子供達と交流
以前、陽香が幸輝に向かって「騎士になるなら、もう少し女心を学んだ方がいい」とアドバイスした際の事。幸輝は「静真がそういうの全然だから、分かんない」と漏らしていた。
(うーん……確かにこれは、全然なのかも知れない――まだ子供の楓馬でさえ、澪ちゃんの恋心に勘付いているみたいなのに)
痩せこけた幽鬼のような容貌をしているせいでイマイチ年齢不詳な静真であるが、しかし話している時の体感からして、綾那や颯月と変わらない年齢なのだろうと思う。
それにも関わらず恋愛事に酷く疎いのは、やはり若い時分から子供の世話に奔走していて、己の事を後回しにして来たせいか。
綾那は苦笑いしつつ、「まあ、同性にしか分からない事ってあると思います」と、フォローなのか優しくも悲しい嘘なのかよく分からない言葉をかけた。
しかし肝心の静真は「本当に澪ちゃんが、朔の事を……? まだ七つの少女が……!?」と大層ショックを受けているようで、綾那の言葉はあまり耳に入っていないらしい。
そうしていると、ふと賑やかだった裏庭が静かになっている事に気付く。扉の隙間から見やれば、どうも母親の声掛けを合図に、澪という少女の家に帰る時間が訪れたようだ。
テラスのテーブルから立ち上がって荷物を抱えた母親と――まだ遊び足りないのか――不服そうな顔をして、渋々母親の元へ歩み寄る澪。このままここで立ち話していると、彼女らと鉢合わせてしまう。
別に鉢合わせたところで困る事はないのだが、颯月はアイドクレースで有名な悪魔憑きの騎士団長であり、人々に敬遠されがちだ。綾那もまた、ここ最近は街に常駐している騎士の間で妙な噂をされている。それらが落ち着くまで、できる事なら不特定多数の目には触れたくない。
颯月も同じ考えだったようで、いまだ放心状態の静真に「厨房借りるぞ」と声を掛けると、綾那の手を取り素早く身を翻して歩き始めた。そうして一旦厨房へ身を隠すと、澪と母親が帰宅するのを待った。
◆
「――お前、来るのが遅すぎるぞ! こんな時間じゃあ遊べないだろ!?」
「ごめんなさい、本当はもう少し早く来るつもりだったんですけど――」
腕組みをしてツーンと顔を逸らすヴェゼル。綾那は申し訳なくなって眉尻を下げた。
あれから母子が帰るのを見届けた綾那と颯月は、子供達の前に姿を現した。彼らは「約束の時間はとうに過ぎたし、もう今日は来ないだろう」と半ば諦めていたようで、二人の来訪を大層喜んだ。
しかし、時間が時間のため外では遊べず、もう部屋の中で遊ぶしかない。
室内の遊びと言えば、絵を描くとか本を読むとか――どうしても大人しいものに限られる。
どうもヴェゼルは体を動かす遊びが好きなようで、普段陽香が遊びに訪れた際には、追いかけっこしたり裏庭に植わった樹に登ったり、そういった事をして元気いっぱいに遊んでいるそうだ。
「アーニャに嫌われてなくて、良かったけど……でも、なんかアーニャしずまみたいになってるよ」
「だよなあ。静真ほどガリガリではねえけど、顔色悪いしクマが……あと、なんかふらついてて死にそう。マジ静真」
「そ、それは、私にも静真さんにも失礼な気がするよ……?」
子供達は再会を喜んだのも束の間、しかし綾那の様子がおかしいと不安げに瞳を揺らした。
綾那は「平気だよ」と答えながら、久々に――と言っても、ほんの一週間ぶりだが――訪れた子供部屋をぐるりと見渡した。
外では遊べないからと、朔に絵本の朗読をせがまれたのだ。ちなみに、颯月はいつも通り静真と二人で近況報告会をするため、席を外している。
綾那はふと、いまだ腕組みをして不貞腐れているらしいヴェゼルを目に留めた。教会での彼の立ち位置はどうなっているのか気になったのだ。
「ところで皆、ヴェゼルさんとは仲良くしてるの?」
「ゼル? コイツ面白いんだぜ! 超バカで、俺の宿題も全然分からねえの!」
「バカじゃない! この俺が、わざわざお前らのレベルに合わせてやっているんだ、ありがたく思えよ!」
片眉をひょいと上げて顔を顰めるヴェゼルに、朔が「ほんと、エラソーで面白い」と無邪気に笑った。
「そっか、遊べるお兄ちゃんが増えて良かったね」
「――おっ、お兄ちゃん!? 俺がか!?」
「え、だって……一番年上ですよね」
浅黒い肌を紅潮させて後ずさるヴェゼルに、綾那は首を傾げた。
悪魔が一体、何百――何千年前に生み出されたのかは知らないが、しかし世界を形作る氷とか雷とかを司っているくらいだから、きっと悠久の時を生きてきたに違いない。
人間の歴史で確認されたのがここ三百年ほどであるというのは、ただ単に、彼らがなりふり構わずハメを外して暴れ回るようになったのがその頃から――というだけの話だ。
そういった事情を一旦抜きにして、ヴェゼルの外見だけで判断したとしても、推定十二、三歳の楓馬よりは上に見える。
(改めて耽美な姿をしているよね、ヴェゼルさん……さすが悪魔)
痩身でしなやかな体つき。背は、まだ綾那よりも幾分か低いだろうか。短い黒髪――元は銀髪だが――はサラサラで、指通りが良さそうだ。
ルビーのように赤かった瞳は、これも魔法で擬態しているのか、氷魔法が得意な事を表す薄い青色になっている。
綾那個人のイメージとしては「悪魔といえば、不健康そうなくらい色白!」なのだが、浅黒い肌もなかなか良いものだ。髪から足先まで黒尽くめの姿は、まるで凛々しいクロヒョウのようである。
彼の本来の姿を目にするたび、綾那は「どうして、出会った時にこの姿で現れてくれなかったのかな」と思わずにはいられない。
初めて出会った時、ヴェゼルは全長十メートルを超える巨大なダイオウイカに擬態していた。そのせいで綾那は、彼を未知の魔獣だと勘違いして要らぬ警戒をしたり、声帯がないから意思の疎通ができなかったりと、大変な苦労をしたのだ。
まあ、全て天使の『予知』的には必要に迫られた事だったようだし、綾那も無事であったし、もう良いだろう。
「俺が、お兄ちゃん……お、俺、弟居ないから変な感じだ! ――よし、じゃあ、お前ら今日から俺の弟な! 兄貴の言う事は絶対なんだぞ!!」
「うるさいな、足し算も満足にできないくせに図体だけで兄貴面すんなよ」
胡乱な眼差しを向ける楓馬に、ヴェゼルは再び「それぐらいできる! できない振りしてるだけだ!!」と主張した。まさか彼の正体が悪魔だという事は告げていないのだろうが、仲が良さそうで何よりである。
綾那は手に持った絵本を開きながら質問を続けた。
「ヴェゼルさんはいつも、どこで寝ているんですか? ここにベッドは増えていないみたいですけれど」
「うん? あの、長い椅子がいっぱい並んでるトコだな」
「長い椅子……もしかして、お祈りする礼拝堂で寝てるって事ですか? オルガンとか、祭壇とかがある――」
「たぶん、ソコ」
何がそんなに誇らしいのか、ヴェゼルは「毎日、違う椅子をベッドにしてるんだぜ!」と言って胸を反らした。
曲がりなりにも神に祈る聖所、礼拝堂で寝起きするとは――さすが悪魔である。いくらその『神』が彼の親であるとは言え、なかなかに罰当たりな行為だ。
神父の静真は、何も言わなかったのだろうか。そう疑問に思う綾那だったが、しかしすぐに「でも、あの人子供全般に甘いからなあ」と、一人納得して頷いた。
「最近は、教会に遊びにくる普通の人間が増えたんだぜ! 澪とも遊ぶようになったし……大人もよく来る。大体楓馬が相手してるけど、別に、俺や朔を見ても逃げ出すような事はねえかな」
「それは凄い変化だね」
もちろん、キッカケは合成魔法――子供達が上げた『花火』だろう。
今まで避けられていたのが、「あの合成魔法は素晴らしかった」とか「図案を詳しく教えてくれ」とか、色々と聞いてくる大人が居るそうだ。
恐らくは、次回の打ち上げで自分達も花火を上げると意気込んでいる者達か。
それは大人達の都合の、自分本位な関わり方には違いないだろうが――しかしどんな理由であれ、子供達が街の人間と接する機会が増えたなら良い事だ。
あの少女――澪も、夏祭りを境に周囲の大人達の態度が軟化したお陰か、意地悪するのではなく普通に「遊ぼう」と言えるようになって、今では友人関係らしい。前までは周囲の目を気にして、悪魔憑きに冷たい態度を取るしかなかったのだろうか。
次から次へ楽しそうに近況報告をする子供達に微笑んで、綾那は何度も相槌を打った。しかしふと壁に掛けられた時計を見やると、時刻は既に十七時前を指している。
子供達の夕食の時間もあるだろうし、何より綾那と颯月も、宿舎へ戻って今晩の『散歩』の用意をしなければならない。
颯月が迎えに来る前に、少しでも絵本の朗読をしてやらねば――いや、もうこのまま子供達の話を聞いている方が彼らも楽しいだろうか。
綾那は悩みながら、僅かに頭を下げて手元の絵本に視線を落とした。すると途端に視界がぐわんと揺れて、体が前のめりに傾きそうになる。
(あれ――眩暈……?)
しかしそれは一瞬の事で、すぐさま姿勢を戻した。子供達は話す事に夢中になっていたため、幸い誰にも気取られなかったようだ。
昼夜逆転生活に慣れず食が細くなり、更にここ数日は精神的なストレスもあって箸の進みが遅いものの、貧血を起こすような食生活は送っていない。そもそも元の食事量が、体が資本の騎士と同じ大盛りメニューなのだ。
しかも一時的に「怪力」失っている今、夜中のチートダイエットはできない。以前のように用意されたもの全てを食べていたら、マシュマロがあっという間に風船になってしまう。
だから、意識的に食べる量を減らしているのだ。
食事以外に考えられる眩暈の原因としては、寝不足――これに尽きるだろう。ただ、ここまで体にガタが来ているとは綾那自身驚きである。
(あんまり、頭を動かさないように……絵本は無理かな。今日はこのまま話を聞いていよう)
そうして細い息を吐き出すのと同時に、ヴェゼルが弾かれたようにあらぬ方向を見た。しかし、彼はすぐさま顔を戻すと、僅かに目線を下げて黙り込んだ。
まるで誰かの話をじっと聞いているようなその姿に、綾那は漠然とルシフェリアの存在を察した。
やがてヴェゼルはパッと顔を上げると、勢いよく立ち上がった。そして不敵な笑みを浮かべて、声高に宣言する。
「――よしお前ら、飯の時間までかくれんぼするぞ!! 鬼は静真! 一番最初に見つかったヤツは明日の朝教会の床磨きの刑だから、誰かと一緒に隠れるのはナシな!!」
「……は? 床磨き?」
「飯の時間って――もうすぐじゃん。俺らが見つからねえと、静真さん飯食えなくて困るだろ」
「えぇ~っ楽しそう! しずま困らせよ~!? 僕隠れるから、皆同じとこに来ないでよ! じゃあね~!」
朔は、いの一番に子供部屋から飛び出していった。その小さな背中をぽかんと見送った綾那の頭は、「何が始まったの?」という疑問で埋め尽くされている。
そうして呆気に取られていると、次は幸輝が「待て、俺が一番いい場所に隠れるんだからな!」と言って朔の背を追う。唯一冷静に見えた楓馬さえ「確かに、静真さんなんて困らせてナンボじゃん!」と、意気揚々と部屋から飛び出して行った。
部屋に残された綾那はハッと我に返ると、「まさかこれは、子守失格なのでは?」と焦る。
「えっ、いや! ちょっと待って、皆……!」
綾那は慌てて立ち上がりかけたが、しかし上手く足に力が入らずカクンと膝から折れて、カーペットの上に四つん這いになった。
(――あ、待ってこれ、ヤバヤバの……ヤバ)
気付けば視界もぐるぐると回っており、そのまま床に伏せって眩暈が収まるのを待つ。すぐ横で誰かがしゃがむ気配がしたが、顔を上げる事さえできない。
「――なあ。ルシフェリアが、少し休めってよ」
「え……」
「じゃっ、俺静真に「あいつら、飯の前にかくれんぼ始めた!」って告げ口してくるわ――たぶんここには、しばらく誰も来ねえから」
「いや、あの、ヴェゼルさんが居ないと、私シアさんの言葉が分からないのですけど……!」
何故いきなりルシフェリアがそんな事を。そもそも、かくれんぼの提案はなんだったのか。訳が分からないまま問いかけたが、しかしヴェゼルは、綾那を置いて部屋から出て行ってしまった。