作戦会議
「君を死なせないよう この僕がわざわざ助けに来てあげたんだから――もうそれで良いじゃない」とは、ふっくらと柔らかい頬を、これでもかと膨らませたルシフェリアの言葉である。
自称美と慈愛の天使は大層面倒くさがっている様子で、陽香が事の詳細を求めて詰め寄っても、全く相手にしてくれない。それどころか、シッシッと、まるで野良犬を追い払うように手を動かしている。
話の内容が内容だけに、ひとまず一行は噴水広場の喧騒を離れて、人通りの少ない路地裏へ移動したものの――まともに取り合う気のない幼女に向かって眦を吊り上げる陽香は、「ふざけるな」と声を荒らげた。
「こちとら、アーニャの――家族の命が関わってるんだぞ! 中途半端に死だけちらつかせておいて、その説明をしないってのは一体どういう了見だよ!?」
「詳細なんて聞いて、どうするのさ。『引き寄せの法則』って知ってる? あまり滅多な事を口にするものではないし、一つの事象に囚われすぎると、本当にその結果を招くよ。魔法を使えない君達は、どうしたって悪魔を倒せないんだから」
「颯様とうーたんの魔法なら倒せるだろ! だったら、ゼルが出てくる前に――今すぐに助けを求めるべきだ! なんかおかしい事言ってるか!?」
ルシフェリアは辟易したように、「お願いだから、何度も同じ事を言わせないでよ」とため息を吐き出した。
「だから、ヴェゼルは――あれはあれでこの世界に必要なんだから、倒されると困るんだ。それに、あの子達にどう説明するつもり? 「奈落の底」の子には、僕の予言を話せないって言ったよね」
「悪いけど、あたしはリベリアスの人間に話せないとか、この世界の存続がどうとか……そんな事よりも、アーニャの命の方がよっぽど大事なんだよ!」
「……僕の箱庭を壊すって言うの?」
ルシフェリアは、途端に随分と低い声を出した。その表情はどこまでも冷ややかで、まるで陽香を軽蔑しているようだ。綾那そっくりの幼女にも関わらず妙な迫力があり、陽香は気圧されたように息を呑んで、グッと眉根を寄せた。
しかし、すぐさま気を取り直したように首を振ると、「そうでもしなきゃアーニャが生き残れないって言うなら、仕方ないだろ!」と言って意思を曲げようとしない。
正直、綾那個人の率直な思いとしても、「死ぬのは御免だ」この一言に尽きる。そもそも「奈落の底」へ落ちたのだって、もらい事故のようなもので綾那に落ち度はない――はずだ。
強引に招かれた世界で、正当防衛の果てに悪魔の恨みを買った。その結果「どうも、下手をすると死ぬらしい」など、全くもって冗談ではない。
(でも、だからと言ってシアさんの箱庭を壊すのは――)
綾那は唇を噛んだ。
ルシフェリアの箱庭――リベリアスは、たくさんの生命で満ち溢れている。それら全てと引き換えに綾那一人の命をとるなど、例え誰かに綺麗事だと言われようとも、さすがにやり過ぎである。
そもそもの話、ルシフェリアを敵に回した時点で『四重奏』は詰みだ。「転移」をもたない綾那達は、どう足掻いても「表」に帰れない。だからと言って、奈落の底に散らばっているらしい大量の「転移」もちを一人残らず集める――なんて芸当もできない。仮にできたところで、彼らの一部は既にルシフェリアにギフトを吸収されている。「表」に帰るだけの力は、もう残されていないだろう。
つまり、綾那の命を優先してこの場を凌いだところで、その先は真っ暗闇――全員、リベリアスが壊れると共に海の底に沈んで、死ぬしかない。陽香はもしかすると、その未来を見越した上で「綾那一人が死ぬくらいなら、四重奏全員で逝ってやる」と、自棄を起こしているのかも知れないが――。
とにもかくにも、他人事ではなく、まるで自分事のように憤って取り乱す陽香の姿を見ていると、渦中の人物である綾那はかえって冷静になるというものだ。
綾那は苦く笑うと、腕に抱いたままのルシフェリアの身体を、ぽんぽんと叩いてあやした。あたかも、本物の幼女のご機嫌を取るように。
「待って陽香、落ち着いて。ここには颯月さん達が――右京さんだって暮らしてるんだよ? それを全部壊すなんて、できるはずがないでしょう?」
「だからって……アーニャが死んでいい理由にはならんだろ!」
「ま、まあ、まだ死ぬと確定した訳じゃあないし……ほら、シアさんも「わざわざ助けに来た」って――こうして、私達の所へ戻って来てくれた訳だし……ね? 私だって死にたくないし、死ぬつもりもないよ」
そう言って笑えば、陽香は腑に落ちない表情ながら口を噤んだ。彼女はしばらくの間、目を細めてじっとルシフェリアを眺めていたが――やがて、諦めたように大きなため息を吐き出した。
「分かった――さすがに言い過ぎたよ、悪かった。ただ、頼むから……アーニャが死なないようにするには、どうすれば良いのかだけ教えてくれ。一体あたしらに、何を手伝えって言うんだ?」
「うーん……事細かに全部分かれば良かったんだけど、僕の取り戻した力は、まだ五分の一以下だって言ったでしょう? 正直朧気にしか見えてないし、あまり先の事は読めない。ああ、だけど安心して? 僕が来た事によって、少なくとも死にはしないな~って感じに変わってる気が……しなくもないから」
「それの、何をもってして安心しろと?」
目を眇めた陽香に、ルシフェリアはまたしても頬を膨らませる。
「とっても凄い天使である、この僕の言う事が信用できないのかい?」
「いや、信用できるできないの話じゃあなくてよ。死なないにしても、アーニャが危ねえ事に変わりはないんじゃねえのかって話だろ」
「――これでも僕は、今までに二度もこの子を救っているんだ。君の事だって何度も助けた。本来、僕にとってどうでもいい余所者にも関わらず、何度だって慈悲を与えているんだから……もっと敬って欲しいものだね」
「……二度?」
綾那は、ルシフェリアの言葉に首を傾げた。
陽香を救ったというのは、彼女の『呪い』を跳ねのけるために祝福し続けた事や――アデュレリア領でアナフィラキシーショックに苦しむ場合に備えて、綾那を旅の道連れにと勧めた事だろうか。
しかし、綾那の二度とは、いつの話か。一度目は間違いなく、綾那が超深海に転移させられた時の事だろう。あの日綾那は、ルシフェリアに見つけ出されなかったら溺死していた。
そもそもルシフェリアはほとんど綾那の傍を離れていて、一緒に過ごす時間は極めて少なかった。初めて「奈落の底」に落ちた日と、陽香と再会した日だ。
陽香と再会した時は、「転移」もちの男達やキラービーとやり合ったものの――しかし颯月達の手助けもあり、危なげなく終わったように思う。
まずあの日、ルシフェリアは綾那を救いに来たのではない。この世界の住人――桃華を害そうとする「転移」もちを懲らしめようと、綾那を誘導しただけだ。
この時、奈落の底の住人である桃華の危機を察知できたのは、恐らく東で陽香を守り過ごす内に、余所者の「転移」もちの未来まで読んだ結果だろう。
そして今回こうして戻って来たのは、三度目の救い。そこまで考えた綾那は、まさかと思う。
ルシフェリアは、「綾那との出会いが颯月にとって『よいもの』と思ったから」なんて嘯いていた。しかし、綾那の未来を通して間接的に見るならばともかく、少なくともこの世界の住人の未来――彼の行く末については、直接分からなかったはずだ。
それにも関わらず、わざわざ二人が出会うよう仕向けた訳は。
(もしかして私、あのまま一人で森を歩いていたら――颯月さんに保護されずに居たら、簡単に死んでいたかも知れないって事?)
綾那は、ごくりと生唾を飲み込んだ。そんな未来も有り得たかも知れないが、しかし問いただしたところで、きっとルシフェリアは答えをはぐらかす。それに、仮にそうだとしても既に全て済んだ事で――綾那は今こうして無事生きているのだから、わざわざ蒸し返す必要もないだろう。
「ええと……シアさん。私達は結局のところ、何をすれば良いんでしょうか?」
路地裏という、光の届きにくい場所に居るせいもあるだろうが、気付けば空は随分と暗くなっている。一つ、また一つと魔法の街灯がつき始めて、祭りの終幕は刻一刻と近付いているのだろう。
夜も眠らない街というのは大袈裟だが、王都の街並みは夜でも昼間のように明るい。つい、せっかく夜空に光る合成魔法を打ち上げるのだから、街の灯りは抑えめにすれば良いのに――と思ってしまうくらいだ。
己に身の危険があると聞かされても、イマイチ危機感を抱き切れない綾那は、ただぼんやりと取り留めのない事を考えた。もしかすると、単なる現実逃避に過ぎないのかも知れない。
「君達には、ギフトを使ってこの街の人間を守って欲しいんだよ。できれば全員ね」
「ギフトを? 倒さない程度にゼルと戦えって事か? ……あたしらが囮になって、人に被害が出ないよう街から引きはがすとか?」
「――ははあ、君は鋭いね。まあ、そんな所かな」
「まあ……「軽業師」と「隠密」があるから、敵をかく乱するには持ってこいだけどよ。いざとなったら、メスゴリラ仮面が物理でなんとかするし――」
「私はいつメスゴリラ仮面になったの」
今と答えた陽香は、片手を腰に、もう片方の手を謎の角度で宙にもたげると、妙に決まった謎のポーズをしながら「なんか、「変身!」ってできそうな仮面だから」と続けた。
綾那とて好きで仮面をつけている訳ではないと思いつつも、そっと息を吐く。
「うん、君の「怪力」には特に期待しているよ。万が一が起きないよう、僕も最善を尽くすから――君はただ僕を信じて、動いてくれればいい。まあ……君達を『余所者』と断じる僕を、手放しに信じられるはずがないけれど」
自嘲気味な表情を浮かべて、身も蓋もない事を言い出したルシフェリアに、綾那はマスクの下で目を瞬かせた。腕の中の幼女が、どうにも不貞腐れて――というか拗ねているように見えて、思わず笑みを零す。
「シアさんは、とっても凄い天使様なんでしょう? ――じゃあ、信じるしかないじゃないですか」
「――死ぬって言われても?」
「でも、死なないように助けてくれるんでしょう」
「どうでもいいって言われて、君は不安にならないの?」
「心底どうでもよければ、もっと早くに見限られて、とっくに死んでいたでしょうに」
「ふぅん、そう――やっぱり君って、「怪力」もちがどうとか言う以前に、元々の性格が能天気なんだろうねえ。幸せそうで何よりだよ」
感心した様子のルシフェリアに、陽香が目を眇める。
「オイ待て、今アーニャを侮辱したか?」
「この上なく褒めてるでしょうが? 幸せなのは良い事だよ――さて、と」
そこで、ようやくニッコリと屈託なく笑ったルシフェリアは、一旦噴水広場まで戻るよう告げた。結局これから何が起こるのかは分からずじまいだが、綾那はただルシフェリアの言葉を信じて、行動するのみである。
悪魔のヴェゼル相手に太刀打ちできるのかどうかは分からない。しかし、逆に考えるのだ。一度でも襲われてしまえば、予知を話せないだのなんだのは関係なくなる。例え綾那達が太刀打ちできずとも、魔法を使える者が――颯月達が必ずなんとかしてくれるのだと。
まあ、万が一にも魔法でヴェゼルが倒されぬよう注意しなければならないが――少なくとも颯月や竜禅は、昨夜ルシフェリアの口から「悪魔を殺せばイイなんて、そんな単純な話ではない」と聞かされている。
きっと上手く行くだろう――いや、上手くやらなければばならない。綾那はそう強く決意すると、陽香と共に噴水広場へ踵を返した。