免疫不足
「人の趣味嗜好にケチを付けたくはないんだが――アンタたぶん、化粧していない時の方が良かったぞ」
「姫は自身のその顔が好きな事は知っているけれど、実は私もずっと前から、あなたは素顔の方が素敵だと思っているよ」
「――はぁ!? マジ余計なお世話なんですけどー!」
店を出て早々、喜びに水を差された――どころか、バケツいっぱいの氷水を真正面から浴びせられたアリスは、思い切り顔を顰めると男性陣に向かってベーッと舌を出した。
たっぷりと時間を掛けて化粧品を吟味し、ド派手なギャルメイクを施したアリス。
金髪は目立つため、黒髪のフルウィッグは被ったままだ。近い内に、コテで巻けて盛れるウィッグを購入するらしい。眉毛と睫毛も黒マスカラで染めている。
付け睫毛を二枚だか三枚だか重ねているため、彼女が瞬きする度バッサバッサと重たそうに羽ばたく。
瞳の周りは黒のアイラインで囲み、目頭には白目を綺麗に見せるラメを。そして瞳の下には、涙袋を目立たせるように明るいベージュのシャドウを塗り、これでもかと目力をアップさせている。
コンプレックスの奥二重は、付け睫毛の軸を器用に瞼に食い込ませる事によって、幅広の平行二重に様変わりした。
肌の血色をよく見せるオレンジ系のチークに、顔の高い部分にはハイライトをのせて、立体感を出す。唇は販売員の女性に勧められたオレンジのリップを塗って、ぷっくりとツヤめいている。
彼女の好むギャルメイクは、正直今の時代で言うと古い部類に入るのだろう。
ただ、流行というものは得てして繰り返すものだ。影響力のあるインフルエンサーが昭和風のヘアメイクをすれば、今どきの若者が「一周回って新しい」と評するように、ギャルメイクの歴史にもまた、押しては返す波があるのだ――とは、アリスの言である。
化粧品の販売員達は、アリスについて「素顔が十分美しいのだから、厚化粧をする必要はない」と主張していた。しかし、いざバッチリ決まったギャルメイクを施し終えた彼女を見ると、年嵩の者はともかくとして、若輩の者達は――それこそ販売員だけでなく、店内の客まで――「意外とイイ」「斬新」「目の大きさが全く違う、マネしたい」などと好意的だった。
年代別に濃いメイクに対する反応が全く違うのは、「表」も「奈落の底」も変わらないらしい。
綾那と陽香にとっては、この姿こそが見慣れたいつものアリスだ。いや、正確に言えば、普段の彼女は『狐』の右京も真っ青の凶器のような付け爪をしているし、髪型もふわふわの盛り盛りのため、これでもまだいつものには足りないだろう。
「はあ……マジおっせェ。これだから厚化粧ババアは嫌なのよなあ……!」
アリスの買い物と化粧時間にすっかり待ちくたびれたのか、陽香はググーッと伸びをしながら、独り言にしては大きな声量で悪態をついた。もちろんアリスは「なんですって?」と眉を吊り上げたが、陽香はスルーして早くメゾン・ド・クレースへ戻ろうと提案する。
「悪いな颯様、クソ忙しいのに。とにかく、次は服屋! もかぴのトコ! あとたぶん、現時点ではお前アイドクレース騎士団の部外者だから、どっか泊まれる宿の予約! 王子もここに滞在するなら同じ宿とって、もうしばらくこの馬鹿の世話頼むわ!」
「誰が馬鹿よ、馬鹿って言った方がバーカ!」
「うっせバーカ!! はよ歩けや!」
四重奏のリーダーらしく、歩きながらテキパキと指示を飛ばす陽香。綾那は何やら懐かしい気持ちにさせられる。あとは渚さえ揃えば、本当に四重奏の復活なのだが――。
(シアさんが言っていた、南の朗報――もうそろそろ王都まで届く頃かな? 海を渡るから、少なくとも二、三週間はかかるんじゃないかって言っていたけれど……まあなんにせよ、流行り病さえ無事に収束して、渚に怪我がないならなんだって良いや)
つい昨日まで、颯月が取られたらどうしよう――なんて深刻に思い悩んでいた綾那だが、こうして気心の知れた仲間が元気に騒いでいるところを見ていると、悩みも忘れて楽しくなってしまう。
我ながら単純なものだと、目深に被ったフードの下で小さく笑みを漏らした。
◆
ところ変わって、メゾン・ド・クレースへ戻って来た一行。またしても男性陣は店の外で留守番して、女性陣のみで入店する。
桃華は綾那と陽香を見やると、まるで飼い主を見付けた犬のようにパッと表情を明るくして、一目散に駆け寄って来た。
「おかえりなさいお姉さま、陽香さん! 戻って来られなかったらどうしようかと思って、桃、とても不安でした――」
「ごめんね桃ちゃん、遅くなっちゃって」
綾那は自身に向かって両手を伸ばす桃華を抱き留めると、華奢な背中をぽんぽんと叩いた。
そして顔だけで後ろを振り向いて、そわそわと落ち着きのない様子のアリスと、その後ろでこっそりスマホのカメラを起動させているらしい陽香を見やった。
「桃ちゃん、紹介するね。第二の使いだよ」
「――待って? 第二の使いって何?」
困惑するアリスを他所に、桃華はハッと顔を上げると表情を硬くして、真っ直ぐにアリスを見据えた。しかし硬かった表情は、アリスの顔を見た途端に、わぁと華やいだものに変わる。
「か、可愛らしい使者ですね……! お目目がとっても大きくて凄いです、メイクでしょうか? ど、どうなっているんでしょう、私にも出来ますか……?」
「――か、かわ……っ!?」
やはり、まだ十六歳と若い桃華。ギャルメイクに対する抵抗感があまりないらしい――どころか、真似したいとさえ思っているようだ。
興味津々と言った様子でまじまじとアリスを見ては、「凄い凄い」と歓声を上げている。アリスは耳まで赤くして、ぷるぷると震えた。
唇は僅かに戦慄いていて、よくよく耳を澄ませば「私、やっぱり死ぬのね――?」と呟いている。同性に嫌われないという幸せを噛み締めているらしい。
「アリス、この子は桃華ちゃんだよ。颯月さんの幼馴染で、この服屋さんの娘さん」
「えっ、あっ、へ、へぇ~。服屋さんなのね、道理でお洒落な子だと思った――」
「お、おしゃ……!?」
アリスの褒め言葉に、今度は桃華が両手で頬を押さえて悶える番だった。同性と好意的に接する機会が少なすぎる、圧倒的免疫不足のチョロいのとチョロいので、正にチョロチョロなコンビである。
「――で、桃ちゃん。この人はアリスって言って……元居た国では、私や陽香が仕事をする時の服を用意してくれていたんだ。見る目は確かだと思うから、陽香が繊維祭で着る衣装決めにも役立つんじゃないかなって」
「な、なるほど、それは心強いですね!」
屈託なく笑った桃華は、しかしすぐに恥ずかしそうに俯くと、もじもじと手遊びを始めた。
「あの、えっと、それはそれとして、その……お、お友達になってはどうかという、お話は――」
「とっ、ととと、友達ッ!?!? わわ、私とッ!?!?!? へっ――へぇええっ、そんな、良いの!? 良いのかしら……!?」
「――ぶっは! おまっ、声裏返りすぎだろ、笑わせんな!!」
「は!? 笑うって何――ってちょっと待ちなさい、アンタ何撮ってんのよ!!」
思い切り噴き出した陽香。彼女にスマホで盗撮されている事に気付いたアリスは、そのレンズに向かって思い切り中指を突き立てた。
アリスの威勢が良すぎる反応に、陽香は笑いながらも「やっぱシア、生まれじゃなくてお前のその人間性が嫌いなんだと思うわ」と冷静に分析している。
そうして騒いでいると、外で待っていた颯月が入店して来て「綾、そろそろ――」と声をかけた。
実は本日、綾那と颯月はメゾン・ド・クレースだけではなく、悪魔憑きの子供達が住む教会にも足を運ぶ予定があるのだ。ヴェセルと遊ぶ約束の事もあるし、子供達はあまりにも綾那が顔を見せないから「嫌われた」なんて言い出す始末。
そして、悪魔憑きでなくなったらしい楓馬のその後も聞きたい。
「あ……ごめんなさい、もう時間ですよね。皆ごめん、あと衣装決めの事は任せても良いかな? そろそろ教会に行かないと、時間がまずくて――」
「あー、分かった。はあ……マジで、アリスがちんたらやってたせいだからな」
じっとりと目を眇める陽香に、アリスは「だって、女の子がいっぱい話しかけてくれるから、嬉しくて――」としょんぼり肩を落とす。綾那は桃華にも「また別の日に来るからね」と断り、店先で待つ明臣に挨拶してから、颯月と共にメゾン・ド・クレースを後にした。