散歩道にはコルサコフがつきもの
私は何をやっているのか。
毎日、私が散歩している道にはバナナの木が生えている。100坪もあろうかという豪邸の敷地内に生えている。私は、そのバナナの木をコルサコフと呼んでいる。私がコルサコフを呼ぶと、いつも元気に駆け寄ってきて、ヤシの実を投げつけてくる。完全に殺しにきている。私が避け損ねて、痛がりうずくまると、すかさず触手を伸ばしてくる。コルサコフの触手はモフモフしている。
時々、わざと触手に捕まりモフモフすることがある。とてもモフモフしていて、幸せの絶頂の中で、私は死を迎える。悲しい。触手に捕まると、だいたい死んでしまう。だけどモフモフしたい。仕方が無いのでモフモフしながら死ぬ。バナナの香りに包まれて、モフモフして死ぬ。何度も死ぬ。
そのたびに、交通系ICカードから100円が引き去られていく。モフモフするにはお金がかかる。コルサコフは課金キャラなんだ。課金しすぎて私の財政も死にそうだ。コルサコフは中毒性がある。人にはあまり言えないが、私はコルサコフ中毒だと思う。スーパーでコルサコフを見つけると、購入せずにはいられない。購入しないと、死ぬ。すぐ死ぬ。何度も死ぬ。
何で死ぬんだ。許せない。私は許さない。こんな中毒性の高いものが、世の中に平然と存在していると言う事に憤りをおぼえる。平常心でいられない。私はコルサコフが無いと、平常心が保てない。喫コルサコフ所が、最近減ってきている事にも憤りをおぼえる。コルサコフ中毒者に対する慈悲はないのか。コルサコフが無いと死んでしまうと言うのに、こんな世の中は間違っている。
散歩しながらのコルサコフからのモフモフ死が、毎日の日課となっている私は世の中の流れに逆らってしまっている。悲しい。世の中は私を切り捨てようとしている。悲しい。とても悲しい。コルサコフ悲しい。
ところで、コルサコフと私の出会いは、とても暑い夏の日だった。バナナが咲き乱れ、私の服装も乱れ放題だった。乱れ放題の月額プランだった。月額1980円(税抜き)で、衣服が乱れ放題なのだ。衣服が乱れると素行不良だと言われる。私は素行不良ではないけれど、乱れ放題プランだった。むしろ初期不良だったのだから仕方がない。産まれた時から顔のパーツの配置が乱れ放題プランだった。そんなプランが世の中に平然と存在していると言う事に憤りをおぼえる。
そういえばコルサコフが別れを告げてきたとき、私は泣いて彼にすがった事がある。あれはとても寒い冬の日だった。雪が吹き乱れ、私の日本語も乱れ放題だった。
日本語は難しい。今書いていることも、だいたい意味がわからない。書いている自分で意味が分からないのだから、始末に負えない。なんて難しい言語なんだ。こんな難しい言語が、スーパーで平然と陳列されていることに憤りをおぼえる。
何もかもおぼえてばかりだ。覚えることは大切だが、覚えたことを応用することも大切だ。なので覚えたばかりの日本語で、文章を書いている。書いてよし、読んでよし、食べてよし。そんな文章を私が書けるようになるまでの道のりを皆さん暖かくお見守りください。
ニホンゴ ムズカシイ ネ