狼煙
街を照らす街灯や、家々から漏れ出る灯り。次から次へ際限なく湧き出てくる噴水。どこかで芸人が音楽を奏でているのか、聴こえてくる楽器の音色――櫓で過ごす王族をぐるりと囲んで守る、バリアーのような半透明な膜。
それら全てがなんの予兆もなくかき消えたとしたら、恐らく、ここに集まった民衆はパニックを起こすだろう。
魔法の灯りが消えれば、この場所に降り注ぐのは上空高くに浮かぶ、月代わりの光源のみ――いや。もし空の光源すらも消えるとすれば、この世界は真っ暗闇に閉ざされてしまう。
視界を閉ざされて音だけが頼りの暗闇の中、いきなり噴水が止まれば、水音もぴたりと止まって不気味だろう。それは、魔力で動かす楽器についても同様だ。
何も見えないからこそ、櫓のバリアーが消えた事に気付いて慌てふためくような者は居ないだろうが――しかし王族の守りが消えた所へ、パニックを起こした民衆が押し寄せればどうなるか。
混乱に陥った彼らを落ち着かせようにも、取り締まるべき立場に居る騎士もまた、一切の魔法を使えないのだ。ここに居る誰もが為す術なく、ただ闇の中をあてもなく彷徨った結果――もしも人の雪崩が起きて、あの即席の櫓が引き倒されるような事になれば。
上に居る王族はもちろんの事、下の領民や近衛も、タダでは済まないだろう。綾那と陽香は黙って考え込んでいたが、ルシフェリアはそんな二人の胸中を読んだらしい。うんうんと独り頷いたかと思えば、一言も発さない二人に向かって「そうだよね」と相槌を打った。
「きっと、大変な事になるよね。もしもそうなったら、君達はどうやって彼らを落ち着かせる? パニックを起こしてケガでもしたら可哀相だよ、よく考えて」
そもそもテスト内容の仮定がルシフェリアが魔法を封じたら――の時点で、可哀相なんて感想を抱く資格はない気がする。どう落ち着かせるのかという問いかけに、綾那は困り顔になった。それは陽香も同じだ。
「どうって……どうも、できなくねえか? 何せこの人数だろ? それも、いきなり真っ暗になって――それって、この辺りだけの話? それともこの世界全体の話なのか?」
「うーん、そうだねえ。じゃあ、この街限定――いや、この広場の周り限定の話にしようか。それも一時的な話で、じきに状況は回復するよ。何か手はあるかな?」
「って事は、ここら一帯だけが魔法を使えないゾーンで……他の場所は、問題ない訳だな。真っ暗闇じゃなくて、少なくとも月明かり程度の光は届く訳だ。広場から離れれば皆魔法が使えるし、そもそも時間が経てば解決する話だと」
「じゃあ、ここの灯りが消えて魔法が使えなくなっても、「ひとまず問題ないから、慌てずに落ち着いて待機してください」って伝えないとダメですね。暗がりで人の不安そうなざわめき声だけ聞いていると、吊られてパニックになるというか――」
「でも、「すぐ直るから落ち着いて待てよ」ってアナウンスも、魔法がないとできないよな。近場に居るヤツに声掛けして、伝言ゲームするってか? 全員に話が行き渡るまでに時間がかかり過ぎるし、そもそも直る直らないの話以前に、「なんでこんな事が起きたのか説明しろ」って、余計パニックになりかねないよな」
「んー……それじゃあ、いっそハプニングを楽しむとか?」
「は? 楽しむ?」
「せっかくのお祭りなんだし、いっそ「そういうイベントで~す!」って事にして盛り上げられたら良いのにね? 「今だけ魔法の灯りを禁じて、月明かりを愛でましょう」なんてイベントだと、流石に弱いけど――でもそういうイベントに仕立て上げちゃえば、皆が不安でパニックになる事もないんじゃないかな。何はともあれ、訳もなくいきなり停電ってビックリするから……せめて、理由が欲しいかなあ」
綾那のフワフワな意見に、陽香は思い切り怪訝な顔をした。その表情には、はっきりと「何バカ言ってんだ? コイツ」と書かれている。しかし、やや間を空けてからハッと何事かに気付くと、陽香は「ソレだ!」と手を打った。
「悪魔憑キッズーマさんの花火だ!」
「悪魔憑キッズーマさん」
「確か、合成魔法の打ち上げをする場所はここじゃねえんだよ。実行委員の天幕近くから、噴水広場の上空へ向けて打つはずだ。ここからは割と離れてるから、たぶんキッズ達は問題なく魔法を使えるはずだろ?」
「花火……そっか。確かに、花火を見るのにここの街の灯りは明るすぎて邪魔だなって思ってた。あえて街を暗くした上で、しばらく――皆が魔法を使えるようになるまでの間は、空に打ち上がる合成魔法を見て楽しんでねって事にすれば……」
「驚きはするだろうけど、少なくともパニックにはならんだろ! なんなら予言チートっぽいけど、停電前にアナウンスしとくのもアリ。「この後暗くなるけど、合成魔法を楽しむためだぞ」って! まあ、「マジで勝手な事すんな」って、あとで実行委員が死ぬほどキレ散らかしそうだけどな!」
陽香は快活に笑う。
そもそも、決まったプログラム通りの伝統的な合成魔法以外に、子供達が個人的な花火を打ち上げる話すら通していないのだから――それは当然、怒るだろう。
元々は、祭りの最後どさくさに紛れて打ち上げるという話だったが、トラブルを収めるための策として合成魔法の前座に使うのもアリだろう。それに何よりも、やはり花火は暗がりで見るに限る。
どうせなら子供達だけではなく、合成魔法の打ち上げチーム全員が協力してくれれば、勝手にプログラム外の花火を打ち上げる彼らが浮く事もないのに――とは思うが、陽香の『体感』曰く、「お役所仕事っぽいから、決まり事ムシするなんて無理無理のムリだろ」との事。
陽香はルシフェリアを見やると、「これなら、少なくともケガ人は出ないんじゃねえの?」と言って胸を張った。黙って二人の話を聞いていたルシフェリアは、「ふぅん」と小さく呟いた。
「悪くないと思うよ。だけど、どうやって離れた場所に居る子供達に、その花火とやらを打ち上げさせるの?」
「――あ。ケータイ、ないんだもんなぁ……じゃあ、「噴水広場の方が真っ暗になったら、問答無用で花火を打ち上げてくれ」って先に伝えとく。灯りが復旧するまでは頑張って続けてくれって――これもチートか?」
「なるほどねえ、良いじゃない。それじゃあ、早速伝えに行こうか」
「……は?」
「伝えに? ――え、シアさん、まさか本気で魔法を封じるおつもりですか? 一体、何のために……?」
目を丸める陽香、そして首を傾げる綾那に、ルシフェリアは笑みを深めた。しかし笑うだけでその先を話そうとしないため、早々に「これは粘っても、答えてくれないだろうな」と諦める。
何が何やら分からないものの、とりあえずルシフェリアの言う事には従うと決めたのだ。天幕へ向かって歩き出せば、噴水広場をぐるりと囲むように立っている騎士とすれ違いざまに、彼らの会話が耳に入る。
「――街の外に、魔物が押し寄せている? 応援は必要か?」
「いや、今のところは団長達が外で対処してくれているから問題ない。俺達はこのまま、街の警備を続けるようにとの事だ」
「さすがだな……あの方々が相手じゃあ、俺は魔物の方に同情するよ」
「ああ、そうだな――俺も和巳参謀に「風縛」されたい」
「お、お前まさか、広報の動画を見て扉を開いたクチか……!?」
「何が扉だ! 俺は信じてるぞ! 和巳参謀は、騎士になるために男装している麗人であると……!」
「バカ、目を覚ませ! いつかお前にも、きっといい出会いがあるから……! 早まるんじゃない!」
危うげな内容だけは綺麗に聞き流して、綾那は歩きながら「魔物」と呟いた。
(颯月さん達が、街の外で戦っているって事……?)
騎士の会話から察するに、応援不要というくらいだから余裕もあるのだろうが――突然魔物が押し寄せてくるなど、そんな事は今までになかった。本当に大丈夫なのかと颯月の身を案じていると、陽香がルシフェリアに向かって「なあ」と声を掛けた。
しかし、彼女がその先を口にする前に、ルシフェリアは「僕が何かやった訳じゃあないからね」と言って、すげなく突っぱねる。
「とにかく――そうだね、急いだ方がいい。君、「軽業師」を使って子供達のところまで早駆けしてきたら? 集合場所は……人が少ない場所が分かりやすくて良いよね、そこの路地裏だ」
「早駆けしてきたら? って――なんか拒否権、なさそうだな」
気付けばすっかり笑みを消している幼女に、陽香はため息をついた。
彼女は「じゃあ、ちょっと走って来るわ」と言って、綾那とルシフェリアを残し瞬く間に街を駆け抜けて行く。あっという間に小さくなった背中を見ながら、綾那はふと先ほどの騎士達の会話を思い出すと、「そういえば女性の戦闘行為禁止の法律があるのに、私と陽香、大丈夫なのかな? それも今日、街に王様が居るのに――」と、新たな不安を抱いたのであった。