義弟と交流
頬を紅潮させて狼狽えまくる綾那をよそに、維月は「へえ、なるほど、これは――」と、興味深そうに観察している。
まるで何かの審査にかけられているようで落ち着かない。しかし、これだけ明け透けな視線を送られても不思議と厭らしさを感じないのは――恐らく、彼の顔に浮かぶのが好奇心ただ一点だからだろう。
「恐れながら……殿下、さすがに露骨すぎるのでは――」
「ん? ああ、失礼。彼女が義兄――いや、騎士団長を骨抜きにした女性かと思うと、感慨深くてな」
苦笑しつつやんわりと行動を窘める和巳に、維月が身を引いた。綾那としては、「骨抜きにされているのは颯月さんじゃなくて、私です!」と主張したいところだが――王太子、それも敬愛する颯月の義弟相手に軽々しく発言できない。
両手で頬を押さえたまま顔色を窺うように維月を見やれば、彼はまた目を細めて、颯月に似た笑みを浮かべた。
「あなたは本当に肌が白いから、そうして頬が赤くなるとよく目立つな。アイドクレース人は肌の焼けた者が多いから、恥じらう姿を見ても面白味が薄――」
「維月、肌色に言及するのは褒められた事ではないわよ。そもそも女性を相手に面白味とは、一体どういう了見なのかしら」
「あー……口が滑りました」
「お前は次期国王よ? 己の置かれた立場をよく自覚なさい、即位すれば「口が滑った」では許されないのだから」
ぴしゃりと冷たく釘を刺す正妃に、維月はやらかしたという顔つきになって、小さく肩を竦めた。
突然始まった説教に、ギャラリー内にはなんとも言えない空気が流れる。しかし、綾那は呑気に「正妃様に怒られた時の気まずげな表情まで、颯月さんとそっくりだあ」と、妙な感動を覚えた。
結局ギャラリーの空気を変えたのは、説教を始めた正妃自身だった。彼女は「ンン!」と咳払いすると、どこか言いづらそうに――しかし、好奇心を抑えきれないといった表情で口を開く。
「ところで、颯月はその……綾那の事を、て――『天使』なんて呼んでいるの?」
「ングッフ……!!」
まるで、ある日息子の部屋を掃除していたらイケナイ本を発見。意図せずして我が子の性癖を知ってしまった時のような――正妃の切れ長の釣り目は、好奇心と、深く問いただしてはいけないという背徳感の間で揺れている。
国母の正妃にもそんな下世話な一面があったとは、意外である。意外であるが、しかし綾那はそんな事を言及する余裕一つなく激しく噎せた。
正直、正妃――颯月の義母にだけは、彼から『天使』と呼ばれている事について突っ込まれたくなかった。そもそも綾那は「私は天使!」なんて自負した事がないし、颯月としても義母にこの話を知られるのは、さすがに気恥ずかしいのではなかろうか。
ゲホゴホと苦しげに咳込むばかりで何も答えない綾那に構わず、正妃は続けた。
「今まで、颯月にそういった相手が居た事ってないでしょう? まあ、ずっと私がふるいにかけていたのが悪いのだけれど……だからあの子が綾那にどう接しているのか、不安になるというか――」
「颯月様は、それはもう綾那さんの事を大切にしていらっしゃいますよ」
和巳が生温かい目をしたまま答えれば、正妃は「本当に?」と細い首を傾げる。
綾那がやっとの思いでコクコクと頷けば、どこか腑に落ちないながらも「そう」と言って目を伏せた。正妃の様子に、横に立つ維月がおかしそうに笑う。
「そう心配なさらずとも、彼女は団長の理想そのものです。何が起きても宝物のように守るでしょうし、逃がすようなヘマもしないでしょう」
「理想……綾那が?」
「ええ、足の先から頭のてっぺんまで。ついでに言えば中身も、母上とは真――、……また違った魅力がありますから、愛しくて仕方がないのではありませんか?」
維月は一瞬言い淀んだ。和巳が笑顔のままぼそりと「今、危うく『真逆』と言いかけましたね」と呟き、何も聞こえなかったのか納得した様子で深く頷く正妃に、綾那はグッと言葉を飲み込むしかできない。
「俺も初め、団長の口から大真面目に「天使と会ったかも知れん」と聞かされた時には、ついに働き過ぎて幻覚が見えるようになってしまったのかと心配したものだが……実在する女性で良かった、心から安心した」
ほうと安堵の息を吐いた維月に、義弟からも社畜ぶりを心配されているではないかと、綾那は頭を抱えたい思いになる。しかし、ふと表情を引き締めた彼に「ところで」と切り出されて、背筋を正した。
「様々な問題があり、『婚約』以上の関係になるのは難しいと聞いている。だが、その上であえて聞きたい。あなたが団長の事をどう思っているかをな」
どこまでも真剣な表情で尋ねる維月に、綾那はごくりと喉を鳴らした。
(試されている、のよね――?)
周囲から聞いた話では、彼は相当義兄の颯月が好きらしい。それも幸成から『超ブラコン』と評されるくらいだから、よっぽどなのだろう。
敬愛する義兄の傍に、素性の知れないぽっと出の女が婚約者として立つなんて。あまつさえ「契約」までしたとなれば、気にならないはずがない。
その上、結婚する気があるのかと言えば、それも不明瞭だ。「表」や「奈落の底」という、住む世界の違い。『四重奏』の存続や、家族の同意――陽香曰く家族のというかナギの同意らしいが――など、二人の間には問題が山積みである。
それに、綾那自身は気にしていないとはいえ、颯月にもまた一生悪魔憑きで子を成せないという問題がある。
総合的に考えて、綾那が彼と添い遂げるのは難しい――にも関わらず、颯月の傍を離れようとしないのだから困りものだと、綾那自身も思う。
維月から「颯月の想いに応えるつもりがないなら、去ね」と敵意を向けられたとしても、なんらおかしい事はない。だが、できれば維月とは――颯月と仲の良いらしい義弟の彼とは、是非お近づきになりたい。
(だって、同じ颯月さんファンなんでしょう? やっぱり大好きな『推し』を語らいたいじゃない……!)
綾那がどれだけ頑張っても、どれほど颯月を愛していたとしても、時空を超越する事だけは叶わない。颯月ファンになって、まだ二ヵ月そこらのド新規である綾那は、どう足掻いてもファン歴十年超の古参、維月には敵わないのだ。
ただし、決してそれが悔しい訳ではない。綾那はただ、義弟しか知り得ないような颯月の一面が聞きたいのである。
やはりファンとしては、彼のどんな所が素敵で、こういう所が格好良くて――あの時はこんな事があって、なんやかんや起きてという、颯月のエピソードを何一つ余さず知りたいではないか。
とにかく、この機会を棒に振る事など出来はしない。いかに颯月のことを敬愛しているか、維月に分からせるのだ。綾那は静かに息を吸うと、パッと顔を上げて真っ直ぐに彼を見つめた。
「全部好きで――好きすぎて、辛いです!!」
「つ、辛いのか……!」
あまりの勢いに気圧されたらしい維月に構わず、綾那は「ハイ!!!」と食い気味で返事した。
「金混じりのふわふわの猫っ毛、陶器みたいに滑らかで白いお肌。妖艶な垂れ目と、対照的に吊り上がった眉毛。高く整った鼻も、それにあの、薄い唇も素敵――」
「……ああ」
「見上げるほど高い身長も、鍛え上げられた分厚い体も、お腹に響く重低音ボイスだって最高です」
恍惚の表情で、陶酔したようにうっとりと颯月の『よさ』を話す綾那に、維月は「どうぞ、続けて」と先を促した。ちなみに、和巳は生暖かい目をしたまま頷いていて、正妃に至ってはトランス状態の綾那に、若干引いているような気がする。
「あの紫色の瞳も吸い込まれそうで堪りませんけれど、私はもう、眼帯を外した時の颯月さんが好きで仕方なくて……! 白いお肌に映える刺青も、赤い右目も最高ですよね! あ! 昨日知ったんですけれど、お体にも同じ刺青が入っているとお伺いしまして! 私ったら、今までそんな事を知らずに生きていたものですから、本当にこの二か月間を無為に過ごしてしまったな……って!」
どんどん熱の入る綾那の独白に、維月は何か見定めようとしているのか、ただ無言で頷くのみだ。それをまるで『推し語り』を聞いてくれる同志のように受け取った綾那は、ますますテンションを上げた。
「実は、颯月さんの事は最初、見た目だけで好きになったんです。元々敬愛していた方に、とてもよく似ていらして――でも、今となってはもう、颯月さんこそが唯一無二の存在なんです。傍に置いてもらえるようになってから、決して顔だけじゃないって事に気付いて……仕事ばかりで私的な時間がほとんどなくて、領民の安全のため、文字通り身を粉にして働き続けるでしょう? あれを「責任感があって素晴らしい」と断じるには、些か問題を感じますが――社畜ぶりはともかくとして、彼の在り方を深く尊敬します」
「……分かるよ」
「それに、意外と子供好きな所も、器用になんでもこなしちゃう所も、面倒見が良い所も好き。見ず知らずの私を迷わずに助けてくれた行動力も、五百以上ある魔法の詠唱を丸暗記する、異常な記憶力だって大好きです。あとは――完璧に見えても、繊細で打たれ弱いところが可愛くて」
綾那は、最後を笑顔で締めくくった。つい先ほどまで引いていた正妃も、綾那が話し終わる頃にはほうと感嘆の息を漏らした。
以前正妃と会った時には、まだ綾那も颯月について詳しくなかった。だからどうしても、顔先行のイメージが強かったのだ。しかし彼と長く過ごすようになった今では、内面についてもそれなりに理解を深められたと思う。
(ファンとして、お墨付きをもらえるかな……?)
綾那は、ちらりと維月の反応を窺った。何事かを熟考していたらしい維月はふと顔を上げると、ただ一言「悪くないな」と呟いて不敵に笑う。その、少し人の悪い笑い方まで義兄を彷彿とさせた。
「よく分かった。今後も義兄上の天使として、彼を支えるように」
「て――天使ではありませんが、誠心誠意尽くします」
ひとまず、敵視される事なく済んだのだろうか。維月が麺被りNGでなくて本当に助かった。そうして綾那が息をついたのも束の間、維月は「しかし」と声を上げた。
「話を聞くに――どうも義兄上は、まだあなたの前で背伸びをしているようだ」
「……背伸び、ですか?」
「義兄上はあれで、意外と不器用だぞ? 服すら己一人で着られないほどにな」
「――えっ、え……? それは、どういう……?」
維月の言っている事がイマイチ理解できず、綾那は和巳を見やった。しかし彼は笑顔のままふいっと顔を逸らして、何一つ説明してくれそうにない。