裏技
大変しょぼくれた様子で「後で呼ぶから、その時はまた抱かせてくれ――」と嘆く颯月と、苦笑いする和巳を見送ったあと、綾那は陽香の部屋を訪れた。
颯月からは子供達の進捗が聞けそうにないので、今日一日魔具係を務めた陽香に話を聞けば良いと思ったのだ。扉を数回ノックすれば、中から「あいあーい!」と軽い調子の返事がして、ややあってから陽香の手で扉が開かれる。
「おっ、アーニャ! ちょうど相談したい事があったんだ、もう颯様の用事は良いのか?」
「うん、正妃様に呼ばれて忙しいみたい」
突然飛び出した『正妃』という固有名詞に、陽香は「オゥ……」と小さく声を漏らした。
まだ彼女は実際に颯月と正妃が並んでいる所を見た事がないが、しかし彼の口から、如何に恐ろしい存在であるかを聞かされている。まるで同情するような顔つきになると、「まあ、頑張れって感じ?」と呟きつつも、綾那を部屋の中へ招き入れた。
部屋へ入ると、中には美少女――と見紛う美少年、右京の姿があって驚いた。いくら今の見た目が十歳児とはいえ、彼はれっきとした成人男性なのだ。それにも関わらず私室へ招き入れて、男女二人で過ごすとは――あまり褒められた事ではないだろう。
まあ、綾那もつい先ほどまで颯月と二人きりだったため、あまり強く言えないのだが。しかし、あの部屋はあくまでも上司の執務室――仕事部屋であり、決して私室ではない。
恐らく、陽香も右京も互いに男女として見ていないからこその行動だろう。なんにせよ、常識人の右京が女性の部屋で過ごしているというのは、少々意外であった。
綾那の視線に気付いた右京は、こてんと小首を傾げると小さく笑った。
「こんばんは。水色のお姉さん、今日屋内訓練場に来ていたでしょう?」
「こ、こんばんは。あれ……「水鏡」が掛かっているから、下からは見えないって言っていたのに――気付いていたんですか?」
「僕、鼻が利くんだ。あれだけむさ苦しい空間でいきなり甘い香りがしたら、さすがに分かるよ。たぶん髪だと思うけど、水色のお姉さんってホント女性らしい匂いするから」
「いよっ! さすが『狐』! グッドボーイ!」
「ああ、もう、全然嬉しくない」
よーしよしよしと言って右京の頭を撫でる陽香に対して、彼の態度はすげないものだ。
陽香は右京の頭をぐしゃぐしゃに撫でまわした後、「まあ適当に座ってよ、見てもらいたいモンがあってさ」と言って、綾那にクッションを投げ渡した。
促された通りクッションを敷いてその上に座れば、陽香が魔具を開いて見せてくる。
「今日のキッズの特訓さ、スゲエ上手く行ったんだわ」
「え、そうなの? もしかして、あと一日で形になるレベルとか……?」
「うーたんにも撮った動画見てもらったんだけど、結構イイ線行ってるらしいぞ。マジで、祭りに間に合うかも知んない」
その言葉に、綾那は「わあ」と歓声を上げた。
こう言っては子供達に申し訳が立たないが、連日氷渡りの様子を見学した結果、正直無理だろうと思っていた。祭り当日は綾那も子供達と一緒に教会で留守番して、よく頑張ったと褒めて、来年こそは参加しようと慰めるつもりだったのだ。
こんなに嬉しい事はない。子供達の雄姿を早く見たい――と魔具を覗き込む綾那に、陽香が「ただなあ、今日の特訓は、なあ――」と、まるで歯にモノが挟まったような話し方をする。
その様子に首を傾げつつも、綾那は再生される動画に目を落とした。本日の特訓は、雨のため室内でもできるもの――どうやら颯月は、教会へ大量の魔石を持ち込んだらしい。画面に映る彼は、子供達に向かって「容量限界まで魔力を充填しろ。ただし、割らないようにな」と言い含めている。
今までやって来た氷渡りと比べれば、怪我の恐れもないし体力も消耗しない、至極シンプルな特訓方法だ。しかし、画面の子供達――そして保護者の静真は、氷渡りの説明を受けた時以上に顔面蒼白で、大量の魔石を見つめて絶句している。
(簡単そうに見えて、実は超絶危険とか……? 割らないようにって言っていたけど、魔力を注ぎ過ぎると爆発するとか?)
画面に映し出された魔石一つ一つは、綾那が貸与されている直径十センチのものよりも小さい。ビー玉ほどのサイズの魔石はどれも無色透明で、まだひとかけらも魔力が入っていない事を示している。
それらがギッチギチに詰められた麻袋は、まるで米俵のように膨れ上がっていて――魔石の総数は、一体いくらなのだろうか。
(一つ一つが小さいんだし、少なくとも数百単位……ではないよね、数千、もしくは数万?)
綾那が画面を眺めていると、横から陽香の声がする。
「魔石ってさ、魔力を込め過ぎたらすぐに割れちまうんだと」
「え、そうなんだ?」
綾那の所持する魔石は、いつも颯月が充填してくれている。彼は難なくこなしてしまうし、それ以前に彼の側近が充填してくれていた時も同様だ。
誰も彼もが簡単そうにサッと充填してくれるため、まさかアレが繊細な行為だったとは、思いもよらなかった。
「すぐに割れるから、悪魔憑きとか子供とか関係なしに――例え成熟した大人でも、魔力操作が苦手なヤツは絶対に充填したがらないらしい。キッズ達は、氷渡りの時に連れて歩く……「火炎弾」だっけ? まだ、アレの大きさすら上手く制御できてなかった訳じゃん。だからまあ、このあと魔石を割りまくるんだけどさ――」
「それって、割ると爆発したり、怪我したりするの?」
「いや、本当にただ割れるだけ。ぶっちゃけネタバらしすると、最終的には見事誰も割らなくなったんだけど……全員――ってか、ズーマさんもスゲー泣いてた」
「そっかあ……皆、頑張ったんねえ」
無事特訓をクリアして、感涙したのだろうか。綾那は、話を聞いているだけで胸の詰まるような思いになって、そのシーンを動画で見る前から瞳を潤ませた。しかし、綾那の感動に水を差すように、陽香は頬をかきながら続ける。
「――で、さ。あれ全部、颯様のポケットマネーで買って来たらしいんだけど……あのちっこい魔石ひとついくらするか、アーニャ知ってる?」
「魔石の値段? そう言えば、聞いた事ないかも……」
紫色に輝く魔石を思い浮かべながら、綾那は首を傾げた。
そもそもこのリベリアスでは、魔法を使えない人間の方が稀だ。魔法が全てで、日常生活にも魔法が深く根ざしている国。魔力ゼロ体質ではまともに生きられない。魔石は、そんなごく稀に産まれる魔力ゼロ体質の人間を救済するための道具である。
画面に映る大量の魔石を見た上で、需要と供給を考えれば――魔力ゼロ体質はごく稀に産まれるのだから、魔石は少ない需要に対して供給過多なのではないか。
それもあんなビー玉サイズであれば、いくら便利な道具とは言っても、精々数百円――と考え込む綾那の耳に、次から次へ悲鳴が届く。その音の出所は、魔具だ。
『うわーん! にーちゃん、ごめんなさい! ごめんなさい!!』
『オイ、やめろよ朔! 隣で泣くな! 集中切らせると、俺まで割――ッあああぁ!』
『バッカ! ふざけんなよ朔、幸輝! これひとつ、いくらすると思ってんだよ!?』
『そっ、そんなに言うなら、楓馬もさっさとやれよぉ!! 割るのが嫌だからって、なに見学に回ってんだ!』
『おぉおお前達、頼むから喧嘩せずに、集中してくれ! これ以上割るんじゃない、頼む! もう既に、私が一生かけても弁償しきれない額に達しているんだ……!!』
『こ、これ以上プレッシャー与えないでよ、静真さん!! ――ちょっ……も、もしかして、泣いてるの!?』
『うわーーん!!! これなら、氷渡りしてる方がずっと良いよーー!!』
「…………え、っと――?」
動画を見て困惑する綾那に、右京が静かな声色で告げた。
「あれひとつ、十万」
「――――――ちょっと待ってください? 待って? 颯月さん……? 颯月さんは――石油王だった……?」
「落ち着けアーニャ。石油王じゃあない、騎士団長だ」
「石油を掘り当てた功績で、騎士団長になったのかな……?」
「気持ちはスゲー分かるけど、石油から離れろ」
改めて動画を注視すれば、やはり画面端に数千から数万個は魔石が詰められていそうな麻袋が鎮座している。陽香と右京の説明を聞いて、画面に映る教会が阿鼻叫喚の嵐に襲われていても、綾那の理解は追い付かなかった。
(ひとつ十万円の魔石が、例えば一万個あったとしたら――じゅっ、十億円なんだけど……!?)
颯月の総資産がヤバヤバのヤバだという事はなんとなく察していたが、それにしたって、推定十億円相当の麻袋をあんな乱雑に床に投げ置くなんて、正気の沙汰ではない。
まず、十億円が麻袋に入れられている事からしておかしい。しかもただ床に投げ置くだけに留まらず、悪魔憑きの子供達の魔力制御の礎にするため、溶かしまくっているのだ。
すっかり硬直して絶句する綾那に、右京が分かりやすく特訓の補足説明をし始めた。
「実は、あれほど効率的な魔力制御の特訓って他にないんだよね。容量限界ギリギリを見極めるにはコツが要るけれど、魔石は充填すると色がつくでしょう? 視覚的に加減を理解しやすいから、良い教材になる」
動画内で子供達が悲鳴を上げながら充填する魔石は、どれも透明から彼らの瞳と同じ色の赤に染まっていく。そうして限界を超えた途端に、十万円は粉々に砕け散るのだ。
颯月の場合は、呪いが半分で元の左目が残っているから紫に染まるが、本来悪魔憑きが魔石の充填をすれば赤に染まるのだな――と、綾那はどこか、現実逃避気味の感想を抱いた。
「だから、あれは悪魔憑きかどうかなんて関係なくて、誰にとっても良い特訓方法なんだよ。ただ実践するには費用がかかり過ぎるから、誰もやらないだけ。まあ、やらないって言うか――普通、やれない?」
可愛らしく小首を傾げた右京に、綾那は頭を抱える。つまるところこの特訓は、財力にモノを言わせた裏技チートではないかと。
結果として子供達は魔石を割らずに済むレベルに達するのだから、終わり良ければ――とは言ったものの、果たしてこんな動画を視聴者に見せても良いものだろうか。
あまりにぶっ飛んだ常識外れの行動に、そして一つも懐が痛んだ様子のない颯月の財力に、視聴者は感動を覚えるよりも先にドン引いてしまう。
今日一日現場でカメラを回して、綾那と全く同じ感想を抱いたのか――陽香はなんとも言えない表情で、「たぶん……没よな」と呟いた。
「――いや、ワンチャン騎士になれば高収入! って利点に繋げられればとも思ったんだけど……颯様のこれは、さすがに『夢がある』を超えてんだよ。こんな非現実的なもん見せられても、視聴者はかえって虚しいだけだよな――映像的には撮れ高しかないんだけど、でも金にモノ言わせて作った撮れ高だから、ちょっと厭らしいっつーか」
陽香の言葉に深く頷いた綾那は、改めて自身のもつ魔石がビー玉サイズでは済まない事を思い出した。その流れで金額まで予想してしまって、ただでさえ白い顔が蒼白になったのは、至極当然の事だった。