだから」と自信をもち、すっかり卑屈になる事をやめた綾那は、一人うんうんと頷きながら会場の設営に勤しんでいた。

 まだ「怪力(ストレングス)」を失っているため、今まで得意だった力仕事が満足にできないのは少々歯痒い。しかし、テーブルや椅子の配置調整やクロス敷き、カートを使って食材を運び入れる事ぐらいはできる。


 まず早朝三時に会場入りして、全体の床磨き。そして動画の見栄えと、汚れを最小限に済ませる事を考慮して、薄手のシーツを敷き詰めた。

 一応ここで調理と食事をするのだから、衛生面にはよくよく留意しなければならない。


 大会のメイン会場となるのは、舞台のように高くなったステージ。ここには幅広の長机を二つ繋げて設置して、参加者十人分の椅子を並べてある。

 参加者に対して撮影者が綾那とアリスの二人しか居ない事もあり、あまり大々的に広げてしまうと、どうしても映像の撮り漏らしが出てしまう。長身でガタイのいい者ばかりの騎士からすれば、少々窮屈かも知れないが――彼らには、横並びで居てもらった方が撮影しやすいのだ。


 更に今回の催しは、宿舎で訓練に明け暮れる若手騎士の慰労も兼ねている。

 舞台で撮影している様子をつまみに彼らが喫食できるよう、場内にはまるで食堂のようにずらりと机と椅子を並べてある。


 彼らが参加者に対して応援なり野次なり飛ばしてくれれば、一般人の観覧客が居なくとも十分に盛り上がるだろう。

 ちなみに、若手騎士が見学している様子を撮影する事についても承諾済みだ。

 動画に映り込む事に抵抗がある者については、宿舎の食堂でも特別な食事を用意してあるので、訓練場ではなくそちらで喫食するよう、あらかじめ断っている。


 今回の動画は編集後、まず宿舎の騎士に解放して、「本当に街に流しても平気か」と改めて意思確認、調整すべきかも知れない。

 何せこの慰労、体育会系の『漢』ばかりが集まり、しかも酒まで振舞われるのだ。若手だけあって若輩者が多く集まるが、リベリアスの法律上飲酒は十八歳から許可されている。

 中には、まだ飲めるようになったばかりで酒精に慣れていない者も居るだろうし、彼らが限界を見誤り、とんでもないオモシロ映像が撮れてしまう可能性だってあるのだ。


 撮影中に記憶を飛ばす者も現れるだろうし、自身の愉快な姿が配属前の街中に流されるのは辛いだろう。

 騎士団の楽しさはこれ以上ないぐらい伝わるだろうが、未来ある若者達のやる気を、むやみに摘み取ってはならないのである。


 綾那は「撮影が終わったら、私も「解毒(デトックス)」がない内にお酒飲んでみようかな」なんて思いながら、最後のテーブルクロスを敷き終えた。


「綾那殿、苦労をかけるな」

「いえいえ! 元はと言えば広報発案の企画ですし……お手伝いするのは当然の事です」


 和巳によって大会実行委員に仕立て上げられた竜禅は、今日もマスクで目元を覆い隠している。

 輝夜以外になら見せても構わないと国王に命じられているのだから、素顔で出演してくれれば――とは思うものの、「なければないで落ち着かない」と言うので、無理強いはできない。


 彼の役割は、今回も動画の『解説』だ。

 実況については陽香が請け負うので、竜禅には参加騎士のプロフィールというか――人となりについての情報を一言二言付け足してもらえれば、視聴者にとって騎士がより親しみやすくなるだろう。


 綾那は、ちらと壁掛け時計を確認した。現在の時刻は八時前で、少ない人数で搬入作業をした割には、上々の出来だろう。

 大会スタートは昼前の十一時を予定しているので、まだ時間がある。


「あと他にできる事はありますか? 常温保存でも平気な食材は運び込んじゃいましたけど、冷蔵物はさすがに置いておけないですものね……」

「そうだな、何せこの外気温だ。その辺りは颯月様がいらしてから、氷魔法で簡易氷室(ひむろ)を――」


「颯月」の名を聞いた途端、綾那はぱあと表情を明るくした。竜禅と同じく目元にはマスクを付けているが、隠れた瞳は間違いなく恋する乙女のごとく潤んでいるだろう。


「颯月さん、いつ頃いらっしゃいますか? お仕事が片付いたら、一度様子を見に来て下さるとの事でしたよね」

「…………もうそろそろ、お越しになる頃だろうが――綾那殿。頼むからもう少し、愛情表現を抑えて欲しい」

「えっ」

「恐らく、私が颯月様の暴走を制止すると期待しての事なのだろうが……最近、何があっても共感覚を切ってくださらないんだ――あの方をむやみに誘惑しないでくれ……」

「そ、そんな! 私、すごく頑張って抑えてます……! 私の愛情表現は、百八式まであるんですから!」

「それは愛情表現ではなく、煩悩の数だろう――いや、後学のために聞くが、今現在の練度はどの辺りなんだ」

「……最近は三式ぐらいです。私、正式なお付き合いを認められてから全力を出すタイプなので」

「――クッ……! ダメだ、颯月様が綾那殿を相手取るには、早過ぎたんだ! 三で息も絶え絶えなのに、百八まで耐えられるはずがない! 見た目はともかく、颯月様の中身はほとんど白兎のようなものだぞ? 羊の皮を被った百戦錬磨の狼に勝てるはずがないではないか――!」


 竜禅はマスクを片手で覆うと、嘆くようにして訓練場の天井を仰いだ。綾那は彼のあまりにもな言い草に、「誠に遺憾である――」と唇を尖らせた。羊の皮を被った百戦錬磨の狼とは、酷い言われようだ。


「――おうおう、なんか聞き捨てならん話が聞こえたけど? アーニャお前、颯様と距離とる的な感じじゃなかったっけ? そもそもまだあたしらが認めてもないのに、何お前の方からにじり寄ろうとしてんの?」


 どこから聞いていたのかは分からないが、目を眇めて訓練場へ入って来た陽香の纏う雰囲気は、いつもと違った。

 顔にはアリスの手で薄化粧を施されているし、「表」に居た時よりも伸びた髪の毛は、後ろで一つ結びにされてちょろんと小さな尻尾のようになっている。

 服装こそいつものダボっとしたメンズライクのものだが、しかし髪を結んで細い首筋を晒している事によって、否応なしに華奢であるという事が分かる。


 いつもの陽香も十分華があるとはいえ、背が低く童顔なので、スッピンだとどうしても中学生ぐらいに見えてしまう。

 彼女の役割は、あの顔を売ってアイドクレース騎士団の入団を希望する男達を集める事だ。

 ()()()()――と言うと、実年齢二十一歳の陽香はキレるに違いないが――中高生男子ばかりではなく、それなりに成熟した男性にだって、入団資格はある。


 右京が陽香について度々「いや、僕ロリコンじゃないし」と評するように、どうせ恋慕して入団するなら、あまりにも若過ぎて犯罪臭がする相手よりも、せめて成人した女性の方が後ろめたくないはずだ。


「わあ、陽香可愛い、綺麗にしてもらったんだねえ。今日は十八歳くらいに見えるよ」

「なに話逸らしてんだ、お前の煩悩が百八式あるところから聞いてたぞ」

「煩悩じゃなくて、愛情表現だよ?」

「――てか、十八に見えてたらまずくねえか。成人してるように見せねえとって言ってなかった?」

「この国の女性は、十六歳で成人だから」

「なら良いか……いや、良くねえわ! そもそも、どこからどう見ても二十一なのよなー!!」

「十八に見えるようになっただけでも感謝しなさいよ。アンタが年相応に見られるようになるまで、少なく見積もってもあと十数年はかかるっての」


 陽香の後から入って来たアリスは、いつも通りにド派手なギャルメイクを施している。髪についてはまだ気に入ったウィッグが見つからないのか、今も綾那が貸したものを使用しているらしい。


 彼女も綾那と同じく撮影班なのだが、しかしまだ部外者であるし、陽香と違って騎士に『広報』として挨拶もしていない。よって、建物の中二階――ギャラリーと呼ばれる点検用に使われる細い通路から、会場全体の撮影をしてもらう事にした。

 リベリアスの魔具(カメラ)は性能がいいため、レンズさえ高倍率なものに変えてしまえば、割と鮮明に撮れるのだ。


 更に、ギャラリーには「水鏡(ミラージュ)」がかけられているので、下から見上げてもアリスの姿が見えない。だから騎士達を戸惑わせる心配はないし――そして何より、幸成と旭のどっきり企画についても、憂いなく任せられると言った寸法だ。


(ふふふ……幸成くんにも旭さんにも、撮影者が私の他にもう一人居る事を伝えていないもの! ギャラリーに「水鏡」がかかっている事は、騎士にとって周知の事実! でも、カメラ役の私がずっと二人の視界に入っていれば――まさか、あそこから盗撮されているだなんて疑う余地はないはず!)


 良心の呵責は、一体どこへ行ってしまったのか。綾那は、幸成達を騙して撮影する事にすっかり罪悪感を覚えなくなってしまっている。

 きっとこれが、アイドクレースの流儀に染まるという事なのだろう。


「アリスも準備お疲れ様。幸成くん達がここに来る前に、ギャラリーに待機していて欲しいな」

「当然、分かってるわ。スタチューバーたる者、企画潰しはご法度(はっと)よ。でも、もう設営で手伝う事ないの? 陽香のメイクが早めに終わったから、何かしら手伝えると思ってたんだけど――明臣も連れて来たのに」


 その言葉で、綾那は初めて明臣の姿に気付いた。

 招待された身とはいえ遠慮が勝るのか、彼は相変わらずキラキラ光る王子オーラを纏いつつも、会場入口にぽつんと静かに立っている。

 派手な容貌のせいで、黙って立っている方がかえって目立つとは難儀だなと思いながら、「手伝いかぁ」と呟く。


「しかし、あとは本当に颯月様の到着待ちのようなところがあるからな。氷魔法――簡易氷室がなければ、食材も搬入できない」

「氷? あ、じゃあ明臣連れて来て正解ね、一番氷が得意らしいから。さっさと運んじゃいましょうよ」

「――えっ」

「え゛ぇ!?」


 パンと拍手を打ったアリスに、綾那と陽香が瞠目した。いや、陽香に至っては、数歩後ずさった。


 確か彼、明臣は――連れが居る状態では満足に戦えないからと言って、出会った魔物をことごとく氷漬けにしてきたのではなかったか。それはつまり、魔力制御に問題があるという事に違いない。


 周りに人が居るどころか、ここは建物の中だ。そんな場所で、彼に魔法を使わせても平気なのだろうか。

 右京は彼について「容赦のない魔法の使い方をする」と評していたし、綾那と陽香はついこの間まで、悪魔憑きの子供達の訓練を見学していたのだ。

 彼らが魔法を暴発させた時に降りかかった火の雨の様子は、今も鮮明に思い出せる。それに何より、彼は『バーサーカー』なんて物騒な通り名まで付けられていなかったか。


(い、いやでも、洗浄や乾燥の魔法とか、普通にできていたものね……?)


 そうでなければ、アリスはとっくに動かぬ屍になっていたはずだ――それなら、平気か。


 神妙な顔つきをして悩む綾那と、(おのの)いた様子の陽香。そんな二人に、アリスは「なんなのよ、その反応は――」と首を傾げながらも、明臣を呼びに入口まで駆けて行ってしまった。

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