狩るか狩られるか
もう少々、バトル編にお付き合いください。
長らくメインヒーロー不在で、何やら申し訳ないです。
今のは恐らく、ゲームでいうところのステータスアップ――バフ的な効果をもつ魔法に違いない。そうだとすれば、外で魔法封じが光っていたのは、その核となる眷属のステータスを下げる魔法。つまり、デバフだったのだろう。
ルシフェリアは、何がなんでも颯月を助けたいと――助けるのに少しも手を抜きたくない、失敗は許されないと言っていた。その言葉の意味するところはつまり、多少の苦戦を強いられはするだろうが、綾那の「怪力」さえあれば、ゴーレムの眷属を討伐できるという事だ。
ただ、少しの綻びも許さない。時間を掛ける事なく颯月を無事に救い出したいという思いが強く――過保護にも綾那の力を増幅させて、敵の力を弱らせたのだろう。
(一瞬で勝負を決めろって事ですよね、シアさん――!)
創造神にここまで背中を押されたら、相手が眷属だの、勝てるかどうかなど、いちいち迷っていられないではないか。綾那はやるぞと意気込んで、今度こそ「怪力」をレベルマックスで発動させようとした。――しかし。
『あっ、まだダメだよ!』
「え?」
『ねえ、何も聞かずに僕を信じてくれない? 「怪力」はギリギリまで温存するんだ、今はとにかく全速力で街の外へ――そうだなあ、君が初めて落ちた東の森へ向かって、走ってみてくれる?』
「は、走る? えっと――は、走ります!」
「アーニャ!? 急にどうした、てかシアは!?」
いきなり正門へ向かって駆け出した綾那の背中に、陽香が慌てた様子で声を掛ける。しかし、今詳しい事を説明している暇はない。綾那は、後ろでぽかんとしている右京と陽香を振り返ると、「後で説明しまーす!」と叫んだ。
相変わらず何が何やら分からないが、信じろと言われれば、いくらでも信じる。『余所者』の綾那達についてはともかく、颯月の事だけは本気で救いたいと話すルシフェリア。
綾那にとっては、それだけで十分だ。言われた通り動く事によって、颯月が助かるならば――いや、綾那が動かなければ助からないと言うならば。
例え己がケガをする事になったとしても、生きてさえいれば、そんなものは些事である。颯月の安全こそが最優先事項なのだから。
『振り向かずに、このまま駆け抜けるよ!』
「――はい!」
それにしても、ここで勝負を決めずにわざわざ森へ向かえなど――ルシフェリアの支援を受けた今の綾那の「怪力」は、一体どれほどの膂力を誇るのだろうか。
もしかすると、大地を割る程度では済まないのか。いや、王都の正門近くで大地を割るだけでも、多方面に大変な迷惑をかけてしまうに違いないのだが――。
「…………あれ?」
――今更ながら、森まで駆け抜けてどうするのか。
魔法封じの核となるゴーレムは、颯月達を閉じ込めたまま山のように動かず、攻撃されても身じろぎ一つしなかった。あの膜は来る者を拒まないが、しかし去る者は決して許さない。彼らを置き去りにして駆け抜ける事に、一体なんの意味が――。
そうして不思議に思い始めた綾那の耳に、ドスッドスッと、重いものが連続して地面にぶつかるような音が届いた。それは少しずつだが確実に綾那に迫っているようで、段々と音の迫力を増していく。
綾那自身が駆けているため分かりづらいが、音に合わせて地面まで振動しているような気がした。
(いやいやいや、そんな、まさか……まさか、ねえ――)
綾那は、遠くの方へ薄っすらと見える東の森を見据えたまま、浮かんだ『まさか』を打ち消すように首を横に振った。
信じるのだ。綾那はただ、ルシフェリアを信じる。だから決して、後ろは振り向かない。
しかし悲しきかな、綾那にとってルシフェリア以上に信頼できる存在に切羽詰まった声で「――綾!!」と呼ばれては、振り向くしかなかった。
『……あっ! もう~! どうして振り向いちゃうのさあ!』
幼女の姿ではなく光球に戻ってしまったため、今のルシフェリアの表情は分からない。分からないが、恐らく頬をパンパンに膨らませてぷりぷりしているのだろうな――と、まるで現実逃避するように薄ら笑いを浮かべた綾那の目に、映るもの。
それは、魔法封じに閉じ込めていたはずの颯月達をその場へ置き去りにして、全速力で自身を追いかけてくる小山のような岩男の姿であった。
「シア、さん――」
息を弾ませながら美と慈愛の天使の名を呼ぶが、綾那が言いつけを破って振り向いた事がよほど気に障ったのか、返事はない。
「ねえぇえ! シアさぁあぁん!!!」
夜で近所迷惑とか、他の魔物を呼び寄せるとか考慮する余裕は一切ない。絶叫する綾那に、ルシフェリアはどこか迷惑そうな声色で「聞こえているよ」と返事した。
「説明を! 説明を求めます! 事と次第によっては、訴訟も辞さない構えです……っ!」
『ソショーって言われてもねえ……』
迫りくるゴーレムの姿を確認すると同時に、すぐさま前を向いて走る事に集中した。だから自身の状況はおろか、颯月達が今どういうしているのかすら、よく分からなかった。
ただ、一瞬見たゴーレムの周りには、相変わらず半透明な膜のようなものが見えた気がする。つまりあのゴーレムは、今も魔法封じの核として存在しているはずで――だと言うのに、なぜ膜の中へ閉じ込められていた颯月達は、あの場へ置き去りになっていたのだろうか。
ゴーレムと共に膜も移動するのだから、普通に考えれば閉じ込められた彼らも一緒になって、強制マラソンをさせられるはずではないか。それがどうして、ペロッと呆気なく脱出できてしまっているのか――全くもって理解できない。
そもそも、そんな簡単に脱出できるのであれば、こうして意気揚々と飛び出した綾那の存在意義とは、一体。
次々に浮かんでくる疑問に、綾那の脳はショート寸前だ。何の説明も心構えもなしにピンチを迎えて、瞳には涙の膜が張っている。
そんな綾那を見かねたのか、ルシフェリアが億劫そうに説明を始めた。
『――さっきのアレ。眷属が君の事を光に長けた者だと勘違いするぐらい、強い光魔法をかけたんだよ』
「そっ、それは、どういう……!?」
『教会によく通っているなら、耳にした事があるでしょう? 眷属は、光魔法に長けた者だけはどうしても呪う事ができず、その腹いせに悪戯を仕掛けに来るって』
「静真さん、みたいな話ですか!」
その悪戯で、彼は安眠妨害されるのが日常茶飯事らしい。だから目の下のクマが消えずに、顔色も悪いのだ。更に、睡眠不足によるストレスで極端に食が細く、まるで枯れ枝のように華奢な体躯をしているのだが――その話は今、いいだろう。
「それでその、私が光魔法に長けた者だと勘違いさせた結果が、追いかけっこであると!?」
『うん。ここまで効果覿面だと……フフッ、ちょっと笑っちゃうけどね』
「めっちゃ笑ってる!! 私にバフを掛けてくれた訳じゃなかったんですか……!?」
『そんなもの掛けたって、魔法である以上あの膜の中に入れば全部消えちゃうんだから、全く意味ないよ』
「――――確かに!?」
少し考えれば分かる事だ。しかし遅れて気付いてしまった綾那は、大きなショックを受けた。もつれそうになる足をなんとか動かしながら、綾那は「じゃあ」と更に疑問を重ねようとする。しかし、既に胸中を読んでいたのか、ルシフェリアは淡々と説明を続ける。
『あの膜が光ったのも、眷属に対するデバフなんかじゃあない。言ったでしょう? 魔法封じの膜の中では一切の魔法を使えないし、外から魔法を使っても、全てかき消される。僕があの膜を弄ったのは、一時的に人間の出入りを自由にするためだ。だからあの子達は、膜を抜け出てあの場に残された』
「そんな事が――?」
『アレを作ったのはヴィレオールでしょ? 子供にできて、僕にできない事はないよね――ただ、アレを弄るのにほとんど力を使い果たしちゃったから、もう同じ事はできないよ。たぶん君のギフト全部もらっても力が足りないし、そもそも今君から「怪力」を奪ったら、冗談抜きで――ね』
「ね、じゃなくて――アレ? シアさん先ほど、魔法封じを出入りできるようにしたのは、『人間』と仰いましたか……?」
『…………』
「――つまり、颯月さん達と一緒に中に入ってた魔物は、そのままゴーレムに引きずられて強制マラソンしてるって事ですよね!?」
『……どうしたのぉ、いきなり勘が冴え渡ってるじゃなぁい』
「褒めても誤魔化されませんからね……!!」
『死骸だけは引きずられずにあの場へ残るはずだから、そこは安心してよ』
全く安心できない事を言われて――いや、確かに膜に引きずられて地面を転がり、ミンチになった大量の肉片を見ずに済んで良かったのだろうが――ついに綾那は、走りながらぽろぽろと泣き出した。
(ほ、本当に死んだらどうしよう……「怪力」で勝てるのかな? ゴーレムの相手だけでも辛いのに、あの膜の中、まだ結構魔物が残ってたよ!)
別に、騙された訳ではない。ルシフェリアがなんの説明もなく行動し続けている点は多少アレだが、少なくとも今回、勝手にバフだのデバフだのと早とちりをして、意気揚々と「一瞬で決める! イケる!」なんて確信して外に飛び出したのは、完全に綾那の落ち度である。
ふと涙で滲む視界に構わず背後を振り返れば、どんどん綾那に近付いてくるゴーレムの迫力というか、圧力が物凄い。とても『悪戯』なんてカワイイものを仕掛けに来ているようには見えず、あれに捕まれば最後、綾那は跡形もなくすり潰されてしまうだろう。
そんなゴーレムの後を否応なしに追わざるを得ない、引きずられるように駆けてくる魔物の姿までハッキリと視認できて――綾那はますます、己の行く末を嘆いたのであった。