3、変えられたものは……
その春、まるで歴史書をなぞるかのように、第一王子が失脚、幽閉。他国に機密情報を流していた令息二名とヒロインが処刑台の露と消えたり、多くの令息は廃嫡、貴族位の剥奪となった。
彼は、死ななかった。
私が知っている話と少し、違う。皆、死刑になると思っていたのに実際は違った。読んでいた本が、脚色された本だったのか。運命が変わったのか。わからない。
学年が違い詳細な情報が入らなかったこともあるが、彼は、王子やその取り巻き、ヒロインにある程度の距離を保っていたらしい。
ヒロインの魅了魔法の残滓がある、との淡々とした報告を彼自身から聞く。
相変わらず、冷めた目だ。何を考えているのか、わからない。
ただ、彼の中に、私はいない。
それだけが。その事実が悲しくて。
どうしてその眼に映るのは私ではなかったのだろう。
選ばれなかった事実が突き付けられる。
どうして喜べないのだろう。
彼は、死ななかったのに。
どうして
どうして
そんな想いが、溢れ出そうになる。
「影響が消えるまで、少なくとも二年はかかるそうだ。そして、記憶の欠落や性格の変容を良しとしない為、魔法治療による残滓の除去はしない」
淡々と彼から告げられる方針。
「わかりましたわ。無理はなさらないでください」
平静を装って言った言葉は、わずかに震えた。
屋敷に戻り、自室の扉が閉まると同時に、堰を切ったように涙があふれた。
彼が生きていて、嬉しいはずなのに。喜べない。
あの、想いのこもらない冷たい目と、これから一生を共にするのだろうか。他の女を想い続ける彼と共に、私は生きていけるのだろうか。
ぽたぽたと流れ落ちる涙を拭うこともせず、窓辺に座り、夕やみに浮かぶ一番星を眺めていた。
そんな、寒さの緩んだ春だった。
春は、嫌いだ。
一年後、私は王立アカデミーを卒業した。
彼は、王城で文官として過ごしていた。通常、卒業を待って結婚となるのだが、私の場合は話が進まなかった。だから、私も王城にて仕官している。
彼は、土木や建築を取り扱う職に就いており、殆ど王城には居ない。私は式典や催事を担当する職となったため、内宮にいる。広い王城で彼と顔を合わせる事も、ほとんどなかった。
そして、また一年。
春になったが、彼と私は何の変化も無かった。
あの事件から、二年が過ぎたのに。彼の態度は変わらない。
何も、変わらない。
まあ、一人で生きていけない事も無い。婚約破棄されてもいいのではないだろうか。それとも、仮面をかぶったままで、貴族の責務として愛が無い結婚をするのだろうか。
そう考え始めていた。
夏。
立夏の夜会には珍しく彼は王城に戻っており、久しぶりに婚約者としてエスコートされた。
ああ、青年から、大人になったなあ。
そんな、どうでもいい事を考えた。
私はもう諦めていた。
きっと、彼の目に私が映ることは無いだろう。
挨拶が終わると、夜会の会場を抜け出した。
冷えすぎた夜会の会場を抜け、テラスに出ると、身体に熱気がまとわりつく。庭園の緑の匂いを吸い込む。
急に背後から男性に声をかけられて振り返ると、見知らぬ男性の下卑た視線に、晒されていた。知らぬ男だ。知らない、というのが一番厄介なのだ。相手の身分も何もわからなくては、それなりの返答というのが出来かねる。
アルコールの匂いが鼻につく。ああ。最悪だ。
そう、思った時だった。
「ローズ」
彼が、テラスに出てきた。
正直、助かった、と、思った。
「おや。グラディス男爵。久しぶりですね。ローズ。暑さでのぼせます。もう、室内に戻りなさい」
そう言って、肩を抱かれる。
そんな事。今までされたことが無い。
直接、肩に彼の手が触れている。それだけで、心臓の鼓動が早くなる。
「不用心すぎますよ。疲れたなら、送りましょう」
そう言われて、挨拶もそこそこに、私は夜会を後にした。
手を引かれて、馬車に乗り込む。どうしたらいいんだろう。何を、話せばいいんだろう。
「どうしましたか、話せないほど、疲れていますか?」
無言でいると、彼に寄りかかるように、抱き寄せられた。
「眠っていていいですよ。着いたら、起こしましょう」
上手く返事が出来なさそうだったので、彼の言葉どおり、私は眠るふりで、目を閉じた。
抱き寄せられた温かさと。大きな手と。
慌てふためいている、私の心臓の鼓動が聞こえてしまわないだろうか?
そんなどうしようもない事を考えながら、ああ、私、この人が好きなんだなぁって気が付いた。
涙があふれそうになったので、泣かないように、泣かないように。
何も考えないようにした。
馬車を降りる時に、彼が私を見て、ふっと笑った。
どうしてなんだろう。どうして、彼は笑っているんだろう?
私は、混乱したままだった。
そうして
夏が、終わろうとしていた。
お読みいただいて、ありがとうございます。