TURN6:凍てつく荒野の野獣
居るだけで生存を脅かす冷却された大気が容赦なく全身の体温を奪う、
呼吸をすれば冷気が痛みとなって肺を締めつける。
「つばちゃん!起きてーー!」
揺すって起こそうと試みはするが、別に起きなくても良いとタマコは思った。
現状はもうどうしようもなく終わっているのだから。
「…ん?タマコ?つめた」
凍える大地の冷たさに驚くつばめ、
「え?」
そのままポカンと口を開けて空を見上げる。
タマコは黙る、つばめは頭が悪い方では無いからその方が現状を共有するのに早いと思ったからだ。
つばめの体を強く抱き、触れ合う体の温もりを感じて待つ。
目をつぶって深呼吸するつばめ、御堂騒動で見せた無表情はそこにはない。
タマコが興奮作用を強化してパニックを抑えているのと同様に、
つばめはルーティンによって務めて冷静になる事でパニックを抑えたようだ。
「タマコ…」
「うん?」
「星があれじゃ方角が」
「わからないね!」
「そもそも…ここは?」
「わからないよね!」
「たしか、私達最後にあの白い化物に…?」
「うん…」
「だったらもう一度その白い化物と接触すれば」
タマコは首を軽く横に振り指を指す。
その先をつばめは確認し理解した、現状がもうどうしようもなく終わっているという事に。
タマコ達の位置からその場所まで何かが這った痕跡がある、間違いなくあの白い化物だろう。
しかしその先で唐突に途切れている。
つまり…
「もうこの星にいるのかすら、わからないね!」
肩を落としながら、あははとタマコは白い息を吐いた。
しかしこのままでは低体温症で動けなくなるまでもう数刻と無い。
いい加減地面の冷たさが耐えられなくなり立ち上がるタマコ、
つばめも続いて立ち上がる。
「かまくらでも作るー?二人ならなんとかできない?」
タマコの提案に今度はつばめが首を振る。
「しばらく雪が降っていないようね…雪が硬い…
手足の凍傷覚悟で雪をかき集めても、低体温症で動けなくなる方が先」
スコップでもあるなら話は別だけど…と整った眉をひそめながら硬い雪をソックスでグリグリするつばめ。
二人が持っている物はジャージと自分の命だけである。
そして、そのうちの一つは刻一刻と失われつつある。
ここから先、一つの誤った行動が生存率を0にする。
真剣な眼差しを交わしながら頷く事で、その認識の共有を二人は行い…
「つばちゃん…チューしよう!」
「…ええぇ!?」
真面目な顔のタマコと驚愕するつばめ、
一歩迫るタマコと一歩後ずさるつばめ。
「まってタマコ!どうゆうこと?…死ぬ前にって事!?」
平静さが失われ取り乱すつばめに、タマコも慌てて答える。
「ちッちが、ほらッつばちゃんはルーティンがあるじゃない?
でも私は…ほら!」
見ると、さっきまでは赤みをまだ帯びていたタマコの顔は白く、
手足がガタガタと震えているのは寒さだけでは無いようだ。
生存が絶望的かつ肉体的に過酷すぎる環境は容赦無く生きる気力を奪う。
このまま放置すればタマコが先にパニックになる。
一人がパニックを起こせばまさしく、終わりだ。
「フリだけで良い…から…それだけで…私は興奮を強化できるから!」
気丈に振る舞ってはいるが、不安の度合いが強いのだろう、普段ほど言葉に強みがない。
タマコの様子を一通り見て、つばめは再び目をつぶって深呼吸する。
今なによりも必要なのは精神力と体温であり、つばめが協力すれば、
タマコはその両方を一度に取り繕う事ができる…考えるまでも無い事だった。
「ん」
白銀の荒野に佇む潔白の少女が、雪の結晶と共になびく髪を片手で抑え、
素知らぬ顔で蕾のような唇を差し出す。
星の輝きを一身に受けての、人の為の献身。
ジャージ姿であってもその姿は”天使の口づけ”の題と共に
美術館に飾られるべき完成された絵そのものだった。
「ー」
感嘆に息を飲むタマコ、見る事さえ憚られる神性に身じろぐ。
なんとか触れようと伸ばす手もすぐにその罪深さに拳を握り戻す。
「………つばちゃん、ほんとごめん、舌…だして」
「!?」
再びの驚愕から思わず信じられないといった顔でタマコを見るつばめ。
タマコは心底申し訳なさそうに目を伏せている。
「このとーり」
と震える両手でお願いのスタイル、
実は余裕があるのか、はたまた正気を失って錯乱状態なのではとタマコを一瞥するつばめ。
タマコの表情からは微塵も余裕は伺えず、相変わらず一刻を争うと必死な様相だ。
つばめは再び覚悟を決め静かに目をつぶり、
「あッ目は開けたままで」
もう何もいうまいと目を開け、
この寒さにあっても頬が熱を持って紅潮するのを感じながら。
「んべ」
っと恥ずかしさを紛らわすようにぞんざいに舌を出した。
あえて題するなら”堕天”だろう…むろん美術館に飾られてはならない物に成り下がった。
タマコはその姿を見て、ゴクリと唾を飲み、頭痛と共にバチっと脳に電気が流れる感覚が走る。
距離を詰めるタマコの目は飢えた野獣の如く輝いた。
お互いの吐息がかかる距離、
(フリだけ、フリだけ……タマコの息…熱い…)
倒錯的な状況と羞恥から、くらくらと目眩がするつばめ。
((もう…限界!))
舌を引っ込めようとするつばめの口をそのままタマコが塞いだ。
「んーーー!?」
声にならない叫びをあげ逃れようとするも、
タマコに体ごと押さえつけられ身動きひとつ取れない。
むしろ、もがこうとするほど、ぎりりっと押さえつける力が強くなる始末で痛みすら伴う。
「んん…」
「…」
「ぷはッ…あああ!ごめんんん!!」
タマコが口を離し、無自覚に押さえつけていた体も解放する。
圧迫から解放されたつばめは目をチカチカとさせながらケホケホと咳き込んだ。
(し、死ぬかと思った)と恨みがましい涙目を向けながら胸を上下させるつばめ。
その姿を未だに強い光を宿す双眸で捉えながら熱い息を吐くタマコ、
誰のとも分からない口の端の唾液を舐めゴクリと喉を鳴らす。
「タマ…コ?」
圧のある視線に気圧されたのか恐る恐る様子を伺うつばめ
「…あ!ごめんごめん!ほらルーティン!ルーティン!」
獲物を見る目を背け、溢れる衝動を抑えながら平静を促す。
つばめは目を閉じ、(タマコは友だち、タマコは友だち)と心のなかで念じながら、深呼吸した。
そうしないとタマコを脅威判定して排除しかねないからだ。
「「ふー」」
こうして無事二人の気力は保たれた。
先程の弱々しい姿は無く大地を睥睨するタマコ。
周囲は森に囲まれており、タマコ達のいる所だけ野球場程のひらけた荒れ地となっているのを確認する。
「つばちゃん、あれ!見える?」
何かを見つけたタマコの指す先をつばめも捉える。
「暗くてよく見えない…けど…足跡?」
「たぶん獣の足跡…近づいてみよ!」
溶けた氷が染み込んだソックスで足の末端が痺れるのを感じながら手を繋いで小走りで近づく二人。
つばめは刺すような冷たさに震えながら握る手の熱さを頼りに体を動かす。
近づくにつれ、その足跡が1つでは無い事が分かった。
森から森へ横断するように荒れ地に刻まれている複数の足跡。
「狼…にしては大きい」
自分の手よりふた回り大きい足跡を見てつばめが所感を口にする。
沈む雪の量から、重量もそこそこありそうだと冷静に分析する。
「狼っぽいよね!足跡は2、3…4匹かな、
2匹は子供っぽいね、家族かな?」
「このサイズになると大きな群れを作るメリットは少ないのかも…
?タマコ何を考えて…」
タマコが見据えるのは足跡の続く森、月の木漏れ日がかろうじて射す闇の中。
「もしこいつらの内一匹でも仕留める事ができれば、
体温を、血肉を…補うことができるんじゃない?」
つばめは息を飲んだ、
何らかの救助を期待するなら、このひらけた場所に留まるのは悪い事ではないが、
タマコは早々にその線を切り捨てたようだ。
だとすれば、雪の侵入を防いでいる森の方がまだましではある。
自然に倒れた木で風が凌げたりほら穴なんかもあれば、死ぬまでの時間も稼げるだろう。
しかし、どうせすぐ無くなる体力である、後悔しないように使うしか無い。
タマコがどれほど本気かは分からないがそれならそれで、
「べつにいいけど」と
二人の見据える先が重なった。