第40話 秘なる覚醒
ハインツの身に尋常ではない現象が起きていた。傷つけられた肉体や霊槍ろくろで貫いた胸は何も無かったかの如く綺麗なまま。
頭部はまるで濁ったような薄汚い白髪となり、天に浮かぶ満月と同じ金色を放つ鋭い瞳。膨張した霊力が肉体から溢れ、肌は光沢すら出しつつあった。
魔術どころか、術式やスキルとも異なる奇妙な進化。零人でさえこの力が何なのか、判断がつかない。
「これこそ、我らArthur教団がたどり着いた秘技! 霊魂を利用し、基礎能力全てを高める奥義だ。貴様には出来まい?」
「そうだな、俺らの担当は導くことだ。利用じゃねぇんでな」
「はっ、だから落ちるのだ」
「……クソが」
顔を顰めると同時に零人の体が急降下した。突如、不可視の圧力に襲われ、一気に海面付近まで落とされた。
巨大タンカーでも背に落とされたかのような圧倒的質量。掴むことは適わず、魔術での減速もままならずに零人の体が着水し始める。
「周辺の大気を全て使ってんのか! いくら何でも範囲が広すぎやしねぇか!?」
怠惰の制限が解除された零人でさえ、押し返せずに水の中へと沈められた。
「くっ……」
「おいおい溺れるぞ、『怠惰』ァ!」
咄嗟に防御系と転送系の魔術を発動して圧死や溺死を防ぐ。
彼の『フェニックスの権威』に再生や蘇生の回数上限はない。しかし肉体の蘇生が困難な高水圧の海底では反撃の態勢すらろくに整えられない。
回復して地上へ戻るには時間を要し、ハインツが被害を拡大させても止める手段がない。しかも霊体では使用可能な能力にも制限が付与される。
ハインツは零人の殺害以外にも逃亡や他者への攻撃などカードが多すぎる。
『くっ 、プロメテウス!』
『はい、零人様』
先程使用した衛星プロメテウスに直接テレパシーで連絡をとった。
『怠惰の制限解放だけじゃ分が悪過ぎる。あの術式の解禁許可をくれ』
『了解致しました。45秒ほどお待ち下さい』
『サンキューだプロメテウス!』
プロメテウスとの交信が終わったその時だった。彼の背中に悪寒が走る。
「──っ!」
想像し難い巨大な気配を感じ取った。
海の深い闇の中から途方もない怪物、巨大海洋生物が深海から迫ってきていることに。
「ッそ」
その生物の巨躯を目の当たりにし、零人は声を失った。
陸と見間違える程の巨体を持つ謎の生物が、鯨に似た鳴き声を放ちながら深海より昇ってくる。
(リヴァイアサン級の海洋生物……)
地上に現れれば国すら吹き飛びそうな程の魔獣。その存在感は形容し難い恐ろしさがあった。
──その怪物はブループという、ある未確認生物に近い存在だった。
ある研究チームが記録した生物の鳴き声に似た低周波音。その記録から、深海には途方も無く巨大な海洋生物が存在するという一つの都市伝説が誕生した。
つまり目の前の海獣は、その都市伝説からイメージが構築され、魔獣となって実体化した可能性が高い。
この仮説により、零人は迷わず斬り裂いた。
複数の魔術を肉体に付与、威力と攻撃範囲のみに限定した技に絞り、零人は手刀を水中で振る。
その全貌を目に収められないほどに巨大な魔獣は僅か一瞬。青年が軽く振っただけの手刀によって身体を真っ二つに裂かれる。
近年の都市伝説から誕生した魔獣であれば、実体化したとはいえども実体干渉力は低いと見たのだ。
事実、これ程の巨体が両断されたにも関わらず、付近の水圧や流れの変動は無かった。
島のような骸が一気に二つも海の深くで生成される。
『鎖縛の黒檻ッ!』
深く暗い海の中から怠惰の鎖が解き放たれる。目に見える限り十数本の黒鎖がブループに絡み付いて残骸を拘束した。
死骸が鎖に縛られることで次第に圧縮され、押し潰されながら虚無の中へと消えていく。
死したブループはやがて本来の姿よりも遥かに縮められ、零人のロードによって霊界へと転送された。
『この魔獣も後で調べねぇとな。こんな攻撃したぐれぇだ、おそらくハインツの野郎が小細工でも仕掛けたかもな』
向けられた刺客を処理し、上昇のための魔術を発動する。零人は気が付けばハインツによる不可視の圧力は消えていた。
太陽光すら届かぬ深海から、まだ上にいるであろうハインツのことに血走った目を向ける。
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「──まぁダメ元ではありましたが、まさかそんなにもあっさりあの怪物がやられるとはね」
大気支配でハインツは深海まで意識を張り巡らせていた。
そして悟る。ブループが討伐されたことも。零人が既に向かって来ていることも。
「愚鈍な存在との対話は骨が折れますが、一度は試みますか」
ハインツがそっと独り言を零した時、海面に光の魔法陣が刻まれ始めた。
深海からの帰還であったがために、零人は特殊な転送術を使用して再びハインツのもとへ戻る。
「さて、降参するかな? このゲス野郎」
「降参ではありませんが、『対話』をするはどうかな?」
「へぇ。こっちはストレスと今更感がカンストしてるが、いいぜ。そういう姿勢は嫌いじゃない」
強者達はこれまでの緊迫した状況から打って変わり、この上空で2人は異様だが話し合いを始めた。
互いにナイフを持って相対するような緊張感を持って。
「あなた方がもし改心するのであれば、我々はあなた方や凡庸な民を攻撃をしない。今後、Arthur教団の知る真実を民に語ることを条件としてな」
「はぁ、ようやく聞けたわ、目的。それを知るのに数年かかったんだっての。で、何だ? その真実っつーのは」
尋ねられると、ハインツは口に半月を浮かべて彼の問答に答える。
「Arthurの世界、俗に言う天界。そして貴方達は偽りの天界を騙って民を惑わせている」
「お前の言う騙ってるって意味がイマイチ掴めねぇが、もしかしてアレか? 委員会の死後の世界の選別」
死後の世界。それは霊管理委員会が存在する理由でもある。
宗教とは古来より信仰の違いにより信者間で摩擦が生じ、争いの種にもなっていた。そんな人間達を霊界の同じ区域で纏めて保護する訳にはいかない。
果てなく広がる霊界の中で、霊管理委員会は死者を宗教ごとに選別している。
更に死者が罪人である場合、霊界での公正な議会を通しての地獄送りもある。当然ながら、悪人には裁きを下す役割もある。
霊管理委員会は神や悪魔など、信仰や恐怖の対象たる存在達との協力関係の上で成り立つ。
そのため、人為的な介入によって霊界は維持されているのだ。
傍から見れば、それは自然の摂理とはかけ離れている。
そうArthur教団は批判しているのだと零人は話の見当をつける。
「難しい問題だが、少なくとも議論の余地があんならこんな強行手段をとる必要はねぇ。俺らで歩み寄って──」
「何を言っている? そんな世界などないだろうに」
「……は?」
何を言っているか、意味が全く理解出来ずに零人は固まった。
「白々しい、我々は知っているのだ。貴様ら委員会はそんな世界を『統治している』という妄言を吐いていることなど」
「な、何言って……」
「この世は全て、Arthurという絶対神の一部だ。死んだらArthurの肉体と我々は1つとなり、見えざる新世界に旅立つ。だからそのような霊界など存在しない」
「……」
「貴様らはその下卑たる魔術を用いて霊界を存続させ、Arthurの道を遮っている。その障害物を我々が破壊するのだ、Arthurの名のもとに!」
意味の分からない理論が語られていく中、零人は表情を歪めながらハインツへ疑問を投げる。
「そのArthurの話は、どこから聞いたんだ?」
「Arthur教団の最高指導者、教皇様である」
「はっ、アハ、ハハハハッ!」
突然零人は腹を抱えて笑い出す。緊張が緩んだかのように頬を緩めて大笑いをした。
「そうか、お前らはもう戻れねぇとこまでやってんのか。殺人や魂の束縛に加えて洗脳ねぇ。とことん腐ってんな、Arthur教団」
「教皇様を愚弄する気かッ……」
「何言っても無駄か。加減がいらねぇのが知れて安心した」
燃えたぎるようだった目が、冷徹な目付きへと変わった。
両者が睨み合っていた時、衛星プロメテウスのテレパシーが再度彼らの脳内で響く。
『認証完了、使用許可発行。零人様の術式制限を一つ解放致します』
「ついに来たか、俺のお待ちかね」
零人の中で鎖が一つ落ちた音が鳴る。体は心なしか軽くなり、回路を流れる自身の霊力が徐々に高まっていく。
「術式……! 貴様、まさか」
「そうだ、俺はてめぇらが忌避してる術式持ちだ。そして俺の術式は術式の中でも超希少種、大術式だ!」
目を見開いて叫びを上げた瞬間、零人の胸元に蒼と紅の光で描かれた魔法陣が展開される。その魔法陣こそ、大術式そのものだった。
想像を絶する霊力が術式から常に放出され、空間が歪むほどの霊力で零人は満ちていく。
蒼眼は輝き、霊力は紅に光を放ち、魔法陣は心臓に重なりながら回転する。
やがて魔法陣は彼の目と同じ澄んだ蒼へ移り変わって胸に強く浮かび上がる。
遂に封印は解かれ、零人は魂に刻まれし大術式の名を答えた。
「魔術式」
それは怠惰の大罪──否。世界最強、真神零人の持ちうる最強の術式である。





