表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
170/481

魔物と傷

『――止まって! これだけ引き離せば、あの子達も態勢を立て直せるでしょう』


 ルシフェリアの制止を受け、綾那は足を止めて振り返った。肩で息をするほど乱れた呼吸を整えながら、涙か汗か分からないもので濡れた頬を手の甲で拭う。ふと顔を上げれば、あと数十秒もすれば追いつくであろうゴーレム達が、土煙を上げている。


 言われるがまま東の森へ向かって走ったものの、ルシフェリアが止まれと指示した場所は、森へ続く街道から少し外れた平原である。「怪力(ストレングス)」の他に身体向上系のギフトをもたない綾那が、休みなく長距離を――それも、眷属に追いつかれる事なく駆け抜けられるはずもなかった。

 

 周りに障害物はないし、人影もないから巻き込む恐れはない。確かにここなら、綾那が派手に暴れても被害は出ないだろう――眷属や魔物を相手に、上手く暴れられればの話だが。


(わざわざ私が囮になったのは、魔法抜きで戦って消耗した颯月さん達を回復するため――?)


 綾那は彼らの横を一心不乱に駆け抜けて来たため、確認する余裕がなかった。しかし、あんな空間に閉じ込められて乱戦を強いられていたのだ――全くの無傷という訳にはいかないだろう。


「今頃になって、理解しました――陽香が「囮になれって事か」って聞いた時、シアさん「鋭いね」って――」

「嘘は言っていないでしょう?」


 確かに言っていない。こちらが都合よく解釈しただけだ――しかし、それならそれで囮役は絶対に「軽業師(アクロバット)」をもつ陽香が適任だった。

 ただ、囮にするための光魔法や魔法封じの機能を弄るなど、ルシフェリアがそれらを行うためには、どうしても多くのギフトを吸収する必要があったのだろう。


 ルシフェリアの言動から察するに、ひと口にギフトと言っても素となる神、もとい天使の力には大きな差があるようだ。陽香と違いハズレと呼ばれる「追跡者(チェイサー)」をもつ綾那では、恐らく三つ全部吸収したところで、力が足りなかったのではないか。

 しかもギフトを消費してしまった場合、綾那の「怪力」まで消えてしまう。そうなると、()()()()展開で不都合が発生した――という事なのかも知れない。


(というかもう、そうとでも思わなきゃやってられないし――!)


 光球がいまだに綾那の傍を離れようとしない辺り、「後回しにする」「たぶん死ぬ」などと言いつつも、見捨てるつもりはないのだろう。つまり綾那の頑張り次第で、この窮地を脱する事は可能なのだ。


『君、鞄の中に刃物を持っているよね』

「ジャマダハルですか? 持っていますけれど……でも、あれを壊さずに使おうと思ったら、「怪力」はレベル2までしか発動できなくて――」

『ひとまずそれで良いよ、まずは邪魔な――周りの小物から片付けよう。つまり眷属は最後のお楽しみだから、襲われても頑張って躱してね?』

「躱すって……私そういうの、本当に向いていないんですが」

『だけど、やるしかないでしょう。その可愛いお顔がぐちゃぐちゃになったら、あの子が悲しんじゃう』

「シア゛さん゛ッ……!」


 またしてもさらりと告げられた問題発言に、綾那は絞り出すように呻いた。つい先ほど「生きてさえいれば、多少のケガくらい些事!」とは思ったものの、やはり顔だろうが体だろうが ぐちゃぐちゃにされるのは嫌だ。


(でも、態勢を立て直せたって事は――きっと、すぐに颯月さん達が助けに来てくれる)


 まあ、仮に駆け付けてくれたところで、魔法封じの媒体となるゴーレムが生きている限り、また膜へ閉じ込められて終わりだ。とにもかくにも物理で倒すしかないならば、あの眷属だけは綾那の「怪力」で粉砕する他ない。


 ゴーレムを中心に展開された半透明な膜が、眼前まで迫る。それは一切の抵抗なく、綾那をとぷりと受け入れた。

 ちゃっかり上空へ避難して魔法封じの中へ入らなかったルシフェリアは、()()()の時のために、まだ余力を残してくれているのだろうか。


(いや、あの大きさじゃあ……もう何も、残されてないっぽいよね――)


 変に期待して、「最後は誰かがなんとかしてくれるだろう」なんて油断をするのは悪手だ。足元を掬われぬよう、最初から「誰の助けも来ない。己の身一つで乗り切るのだ」と思っていた方が良い。

 綾那は鞄の中からジャマダハル二対を取り出して、両手それぞれに握り込むと「怪力」のレベル2を発動した。



 ◆



 ゴーレムの他に膜の中へ残っていた魔物は、全部で三体だった。正門で見た時には、もっと多く居たように思ったが――そもそも夜で街の外は暗く、視界も悪い。また、中に閉じ込められていた騎士の人数も多かった。

 誰も彼もが縦横無尽に動き回っていたため、魔物の正確な数を把握できなくて当然だ。


 対峙する魔物は、綾那にとってどれもこれも初めて見るものばかりだった。いの一番に飛び掛かって来たのは、「表」の原付ほどありそうな体躯の獰猛な狼。

 すばしっこい相手だと、綾那にとって大変やりづらいのだが――幸いこの狼は図体が大きいせいか、動きも大ぶりで単調だ。

 まるで、限界まで飢えて完全に理性を失った獣のような動きは、「表」の魔獣とよく似ている。直線的に襲い掛かって来る狼の首を切り落とすのは、実に簡単な事であった。


(うっ、凄い血――)


 ただ、倒せば霧となって核に変わる「表」の魔獣と違って、切り口からは血が噴き出すし、辺りに鉄さびの臭気が立ち込めるのはいただけない。あまりの臭気に、恐らく綾那の「追跡者」はもう正常に機能しないだろう。

 胴体から頭を切り離された狼は、どちゃりと水っぽい音を立てて地面に崩れ落ちたが――綾那が一息つく暇もなく、間髪入れずにゴーレムが駆けてくる。


『その子、動きはかなり鈍い方だよ! 下手に避けるよりも、両腕を振り上げた所を狙って懐へ飛び込む方が賢いかもね! そのまま背後に回って、他の魔物を優先して!』


 上空から指示を飛ばすルシフェリアに、綾那は胸中でひっそりと「簡単に言ってくれますよね」とぼやいた。

 綾那をぷちんとプレスする事が、果たして『悪戯』と呼べるのだろうか。ゴーレムが大きく両腕を振り上げたタイミングで、綾那はルシフェリアの助言通り、避ける事なく真っ直ぐに突っ込んだ。


 しかし、ゴゥッ! と風を切って振り下ろされる大岩の塊に、「これのどこが鈍いの!?」と目を白黒させる。綾那は地面を強く蹴り上げて、くるりと前宙する事で攻撃を躱した。

 間一髪ゴーレムの横を通り抜けて着地した綾那の耳に、追加の指示が届く。


『――君! そのまましゃがんで!!』


 訳も分からず地面に伏せれば、綾那の頭上を鞭のようにしなる何かが横切った。それは、ゴーレムの背に思い切り当たって黒い汚れをつけたが――やはり、頑強な岩肌には傷一つ付いていないようだ。


 綾那はすぐさま地面から起き上がると、横っ飛びしてその場から距離をとる。鞭のような攻撃を仕掛けて来た魔物の正体は、まるでタールの塊が人をかたどったような、黒く濁ったスライムだ。

 上半身は人の形を模していて、腕のような触手が左右にそれぞれ二本伸びている。しかし下半身はゲル状に溶けていて、スライムがズルズルと移動するたび、通った跡がタールで黒く汚れていく。


「これは……なんだか、ジャマダハルの切れ味が落ちそうな――」


 そもそも、見るからに液状の魔物に刃が通るという概念はあるのか。水風船ならまだしも、水たまりに刃物を突き立てても意味がない。顔を顰めた綾那に、またしてもルシフェリアの指示が飛んで来る。


『それは君向きの魔物じゃあないから、後で赤毛の子に頼めば良いよ!』

「よ、陽香にですか!? でも、後でって、ソレもしかして――」

『うん! 赤毛の子が来るまで、頑張って避け続けようね!』

「――ゴーレムの攻撃を避けるだけでも、無理無理のムリなのに!!」

『どうしてもダメそうな時は、レベルマックスの「怪力」を発動すれば良いじゃないか! そうすれば、君の受けるダメージは実質ゼロだよ! 平気平気!』


 明るく励まされても全く響かず、綾那は唇を噛みしめた。そもそも、「軽業師」を奪われて生まれたての仔馬と化した陽香が、無事ここまで来られるのだろうか。来られたとして、それは何分――何十分後の話なのか。


(いっそ右京さんに姫抱っこされたまま、移動してきて欲しい……!)


 それは一体どんな羞恥プレイだ? と綾那自身思わなくもないが、今は緊急事態だ。

 そうして考えに耽っていた綾那の背が、何かにドンと押されて体勢を崩す。後ろには、何も居なかったはずなのに――瞠目しながら前につんのめってトトト、と数歩進んだ綾那の横っ面めがけて、こん棒のようなものが振り下ろされた。


(やば……ッ!?)


 頭上で「顔ぐちゃぐちゃは、ダメー!」と、心配しているのかなんなのかよく分からない悲鳴を上げたルシフェリア。綾那は慌てて片腕を振り上げると、ジャマダハルの切っ先でこん棒を思い切り弾いた。今更避けられないなら、少しでも軌道を逸らすしかない。


 こん棒を振るう魔物は二足歩行で、人に近い姿をしている。全身が真緑の肌に長く尖った耳、耳の近くまで裂けた大きな口から覗くのは、鋭く尖った歯――もしやこれは、「表」の物語で定番のゴブリンだろうか。

 背丈は綾那の腰ほどまでしかなくて小柄だが、軽々と綾那の頭よりも高く跳躍し、全体重を乗せてこん棒を振り下ろしてくる。


 攻撃をまともに受けた感想は、小さな見た目に反して力が強い――だ。結果「怪力」のレベル2では、こん棒の軌道を満足に逸らせなかった。木材だか石材だか分からない、ゴツゴツした棒の先端が綾那のこめかみを(かす)める。


『――顔がぁ!!』

「か、掠っただけですから! そんな、世界の終わりみたいな声を上げないでください!」


 数歩横へ飛んでゴブリンから離れた綾那は、視線を巡らせて己の背を押したモノの正体を探る。しかし、やはりそこには何もない。あるとすれば、半透明な魔法封じの膜のみだ。

 そう。入るのは呆気なく簡単だが、しかし一度でも膜の中へ入れば、魔具を壊すまで決して脱出できない魔法封じ――。


 ハッとして、膜の中心のゴーレムを見やる。先ほどは好戦的に突っ込んで来たくせに、今はじりじりと綾那から距離をとって、膜ごと移動している。


(もしかしてあのゴーレム、わざと後ろへ引き下がって――私の体勢を崩すためだけに、この膜を利用した?)


 魔法封じの媒体となり、魔具の役割を果たすゴーレムがこの膜の中心だ。あのゴーレムが動けば、同じように膜も動く。だからこそ、一緒に閉じ込められていた魔物まで強制マラソンをするハメになったのだ。


(あのゴブリンが私を攻撃できる位置に居たから――膜ごと下がって、私を前に引き出した。やっぱり、理性を失って何も考えない「表」の魔獣とは違う)


 眷属は魔物とも「表」の魔獣とも違い、知能が高いと聞いていた。聞いてはいたが、しかしこうして実際に目の当たりにすると――なるほど、これはと感心するしかない。


(――それは、それとして! カメラもないのに! どうしてこんな金網デスマッチをしないといけないの!? ……いや、カメラがあってもやりたくはないんだけど!!)


 職業病なのか、こんな状況にも関わらず、一連の出来事が映像記録として残せない事が悔やまれる。クッと眉を顰めた綾那は、ふとこめかみ付近に違和感を覚えた。

 痛みは感じないものの、意識した途端にこめかみの辺りが熱を持つ。続けてぬるい水が肌を伝う感覚に、「まさか」と手の甲で拭う。恐る恐る甲を確認すれば、そこにはべっとりと血液が付着していた。


 痛みの感覚からして、決して致命傷ではない。そうではないのだが――しかし人の顔や頭というのは、とにかく多くの血管が集中している。ゆえにちょっとしたかすり傷でも、思わず不安になるほどの大量出血を引き起こす事があるのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ