異変の原因
綾那は颯月と共に騎士団本部の応接室まで戻ってきた。
ちなみに颯月はまだ明臣に聞きたい話があるらしく、彼の事も本部へ呼んでいる。しかし安全のためアリスの身を隠したり、彼女に遅めの昼食をとらせたりとやる事があるため、後ほど合流する事になった。
当然本部までの道のりを覚えていないだろうからと、右京は彼がアリスの世話を終えるまで傍で待機してくれるそうだ。
また、陽香もアリスと積もる話があるため――それを言うなら、綾那もそうなのだが――しばらく街の外で話して過ごすらしい。
そうして綾那と二人だけで戻って来た颯月を見て、彼の側近は揃ってなんとも言えない表情を浮かべた。散々「颯月は別の女に鞍替えする」とか「女の悪魔憑き」とか言っていた割に、いつも通り寄り添う二人の姿に肩透かしを食らったに違いない。
「えっと、颯――平気なのか?」
「ああ。綾の仲間は訳あって、まだ力が発揮できん状態らしくてな。今のところは平気だ……それよりも禅、綾に食事を用意してくれ。昼を食べ損ねた、これは由々しき事態だ」
颯月は言いながら自身の指定席に座ると、綾那の手を引いて膝の間に座らせた。どうも今この場には身内しか居ないからと、気が緩んでいるらしい。
綾那はグッと身を固くしたものの、まるでシートベルトのように腹へ腕を回されては為す術がない。「怪力」がない今、力で彼に敵うはずが――まあ、仮に「怪力」があったところで抵抗などしなかっただろうが。
「そう仰るだろうと思いまして、昼食を別に取っておきました。すぐにお持ちします」
静かに立ち上がり部屋から出て行く竜禅の背に、颯月は「頼む」と声を掛ける。続けて和巳を見やると、「魔物についての報告を聞こうか」と肩を竦めた。
綾那らが外へ出ている間、残った者だけで話し合っていたのかも知れない。和巳は大きく頷くと、机の上に広がる資料を手で指し示した。
「魔物が王都に向かって追い立てられた原因ですが、正直まだ究明できておりません。魔物の生態を調査し直して分布図を作成した結果、なんというか――あまりにも無秩序な追い立て方をしていて、こんな事を企てた者の意図が全く読めないのです」
「無秩序?」
「はい。こちらの資料は、王都近辺まで移動してきた魔物達がどの辺りから追い立てられたのか、予測して地図に書き込んだものです。御覧の通り、真っ直ぐに王都へ仕向けている訳ではありません。蛇行していると言うか――街へ近付いたかと思えば離れて、また近付いてを繰り返しています。森の深いところでは、特に一貫性がない……約三日間ぐるぐると同じ地点を回っている時もあります」
颯月が地図を見ながら「なるほど」と目を細める。綾那もまた、よく理解できないなりに地図を覗き込んだ。
地図に書き込まれた赤い丸は点々としている。どうもこの赤丸が、何者かが魔物を追い立てたのではないかと予測される地点らしい。更に、王都近辺へ侵攻してきた日付と魔物の種類から、おおよその日時まで予測済みのようだ。丸の横には日付まで書き込まれている。
丸はアイドクレースの周辺、特に北側に多く分布している。しかし、そのどれもが街に近いのかと言うとそうでもないようだ。
よく見れば、街へ近付いたその翌日にはおかしな方向へ逸れているものもある。なるほど確かに無秩序で、これでは意図なんて読めるはずもない。
「まるで、迷っているみたいだな」
「迷う……ですか? 王都への侵攻を?」
「――いや、道に」
「………………道?」
颯月の言葉に、和巳は不可解そうな顔をした。しかし颯月はそれ以上言及する事なく、さっさと次の話題へ切り替える。
「先日、北側五十キロほどの所で仮死状態の魔物が大量に見つかったと聞いたが――それは、どういう状態だった?」
「え? あ、はい……どれも固まっていました。恐らく氷魔法で氷漬けにされていたものが、外気温で少しずつ溶けて――大抵の魔物はそのまま死に絶えます。しかし、運が良い者や寒さに耐性のある者は、氷が完全に溶ければ息を吹き返します」
「氷、か。それが息を吹き返して、自発的に王都へ侵攻する理由は?」
「そこが巧妙なのですが、どうやら魔物のランク――強さによって、氷魔法の強度を変えているようです。弱い者ほど氷が溶けやすく、強い者は溶け切るまでに時間がかかる。しかもその凍り付いた強い魔物を、わざわざ弱い魔物の近くへ配置していました」
「――つまり?」
「弱い者が息を吹き返した時、氷漬けとは言え目の前に脅威となる魔物が居れば、彼らは慌てて『逆方向』へ逃げ出します。その逆方向と言うのが、正に王都だったと言う訳です」
「魔法で直接追い立てるんじゃなくて、時間経過で自動的に魔物をけしかけるなんざ……頭の切れるヤツだよなあ。一体、何が目的なんだか――」
腕組みをした幸成が、難しい顔で唸る。颯月は小さく息を吐くと、おもむろに口を開いた。
「後で本人に聞いてみると良い」
「――は? 本人?」
「ああ。恐らく、全部ダブルフェイスの仕業だろうからな」
「……えっ」
その言葉に、和巳は目を丸めて絶句した。綾那もまた目を瞬かせて、「明臣さんが――?」と首を傾げる。
「あいつ、連れが居るとまともに戦えないから魔物と遭っても討伐せずに散らして歩いたと言っていただろう? 氷魔法が得意で、悪魔憑きだから魔力は有り余ってる。大量の魔物を氷漬けにするぐらい、訳ないはずだ――しかも、相当ヤバイ方向音痴と来てる」
「あ……あの。実は自分も、このタイミングで明臣さんを見てしまった以上、その可能性が高いのではないかと思います」
「――ま、マジで言ってんのか!?」
旭がおずおずと挙手しながら言えば、幸成は驚愕の表情になった。
「本人は、あくまでも街がない方角へ追い立てたつもりだったんじゃねえのか? たぶん悪気はないんだろう、方向感覚が機能してないだけで」
颯月の言葉を聞き、和巳は頭痛を堪えるような表情で額に手を当てて、低く唸った。
「た、確かに――ここ数日はめっきり魔物の数も減って、今朝に至っては元々この周辺に生息するアルミラージぐらいしか見ないな、とは思いましたけれど……! まさか彼が原因だったとは……」
「ダブルフェイスの連れ――つまり綾の家族が、夏祭りで打ち上がった合成魔法を見て街の方角を正確に記憶したと言っていたからな。恐らくその日から、魔物を追い立てる方向もまともになっているはずだ。それで日に日に魔物の量が減っていったんだろう」
颯月は、もうこの問題は解決だと言わんばかりに途端に興味を無くした。そうして膝の間に座らせた綾那を抱き寄せて、髪の毛に顔を埋める。
和巳は机の上に広げた資料をぼんやりと眺めながら、「ここ数日間やった私の仕事は、一体なんだったんだ――?」と唇を戦慄かせている。
「まあ、最新の魔物の分布図ができたんだ。全くの無駄にはなってねえだろう、よく働いてくれたな」
「………………ありがとうございます」
颯月のフォローを受けて、和巳は深く長いため息を吐きながら、なんとか礼の言葉を絞り出した。そうこうしていると応接室の扉が開いて、竜禅が昼食を持って帰ってくる。
「お待たせしま――何かありましたか?」
戻って来た竜禅は、落ち込む和巳と絶句している幸成を一瞥して首を傾げた。しかし苦笑する旭から「異変の原因が、案外平和的かも知れないと分かって複雑な心境に陥っておられるところです」と説明を受ければ、「それは重畳、平和なのは良い事だ」と軽く返した。
彼はそのまま和巳と幸成をスルーして、颯月の前にトレーごと食事を置いた。そして彼の隣に椅子を一脚運ぶと、「綾那殿はこちらへ」と移動を促す。
「別に、このままでも良いだろう?」
「綾那殿が食べづらいでしょう。更に食が細くなって痩せても良いというのならば、私も止めませんが」
「それは困る」
颯月は即答すると、すぐに綾那を解放した。綾那は苦笑いを零しつつ、席次的に凄い椅子を用意されてしまったなと恐縮しながら――膝の上よりは良いが――腰掛ける。
竜禅は己の席に座り直すと、並んで食事する綾那と颯月を眺めて小首を傾げた。
「それで、綾那殿のご家族はどうでしたか。鞍替えしたくなるほど魅力的でしたか?」
「まさか。顔は隠していたからよく分からんが、陽香くらい気の強そうな女だった――あと痩せていたな」
「……あ! マスク――! 竜禅さん、ごめんなさい。どうしてもスッピンを見せたくないって言うから、竜禅さんからもらったマスクを家族に貸してしまいました」
街を歩く間ずっと、颯月に貸与された外套のフードで顔を隠していたため、マスクの事をすっかり忘れていた。綾那の謝罪に、竜禅は口元を緩めて首を横に振った。
「構わない、しばらく颯月様に外套を借りると良い。髪色や肌色についても駐在騎士の間で噂になっているから、かえってその方が良いだろう」
「は、はい、ごめんなさい……ありがとうございます」
「ふむ……しかし、不思議なものですね。颯月様の好みとは全く違うのに、いずれその女性の虜になってしまわれると?」
「ならねえよ、不吉な事を言うな」
颯月は眉間に皺を寄せながら皿の上のステーキを切り分けると、口へ運んで咀嚼した。話題が話題なだけに、綾那は何やらすっかり食欲が失せてしまった。ステーキを小さく切り分けて少しずつ口へ運ぶが、あまり味も感じない。
(やっぱり、嫌だなあ。取られたくない……でも、どれだけ足掻いても絶対に取られるんだったら、今からでも距離を取るべき……?)
もぐ、と咀嚼が止まって、綾那は目を伏せた。しかし、今は落ち込んでいる場合ではない。しっかり食事していないと、夜中の『散歩』に耐えられなくなってしまう。
綾那は無理矢理に気持ちを奮い立たせると、食事を再開した。
「もしも虜になってしまいそうな場合、何か私にできる事はありますか?」
「………………綾を裏切るくらいなら、いっそ俺を殺してくれ。ああ、その後ちゃんと綾も殺せよ、この世がダメならあの世で結ばれるから」
「――ッグ! ゲホッ……!?」
「どうした綾、平気か?」
「待て颯。お前、病気が進行してる気がする……」
颯月は「病気じゃない」と反論しながら、ゲホゲホと噎せる綾那の背中を撫でた。
「俺の意思を無視して洗脳されるだけでも耐えられんのに、与り知らぬところで綾が他の男のモノになるなんざ我慢ならんだろう? 何が悪いんだ」
「何もかも悪ぃよ!」
「そ、颯月さん、平気ですよ。もしダメでも死なないでください、「偶像」に釣られている間は皆幸せそうですし、それが解けた後でも、私の事なんかすぐに忘れちゃいますから」
「……それは、幸せな事じゃあねえだろう。俺がとち狂ってる間、伊織あたりに横から掻っ攫われるのが一番まずい。そうなる前に、永遠に綾を奪ってやる――禅、分かったか?」
いくら颯月のやる事なす事を全肯定する竜禅でも、これはさすがに頷かないだろう。
綾那はそう高をくくっていたが、しかし竜禅はやや間を置いてから「承知しました」と簡潔に答えた。綾那と幸成は、揃って「いや、なんで!?」と声を上げたのであった。