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祭りスタート

 紆余曲折あったが、本日はついに夏祭り当日である。

 天候は祭りに相応しい快晴――のはずだが、現在早朝四時と時間帯が早すぎる。空に浮かぶ魔法の光源は、まだ全力を出し切れていないようだ。それでも既に街の方が賑わっているのは、やはり出店や舞台の設営で忙しいからだろう。


 綾那は騎士団本部の応接室の一席に座り、その腕には、寝ぼけまなこの幼女を抱いている。その姿を見た幸成は、あんぐりと口を開けた。


「颯――これ、どういう……? 綾ちゃん、子持ちだったの!?」

「ち、違いますよ。この方は、創造神のルシフェリアさんです」

「えっ……創造神って、こんなに綾ちゃんそっくりなの? まさか綾ちゃん、マジで天の使いだったって事……?」

「それも違います。シアさんは今、皆さんとお話できるように『顕現』されているらしいんですが――私を元に人の姿をとられたので、似ているだけですよ」


 朝に弱いのか、それとも右京と同じく幼い姿をしていると子供の感覚に引っ張られてしまうのか。ルシフェリアは一言も発する事なく大きな欠伸をしたかと思えば、ぽすんと綾那の胸に顔を埋めた。


 颯月は綾那そっくりの幼女がよほど気に入ったのか、今朝顔を合わせてからずっと傍を離れない。彼が小さな頭を撫でれば、ルシフェリアは顔を上げてはにかむような笑みを見せた。しかし本当に眠くて仕方がないのか、またすぐに顔を伏せてしまう。


 どうもルシフェリアは、颯月の()()が気になるようだ。

 綾那は昨夜眠りに就く前に、創造神なら颯月をどうにかできないのか、彼を元に戻す方法はないのかと訊ねた。ルシフェリアは肯定も否定もしなかったが、しかししょんぼりと落ち込んだ表情からして、いくら創造神と言えども彼を救えないのだと察してしまった。


 曰く、ルシフェリアが「奈落の底」を創造してから二、三千年。そして、悪魔が派手に暴れるようになってから三百年。

 長い歴史を見れば、不適切なタイミングで眷属を祓ったせいで()()悪魔憑きになってしまった――という前例はあるらしい。ただし、そんな不運な人間は両手で数えられるほどしか居ないという。

 その誰もが普通の人間に戻るための手立て一つなく、悪魔憑きのまま生涯を閉じてしまったそうだ。


 ルシフェリアが救済したくとも、そう簡単な話ではないらしい。

 綾那は話を聞いてもよく理解できなかったが、世界を創る事はできても、一度手から離れた世界に神自ら干渉するのは、良くない事だと。()()()の綾那と関わる分には問題ないものの、過度に世界へ干渉すれば、箱庭にヒビが入ってしまう。そうなると、この世界の存続にも関わるそうだ。


 そもそも好きなだけ干渉できるなら、きっとルシフェリア一人でこの世のあらゆる問題を解決していただろう。わざわざ綾那に、眷属を減らせと依頼する事もなかったはずだ。


「そうしていると、まるで親子のようですね」


 昨夜の竜禅と、全く同じセリフ。まるで微笑ましいものを見るように、和巳はやんわりと目を細めている。颯月は満足げな笑みを浮かべて頷くと、おもむろに綾那の肩を抱き寄せた。

 ぴしりと体を硬直させて頬を染めた綾那に構わず、彼はそのままの本日の予定を口にする。


「既に祭りの設営は始まってる。今はまだ駐在所の騎士だけで問題なく回っているが――それもじき難しくなるだろう。もう四、五時間もすれば、街中は人で溢れる。気を引き締めて掛かるように」

「今の颯が、誰よりも気の緩んだカッコしてるような気がするけどな」


 幸成のぼやきには一切反応しないまま、颯月は続けた。


「やる事は例年通り、領民の取り締まりと街に近付く魔物の警戒だ。ハメを外したヤツを捕まえたら、各場所の駐在所へ引き渡せ。駐在所が溢れた場合は、一時的にうちの屋内訓練場を解放する。それと、右京、旭――アンタらも、アデュレリアでは同じような仕事をしていたんだろう? 頼りにしてるからな」

「承知しました」

「旭はともかく、僕は子供の新人として入団しているんだから……あんまり期待しないでよね。表立っては動けないから」

「表立って動けないなら、裏から手を回せば良い」

「……本当に人使いの荒いダンチョーだよね」


 騎士団宿舎で訓練に勤しむ若手と違って、元アデュレリア騎士団第四分隊の面々は、故郷オブシディアンでも騎士として現場に出ていた。

 アイドクレース騎士団では新規入団扱いで新人訓練に参加しているが――子供のフリをしている右京はともかく――旭らは有事の際、現場に出る事を許されている。


 その他の正規訓練を終えていない若手は、現場に出て手伝いたくともできないのだ。彼らには本日、指導役の幸成が手一杯で訓練どころではないため、休暇が与えられる。宿舎でゆっくりするもよし、街へ降りて祭りを楽しむもよし。

 ただし、もし街で領民が問題を起こしたところに()()立ち会った際には、例え若手でも取り締まりじみた行動が許されるのだという。人手が足りないからこその苦肉の策なのだろうが、本日は若手騎士にとって色々な意味で無礼講と呼べる一日のようだ。


 上手い具合に手柄を立てられれば、同期よりも早く現場へ配属されるようになるかも知れない。少しでも表立った仕事に触れた方が、地味な訓練を続けるモチベーションアップにも繋がるだろう。もちろん、調子に乗って度を越えた取り締まりをした者には、後ほど何かしら罰則が下されるそうだが。


「あと注意するのは、陛下と正妃サマ、それに王太子殿下の護衛だな。まあ、専属の近衛が四六時中ついているから、お偉方(えらがた)の身の安全については問題ないだろうが――あまり無様な姿を見せる事のないように。王都の騎士団が領民の取り締まりで手一杯になっているなんざ、笑えねえからな」

「私達が下手を打てば、あとで正妃様から呼び出し説教を食らいますからね――颯月様が」


 竜禅の言葉に、颯月は「その通りだ」と言って深く頷いた。


「では、そろそろ街へ降りましょうか。何か不測の事態が起きた際の集合場所は、いつも通り噴水広場でよろしいですか?」

「噴水広場?」

「綾が正妃サマに捕まった、()()()()()の場所だ。食べ歩きのできる店が並ぶ通りの――覚えているか?」

「ああ、あの大きな噴水のある広場ですか。では私も、何かあったら陽香とそこへ行きますね。何もないのが一番ですけれど……」


 何も起こらないはずがないと知っている以上、つい苦笑してしまうのは仕方がない。昨夜ルシフェリアに予言された悪魔ヴェゼルの襲撃については、どうも奈落の底――リベリアスの住人には、話してはいけないらしい。

 恐らく、それをすると神が世界に()()()した事になるのだろう。綾那としては――いくら余所者とは言え――自身を使ってヴェゼルの企みを潰そうとしている時点で、それは世界に干渉するのと同義なのではないか? と、首を傾げたくなるのだが。


 なんにせよ、悪魔の襲撃が起きると前もって知りながら、誰にも相談できないというのは辛いものがある。


(いや――少なくとも、陽香には話せる。早く教会へ迎えに行かなくちゃ)


 本日いつ頃、どこで、どんな風に襲撃が起きて、綾那がどう動けばヴェゼルの企みを潰せるのか。初めから最適解を出してくれれば悩まずに済むものを、ルシフェリアは情報を小出しにして詳細を話してくれない。

 頼むと言う割には、綾那を導くつもりがないのだ。そのせいで、祭りを楽しむどころか撮影の仕事に没頭する事もできない。いつ起きるか分からない襲撃に、一時も気が抜けないのだ。


 いつの間にかスヤスヤと寝息を立てている創造神に、綾那は思わず笑みを漏らした。


(散々人の事を不安にさせておいて、呑気なんだから――まあでも、やるしかないか)


 綾那は決意を新たに椅子から立ち上がると、教会まで送ると言ってくれた颯月と共に、応接室を後にした。



 ◆



「――じゃあ、本当にシアなのか?」


 教会へ辿り着くと、陽香は祭りの雰囲気漂う街にあてられたのか、入口で浮き足だったようにソワソワとしていた。しかし彼女は、綾那を――いや、綾那の腕に抱かれた幼女の姿を目にした途端に、無言で鋭いパンチを繰り出した。


 あまりに綾那と似た姿に、どうも「コイツ、目を離した隙に謎の魔法で子作りしやがった」と、とんでもない勘違いをしたらしいのだ。手加減なしのパンチを肩に受けた綾那は、すぐさま「今の陽香は、あまりに危険である」と判断した。そうして隣の颯月へ眠るルシフェリアを預けると――自身にやましい事は一切ないと思いつつも――反射のように土下座しながら、弁明するハメになったのである。


 そもそもルシフェリアがこの姿になった経緯を話して、ついでにセレスティン領や渚の話まで説明し終える頃には、陽香の表情からすっかり険がとれていた。


「殴る前に、まず話を聞いて欲しかったな……」

「いや、悪い。魔法の国だから、意外となんでもアリなのかと――あと、アーニャの日頃の行いがアレだから、つい」


 その言葉にひとつも反論できなかった綾那は、グッと唇を噛みしめると立ち上がった。そして、苦く笑う颯月からルシフェリアを受け取ると――つい先ほどまで土下座していたのが嘘のように――彼に向かって満面の笑みを向けた。


「颯月さん、送ってくださってありがとうございました。今日も一日、くれぐれも無理し過ぎないように頑張ってくださいね」

「ああ、綾も気を付けろよ。マスクを取らず、変な男に声を掛けられたら遠慮なく殴る事。あと、例え近付きたくても近衛が居てムリだろうが――陛下や正妃サマには近付かない事」

「はい、分かりました。行ってらっしゃい」

「……ああ、良いな、()()。行ってきます」


 颯月はおもむろに腰を折ると、綾那の髪の毛をひと房手に取って口付けた。彼はそのままついと目線を上げて、目元を甘く緩ませながら綾那を見つめている。綾那は頬を紅潮させて、マスク越しに颯月を見つめ返したのだが――その横から陽香が「いや、はよ仕事しろや! バカのカップル!」と辛辣な言葉を投げつけてきた事で、ハッと我に返った。


 離れがたそうにしながらも綾那から身を引いた颯月は、軽く片手を上げてから身を翻した。


「全く、油断も隙もない……ナギの無事が分かったからには、一層厳しく取り締まるしかねえぞ、マジで――」


 ため息交じりにブツブツと独りごちる陽香に、「ごめんね」と気持ちばかりの謝罪をした綾那は、途端に笑みを消すと本日の()()について話し始めたのであった。

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