教会へ
悪魔憑きの子供達が住む教会は、王都の少し奥まった所にある。周囲に立ち並ぶ民家はがらんとしていて空き家が目立ち、人けがなく静かだ。
教会の外観は相変わらずやや廃れており、立派なステンドグラスも曇り気味。
いかにも悪魔に連なる何かが根城にしていそうな、暗い雰囲気の漂う建物である。しかしこれが中へ入ってみると、意外と綺麗で――あのステンドグラスも、内側から見れば外光を透過して輝いて見えるのだから、不思議なものだ。
「なんだか、凄く久しぶりな気がします」
敷地内へ足を踏み入れて、教会を見上げる綾那。その言葉に、隣に立つ颯月もまた「そうだな」と頷いた。
夏祭りを終えてから本日まで、綾那と颯月が教会を訪れるのは実に一週間ぶりになるだろうか。たかが一週間なのか、されど一週間なのか。
正直、今までだって颯月の職務が忙しく、週に一度教会を訪問できれば良い方だった。それが何故こんなにも久しぶりに思うのかと言えば、それはまず間違いなく、子供達の魔力制御の特訓で五日間みっちり共に過ごしていたせいだろう。
共に居る事に慣れ過ぎて、少しでも離れてしまうと何やら違和感を覚える――とでも言うのか。きっとそうした理由もあって、子供達は「綾那が会いに来ない、自分達は嫌われたのだ」なんて、要らぬ不安を抱いているに違いない。
入り口へ続く苔むした石畳には、子供達の可愛らしい手形が点々と続いている。本来の用途からすれば石畳の上を歩くべきなのだが、綾那はいつも避けて歩いてしまう。
もう何度も繰り返し眺めているのに、今日もまた飽きもせず手形を目で辿りながら扉まで進む。
この時の表情は穏やかで慈愛に満ちているらしく、陽香などは綾那の顔を見る度「小さい子供の参観日に来て、教室後ろの掲示物に感極まる親かよ、お前は?」とやけに具体的なツッコみを入れる。
扉まで辿り着くと、そこで颯月はようやく「魔法鎧」を解除した。彼はそのまま指先で綾那のフードを引くと脱がせて、露になった頭を撫でて髪を整える。
くすぐったさにはにかむ綾那を見下ろした颯月は、黙ってその手を握ると教会の扉を開いた。
「――あれ? 静真さん、居ませんね」
いつもであれば、神父の静真が来客者を出迎えてくれるのだが――教会の中はしんとしており、人の気配がない。
元々昼過ぎには訪問できるのではないかと連絡していたのだが、しかし和巳が張り切ってくれたお陰で、通行証が瞬く間に仕上がってしまった。
急遽アリスの迎えや買い物をする事になったため、随分と予定が押したのだ。
時刻は夕方十六時過ぎと少々遅く、子供達はオヤツの時間でも昼寝の時間でもない。
暗くなる前に部屋に戻って、宿題なりなんなりしてゆっくり過ごしているはずなのだが――。綾那が訝しんでいると、裏庭の方からワーワーと騒ぐ子供達の高い声が響いてきた。
しかもよく耳を澄ますと、聞き覚えのない女の子の笑い声も混じっている。
「珍しい、まだ外で遊んでんのか」
「本当ですね。それに、女の子っぽい声も聞こえたような――」
「……ガキ同士で遊んでるなら、邪魔しちゃあ悪い。少し覗いてみるか」
颯月の提案に、綾那は頷いた。そうして裏庭へ続く扉まで移動すると、そっと開いて外の様子を覗く。
まず目に入ったのは、テラス席に座って子供達を見守る静真と、その正面に座った見知らぬ女性の姿。そして、笑いながら芝を駆け回る子供達の姿だ。
悪魔憑きの『異形』を隠すローブを取り払い、幸輝も朔も楽しそうにしている。
ちゃっかりヴェゼルも一緒になって駆け回っているようで、彼は自身の容貌が目立つ事を理解しているのか、銀髪ではなく黒髪に、エルフ耳も普通の人間と変わらない形になっている。
恐らく魔法か、彼が得意とする『擬態』なのだろう。
そこに混じって笑う少女は、どうやら朔に意地悪をすると噂の女の子のようだ。夏祭りの最中、彼女が朔にブレスレットを渡していたのは記憶に新しい。
――となると、テラス席に腰掛けている女性は彼女の母親なのだろうか。
(いつの間にか、『意地悪』じゃなくて一緒に遊ぶ仲になってるんだ――)
子供の成長は早いとは言うが、綾那がほんの少し目を離している間に何があったのだろう。まあ、少なくとも前向きな付き合いが出来ているようで何よりである。
「――あっ。颯月さん、綾那?」
扉の隙間から裏庭の様子を窺っていると、不意に背後から楓馬に声をかけられて振り向く。しかし、そこに立っていたのは綾那のよく知る悪魔憑きの楓馬ではなく、金髪は黒髪に、赤目は黄緑色に変わった少年だ。
玄武岩のような石も土気色の肌もなくなり、アイドクレース民にしては白っぽい肌をした『ただの楓馬』が、茶器を載せたトレーを両手で持って立っている。
恐らく、テラス席に座る保護者組に茶のおかわりを用意しようと、働いている最中なのだろう。
「楓馬……だよね?」
――いや、本当に楓馬なのか。
別に、石化した肌や金髪赤目が彼のアイデンティティという訳ではないのだが、初めて見る姿に戸惑いを隠せない。そもそも、少し前までヤンキーも真っ青の見事な金髪だったのが、突然優等生ブラックになられても困る。
綾那は確かめるように問いかけて、こてんと首を傾げた。
「う、うん――そう」
綾那からまじまじと見られて、楓馬はどこか気まずそうに視線を泳がせながら頷いた。「呪いが解けるってこういう感じなんだ」と感心してように息を吐く綾那の横で、颯月が笑う。
「戻れて良かったな、楓馬。緑の目って事は風が得意なのか――いや、火も使えそうだな?」
「あ、うん! ちょっとだけど火も使えるから、これからも「身体強化」は使えそう。静真さんガリガリで弱いから、これからは俺が代わりに力仕事やってやんないとって思ってた矢先に、悪魔憑きじゃなくなって――正直ちょっと焦ったけど、良かった」
そう言って屈託なく笑う楓馬を見て、綾那は胸を撫で下ろした。
教会の中で彼一人だけ悪魔憑きでなくなった事により、残された幸輝と朔に負い目を感じているのではないか――何事か悩んではいないかと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。
楓馬は「ちょっと待ってて」と言い残すと、裏庭へ続く扉を開けてテラスのテーブルへ茶器を置いた。そして静真に何事か囁けば、彼はパッと弾かれたように顔を上げる。
静真は颯月と綾那の姿を認めると、正面に座る女性に声を掛けてから席を立った。そして、庭ではしゃぐ子供達に気取られぬようコソコソとやって来る。
「――どうしたんだ? 随分遅かったな。約束の時間に来ないから、子供達が騒いで大変だったんだぞ」
静真が細く息を吐けば、颯月は小さく肩を竦めてから口を開いた。
「色々と立て込んでいてな――けど、ガキだけで楽しそうじゃねえか。来客も居るようだし、今日のところは出直した方が良さそうだな」
「出直すだなんて、とんでもない! 絶対に今日中に会って行ってくれ、澪ちゃんとお母さんは、もうすぐ帰る時間だから気にするな」
「澪ちゃん? ……あの子、澪ちゃんっていうんですね」
綾那が改めて裏庭を見やれば、澪と呼ばれる少女は――追いかけっこでもしているのか――先を走る朔の背中に飛びつくようにして彼を捕まえると、きゃははと高い笑い声を上げた。
彼女に捕まった朔は、柔らかい頬をパンパンに膨らませて、「もう! また僕が鬼~!?」と嘆いている。
「ええ、元は親御さんと一緒に教会へお祈りに来ていた子なんです。しかし何やら、夏祭りの直後から、子供達と急速に仲良くなったようで――」
「ふふふ、話を聞く限り、朔の事が大好きみたいですもんね」
「…………っえ!?」
「――え?」
「さっ……朔の事が、好き……!? あ、あんな幼い少女が、そんな感情を抱くものなのですか!?」
「…………えっと……」
激しく狼狽える静真に、綾那はどうしたものかと逡巡する。少女の様子を見ていれば簡単に分かる事だろうに、何故そんな事を聞くのだろうか。
綾那が閉口すると、その隣で颯月が「――言っただろう? コイツは、絶望的に女に免疫がないと」と囁いたため、ただ困ったように笑うしかなかった。