第8話 断罪者 バハムート
光の門を潜り限界した竜は夜空を舞ってその御身を現す。
崇高なその巨躯を覆い包む白銀の鱗、羽ばたく度に強風を生む大翼、月と並んで輝く鋭い金色の瞳。
竜の全貌を地上にいる彼らが捉えた時、竜は地を震わす咆哮を轟かせた。
零人はその竜を目にした途端に釘付けとなった。そして目に映る光景に驚愕する。
「バハムート……聖獣の中でも最高位の竜を、召喚しやがった!」
彼でさえバハムートの召喚は信じ難い事実であった。零人はバハムートという聖獣を、この最上位の悪魔の存在を十二分に知っている。
一部始終を目にした今でも尚、零人は事態を認識出来ていない。
(能力者の力の覚醒は珍しくはない。条件や当人の精神状態次第で奇跡が起きることも多い。だがそれでも、これはその領域を超過してる)
たとえ奇跡が重なったとて、バハムートとはまだ霊能力が覚醒して間も無い優人には確実に不可能な存在。
感情や精神、天才的な感覚などでは到底説明がつかない。
可能性があるとすればそれは一つ。優人の中には常軌を逸した異形の力があるということ。
(間違いない。優崎は『覚醒』の資質と才がある、強者の器を持った能力者──)
優崎優人というパンドラの箱を開けたという自覚が零人の中でふつふつと湧いてくる。
零人が優人の力について考え耽ている間にバハムートはマスターとなった優人の元へと降臨する。
召喚に応じた巨竜は半霊化した脚で降り立ち、民家の屋根に跨って優人を見つめる。
荘厳な竜の姿を前に優人は刹那、言葉を失う。驚嘆している中で優人は何とか声を漏らした。
「っ……あなたが、バハムート」
優人達は驚愕のあまりその場で硬直していた。しかし一方で状況は一転していた。
『ギギギィギッ! ギャイギィッ』
妖兎は喰らおうとしていた母娘の霊魂から即座に離れ、敵前逃亡した。
低俗な魔獣の本能でも状況の劣勢程度は理解している。
妖兎は背から突然生やした蝙蝠の如き黒翼を広げ、必死になって空を飛んでこの場からの離脱を求めた。
(召喚したは良いが、相性が悪い。仮に暴走して優崎の高い実体干渉力とバハムートの息吹が合わさったら──ここら一帯が消し飛ぶ)
予想外の敵の行動と己での解決が不可能な状況に苛立ち、零人は声を荒らげかける。
「優崎、このままだと危険だ。俺に使役権を……」
「いいや零人君、バハムートを信じて。もう大丈夫だよ」
バハムートの目は一直線に逃げている兎の方へと既に向けられていた。
次の瞬間にバハムートは雄叫びを上げ、空気中に存在する霊力が激しく震えて熱くなる。
竜の雄叫びを聞きつけ、東西南北の四方角から光が招集される。光は線となって伸び、バハムートの口内へと収束させられ光球を形成。
そこにあるのはまるで小さな太陽だった。
けたたましい音を立てて震える光を携えたバハムートに、優人は希望と願いを込めた一言を告げる。
「お願い、します」
優人の声が届いた直後、彼の背後から一筋の光線が発射される。
光は細い糸のように伸びていき、延長線上にいた兎の頭蓋を一瞬で貫いた。光速で放たれたレーザーは音もなく妖の霊体を完全破壊。
唯一聞こえてきた兎の断末魔が響きかけるが、間もなく蒸発するかのように兎の霊体は消失する。
撃たれた光線の最後は華麗な花火のように散って消え、空の闇の中へと落ちていく。
醜悪な小さき獣の霊力は僅かに残留し、宙で鮮やかな星屑となった。
「まさかバハムートを召喚するとはな」
「えへへ、本当に成功するとは思わなかったよ〜」
「しかもバハムートに任せて大丈夫って、よく判断出来たな。情けねぇことに俺は焦って判断を誤ってた」
絶賛される優人は照れ臭そうにその瞬間についての事を語る。
「バハムートが僕に『信じろ』って言ってた気がして……僕はただ、その言葉を信じたんだ」
「それはテレパシーじゃなく、勘だな。良い事だ、直感力や勘の良さは霊能力に直結する重要な要素だ」
「そうなの!? やったぁ」
優人はすっかり機嫌を良くし、笑顔を浮かべてバハムートの硬い鱗で覆われた顔を撫でた。
鱗の感触はなんとも心地良い。一方のバハムートは満足しているのか気持ちが良いのか、静かに吐息を鼻から抜く。
そして役目を終えた竜は段々と肉体が霧散化して消えていく。
そしてバハムートの肉体が消えかけていたその瞬間、優人の脳内に不思議な声が聞こえてきていた。
『いずれまた、再会するだろう』
その一言が優人の脳内ではっきりと反響する。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
親子は無事に意識も戻ったため、零人が魔術で先程の記憶を消す。直前の記憶と繋げて何事もなかったかのように彼女達を家へと向かわせた。
影から母娘を見届け、二人の役目はようやく終わった。
「さてと、お疲れさん。無事に終わったことだし今日は解散だ。さっさと帰って寝ろ」
「うん、おやすみ〜」
二人はあっさりとした挨拶を交わし、互いに家へ向かう反対方面の道を歩き始める。
彼らの中では互いに新たな意思が芽生えていた。それは二人が抱いたある感情だ。
(お前が能力者として英雄と呼ばれる時まで、俺はお前を守る。そんなお前は──)
(僕は、もっと強くなれるかもしれない。山の人を守って、強くなりたい。悪霊達に怯まず戦う零人君みたいに。そんな君は──)
(お前は、俺の夢だ)
(君は、僕の夢だ)
零人はこの少年に未知の可能性を。優人はこの青年に強い羨望を。それぞれの存在そのものが、彼らにとっての希望になる。
同時に二人は振り返り、その勢いで顔を見合わせる。優人が先に声を掛けた。
「零人君!」
「ん、なんだ優崎?」
満面の笑みで優人は目の前に立っている憧れへ宣誓する。
「僕、これからもっと強くなれるように頑張るよ。いつか、君みたいに強くなれるように」
己が口に出そうとしかけていた言葉を先に言われ、零人は鳩が豆鉄砲を食らったように固まった。
小さく息を漏らすと、零人は頬を緩めて彼に言葉を返した。
「……ああ、頼んだ」
言葉を交わさずとも、彼らの心は同じ方角へと向いていた。二人の能力者の願いは交差する。





