第36話 サークル
ンクーロン老師は祈りの手を構え、優人はシンプルなファイティングポーズをとる。緊迫した空気の中でもンクーロンは冷静さを保ったまま微かに笑みを浮かべる。
「問答無用、攻撃を当てる事のみ考えよ。儂の降参か行動不能となるまで続けるぞ」
「──ッ!」
ンクーロン老師が放つ猛々しい闘気を前に優人は武者震いをしていた。老齢に達しながらも猛獣の如く立ちはだかるンクーロンは優人を奮い立たせる。
ンクーロンというこの強者に手を合わせをすること対しての本能的な歓喜、武人としては半人前の優人であっても感じざるを得なかった。
「手合わせといえど、儂もただでは済みそうにない……」
それは老師もまた然り。
ンクーロンは今まで遭遇したことのない異質極まりない霊能力者の少年に希望に似た念を抱いていた。
彼が幾多の宗教で己の徳を積み、あらゆる知識を入れ、最後は自身の信じる信仰を極めてからここまでの感情が湧かなかった。
彼は経験上、自分に勝る人物と理解している人物は何人もいたが、老師はその強者達と手合わせをする機会にこれまで恵まれなかった。
ゆえに彼は目の前に立つ少年とその中に眠っている異形な力との邂逅に、長年に渡り邪心として自ら遠ざけていた『好奇心』を表さずにはいられなかった。
「──シィィッ!」
「ッ!」
刹那の内に先制攻撃を仕掛けたのは優人であった。
呪いの拳に鬼火を纏わせ、その火力で加速させて老師の左腹部を狙い解き放つ。
飛び出した拳は黒煙を宙に飛散させながら拳先が加速とともに硬化していった。
しかし、老師は人間離れした反射神経と動体視力にてその攻撃を見切っていた。
「挙動と予備動作で一定までは把握出来る。ワシ程度の予測と反射なんぞ超えてみせろ」
老師は呪いの拳を払うように手刀で払い除け、手に纏わせた除霊の力にて呪いを相殺した。衝突の際、優人とンクーロンの間に煌びやかな火光が飛び散る。
優人が唖然としていた次の瞬間、老師は低姿勢を保ちながら優人の足元まで高速で迫ってきた。
「初手が中距離攻撃での牽制ならば、間合いを詰めるのは必定」
優人は老師の移動速度に驚愕し、心臓と霊力の動きが乱れた。
だが、これはむしろ優人にとって好機であった。足元にいるンクーロン老師を優人は反射的に霊動術で身体強化を施した蹴りを食らわせた。
「くっ……」
ンクーロンはその蹴りを防ぐために両腕でガードした。
だが優人はそこまで攻撃を読み、その意識の僅かな隙間が生まれた時に優人はポルターガイストにて、ンクーロンを寺院の奥まで弾き飛ばした。
「すいません。接近戦は僕、得意なんです!」
物理攻撃による肉体的ダメージを受けながらも、ンクーロンはニヤリと笑みを浮かべる。
「ハッハッハッ、良い。良い……僥倖っ!」
老師は攻撃のフィードバックを感じさせない動きで急速に接近する。しかしここまで優人もただ無策で呪いの拳を放った訳ではなかった。
優人は足元に触れて寺院の地面の一部を宝玉の大波へと変えて老師を挟み込む。
だがそれすら老師は猫のように繊細で軽やかな身の子なしで跳んで回避する。
大波は人1人程度は丸呑みできるほどの大きさにまで達したが、それをも超えるほどの跳躍をンクーロンは見せ、頭上から戦況を確認する。
「ほほう」
ンクーロンは戦況を把握し、形勢逆転を狙っていたが彼の思惑は大きく外れた。優人は忽然と姿を消し、寺院の部屋のどこにも居なかったのである。
老師はその瞬間に反射的に上を即座に見上げると、天井へ張り付いた優人と目が合った。
「ここまで読んでいたか……!」
優人はそのまま足で天井を蹴り、老師に飛びかかる。優人はポルターガイストと呪いを混じえた手刀で飛ぶ斬撃を老師に放つ。
「ハァッ!」
斬撃は床へ向かって振り下ろされた。しかし老師は攻撃を紙一重で交わし、空中にいるにも関わらず攻撃準備まで即座に整える。
優人も応じて更に呪錬拳を胸の中から生み出し、黒炎の拳の猛追を仕掛けようと構える。
「一歩遅い!」
老師はその僅かな間に精霊を呼び出した。
光の姿の動物達、人の何処かの骨、布製の人形などの様々な姿の精霊達が攻撃を肩代わりし受けきる。
そして間髪入れず拳を突く。拳からは精霊が優人に引き寄せられていくように突き進み、無数の光が混じり合い、1本の線となり優人の目と鼻の先に迫っていた。
そして優人の眉間に当たる寸前、約15センチの所まで到達していた。普通ならば避けきれない速度。
為す術もなく頭に攻撃を撃ち込まれ────
(……ッ! まただ、この感覚は──)
優人の体はンクーロンのあらゆる動きの速度を上回り、周囲の光景はスーパースローモーションと化した。
それはまるで世界がタイムラグを発生させているような感覚。それは優人が以前に2度目の術士襲撃の際に体験した感覚と同様のものだった。
肉体時間加速術とも感覚の異なる体内時間の誤差は優人の戦況を変え、反撃のための糧となった。
期せずして訪れた反撃の為の時間稼ぎは成功した。
優人は即座に幻想刀を虚無から創造して構える。目を見開き攻撃を仕掛けてきた老師へ刀を空振りする。刃が煌めくとエメラルドの刀身は風を斬った。
同時に精霊の力を帯びた呪錬拳が再び弧を描く。
老師は再び牛の頭蓋骨の存在を盾として召喚するも、呪錬拳の一撃により崩壊した。
骨は精霊の力で割られたガラスのように粉微塵となって消滅していった。
消えていくを前に老師は数秒間硬直していると、突然笑い始めた。
「ホホホホ、ハッハッハッハッ! こいつは困ったのぉ」
「ど、どうかしましたか?」
老師は精霊を破壊されると同時に高笑いをし始めた
突然、声を上げて大笑いした老師に驚き、思わずゾンビたちを元に戻してしまった。
「本来なら2日かけて教えるはずだったことをお主はもう習得してしまったんじゃよ」
「え!?」
「肉体、能力、その心意気、全てにおいてこの短時間で主は満たされた。少なくとも儂が教えられる範囲は教えてしもうたよ」
優人が呆気に取られている反応は当然である。まだアフリカに到着してから4時間も過ぎていないのだから。
突然の修行終了宣言に困惑するしかなかった。
「この寺院は修行者へ負荷を与えるため時間の流れを変えとってな。外とは流れが歪に変化するのじゃが、それでも数時間程度の経過じゃろ」
「ええっと、じゃあどうすればいいですか?」
僅かな沈黙の後、老師は満面の笑みで優人に提案を持ちかけた。
「わしの作った技、受け取ってみんか」
「ッ! ハイ!!」
優人は訳も変わらないまま返事を返すと、老師は唐突に図形の話を語り始めた。
「この世の物の長さとは、全て正の数、プラスで表されとるのは知っとるの? そこでじゃ。負の数字、つまりマイナスの長さの立方体は存在すると思うかね?」
「いいえ、存在しないです。普通に考えたらないですけど、でも……」
「全くもってその通りじゃ。ではそこを見てくれるかの?」
老師は優人から見て右方向を無造作に指す。
何もない空中を指さしたらその後に両手を使ってボールをもっているようなポーズを取った。
そして軽くその虚無の球を飛ばすようなモーションを起こす。
すると老師の指し示した空中に突然青い線が刻まれ、小さな青の球を形作った。
だが生成されて間もなく線は消失した。その青の光が消滅した後、周囲に変化は一切なかった。
ただし視覚的、物理的変化はなかった。変化したのはそこにあった霊力だった。
その球の中に、その空間に存在していた霊力が突如として一片も残さず消滅していたのだ。優人はただその技の未知さと洗練された術の成果を前に声を呑んだ。
「空間をコインで例えるならば我々の住む表世界が表面、霊界はコインの裏面。異世界とは金額も材質も違う別の硬貨であり、平行世界とは同じ種類である別の硬貨のこと」
老師は実際に虚空からコインを取り出し、指で指しながら一つ一つを説明する
「そしてコインの表と裏の間、この表世界と霊界の狭間に亜空間や異界が存在しておる。この技はその空間へ範囲内の対象を送る術じゃ」
老師から技と共にこの世界の概要を説明をされた優人は驚くことも反応することもなく、数秒ほど口に指を当てて沈黙していた。
そして数秒後に首を傾げながら彼は少し明るくなった表情で質問を投げる。
「これ、霊力を指先に圧縮して正確な形を作るとできるんですか? 霊力は体に引っ張ってチャージするイメージで」
「おん?」
「多分その引っ張った霊力を空中の、空間が揺らいだ所に引っ掛けて力を加えて亜空間に送った……そんなかんじですよね?」
感覚だけではあるが、術の概要を実行の前段階から理解した優人に老師も驚きを隠せなかった。
(まさか、瞬でこの技を見抜いたのか。ワシか空間と次元を研究し開発した技をたったの1度見ただけで理解するとは……)
「──そうじゃよ、お主も試してみよ」
「はい!」
優人は右目を閉じ、指をピンと伸ばして前方目掛けて照準を合わせる。そして定まると同時に正確にかつ高速に手首を回転させて人差し指で円を描いた。
コンパスのようにそれを正確に描いた時にはその軌跡が青く淡い色に光る。
「ここだっ!!」
優人が技を使用した軌道上はビームを飛ばしたかのように跡形もなく霊力が消えていた。
青の光の消滅と同時に軽い空気の衝撃があり優人は後ろに仰け反る。
「うわお!」
「ほぉ!!」
(円……なるほど円柱か! 描いた箇所から精密な動作を省いて延長上を削るとは。性能もそうじゃが凄まじいのはその変換効率じゃ。加えてあの霊力なら制限を考えても……鳥の飛ぶ高度までも届くかもしれん)
「……その技の名を決めかねていたが、今この瞬間に決まったぞ。この技は『サークル』、 儂からその技と名を授けよう」
「ありがとうございますっ!」
その一瞬は晴れやかで清々しい表情をしたンクーロンだったが、思い出したかのようにゆっくりと落ち着いた様子に戻った。
マイナスへ到達するこの力を命名した老師は優人に向かって手を合わせた。
「ありがとう、主には今日の短い時間だったが楽しかったぞよ。本来なら茶でも飲みながら話したいとこじゃが、この寺院自体が修行は終わりと言っているようじゃ。稽古は別の場所で、後日つけようぞ」
その感覚は優人にも伝わっていた。
テレパシーとはまた別の感覚としてサラマンダー寺院から優人の体の中に思念が流れ込んでくる。
『──新たな奇跡の担い手よ、ここはもう貴殿に必要なものを授けてはやれない。ここを去り更なる試練を超えるが良い』
優人は老師の言葉と寺院の声を聞くと、ポルターガイストで荷物を引き寄せ足元に置いてからビシッと直立し頭を深々と下げた。
「ありがとうございました! とっても楽しかったです。また来た時はもっと一緒に戦いたいです!!」
「ホッホ、その時はこの老骨がもつかどうか心配じゃの。次会った時は存分に時間をとっておくとしよう。飯も用意してな」
別れを告げると寺院の扉がひとりでにその重い扉を開き、眩しい陽の光を院内に入れた。
「では、達者でな。立場上、会えぬことが多いじゃろうがまた会うことを願おう」
「はい、ありがとうございました。さよなら!」
今一度、礼をしてから優人は寺院から出ていった。
そして扉が閉まり切るのを待ってから帰りを待つ一晴の方へとかけていった。その若い背中を見ながら老師はポツリと独り言をつぶやいた。
「会えなくなるじゃろうな、お主は山の上まで進んで行ける者じゃ……」
───優人は水場のところまで戻るとさっきと変わらずに一晴とミリーがいた。
そしてその時にはキリンたちはもうどこかへ行ってしまっていたようだった。
「一晴さ〜ん!」
「優人さん!? 早えぇ!!」
一晴はミリーと共に水場にいたようだった。
しかし様子が少し変であった。昼間にも関わらず彼らの周りに白い煙のような物が出ていたのだ。
「どうしたんですか? ……うわあ!!」
足元には完全に凍らされたワニがいた。
おそらくこれはミリーのブレス。ミリー自身も炎だけでなく氷のブレスもしっかりとこの期間に習得していたようだ。飼い主として優人は喜びを覚えた。
そして一晴は興奮と喜びの表情をして優人に1つ報告をした。
「優人さん、朗報がありますよ。この後に零人さんが帰ってきます!」
「本当!? やった〜!!」
ずっと待ちわびていた親友の帰還に優人は歓喜する。
嬉しさで思わずその場で飛び跳ね全身で喜びを表現する。
この間わずか1週間程度ではあったが、彼のことが頭のどこかに居続けていた。
とても待ち遠しく逸る気持ちを抱きながら優人は一刻も早く帰るために急いで荷物の再確認をした。
「じゃあ帰らなくちゃ!」
「はい、戻りましょう!!」
一晴は優人とミリーとくっついてから早速足元に転送魔法陣を展開した。
グルグルと魔法陣の文字や線を光が走っている中、一晴は不安の中にいた。
(これで……大丈夫ですよね? 零人さん、例の件を伝えなくて──)
この1週間に零人の身に起こっていたことが一晴の不安を駆り立てていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
それは某国の豊かな自然に囲まれた深い森の中、そんな人里離れたある場所に不自然に存在しているシェルターの建物があった。
その建物内では大勢の人々が円となって1人の男を中心に集まっていた。その者達は皆が同じ黒のローブを纏い、暗い部屋の中で集まっていた。
──その時に彼らが身につけていた黒いローブとは、かつて上葉町に襲来し優人達を巻き込んだ『異界事件』の術士兄弟が着ていたローブと同じ物であった。
円状に並ぶ者達の中心で中年の男が大きな声で彼らに演説を行っている。周りの者たちは皆、ライフルを背中にかけながらいやらしい笑みを浮かべて演説を聞いていた。
禍々しい雰囲気の中でその男の声が冷たい鉄の壁に反響した。
「同胞達が息災でなによりだ。今回は全員ではないのが残念であるが、本題に入るとしよう始めるとしよう」
その男は落ち着き払った様子から一変し、情熱的に周囲の者達に語りかける。
「ついに、あの悪神が復活したのだ! まだ完全体では無いようだがそこが付け目。少なくともあの悪神を引き込められれば亜人共や術式保有者の殲滅など容易いこと……」
その報告と共にローブを来た者共は感嘆の声を上げ、嬉嬉とした表情を浮かべる。
男は熱くなり、ますます声を張り上げて彼らに声をかける。
「時は近いぞ同士達ッ! じきにあの忌々しい霊管理委員会よりも先に悪神を引き入れ、奴らを破滅へと追い込むのだ。そして我らは最終目的遂行までさらに1歩近づくのだ」
男は天を仰ぎ吐息を零しながら撫でるような声で囁く。
「もうすぐ約束の時がやってくるであろう。嗚呼、我ら一同───」
『我らがArthur教団に栄光あれ! 我らにArthurの奇跡あれ!!』
その場の者たちが声を揃え大声でその言葉を詠唱した。
拳を振り上げ、何かに取り憑かれたかのようにその言葉を繰り返した。
「へぇ……面白い話してんなぁ」
その場にいた彼以外の全員がどよめく中、彼らを斜め上から零人は見下ろしながら笑っていた。
サラマンダー寺院編の終了&
Arthur教団編スタート!
このArthur教団編はいつもの除霊ピュアじゃない!
ダークなストーリーになっていきます。
ぜひお楽しみに。





