TURN4:戦略ゲーム
つばめは自分の肢体を眺める不審者を前に、始め完全に自失してしまっていた。
羞恥どころでは無い、先程の御堂の混乱を上回る混乱に襲われているからだ。
しかし、薄暗い部屋がこの場の緊張感を引き立てるのか、正常な思考を奪われたつばめは、
その整った顔を徐々に恐怖に歪めていく。
「きっ」
「おちつけー!!!」
つばめの絶叫を遮るように放たれる御堂の怒声。
「ひっ」
つばめはビクっと身を震わせ
ナイフを突きつけられた人質のように目を閉じて身を小さくした。
「お、おちつけ、深呼吸しろ〜」
声のトーンを抑え、喋りながらゆっくり後ずさる御堂。
(ドア!もう少しでドアだ!)
背後を横目で確認し、絶体絶命に思われたが土壇場で光明が見えてきた事に御堂自身驚いた。
日ノ下をビビらす事で時間を稼ぎ、撤退して、
色々な誤解があったのだと冷静になってもらうしかない、
今はただ逃げてこの場を収めたい気持ちに御堂は従うのみだ。
ポトリ、そんな音で御堂が正面を向き直る、どうやら日の下がリボンを落としたようだ。
気にせず、また一歩後退する御堂。
(ん?)
ザサっと音が成る、御堂の後退に合わせて日ノ下が一歩御堂に向かって踏み出した音だ。
何を考えているのかと再び日ノ本の表情を御堂は伺い、
(ッ!?)
背筋にはしる悪寒とともに本日最大の失敗をしたのだと自覚した。
見開かれた目、2つ眼球が小刻みに動いている、なんの感情も読み取れない表情。
『目をつぶって深呼吸をする』それは学校から彼女個人に対し、無許可で行う事を固く禁止した、
彼女のルーティンであり、脅威を前にしないとそれでも発動することのない彼女の異常。
「んな、ばかな」
視線を完全に把握できる御堂はその事実に驚愕した。
全てを見られている、後退する足の動き、違和感を口にする唇、舌の動き、
目の動き、呼吸による肺の膨らみ、エトセトラ。
また一歩日ノ本の足が進むのと御堂が口を閉じるタイミングは同じだ。
御堂は更に戦慄する、
(どういうことだ!?日ノ下は俺と同じカウンター型なはず、いや俺よりも徹底したカウンター型なはずだ!
そんな相手が距離を詰めてくるのは本来ありえない!)
息を飲む御堂と同時に一歩距離を詰める日ノ下。
(もしかして、俺の呼吸や無駄な動き、その一つ一つにカウンター行動を取っているのか!?
これが俺と同じB-?)
信じ難い事実から、また観察による疲れ、恐怖による乾燥から御堂は一瞬目を瞑る。
目を開けるとあまりにも接近している日の下がただならぬ気配で静止している。
唯一目だけが異様に動いている光景に御堂は半ばパニックに陥った。
「うああああ」
叫びながら後退する御堂、
無言で寸分違わず同じ距離を詰める日ノ下。
御堂がドアに左手を後ろ手にしてかけたところで気づく、
(間に合わない)
迫る日の下の左手、その人差し指と中指、コースは柔らかい人体の急所である眼球。
(まだ防御なら!)
御堂の右手が日ノ下の手を抑えにかかるが逆に抑えようとする手首を左手で抑えられ、
勢いも利用され引き込まれる。
御堂は慌ててドアから左手を離し日ノ下本人を抑えようと動くが、
そのカウンターとして体を寄せながら御堂の右手を捻り腕の関節を調整、
腕の曲がらない部分に右手を添えて御堂の腕だけで一本背負いするように力を込める。
(折られる!?)
流れるような一連の動作になんとか反応し御堂は自分から跳躍、
手を離しわずかに屈む日ノ下の頭上を通り過ぎる、2度やれと言われれば無理だろう、
なんと空中で身を翻した姿勢制御まで行うが、
そのカウンターとして日ノ下が足だけで器用に机から椅子を引き、蹴り飛ばす、
狙いは御堂の着地点。
結果、御堂は顔面に椅子をぶつけられ派手に転び全身を強打した。
「ぐああああ」
鼻血を出しながら転げ回りさらに机にぶつかる御堂。
バタ、ボトっという音に混ざりザサっと日ノ下の足音に御堂は倒れたまま、
顔を上げる。
「あああ…」
机から落ちた引き用具が御堂と日の下の間に散らばっている、
コロコロと転がる消しゴムを呆然と御堂は手に取る。
消しゴムを見つめる奥には落ちたゲーム機。
見ると画面にGAME OVERの文字。遊んでいたゲームはストラテジーゲームらしい。
(ああ、やつが今やってるのはこれだ、プレイヤーを無慈悲に追い詰める機械だ)
もはや得体の知れない物と対している感覚に恐怖から体が震える御堂。
痛みに耐える行動、消しゴムを拾う行動、無駄な考察、震え。日ノ下からしたらあまりにも無駄なターン消費。
多大な代償を払って取った距離は既に半分詰められている。
(ああ余計な行動をしたばかりに、俺はここで殺されるのか)どこかの偉人のように・・・
諦めかけた時、目に入る無表情の日の下の瞳のその奥。
何かが見えた訳ではない、しかしそこには確かに必死に暴走する自分を止めようとしている、
日ノ下の姿が見えたような気がした。
(だめだ)
恐怖を振り払う御堂。
(ここで俺が死ぬ、または重症を追う事でどれほど彼女に心的ダメージを与えるか。)
本来は誰にでも心優しい娘だ、消えない罪過にきっと必要以上に思い詰めてしまうだろう。
(何かないか、現状を打破するなにかー)
周囲を確認しふと視界に入るのは日の元のリボンとスカート、
(スカート!あれだ!!)
何かを思いついたのかスカートに飛びつく御堂。
後一歩で日ノ下の射程内にはいる所で御堂はスカートを右手で翻す。
お互いの視線を切るように持ち上げられるスカート、
相手の視界は御堂自身の武器ではあるが、効果が無いなら必要ない、
むしろ相手の視界を奪う事でその脅威を下げるのが目的だ。
しかし、その行動を見て日ノ下は前のめりに倒れ込む、
翻るスカートの下から覗く日ノ下の目と御堂の目が交錯する。
まずいと思ったときにはもう遅い、倒れ込みながら御堂の首に腕を振る日の下。
(狙いは動脈か!)
しかしこの距離なら、首に触れる事で精一杯なはずと思うのも束の間。
(なッ!)
いつの間に拾ったのだろう、その手にはボールペン、慌てて左手で防御行動を取る御堂、何もかもが間に合わない。
御堂の防御行動に合わせて動く不可避の突き、
ズブリとボールペンの先が深く突き刺さる音を聞き、急激に脳から酸素が
奪われる感覚を最後に御堂は崩れ落ちた。
直後
溢れるように手から落ちるボールペン、確かな力で人の首に振り抜いた手が震える。
「み…みど…くん、ころ…わ…わた…」
脅威を無力化し正気に戻ったのであろう、つばめは悲痛に顔を歪める。
ガタガタと体が震え、目に涙が溜まっていく。
ほんの数分で起こった理解を超えた事態と取り返しのつかない喪失感は、
少女のストレスの許容をたやすく突破する。
「いッ!」
「おちつけー!!!」
むくりと起き上がり、つばめの絶叫を遮るように放たれる本日二度目の御堂の怒声。
「ひッ…え!?」
困惑に目を瞬かせるつばめ。
「大丈夫、刺さってないぜ」
そう言って首元を見せる御堂、たしかにそこは多少赤くなっているが、
外傷は見当たらない。
「なん…で?わた…確かに」
未だに手に残る殺傷の手応えが現在の状況への理解を遅らせているようだ。
「見ろよ」
そう言って差し出されたボールペンの先には深く、消しゴムが突き刺さっていた。
「あ…え…なん?…」
なんでかわからないが、消しゴムがクッションになって御堂が助かった。
その事に安堵したのだろう、緊張からの開放もありつばめは泣き崩れた。
「ーーー」
声にならないすすり泣きに、
御堂がたじろぎながら、安心させるようにおどけた風を装う。
「ははは、流石の日ノ下も見落としたか、ああ・・お前は精密すぎたんだよ〜」
そう、あのスカートを持ち上げた一瞬、
御堂は持ち上げた手にはスカートと一緒に消しゴムが握られていたのだ。
難しいのは消しゴムを見られない事と、
消しゴムの落下位置にボールペンがくるタイミング。
その2つをなんと御堂は防御に見せかけた左手で行っていた。
(ミスディレクションは俺の得意中の得意分野、動くものを捉えずにいられない日ノ下には
効果ありだったわけだ。そして俺が一定速度で防御しようとすれば、そのカウンターで日ノ下は
一定速度で攻撃せざる負えないってな。)
とはいえボールペンを認識してからの機転であるため、
ギリギリだったことには変わり無いがと心底安堵する御堂である。
「う…ひぐ……」
いまだ泣き続けている日ノ下のそばに居るのが気まずいのか、立ち上がる御堂。
自業自得とはいえ下手をすれば警察沙汰にもなりかねなかったこの場を見事抑えたのだ。
日ノ下に勝利したとはいえないが。
(おれの鼻血と打撲で事なきを得るなら、紳士として最高の結果を勝ち取ったよな〜〜?)
しずかに右手でガッツポーズをする御堂。
そこに
「つばちゃん大丈…」
どこかで着替えたのだろう胴着では無くジャージのタマコが
勢い良くドアを開き部室に飛び込み想像を超える光景に絶句する。
どうやら御堂の叫びや転倒したときの騒音が部室の外にも聞こえていたようで、
ちょっとした人だかりができていたようだ。
(やれやれ、ようやくのご登場か〜)
全てが終わった後の助っ人(?)に御堂は呆れたという態度だ。
「なに…して」
青ざめた顔のタマコが怒りか恐怖か、
恐らく両方を込めた震え声でつぶやく。
「なにって見てわかるだろ〜?…え?あれ?」
そこで御堂は現状を客観的に認識した。
自分は何かを勝ち得たかのように鼻血を出しながらスカートを握りしめ。
そばにはシャツがはだけ、スカートも無く下着を露わに、崩れ落ちて泣いている女の子。
「え?…いや…ちが」
ざわざわと高まる緊張感は止まらない。
「なにごとだ…あ!?」
近くを歩いていたのだろう、異常を感じた男性教諭が部室に入りタマコ同様絶句する。
「御堂、落ち着いて手に持っているものを置いて、こっちに来い」
(先生、そんな凶悪犯を見るような目で見なくても…)
もちろん従って御堂は無事取り押さえられた。
(この後の事を俺はあまり覚えていない。
この騒動の後、俺が女共から害虫を見る目で見られるようになったとか。
男共から紳士と呼び捨てされるようになったとか。そんな事は実にどうでもいいことだ。
俺が気になるのはただ一つ、失踪したあいつらが今どうしているかだ。
そう消失じゃない失踪だ、短い付き合いではあったが、
俺はあいつらがそんな簡単に死ぬなんて思っていない。)