第37話 罪の跡
黒の外套を纏う者達は聞き慣れぬ若い声に身を硬直させた。
教団員らは自然と声の聞こえた方向へ顔を向ける。そこには闇の中で静かに浮かぶ蒼天の月が二つ並んでいた。
「へぇ、面白い話してんなぁ」
剥き出しになったパイプに立ち、見下ろす十代半ばの青年。怠惰の能力者にして世界最強の能力者、真神零人は冷ややかに微笑んだ。
周りが気圧される中、中年の男が一人声を上げた。
「貴様、ここをどうやって見破ったッ」
「魔術で気配を消しながら尾行した」
「そんな訳が、あるか!」
「結界術や転送術を使ってる割に誤魔化しが大雑把なんだよ。複雑な手順に過信して痕跡丸わかりだっての」
男は零人に向かって憎悪の目で睨み付ける。
「貴様、委員会の手の者か?」
「この状況でそれ以外にあるかよ。頭蓋の中身、腐ってんじゃねぇの?」
「紛い者めが。巫山戯た口を聞く」
「お、最低限の会話が成り立つ脳はあったか。ならその発酵した脳で酒でも作ろう」
「ッ……」
零人は十分に挑発した所で足場から飛び、小さな突風と共に舞い降りた。
「やっぱりお前らと会話してると、どっかズレてて調子が狂う」
何気ない顔で最強は気だるげに首を回す。周りの者達は三歩後ろに下がった。
「異界術士兄弟の襲撃事件の時もそうだったな。あん時は俺が直接見たわけじゃねぇが、話を聞いて違和感があった」
「ッ……」
「気になってたんだ。なんで弟の方は、死んだ筈の兄貴が食らった凶星の攻撃出力を測れた?」
彼がその問いかけをすると、彼らへ一斉に動揺が走る。
「図星か。やっぱりお前らは禁忌を、『魂へ干渉する能力』を利用してんだろ」
零人は聴衆を睨みつける。辺りの空気が文字通り、圧力で震え、場の全員に悪寒が走った。
しかしその中で唯一、彼らの中央で立っているリーダー格の男だけが後退りしなかった。
「その事実に辿り着くとは」
「痕跡と霊力の過剰な火力からして、お前らのその力が自決同然の使い方ってのも分かった。何故そこまでした?」
「全てArthur、Arthurの赴くままに……! その礎を邪魔する貴様達を抹消し、我々は世界をArthurへ導くのだ」
「そういう話、興味ねぇんだわ。演説なら続きは文字通り地獄で聞く」
「理想を理解出来ぬ穢れたが不純物風情が。教団の贄となって死するが良い、『自由者』ッ!」
言う間に男はローブの胸元から一丁のデザートイーグルらしき銃を取り出し、吠えながら罵った零人の顔へと向ける。
「悪と虚実で世を支配する大罪人は、ここで排除──ッ!」
その刹那に教団の者達は皆、強烈な死のイメージを感じ取った。たった一人の少年から湧き出た、災害に抗うような殺気が彼らの霊力を乱すほどの恐怖を与える。
既に彼らは本能的に理解していた。「目の前の存在は決して人が到底抗うこと等かなわない相手である」ということを。
零人はポケットに手を突っ込み、悪意を込めた笑顔で頭を傾ける。
「俺が悪、お前らが正義。これで満足か? だったら地獄で償ってきな」
零人が動きを見せた次の瞬間、教団員達は一斉にライフルを取り出して引き金を構えた。
事前に術が施されていたのか、僅かな時差もなく彼らは零人を円状に取り囲む。
防御不可能、零人と言えど怠惰の制限下では術の発動は銃撃速度には劣る。
「ハハハッハァ! 貴様が逝ね」
この状況に至り、優勢を確信した男は卑しい高笑いを上げた。銃撃は何かの魔術を上乗せし、零人の四方八方から撃ち放たれる。
「はっ、それだけか」
零人は嘲笑した。弾丸の潮に囲まれる中で狂気を孕んだ蒼眼を晒す。
瞬間、何処からともなく女性の声が響いた。
『霊力照合完了。対象への攻撃及び殺害意思を確認。条件クリア』
零人を含め、彼らの脳内に直接内容が侵入する。そのメッセージに時間の概念はなく、内容だけが一瞬にして全員の脳へテレパシーとして一気に受信された。
『7つの大罪、怠惰の能力者。真神零人様に地獄送りの権限を発行します』
指示を受け、零人は全ての指をビキビキと音を立てて鳴す。
第三者に常に縛られ制限されている霊力が、本来あるべき零人の霊力が、彼の肉体へと回帰する。
『そして、零人様の怠惰の制限の一切を解除致します』
最後の宣言を耳にした零人は口に歪んだ下弦の月を浮かべる。ニヤリと笑った青年は眼前に迫る弾丸を睨んでいた。
「さぁ、無双の時間だァ」
その一言の直後、団員らが撃った弾丸が激しい光を放って彼を包んだ。
テレパシーとのタイムラグの影響で邪教徒達は混乱していた。
混沌の中で勝利を掴んだかと錯覚した彼らは、無傷なまま零人の姿を目にして歯ぎしりを立てる。
「なっ……」
帯状の魔法陣が零人の身体全体を包み、空中で弾丸は全て打ち砕かれていた。
魔法陣に直撃して粉砕された弾丸は一つ残らず輝く鉄の粉となって辺りを舞っていた。
「ロードすんのも良かったが、こっちの方が面白そうだったからよぉ」
依然表情を変えていない零人は聖獣の名を小さく口にした。
「イフリート」
紅蓮の火炎から魔法陣が浮かび、燃ゆる紋章が創成される。
紋章の中から地獄の業火を刻んだ魔人の腕を伸ばし、聖獣イフリートが参上した。
笑みを見せる零人が小さな拳を作り、イフリートも動きを合わせてただ拳を軽く握る。
その動作のみで火花が散った。花火のように散った火花は周囲に広がり、宙に漂う銃弾だった鉄粉に着火する。
小さな火花が瞬く間に粉塵爆発となって零人の周りを包み、熱波が最前列の団員達までを襲う。
死傷者が出る程の被害ではない。
しかし同時に、この爆破を聖獣を用いて刹那の内にここまでの威力を披露した事実。大罪の能力者としての実力を見せつけた零人の警告である。
「どうした? ただの脅しにビビったか」
苦虫を噛み潰した顔で男は睨んだ後、団員達へ次なる指示をあおる。
「式神を、キメラを喚び出せ」
命令と共に何人かの術士達の足元から禍々しく生臭い汚泥が流れ出る。
汚濁の中より、醜猥な風貌の式神が姿を現す。
「ブッサイクな見た目してんなぁ」
式神は巨大な蛙に近い何かであった。粘液性の皮膚から僅かに獣の毛や異様なツノが斑に生えていた。
目は泥水のように濁り、肉の至る所は千切れているか朽ちている。
男の言う通り、この式神は複数の魔獣や術を合成して生み出したキメラ。
それも無理矢理な合成によって破綻寸前の傀儡ということは見るまでもなかった。
式神は牛と山羊の混ざったような不気味な鳴き声を上げて唾を撒き散らす。
「総員、防御結界を展開せよ」
指示が出された彼らは一切動きに乱れなく片膝を付き、魔術の発動を試みた。
結界は彼らをすっぽりと囲い、即座に安全地帯を生成する。
しかし直後に男は再び声を荒らげた。
「なっ、何の真似だ。自由者ッ」
零人は結界の破壊どころか、むしろその結界の上から更に強力な結界を重ねて張っていた。
その凶行に呆れたた男は昂ったまま、零人に稚拙な罵声を浴びせる。
「阿呆め、この結界は防御結界だ。そのキメラは無差別に霊力自爆を繰り返す。それも対象を知覚し、死するまで何度でも再生してな!」
「なら心配ねぇ。むしろ被害がそっちいかねぇなら、これを使う」
その時、虚空が割れた。
空間の隔たりを壊し、青年を縛る断罪の鎖が介入する。
鎖は零人の細い右腕に巻き付いて、融解するように腕と同化していく。
やがて腕は灰色と紫紺に染め上がり、タトゥのような紋様がビッシリと彼の肉に刻まれる。
それは紛れもなく、怠惰の悪魔『アズ』の右腕。零人の持つ狂獣の腕だ。
「再生して壊れねぇんなら、その枠組みの外から潰せば良いんだよ」
式神はガタガタと震え、爆発の準備を整えつつあった。しかし一度たりとも、零人はその爆発を許しはしない。
胸の前で指を一本づつ拳に収め、絞るように構えて半身を後ろへ回す。この瞬間さえも狂気の笑みを忘れずに零人は傀儡と対峙する。
魂から伝わる鼓動を腕へと届け、零人は空へ向かって技を叫んだ。
「『アブソリュート・デスティネーション』ッ!」
金属が衝突したような高音が残業する。そして、その瞬きであらゆるものが消えた。
術士らは自分達と式神との繋がりが乱暴に断絶されたことに戸惑いと焦燥を覚えた。それゆえ、目の前の光景を理解するのに遅れが生じた。
朽ちていたキメラの肉は全て弾かれ、その体の中央には巨大で歪みのない風穴が開けられていた。
霊力は後半身が既に崩壊して霧散している。
白目を剥いた眼球は即座に破裂して飛び散っていた。霊力爆発が発生する前に、式神の腐った肉のみが爆散した。
一度飛び散った肉は宙に放たれ、ゆっくりと滞空して舞っていると、今度は風穴へ向かって中央に集つまりやがて消えていった。
消滅し行くキメラの前で零人は、軽く握った拳を解き、アズと同化した腕は元の肌色の肉へと戻っていく。
複雑なベクトルの疾風が部屋の中で暴れ回り、建物の至る所へ甚大なダメージが入る。
「どんなに取り繕っても所詮、有象無象の式神。単品は味気ねぇな」
零人はむしろ退屈そうな素振りさえ見せながら腕を下ろす。
男は近くにいた仲間の術士に、式神について問いただす。
「おい、キメラの召喚維持はッ!」
「術は断続的に発動していました! でも──」
「アズの世界へ送り込むロードと、収容されてる力を解き放つリロードを同時発動した。重力や圧力で弾き飛ばして、押し潰しながら吸収したんだ」
霊力爆発といえど単純な爆発であれば、それさえも押し潰して呑み込む。更に強力な圧力を加えて無効化する。
理を壊し、強者を屠る。闘争でも武闘でもなく、能力による善悪無き戦闘の末に世界最強となった零人だからこその荒業。
自身の理を押し付け敵を屠り去るのがこの真神零人という存在だ。
ここまでの全てが、圧倒的な恐怖を刻み込むには十分過ぎるほどの演出だった。
極めつけに、アブソリュート・デスティネーションによって発生した暴風によって術士らの結界は飴細工のように割れた。
結界から強制追放された者達の目には、死を覚悟した底なしの恐怖と、目の前でニヤリと笑う怪物の顔が色濃く映っていた。
「さて、次は何をするんだ? 有害物質共」
小さき魔王は不敵な笑みで戦場に立っていた。





