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顕現

 頑なに「何も見えない」と主張する竜禅はじっと耐えているようだが、綾那は執務室の壁に額をこすりつける体勢で、しかも顔周りを両腕で覆い隠すようにして立った。

 そうして壁に向かったまま、その背後で依然として凶悪な輝きを放つルシフェリアに向かって、懇願する。


「――おかえりなさい、ルシフェリアさん。色々と聞きたい事はあるのですけれど、本当にそのお体だけは、なんとかなりませんか……?」

『そんなに僕の姿は(おそ)れ多いのかい?』


 ルシフェリアの問いかけに、綾那はただ無言のまま頷いた。畏れ多いとか神々しいとか、最早そんなレベルの話ではなく、このままでは本当に失明してしまう。そこまで行かずとも、確実に視力は下がるだろう。

 壁に貼り付いたまま会話するのも辛いし、この辛さを一人だけ共有できずに目を瞬かせている颯月にも、何やら申し訳ない。


 以前応接室で話していた時、竜禅はルシフェリアの存在を視認しておらず、その声に反応しているような素振りも見せなかった。しかし、あの時のルシフェリアはこれほど激しく――人体に害を及ぼすほど――光り輝いてはいなかったし、竜禅も常にマスクで目元を覆い隠しているため、例えあの時彼が目でルシフェリアを追っていたとしても、綾那は気付かなかっただろう。


 もしかすると、彼は以前から見聞きできていたのかも知れない。


『そうか、まあ仕方ないね。ここまで力を取り戻したのは本当に久しぶりの事だし、人からどう見えているかなんて、もう何年――何十年と気にしていなかったから』


 そう独りごちたルシフェリアは、「うーん」と悩むように長い声を上げた。やがて何か対策を思いついたのか、綾那の背に「ねえねえ」と声を掛ける。振り向きたくとも光のせいで振り向く事ができない綾那は、そのままの体勢で「はい」と返事した。


『僕もかなり色々な事ができるようになったから……そうだなあ、君の姿()を借りてもいい?』

「――姿を?」

『そう! 久しぶりに『顕現』しようかと思って。そうすれば颯月(あの子)にも、僕の姿が見えるようになるよ』


 あの子とは、恐らくこの室内で唯一ルシフェリアの姿が見えていない颯月の事だろう。まあ『唯一』と言うと、また竜禅が「私にも見えていない」と否定しそうだが。


「顕現……? よく分かりませんけれど、颯月さんもルシフェリアさんとお話しできるようになる、という事ですか? それでその光が収まるのでしたら、どうぞご自由になさってください」

『良かった。君ってほら、中身は僕の趣味じゃないけど、外身(そとみ)だけはすっごく良いからね』

「ああ……あれ? もしかして私今、侮辱されましたか?」

『この上なく褒めたつもりだけど? 何せ僕ってば、美と慈愛を司る天使だから~』


 そう機嫌よく嘯いたかと思えば、ルシフェリアは室内どころか窓の外まで白く染め上げるほど強く発光した。こればかりは颯月の目にも映ったのか、突然の事に彼はグッと小さく呻いて左目を手で覆った。


 綾那は「光を収めてくださいと言ったのに、どうして!」と嘆くように叫んだが、返事はない。ややあってからフッと光がかき消えたので、恐る恐る瞳を開く。まだチカチカと光の余韻が残る視界に軽く頭を振り、壁から離れて振り返った。

 すると、ソファの上には、綾那と同じ水色の髪をした幼児がちょこんと座っていた。


 年齢は三、四歳ぐらいだろうか? 幼児らしいふっくらとした頬は白く柔らかそうで、大きな瞳もまた綾那と同じ桃色で、目尻が垂れている。ソファに腰掛けて短い脚をぷらぷらと揺らせば、背中まで伸びた水色の髪も合わせて揺れる。

 まるで幼い時分の綾那そっくりの姿を見て、思わず「えっ」と声を漏らした。その正面のソファに座る颯月も瞳を丸め、突然現れた幼児を凝視している。


「――どう、可愛い? とりあえず人の姿をとったけど……僕の隠し切れない天使らしさが、内から滲み出ちゃってるかな?」


 ふふんと、どこか勝ち気な――というか、見た目の年齢にそぐわない高慢な表情を見せた幼児の声と喋り方は、間違いなくルシフェリアのものだ。つまりこれは、ルシフェリアが綾那の姿を借りて『顕現』とやらをした姿――なのだろう。しかし「可愛いか」と問われても、こうも綾那と瓜二つの姿を見せられては、素直に頷けない。


 表情からして、ルシフェリアは可愛いと言われる事を期待しているようだ。とはいえ、ここで綾那が頷けばまるでナルシストである。それほどルシフェリアの姿は、綾那の幼少期に似ているのだ。

 言葉に詰まってどう答えたものかと苦笑いする綾那だったが、おもむろに颯月が口を開いた。


「まるで――綾の子供みたいだ」

「……颯月様?」

「なんて事だ……つまり綾に子を産ませると、こんな天使が誕生するという事なのか?」


 颯月は唇を戦慄かせながら、じっとルシフェリアを見つめている。彼の言葉に、綾那は目を瞬かせた。そしてハッと我に返ると慌てて否定する。


「えっ、あ、いや! 私は天使ではなく神子ですから、この容姿は子供に一切遺伝しないはずなので……!」

「謙遜する必要はない、天使の子は天使だ、間違いない。クソ――なんで俺は子を成せないんだ? この身体をこれほどまで疎ましく思った事はないぞ……! 俺に種さえあれば、綾と共にこんな愛らしい天使を育てる権利を得られたっていうのに――!」

「け、謙遜ではなくてですね……あの颯月さん、突然どうされました? 大丈夫ですか?」


 ソファの上で頭を抱えてしまった颯月に、綾那は困り果てる。僅かに体を前に折った竜禅が、胸を押さえながら「颯月様、共感覚を切ってくれませんか――」と静かに懇願すれば、颯月は片手で頭を押さえたまま、パチンと指を鳴らした。


 本当に、突然取り乱してどうしてしまったのかと心配になるが――どうも彼は綾那そっくりの幼児を見て、己が子を成せない悪魔憑きである事を大変嘆いているようだ。

 彼の将来設計では、このまま綾那と『婚約』の先へ進むつもりでいるらしい。しかし子は作れないため、欲しくなれば養子をとるしかない。最悪、綾那が他所の男から種を貰うという手もある事にはあるのだが――まず間違いなく颯月が許さないだろうし、綾那だって浮気や不倫など勧められたところで、死んでも御免だ。


 ゆえにこの先、もし奇跡的に綾那と颯月が結婚できたとしても、二人の実子だけは望めないのである。

 まあ、仮に実子が誕生したとしても、神子である綾那の容貌は子に遺伝しないため、ルシフェリアのような子供は産まれないだろうが――。


「颯月様の心中は大荒れだ、しばらくそっとしておこう」


 今回はいとも簡単に共感覚を解かれた竜禅は、今では何事もなかったようにしれっと立ち直っている。綾那は颯月を案じながらも、しかし実際彼は自身の世界に入り込んでしまって、一人苦悩しているようだ。下手に声を掛けるよりも、竜禅の言う通りそっとしておいた方が良いだろう。


 今はひとまず、ルシフェリアと話すのが先だ。颯月から「愛らしい天使」と評されたルシフェリアは、満足げな表情で足をぷらぷらと揺らしている。綾那はソファに近寄ると――さすがに創造神の隣に座るのは不敬だろうと思い――すぐ傍の床に片膝をついて、目線を合わせた。


「改めまして、おかえりなさい。ルシフェリアさん」

「うん、ただいま。君も『シア』と呼べば良いのに、僕はとっても懐の深い天使だから許可するよ?」


 陽香のつけたあだ名を気に入っているのか、ルシフェリアはそんな提案をしてきた。綾那は一つ頷くと、「シアさん」と呼び名を改める。機嫌よく目元を緩ませた幼児は、ふと颯月の斜め後ろに立つ竜禅を見やると、不思議そうに首を傾げた。


「うん? あれ、なんだ――姿が変わっているから、すぐ分からなかったよ。君、青龍か」

「せいりゅう……?」

「……今は『竜禅』です。」

「へえ、そうなんだ。なんだかカッコイイ名前を付けられたんだね。前はどこに居たの? 姿が見えなかったような気がするけれど」

「いや……密かに「水鏡(ミラージュ)」を使って、身を潜めておりました」


 綾那を置き去りにして話を進める二人に、「えっと……?」と首を傾げる。


(竜禅さん、やっぱり前からルシフェリアさんの事が見えてたんだ……って言うか、元々知り合いだった――?)


 前回、綾那の気付かぬ間に「水鏡」を使っていたいう竜禅には驚きだ。しかし、言われてみれば確かに、彼は以前の話し合いの場でほとんど言葉を発していなかった気がする。

 それに、人の名を覚えるのが大層苦手だと言うルシフェリアが、竜禅に向かって『青龍』と名前らしきものを呼びかけたのも驚きである。


 だが、これでは話が違う。「奈落の底」の住人には、ルシフェリアの存在が認識できないはずなのに――。困惑した様子の綾那に気付くと、ルシフェリアが飄々と説明し始める。


「彼は人間じゃないよ、聖獣(せいじゅう)だ」

「せ、せいじゅー……とは? 人間じゃない――?」


 どこからどう見ても、竜禅は人間だ。ますます首を傾げる綾那に、ルシフェリアは続けた。


「聖獣っていうのは――なんて説明したら良いのかな。この世界には火・水・風・地・雷・氷・光・闇……八つの魔法属性が存在する。それらは全て、世界を形作るために必要不可欠なものだ」


 火を(おこ)せなければ生物は寒さに喘ぎ、食事や入浴も制限される。水がなければ生物は乾き、世界も枯れる。風が吹かねば植物は種を運べず、生物に必要な空気すら消える。大地がなければ陸生の生物は滅びる。

 電力がなくなれば、魔具を使った豊かな文明は見る見るうちに退行して――世界から氷が消えれば、極寒の地に生息する生物は暑さに順応できず、死に絶える。

 光のない暗闇に閉ざされた世界で生きられる者など限られていて、しかしだからと言って、一切の陰がなければ生物は体を休められない。


「世界を滞りなく回すためには、それらを管理する必要があるんだ。でも僕一人で全部担当するのはしんどいから、それぞれの管理者を作った。聖獣は、原初の四大属性を司る管理者――とでも言うのかな。彼は『水』を司る生き物だ。だから仮に彼が死ぬと、僕が()の青龍を作り出すまでの間、この「奈落の底」から全ての水が消える事になる」

「は、はあ……」

「ちなみに、とっても凄い天使の僕は『光』と『闇』を。悪魔の兄弟には、それぞれ『氷』と『雷』を割り振っているんだ。だから正直、いくら悪さを繰り返すからって言っても、悪魔を殺されるのは困るんだよね。だって氷はともかくとして、雷――いきなり電気がなくなったら、魔具で楽する事を知った人間はどうやって暮らしていけばいいの?」


 そう言って肩を竦めるルシフェリアと、どこか気まずげに顔を逸らしている竜禅に、綾那はまた頭を悩ませる。


「説明を聞いても、色々とついていけないのですが……」

「うーん、なんて言ったら分かりやすいのかなあ。彼ら聖獣や悪魔は、僕の――そうだ、子供! この世界を色んな生命で溢れさせるよりもずっと前に、僕の力を分けて作った、ちょっと特別な子供達だと思えばいいよ!」


 突然竜禅は人間じゃないと聞かされて、『聖獣』なんていう新たなワードが飛び出てきて――しかも、ルシフェリアは流れるように「悪魔を作り出したのも自分だ」と告白した。


(いや、どうも悪魔を作ったのもルシフェリアさんっぽいって事は、なんとなく予想していたから驚かないんだけど……聖獣? 説明を聞いても、よく分からない……)


 綾那はちらりと竜禅を見やった。彼は相変わらず目元をマスクで覆っているので、その表情はハッキリと分からないが――しかし、ルシフェリアの登場にどこか戸惑っているらしい。『聖獣』についてはよく分からないものの、恐らく竜禅はこの話に触れられたくなくて、ルシフェリアを頑なに「見えない」と言っていたのだろう。


 ルシフェリアは困惑しきりの綾那を見ると、「再会を祝して、ゆっくりお話ししようじゃないか」と言って笑った。

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